家族の最期
【アネモネ】・・・キンポウゲ科イチリンソウ属の多年草。花色、草丈は個体それぞれ。野生にも、奥様の手の中の植木鉢にも、幅広く存在する。風媒花であるアネモネの種には、長い毛が生えている。茎を折った時に出てくる汁には毒があり、触れると皮膚炎・水泡を引き起こす。
私は昨日、数日経てば十になる娘を連れて散歩をしていた。道中で見つけた赤色の花に見とれた。道ばたに一本咲くその花の孤独感を感じずには居られなかった。子供の頃、花束にしようと思い、摘んだアノ背の高い紫の花とも、ライオンのたてがみのような黄色い花とも違い、その花は孤独に見えた。三十を超えてもなお、幼少期の無邪気さはかすかに私の中で呼吸をしていたらしい。綺麗なその花を自分のモノにしたかったのだろうか、私は一緒に歩いている娘の存在さえも忘れて、その花を手に入れた。もちろんそのとき私は、その花の強さを想像もしていなかった。
自宅に戻り、すぐさま旦那が呑んだ日本酒の空き瓶に、ソノ花を飾った。きっと、自分のモノになったという狂喜から、その花の強さには気づかなかったのだろう。娘に夕食のメニューを聞かれ、渋々夕食の準備に取りかかるまで気づく事はなかった。手を洗う水によって手の痛みを感じた。右手の親指の先端、それから人差し指の第二関節付近の皮膚を痛めていた。原因が見当たらなかった。いつもより長く続く水の音に、娘は違和感を覚え、私の様子を見に来た。「大丈夫だよ。」と優しく声をかけた。何事もなかったように去る娘の安心した背中の先に、美しい花が見えた。まさかとは思ったが、美しすぎるがために疑わざるを得なかった。花に近づくと、空き瓶の底が普段よりもわずかに黄色く見えた。炎症の原因はソノ花であると断定した。たいした炎症でもなかったため、花の名前も、炎症の処置方法すら調べずに、夕食の準備を済ませた。
家族三人にで囲むテーブルの上には、栄養バランスを考えに考え込まれた色鮮やかな料理が並ぶ。旦那が白御飯をかき込むと同時に始まる家族の団欒。幼い私が毎日のようにみたかった光景である。旦那は仕事熱心で、娘は私の自慢のコ。毎晩のこの光景が、私に満足感と自信と、なんとも言い難い幸福感をもたらしてくれる。昨晩も、毎晩と同じように、幸福感と共に快適な睡眠に始めた。
痛い。炎症を起こしている指の痛みが、私をいつもの快適な睡眠から誘拐した。何か痛みを緩和するような薬はないのかと、リビングに探しに行く。目にとまったアノ憎い花の名が気になった。薬はなく、誘拐犯からは逃れられないと判断した。何かに没頭して、痛みを忘れたいと思った私は、暗いリビングのパソコンの電源をつける。真夜中には少々不気味な音を出すパソコンだが、ソノ音も痛みでさえも忘れて、私はアノ花の正体を探った。それが【アネモネ】だったのである。
アノ花の正体が分かって気が済んだ私は、コップいっぱいの水を飲んでから、旦那が寝ている寝室に向かった。階段を上る途中、笑い声が聞こえた。幽霊特有の高い笑い声ではなく、男性の音域程度に低い笑い声である。機器なじみのある旦那のこえでないために、奇妙に思いながらも階段を上り終えた。寝室に近づくにつれ、近くなっていくそのこえは、確かに旦那の声ではなかった。寝室に入ってからは一度もその声を聞くことがなかった。南海トラフの自信が起きそうなくらい奇妙に感じたアノ夜に、私がもう一度眠りにつける事はなかった。
普段の半分ほどしか睡眠を出来ずに起きた私の目は、メダカのようだと旦那が笑う。昨夜に聞いたアノ笑い声は、旦那の声ではなかった、と改めて確信した。
