表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/8

第四章

 バッ・バッ・バッ。

 ダッ・ダッ・ダッ。

 叩きつけるような筆の音が美術室に響いていた。先輩はにらみつけるような表情でキャンバスを見ていた。画面には嵐を思わせる絵が描かれていた。

 僕はつい先輩を見ていた。この人の絵を描いているときは、独特の激しさがあった。他の人には見られない『気迫』というものがあった。

「ふう」

 翼先輩は短く息を吐き筆を置いた。教室中に弛緩した空気が流れた。

「っと。蓮君に続きを教えなきゃね」

 いつものニコニコした先輩の表情を見せていた。それに比例して僕の心は曇り空のようになっていた。先輩は僕のキャンバスの前に座り、軽く筆を入れていた。

「こうして何度も絵の具を重ねて立体感を出してね」

 いつものように、僕に絵の描き方を教えてくださっていた。いつもだったら目を輝かせて聞いていたが、

「へー」

 明らかに先輩の気分を害させるような声色で答えていた。

「この絵の具の痕が画家の特徴になるのよね」

「なるほどー」

 投げやりのように言うと、先輩はチラッとこちらを見た。

「ゴッホとかの絵がよく使われている表現かな」

「そうなんですねー」

 先輩は『ふう』と軽く息を吐いた。自分の態度が先輩を困らせていると自覚はあったが、改めることは考慮していなかった。この前の先輩と春樹の距離感を思い出すと、ついついトゲのある言葉をいいたくなってしまう。

「ちなみにこんな感じね」

 自身のキャンバスの前に座り、既に描き始めている絵に筆を入れ始めた。いつものように、動きに一切の無駄がなかった。筆を振るうごとに立体感が増していった。

「わあ!」

 不機嫌モードのことなど忘れて思わず感嘆の声をあげた。人が描いている途中の油絵を見ると、経過がわかるからとても勉強になった。

「どう?」

「すごいです!」

 忘れないように目に焼き付けていた。先輩の動き方も何度も頭の中でリフレインさせた。

「先輩の技術を盗んで、もっと精進します!」

 我ながら大げさなことを言っているなと思った。先輩もややあきれた顔を見せ、

「楽しみにしてるわ。春樹君とかに見せてぜひ驚かせてね」

 ヒュッと気持ちが凍え始めた。そうだった。今日は不機嫌な気持ちを持って、先輩と接しているんだった。つっけんどんな姿勢を取らなきゃ。チェンジチェンジ。

「そうですねー。がんばりまーす」

 先輩はまた軽く溜息をついた。そしてこっちに目線を向けると、何もかもを見透かしているような雰囲気が出ていた。僕はポーカーフェイスを意識したが、どこか落ち着かないような雰囲気を出してしまった。と、先輩がなんかニヤリと笑い始めた。よく映画やアニメの悪役が浮かべるような感じのやつだ。嫌な予感がした。

「この前は楽しかったねー」

 ぴくっ。

「春樹君ってかっこいいよねー」

 ぴくっぴくっ。

「あんな子が彼氏でいてくれたらなー」

 ぴくっぴくっぴくっ。

 さっきから勝手に肩が震えていた。動揺を悟られないようにするも、身体の反応は抑えられなかった。先輩はそんな僕の方も見てニタニタ笑っていた。

「蓮君、色々と動いてくれてありがとう」

「い、いえ。いつもお世話になっておりますし」

 平常心でいようとするも、声からは緊張している様子がありありと出ていた。

「そんな蓮君にご褒美をしんぜよう」

「な、なんでしょうか」

 とてつもないことを言い出すのではないかと身構えていると、

「今度デートしてあげる」

 うわあ、この人自分のこと美人だと自覚してるよ。そう言われると男は喜ぶと思ってるよ。そして言われた方はOKの返事を出すと確信してるよ。あーやだやだ。

 ……。……。そして僕は先輩のことを美人と思っているし、デート誘われたらドキドキするし、思わず二つ返事でOKしそうになった。それだと今日の不機嫌モードと相反するから、

