第7話 白と赤
私が傾斜として活用したものは、奴の滑らかな胴体だったんだと思う。
よく見ると溜め池の底に人間の服や骨が沈んでいる。
これまでに奴の餌食になった人達の亡骸だろうか。
不意に先ほど私より先にここに落ちていった兵士のことを思い出す。
彼は〝服従の呪い〟によって自分の意思とは関係なく飛び降りた。私のように受け身を取ることなどしなかったはずだ。
あのまま地面に叩きつけられたか、あるいは運よく溜め池に落ちたか。
どちらにせよ、体が見当たらないということは既に〝無限の魔王〟の腹の中だろう。
知り合いだったわけじゃないが、自分が何をしているかさえ解らないまま死んでいったことを考えるといたたまれなくなる。
きっと彼にも大なり小なり兵士としての信念や夢があっただろうに。
「グゴゴゴゴゴゴ……」
〝無限の魔王〟が唸り声をあげる。完全に私に狙いを定めたようだ。
壁にめり込んでいた尻尾を引き抜くと、歯を食いしばって全身に力を込める。
何かの前兆、恐らく攻撃を仕掛けてくる。
水中からの不意打ちはなんとかかわせた。考えられるのは突進、噛み付き、尻尾を使った突きや薙ぎ払いか。
人間一人で倒せる相手じゃない。だから隙をついて逃げ切るしかない。
太くて短い足を見る限り、本体のスピードは遅いはず。なら警戒すべきはやはり尻尾。
先ほどの突きのスピードはすさまじかったが、狙いが私だけということを考えると、動きをよく見て早めに動けば重症の足でもなんとかなるかもしれない。
勝負出来る時間は短い。〝無限の魔王〟の背後に外へ繋がる水路がある。通用口として使っていたこともあったのか、古びた鉄の扉が設置されている。
奴の攻撃をかわしたら、すぐに水路へ走って半開きの扉を通って閉める。扉は手前に引いて開くタイプでそれなりに丈夫そうだ。太い尻尾で二撃目を放ってきても取っ手を掴んで開けることは出来ない。扉がどれくらい持つかは解らないけど、逃げ切る時間は稼げそうだ。
ここで死むわけにはいかない。なんとか切り抜けて、アスタ様を助けに行こう。
〝無限の魔王〟の尻尾がグッと僅かに縮む。
尻尾の攻撃。私は先ほどの突きをイメージしながら足に力を込める。
「グゴゴゴゴゴガアアアアアアアアアアアアアァ!!!!」
次の瞬間、私の視界が真っ白に埋め尽くされた。
「なっ……」
尻尾は一瞬の内に数千に裂けた。いや、分裂したのだ。
根元から細い糸のように別れた尻尾は狭い水路の隅から隅まで広がり、私が向かおうとしていた鉄の扉を覆い隠してしまった。
そして逃げ場を奪った尻尾達はその矛を一斉に私に向けた。
駄目だ、避けるどころの話じゃない!
その時、右腕に激痛が戻ってきた。〝縛りの呪い〟が解けかかり、抑えられていた〝滅びの呪い〟が表に出ようとしているようだ。
「このタイミングで……! ぐっ!!」
痛みに気を取られたせいで、無理をさせ過ぎた足にから力が抜ける。
ガクリと膝から崩れ落ちた。
まともに動けなくなった私に、圧倒的な白の大波が襲う。そのまま壁に背中から叩きつけられ、肺に溜まっていた空気が押し出される。
「あ、ぐっ……ガハッ」
砕けた石壁の破片が飛び散り全身に突き刺さる。額がぱっくりと割れ、おびただしい量の血が流れ落ちてきた。
〝無限の魔王〟が迫ってくる。獲物を捕らえたと満足そうな笑みを浮かべ、巨大な口から大量のよだれをこぼす。
くそ、食われるのか。
こんな終わり方なのか。
〝無限の魔王〟の口内が見える。上下の歯の間を糸が引いていて、歯に服の破片が引っかかっていた。誰の物だったかなんて、もはや意味なんてない。
血が目に入ってくる。
段々と視界も赤暗くなってきた。
ああ。結局私は、何も出来ずに死んでいくんだな。
理不尽な悪意に襲われた大切な人も救えない。
敵の正体を知ることか出来てもまるで歯が立たない。
もっと何か出来たら、
もっと早く気づけたら、
もっと力があれば、
何かが変わったかもしれない。
後悔ばかりが浮かんでくる。
〝無限の魔王〟の吐息を感じる。
生臭い空気が鼻につく。
それでも抵抗する気力もなかった。
私の意識はここで途切れた。
痛みも何も感じない。我ながら呆気ない最期だった。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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次回もお楽しみに!
急募、魔王の口臭ケア。