身なりを整え、朝食の準備を済ませたところで、娘を起こす。昨夜以来のこの光景を久しく感じたのは、旦那が出張で家を空けた時以来だ。奇妙な夜が、この光景を久しく感じさせたのだろう。朝の団欒も、夜の団欒も、他愛のない会話をするが、今日ばかりは真剣な顔で、昨夜におきた出来事を語った。が、娘も、もちろん旦那も、笑い話にしかしなかった。
旦那は出勤し、十分ほどの娘との時間が出来る。この時間も、私が幼い頃に欲していた時間である。学校の担任の先生お話、友達の話をするにはちょうどいい十分である。あっという間に時間は過ぎ、娘が登校する時間になった。ランドセルを玄関まで運ぶのは、私の仕事である。毎朝、娘の顔をみて、行ってらっしゃいと言うのが日課である。今日も朝の仕事を完璧にこなせて満足した。
朝起きてやっとのことで休憩をする。朝のアノ忙しい時間帯に飲むコーヒーよりも、やるべき事を時間内に済ませ、ほっと一息つきながら飲むコーヒーの方が圧倒的においしい。この時間は毎日、娘の「母親」としての役割を、旦那の「嫁」としての役割を、世界に存在するどの家族の主婦よりも果たしているかを、再確認する時間にしている。特に私を産んだ母親と比較することで、自分という人間が完璧な母親、嫁として生きている事に責任感と共に幸福感を感じる。
ところでなぜ私が母親との比較に重きをおいているかというと、私を産んだ母親のようにはなりたくなかったからである。誰でも一度は同じように思ったことがあるだろう。ただ、私は違う。この世界に生きるどんな人間よりも強く、私の母親のようにはならないと心に決めている。
私が命をかけてでも、アノ母親のようになりたくないのかは、きっと誰もが想像出来るだろう。アノ母親は、世間で言う「毒親」にあたいするほど、酷く残酷な人間だ。今でも可あらず、「毒親」である事に変わりはない。過保護、過干渉の二つに分けられる事が多い「毒親」の中で、アノ母親は過干渉のほうにあたるのだろうか。私がアノ母親を「毒親」だと感じたときからずっと、どちらに値する「毒親」なのかを考えつづけてきたが、未だにどちらか分からずに生きている。アノ母親は、私が中学二年生になった時に豹変した。毎日のように家を空け、毎晩のようにオトコと遊び、たまに家に帰ってきては、私に文句しか言わなかった。しかしながらアノ母親の言い分は、『私の母親は、私を自由になんかさせてくれなかった。私はその分、あなたを自由にさせてあげたいの。』、その一点張りだった。確かに私は、同級生の家庭よりも自由な家庭環境におかれていて、それを少しは幸せに感じていた。「毒親」だと思いながらも、そんな事はないと思いたかった自分もいたのだろうか。
今日も、娘にとって良い家庭環境を考えていたら、いつの間にか1時間も経過していた。慌てて取りかかる家事。やらなきゃ行けない仕事量に見合った給料はいつ振り込まれるのかなど一切考える暇などなく、無心で取り組む。
あっという間に時間は過ぎ、時計は昼食時を表していた。OLが昼休憩に同僚と食べる無駄にしゃれたランチなど作る暇などない。洗濯物を干している間に冷えて伸びきったカップラーメンを食す。幼い頃に食べるインスタント麺とは違い、おいしくない。昼食をとりながら、今晩のメニューと買う予定の食材を書き出す。地球に存在するいち人間の雌には重すぎると予想されるほどに食材が書かれた。買い出しごの予定も考えながら、皿洗いをした。
初めまして。この度は、読んでくださりありがとうございました。至らぬばかりかと思いますが、暖かい目で見守っていただけると幸いです。
本作品は、日本語ですらままならない、平凡な高校生が執筆しております。日本語が苦手であるため、何とか克服しようと思いはじめました。ハチャメチャな時制だと思われますので、なにかアドバイスをいただければと思っております。よろしくお願いいたします。