「は、はあ。ま、まあ。そ、そうですか」

 とりあえず曖昧な答えをした。せめてもの抵抗の意を示したら、

「あれ? 行きたいくない?」

 キョトンとした顔で言われた。無意識に、

「行きます行きます行きたいです行かせてください!」

 と答えた。さっきまでの葛藤は一体何だったんだ。先輩はふふっと笑って、

「だよねー」

 と、一言口にした。今回の件で駆け引きで先輩に勝つことは難しいと実感した。顔だけはなんとかぶすっという表情は保てた。でも胸の内はワクワクしていた。



 さすがは天下のT京。人がわさわさとうごめいている。右を見ても左を見ても人・人・人だった。K倉とは比較にならない程あふれているため、少し酔ってきそうになった。

「ほら。こっちよ」

 翼先輩が僕を誘導してくれた。慣れているのかテキパキと動いていた。恥ずかしいとは思いつつも、僕は全く土地勘がないから素直についていった。

 今日の先輩は白いTシャツに紺のオーバーオールを着ていた。高校生には全く見えず、どこかの大学生のように見えた。

 僕はいつも来ているTシャツとジーンズを見繕っただけだから、今更ながらもうちょっと良いものを買えばよかったと軽く後悔していた。

「早く早く」

 と、少し先輩に引き離されていた。こんなところで迷子になったら大変だと思って、慌てて歩いた。

 路上では沢山のパフォーマーがいて、人形劇や大道芸、見たことない楽器の演奏をしていた。先輩は軽く顔を向けただけで、特に気にせず前に進んでいった。

「ちなみにどこに行くんですか?」

「秘密」

 ここU野は美術館が多いからそのあたりかなと思いつつも、先輩だったら一人で行くだろうなと思った。わざわざ僕を誘って行く理由を測りかねていた。前を向くと、翼先輩は人が集まっている美術館とかには目を向けず、少し外れた道を歩いていた。周りは古びた建物が目立っていた。

「着いた。ここよ」

 大きめの門が開かれていて、若い人たちが多く出入りしていた。奥を見ると、色とりどりの立て看板が乱立していた。門のところにはT京G大学と記載されていた。

「ひょっとして、ここG大ですか?」

「そうよー」

 ここがG大。気づいたら一気に胸が高鳴った。たぶん絵を描いている人が一度は通ってみたいと思ったところ。その場所に来ているだけで、高揚してきた。

 キャンパス内は学祭らしく活気が満ち溢れていた。普通の学校にありそうな飲食のブースから、美大らしい芸術系のブースと立っていた。

 彫刻品の展示、陶器の販売、バイオリンの野外演奏と見ていて全く飽きなかった。

「あ、蓮君みてみてー。これかわいい」

 そこには学生の自作Tシャツが飾られていた。かっこいいものから和やかなもの、ネタに走っているものと色々あった。先輩が示したものは、U野らしくパンダをモチーフに選んでいたものだった。ただし、このパンダは目が血走っており、人一人殺していそうな雰囲気が出ていた。

「か、かわいい、ですか」

「うん。かわいい」

 とりあえず先輩と僕のセンスに一つの壁があることはわかった。

「あれは何かなー」

 そういって、次のブースに走り出した。僕も置いて枯れないように慌てて追いかけた。ここは興味を引くものが沢山あるから、振り回されることが全然苦にならなかった。


 外の喧騒は嘘のように、展示室の中はひっそりとしていた。時たま話し声が聞こえるが、出来る限りボリュームを抑えるよう意識されていた。僕たちはG大生の油絵を展示しているコーナーに来ていた。

 翼先輩はそれまでのウキウキした雰囲気から打って変わって、真剣な表情で一つひとつの絵を鑑賞していた。僕もどんな絵があるのか一枚ずつじっくりと見ていた。

 どの絵もレベルが高く、まるでプロの絵のようだ。王道な人物画や抽象的な絵、ポップな絵と何でも揃っていた。

 ただ、作者の方々に失礼だけれど、翼先輩の方が見ていてハッとする絵を描いているような気がした。この春に初めて翼先輩の絵を見たときのほうが、強い衝撃を受けた。

 横にいる先輩をチラッと見た。じっくりじっくりと見ていた。多分この人はこの大学に通うことになるだろう。そして沢山のことを学び沢山のことを吸収して、ひょっとしたら有名な画家になるかもしれない。漠然とした確信を抱いていた。

 それに比べて僕はどうだろう。技術などこの人達の足元にも及ばない。独特の観点など持っていない。人をハッとさせることなど到底できそうにない。美大生になるなんて絶対に無理だろうな。自分の実力に暗澹たる気持ちを抱いた。


「はい、おまちどうさま」

 翼先輩の分の水ようかんと、僕の分のミニたい焼き、二人分の抹茶がそっと置かれた。

「ありがとうございます。いただきます」

「いただきます」

 僕たちはG大から三分ほど歩いた小さな和菓子屋さんに来ていた。落ち着いた内装で、椅子やら籠やら小さな日本人形やら品のいいものが使われていた。たい焼きも抑えた甘さで美味しかった。

「いい雰囲気の店ですね」

「でしょ。母さんに昔おしえてもらってね。こっちに来たらよく行くんだ」

 そう言って、抹茶をすっと口にしていた。僕はU野は遠いから全然行ってないけれど、先輩はよく行くのか。こういうところで差が出るんだろうな。

「学園祭どうだった?」

「すごい楽しかったです! 誘ってくれてありがとうございます」

 思い浮かんだ言葉をそのまま口にした。この言葉以外なにも言うことがないと思った。先輩もニッコリと笑って、

「よかった。蓮君だったら絶対楽しむと思ってたよ」

 そういって抹茶を口にした。僕もつられて一杯飲んだ。適度なほろ苦さが身体に染み渡った。ふとこのタイミングで、今日ずっと気になっていたことを口にした。

「なんで僕を誘ってくれたんですか」

 先輩は一緒に行ってくれる友達がいると思うし、なんだったら一人でも行けそうな気がするし。わざわざ僕なんかをどうして誘うんだろうと思っていた。

「やあねえ。この前遊びに誘ってくれたじゃない。そのお礼よ」

 何でもなさそうに手をひらひらさせていた。それでもしっくりこないなと思っていると、

「それに蓮君も三年になったらG大を受けるでしょ? 早めに見るのもありかなと思って」

 僕がG大を受ける?

「なんでそんなことを……」

「え? 蓮君、筋がいいし。絵を頑張ってるし。あれ? 大学は美大を受けるんじゃなかったの?」

 出来る限り考えないようにしていたことが、ぱーっと頭の中に広がっていった。G大の入試で絵を描いている僕、通学のためにU野を歩いている僕、さっき訪れたキャンパスで課題に取り組んでいる僕。叶いもしない夢を見たってしょうがないという気持ちと、僕もG大を受けて良いんだという気持ちがごちゃまぜになった。

「さてと。せっかく上野に来たんだし、どっか美術館に行こうか」

 先輩の言葉で我に返った。そうだ、せっかくU野まで来て先輩と同じ時間を過ごせるんだ。自分のことをウジウジと考えてないで、もっと今このときを楽しまなくちゃ。

「そうですね。どんな展覧会をやっているんだろう」

 僕はスマホを取り出して、U野で開催中の展覧会を調べた。日本画、陶磁器、恐竜、西洋画。芸術の街だけあって、バラエティに富んだイベントが開かれていた。どこがいいか迷っていると、一つの企画展の名前が目に入った。

「あ、これ」

 思わず声が出た。が、すぐに見なかったことにしたが、

「どれどれ?」

 先輩も気づいて僕のスマホを覗き込んだ。そしてすぐに顔を強張らせた。先輩は予想通りの表情を見せた。展示会の名前は『岡野治之 ~日本最後の巨匠展~』と表示されていた。見なかったことにしてどこ行こうか考えていると、

「やっぱり蓮君興味あるようね」

 抑揚の欠けた声で先輩は言った。

「い、いえ。まったく興味ないですよ。他のところに行きたいなあと」

「蓮君。君は嘘をつかないほうがいいよ。面白いくらいすぐわかるから」

 図星だったので何も言い返せなかった。翼先輩は『はああああ』という分かりやすく大きな溜息をついた後、

「ここに行こうか」

 ぼそっと口にした。

「えっ?」

 思わず聞き返すと、

「コイツのを観に行くって言ってんのよ」

 なんか半ばヤケ気味に答えていた。

「で、でも。先輩好きではないんですよね?」

「吐き気がするほど嫌いよ。本当よくこんな恥知らずな絵を晒せるのかと思うわ。でも蓮君から見るとコイツの絵が一番面白いと思うわよ。せっかくここまで来たんだから付き合うわよ」

 ボロクソ言った後、

「一応、あたしだって少しは見なきゃいけない画家ではあるからね」

 屈辱に耐えるような感じで口にしていた。そこまで言われたら僕も断る理由はないので、

「は、はあ。じゃあ、『岡野治之』を観に行きましょうか」

 と、答えた。先輩は三秒ほど黙り込んだ後、コクっと軽くうなずいた。顔には苦悶の皺が刻まれていた。

 ……。そこまで嫌いなら行かなければいいのに。喉元まで言葉が出かかったけれど、なんとか黙ることができた。


 美術館では多くの人が賑わっていた。ここに来る途中で『岡野治之展』の大きなポスターを観た。結構力を入れているのだろう。先輩は瞳から光を消して、ロボットのような表情で歩いていた。

 入り口に入ったところ、展覧会の概要と岡野治之の略歴が書かれていた。この人はいかにもな画家っぽかった。ヨーロッパに渡って絵を勉強し、何度も何度も結婚と離婚を繰り返しているあたりが、典型的なアーティストという感じだった。しかも離婚の原因が本人の浮気性というのが、またそれっぽさを出していた。最後には癌になって一人きりになって亡くなった部分含めて、映画みたいな人生だ。

 春樹が言ってた『破天荒な人ほど良い作品を作る』というのは、残念だけれどあたっているのかもしれない。入口すぐに展示されている自画像を見ると、才能とはこういうものかと感じる。寛容と偏屈、達観と執着、余裕と落ち着なさ。一枚の中に相反する要素が詰め込まれていた。殺風景な中に佇んでいる絵は、他の画家には見られない独特の貫禄があった。

 翼先輩を見ると、口を真一文字に結んで、じっと絵を見つめていた。まるで苦行に耐えている僧のようであった。本当にこの画家のこと大嫌いなんだな。

「あの。出たくなったらいつでも行ってください。全然大丈夫なんで」

「こ、これぐらい何ともないわ。こんなやつに負けるもんですか」

 絵って苦しみながら観るものだっけ。勝ち負けとか考えるもんでしたっけ。隣にいる先輩のことを気遣いながら、僕は美術館の中を歩き始めた。

 とはいえ、他人のことを心配出来るのも最初だけだった。次から次に出てくる絵に僕は夢中になっていた。この画家の構造、色使い、モチーフをじっくり観て、自分の技として盗もうという気持ちになっていた。

 僕の中で『岡野治之』というと枯れた絵を描く画家って認識だったが、それは彼の一面を示しているに過ぎなかった。

 印象派のような絵、キュビズム的な絵、日本画の要素を取り入れた絵など、様々なジャンルに意欲的に取り組んでいた。特に中期に描いた『雪原』という絵は、油絵の派手さと日本風の『わび・さび』が絶妙に混ざりあった絵だった。

 僕はゆっくりと一枚一枚観ていった。翼先輩も今日は僕に付き合うつもりなのか、同じようなペースで歩いていた。

 そんなこんなで終盤のあたりにやってきた。そこは『岡野治之』が『家族』をモチーフにして描いた絵が数多く飾られていた。彼はコンスタントに身内の肖像画を描いていたとのこと。浮気で家族を捨てた人間が、ファミリーをテーマにするというのは何とも滑稽な話だと思った。

 どうやらこの画家は今まで出来た家族の絵をそれぞれ描いていたようだ。一人っ子の家、三人兄弟の家、姉妹の家とあった。結婚しただけでなく、子どもも沢山いたようだ。その生命力の強さに呆れるを通り越して逆に感心してしまった。

 ふと、他の家族と比べて明らかに数の違う絵があった。その女の子の絵だけは何枚も何枚も飾られていた。壁に立てかけている案内を読むと、『岡野信之』はこの子のことを特に気に入っていたとのこと。意識してみると、この子の表情は他の家族と比べて活き活きと描かれていた。

 少女の絵は赤ん坊の頃から描かれており、二歳・三歳と成長のフェーズごとの絵があった。本当にこの人は少女のこと好きだったんだな。

 その中で僕は七歳の頃の絵に目が入った。タイトルは『絵を描く少女』と記されていた。少女はベレー帽をかぶり、筆を手にもってニッと笑っていた。彼女の目の前には描きかけのキャンバスが置かれていた。何より面白いことに、その子は先輩にそっくりだった。キリッとした目に、笑った顔のえくぼ、何よりもどこか溌剌した雰囲気。先輩の子どもの頃はこんな顔をしているんだろうなと思わせた。

「この子、先輩にそっくりですよね!」

 思わず近くにいる翼先輩に声をかけた。と、その表情を見てヒヤリとした。先輩の顔はこれ以上ないというくらい青白くなっていた。奥歯を噛み締め、握りこぶしを握り、中から溢れてくるなにかに耐えているみたいだった。

「ごめん。外で待っているわ」

 一言だけ伝えて、足早に去っていた。説明文を読むと、この人は最後の奥さんの子どもとのことだ。彼女が小さい頃に離婚して、最後は一人で死路についたと書かれていた。ここに描かれた子は『つばさ』という名前だった。


 出口のベンチに翼先輩が座っていた。気分は良くなったのか、いつものようなピンク色の肌に戻っていた。ただ、仏頂面は変わらずっていなかった。顔立ちが整っているだけに迫力があった。

「お待たせしました……」

 声をかけてみても、先輩は眉をピクリとも動かさなかった。

「蓮君さあ」

「はい!」

 思わず背筋をピンと張ってしまった。それくらい、先輩の声はドスがきいており、逆らっては行けない迫力があった。

「あたしに何も言わずについてきて」

 今の先輩に何も言えないと思うがもちろん口には出さず、コクコクと軽くうなずいた。 ……あまりいい予感はしないが。


 U野のガードレール下は独特の賑わいがあった。あちらこちらに居酒屋が開いており、椅子やテーブルが道路まで延びていた。比較的早い時間だが、サラリーマンくらいの年齢の方々がお酒を飲んで出来上がっていた。そんな中、

「親父さん、ホッピーの中もう一杯ちょうだいな」

「あいよ。姉ちゃん、よく飲むねえ」

 ナチュラルに先輩はこの場に馴染んでいた。まるで昔からよく通っていないようなフランクさで、ホルモン焼きを肴に酒を飲んでいた。えっと。僕たちって確か高校生ですよね。日本の法律って二十歳からじゃなかったでしたっけ? そう言おうと思うも、

「ん? なんか言いたいことある(にっこり)」

「いえ! なんにもないです!」

 先輩の何も言うなという目を見せたので、何も口にすることが出来なかった。ま、まあ。兄さんも義姉さんも大学一年生から酒を飲んでたみたいだし、それは暗黙の了解みたいなものだし、悪ぶったやつらはたまに飲むみたいらしいし。先輩もアラウンド十八歳だし、たぶん大丈夫でしょう。……たぶん。

 僕の連れは一杯ぐびっと飲んだ後、

「いやあ。蓮君がんばってるわねえ」

 いきなり、脈絡もなく話を振ってきた。おお、まるで年季の入った酒呑みのようだ。

「は、はあ」

 こういうときは具体的な返事をしないほうがベターだと、義姉さんから学んでいた。

「ずっと絵を描き続けているんだもの。生半可なことじゃないわよ」

 描き続けることがすごい? そんなの普通のことだと思うけれど。

「あとね。ちゃんと好奇心を持っているところ。ただただ漫然と聞くだけじゃないところ」

 どうやら先輩は酔うと人を褒めるようだ。若干めんどくさいけれど、変な酔い方しない分だけマシだろう。と、先輩は突然僕の頭をなでだして、

「ちゃんと続けてねえ。いい絵を沢山描いてねえ」

 くすぐったい感覚と身体中が温かくなる感覚の両方が湧いた。周りの目もあるから止めてもらおうかと一瞬考えたけれど、このぬくもりに長く浸っていたい気持ちの方が勝ったから、なし崩し的にされるがままになっていた。

「いい子いい子」

 さっきから聞こうと思っていた『岡野治之』についての質問は控えていた。先輩の朗らかな酔い顔を見ていると、どこか野暮な話のような気がしていた。誰にだって秘密を一つや二つあるものだ。

 ルールを破れない僕は烏龍茶を一杯飲んで、漫然とそんなことを思った。



 週末の都会U野の夜は酔っ払いが溢れていた。路上で寝る人、ゲーゲーする人、いきなり歌いだす人。冷え込んだ夜に様々な酔っぱらいが溢れていた。

 普段だったら対岸の火事として眺めていたが、

「うー。キモチワルー」

 連れの人がダウンした関係上、他人事には決して思えなかった。介抱している人の大変さが今日ほど実感できたことはなかった。

「えっと。水を飲みます?」

 義姉さんが酔いつぶれたときに母さんがよくやっていることを、見よう見まねでやってみた。

「……ありがとう」

 翼先輩は手に取るや否やごくごくと飲み始めた。どうやら酔っ払いに水を上げるのは本当に効果があるらしい。

 とはいってもこれらからどうしよう。ダウンした先輩と知らない街という状況に対して、途方にくれていた。一体どうやってやり過ごせばいいんだ。

 カラオケに行くか、満喫に行くか、夜を歩道で寝て過ごすか。……全部年齢確認されたら終わりだ。さっきの居酒屋と違って僕だけでやり過ごせる自信は全くなかった。えっと、この状況って万事休すじゃないかな。

「んー。んー」

 こんな状況をよそに先輩は幸せそうに眠っていた。内心途方にくれていると、先輩のショルダーバッグがブルブルと震え始めた。先輩は緩慢な動作でスマホをとりあえず取り出したものの、眠気に負けたのかポトリと道路に落とした。

 無くすと大変だと思い慌てて拾うと、『母さん』と画面に表示されていた。一瞬迷ったものの、この状況を先方の親御さんには伝えないとまずいと思い、申し訳ないながらも電話口に出た。

『はーい。翼げんきー?』

 ハイテンションな声が耳に響いた。余裕のない気持ちの中ではどこか調子はずれに聞こえた。

『蓮君と楽しくやってるー?』

 翼先輩は僕のことをお母様にも話しているみたいだ。いったいどんなことを言ってるのか非常に気になるが、今はそんなことどうでもいい。

『ん? もしもーし? 聞こえるー?』

 応答がないことに先方も不審を覚え始めたようだ。

『あの……』

『ん?』 『僕、翼さんの後輩の辻村蓮と申しますけれど……』

 心持ち声を固くさせつつも、返事をし始めた。すると、

『あ! 君が噂の蓮君! どうも翼の母です。いつも色々聞いてるわよ』

 電話越しにニンマリ笑っている翼ママを容易に想像できた。やっぱりこの人、どんなことをお母様に吹き込んでいるんだ。すごい気になった。

『で? 翼はどうしたの』

 それは気になりますよね。

『実は……』

 かくかくしかじかと今の状況を伝えた。

『ということになります』

『……』

 相手からは沈黙が続いた。これ。絶対怒ってるよね。普通、怒るよね。

『はあーーーーーーーーーーーーーーーー』

 盛大に長い溜息をついた後、

『なるほど。事態はわかったわ。バカ娘が迷惑かけたようで悪かったわね』

『あ、いえ。こちらこそ止められず申し訳ございません』

 ふふっとお母様は軽く笑って、

『あなたが謝ることないのよ。今どこにいるの?』

『U野駅のS口前ですが』

『OK。十分で行くからそこで待ってて』

 短く口にしてからスマホが切れた。大人が手助けをしてくれることになって一安心した。カラオケなりなんなりどこにでも行ける。ふうっと軽く呼吸を整えた。しかし、そんなにすぐ駆けつけられるものなのだろうか? ふと疑問に思った。


 十分きっかり経った。僕は立ち上がりすぐに、翼ママを見つけられるように気を配った。こっちは相手方の顔を全然知らないが、なんとかなるだろう。

 そんな気持ちで大通りを見ていると、真っ赤な派手な車が止まった。白や黒や紺といった地味な色の車が通り溢れている中、それはかなり目を引いた。

 ドアの扉が開いて、中年の女性が顔を出した。白髪交じりのボブカットに、白いブラウス、黒のパンツという出で立ちだった。シンプルな服装だったが、切れ長の瞳と真っすぐ伸びた背筋で独特の迫力があった。

 都会には色んな人がいるなと思ったら、

「坊や! 乗って!」

 女性は大声で僕に伝えた。あれ? ひょっとしてこの人って……。

 ぐでっとした先輩は顔を上げ、とろんとした目をしつつ、

『ああ、母しゃ~ん。なんでこんなところにいるにょ~』

 やっぱりこの人が翼ママか。てことはこの場はなんとかなったということか。僕は横にいた先輩の手を自分の肩にまわして、半ば引きずるような形であるき始めた。

「もう~。ちょっと~。おんぶしてよ~」

 文句をたれつつも、先輩はなんとか歩いてくれた。おんぶなんて残念ながら僕の力だと無理ですよ。翼ママはこの状況を半ば楽しんでいるのか、特に手もかさずニコニコしながら立っていた。



 窓の外はT京の夜景が広がっていた。まるで星屑を散りばめたような景色だった。ちょうどまっすぐ見るとオレンジに光ったT京タワーがそびえ立っていた。

「きれいでしょ」

「ええ。とても」

 翼ママは柔和な笑みを浮かべた。手には氷を入れたウイスキーのグラスが入っていた。部屋は僕の家よりもずっと広いスペースがあった。家具も見るからに高そうなものが揃えられていた。

「あの子が振り回したみたいで。今日は疲れたでしょ」

「いえ、なかなか刺激的な一日でした」

 首謀者はというとフカフカのベッドで気持ち良さそうに横になっていた。

「んーんー。そうじゃないよ……」

 人の気も知らないで。今日何度目かの嘆息を心の中でした。

 ここはS宿のホテルの四十七階になる。翼ママに連れられてきたら、まさかこんなところとは。前から先輩はお金持ちだと思っていたが、これ程とは思っていなかった。

「今日、G大の文化祭と『岡野治之』の展覧会に行ったんだってね」

「ええ。とても楽しかったです。ただ、展覧会では少し翼先輩の様子がおかしかったですが。まるでどこか怒りに耐えているような印象を受けました」

 それを聞いて翼ママはどこか淋しげに笑った。

「そう。よくあの人の絵を見に行ったわね」

 そう言って、ウイスキーを一杯口にした。先輩のお母さんだけあって、一つひとつの仕草が絵になった。

「あの……。先輩と『岡野治之』ってどういう関係でしょうか」

 ずっと気になっていた。一人の画家に対して、ある意味思い入れがあり過ぎていた。先輩に似た少女の絵があったことからある程度予想はついていた。翼ママは数秒熟考し、僕の表情をみて、

「御察しの通り、『岡野治之』はあの子の父親よ」

 と説明した。やっぱり。この人が『岡野治之』の最後の妻と説明されていた人か。そういえば、さっきの展覧会でこの人に似た絵も確かにあったな。

 色々聞きたいことがあった。翼ママはどこで出会ったのか。なぜ画家である父親を嫌っているのに、絵を描いているのか。それでもまず口にしたのは、

「岡野治之さんって。どんな方だったんですか?」

 純粋に気になっていることを聞いてみた。

「そうね。すごく優しいところとすごくクズなところが混ざった人だったわね」

 一瞬思い出すように遠い目をし、

「少なくとも娘に対しては最後まで優しかったわ。私から見ればだけれど、ね」

 含みのある台詞を口にした。今度はウイスキーを深く飲んだ後、

「ちょっとした昔話を聞きたい?」

 ちらっと先輩の方を見た。本人のいない前で耳に入れて良いのか逡巡していると、

「大した話じゃないわよ。世間ではそれなりに知られた話だし。今回こんな時間まであの子と付き合ってくれたのだから気にしないでいいわ」

「そうですが。では聞きたいです」

「私はね。若い頃パリで美術商の仕事をしていたのよ。画家から絵を買い取って、コレクターや施設に売ってたわ」

 確かに翼ママは世界中を飛び回っているような雰囲気があった。始まりからどこか遠い世界のような話に聞こえた。

「小さな職場だったけれど、著名な画家とも取引があってね。彼も顧客の一人だったわ」

 仕事上の接点があったんだ。

「面白い人だったわ。人当たりが良くて、博識で、絵に対して謙虚さがあって。初めて会ったときは『これが画家か』って思ったわ」

 僕が美術館で抱いた印象とは全然違った。かなり破天荒な人物を想像していただけに、意外な気持ちを抱いた。

「初めはお互いビジネスでの関係しか感じていなかったわ。話すこともいくらで絵を買い取るかとか、いつ・誰に渡すかとかね。自慢じゃないけれど、私って仕事は出来たほうだと思うわよ」

 確かにこの人にはデキるオーラが漂っていた。テキパキ動き、交渉に強く、教養が深い。そんな印象があった。

「ある日、好きな絵はなにかという話をしたのよ。休憩中の他愛もない話よ。面白いことに、私と彼の言った絵が同じでね。二人で大笑いしたわ」

 世の中に絵がたくさんある上、ましてや美術に詳しい人同士。一致するほうが稀だろう。

「ちなみに何ていう絵なんですか」

「それがそんなに有名なのじゃないのよ。ジャン=フランソワ・ミレーの『ダフニスとクロエ』。聞いたことないでしょ?」

 あれ? その絵の名前は聞き覚えがあった。

「以前、翼先輩がその絵のことをおっしゃってました。自分の一番好きな絵だと」

 翼ママは目を少し大きく開いて。

「へえ。なんだかんだ親子ね。趣味は似てくるものね」

 チラッと翼先輩の方を眺めた。先輩は全く起きる気配はなかった。

「それ以来、妙に気が合うようになったわ。一緒に食事をしたり、美術館に行ったりしたわ」

「あれ? その頃って『岡野治之』って?」

「妻帯者だったわ。そこそこ仲の良い奥さんとそこそこ可愛い子どもが二人いたわ。私としては世間体が悪くならない節度は守っていたつもりだったわ。ところが彼にとってはそうじゃなかったみたいね」

 手元のグラスを飲み干して、ボトルから並々と琥珀色の液体を入れた。さっきからずっと飲んでいるけど、この人全然酔わないな。

「ある日、職場の近くのカフェに呼び出されてね。見せたいものがあるっていうのよ。何だと思う?」

「さあ? 指輪やネックレスといったアクセサリーですか?」

 翼ママは苦笑して、

「とかだったらまだいいんだけどね。離婚証明書よ。ご丁寧にちゃんと裁判所が発行したやつね」

 またファンキーなものを見せてらっしゃる。

「そして口を開けば、『俺と結婚してくれ』だったわ。世の中には色んな人がいるのね、ていうむしろ感動しちゃったわ。互いのことをそんなに知らないのに、よくもまあ思い切った行動できるわよね。まともな人だったらそんな話に乗らないわよ」

「でも……。お母様は結婚されたんですよね?」

「ええ。その時も体裁とか倫理とか彼の貞操観念とかそれなりに頭を巡らしたわ。どう考えても馬鹿げてると思ったわ。でも同時にこのアホなプロポーズを受けないとどこかで後悔するとも思ったわ。一度しかない人生だもの。後悔しながら生きたくはないでしょ? そしてその後の話はあなたが今日の美術館で見てきた通りよ」

「『岡野治之展』に行かれたのですか?」

「もちろんよ。結構よく練られてたでしょ」

 浮気・不倫ばかりしていた『岡野治之』の最後の妻になった。そして翼先輩と三人で暮らしていた。

「意外にも私と結婚した後は火遊びをしなくなったのよ。翼の前で優しい父親であり続けようとしたわ」

 絵で見る限りでも仲睦まじそうな印象はあった。

「あの人はよく翼に絵を教えていたわ。翼は小さい頃から描くのが好きでね。よく二人でアトリエにこもっていたわ。その時の絵が実は今日飾られていたのよ」

「僕も見ました。確か『絵を描く少女』という題でしたよね?」

 翼ママあ『へえ?』という表情で微笑んで、

「覚えてくれてたの。嬉しいわ。私あの人の絵の中であれが一番好きなのよ」

 その気持ち分かる気がした。どの絵よりも活き活きして、どの絵よりも瑞々しさがあった。ありふれたテーマの中に、日常生活の尊さが滲んでいるような印象があった。

「でもわからないですね。先輩はなんでお父様のことをあんなに毛嫌いしているんですか? 話聞く限りだとあの人に取っては良い父親だと思いますが」

 先方はふうっと深い溜息を吐いた後、

「理由は簡単。あの人が新しい女が出来た、と言って家を出てったからよ」

「へ?」

「私は結婚のスタートがスタートだっただけに、あっさりしたものだったけれど、当然あの子は反発したわね。行かないで、とか。あたしどうすればいいの、とか。すごい癇癪だったわ。岡野は岡野であの子に対しても結構言ってたわね。お前は俺の重荷になってる、とか。もう俺は自由になりたいんだ、とか。よくもまあ小さな子にそんなことを言えるわと思ったわ」

 酒がそれなりに周り始めたのか、空いたコップにミネラルウォーターを並々と注ぎ出した。

「それは……。毛嫌いするようになりますね……。しかしさっきの話しぶりからだたと想像つきませんね。人を攻撃するようなことは言わなそうな人っぽいですし。そもそも翼ママさんの後にはそういった女性はいないって聞きましたけれど」

「ええ。いなかったわ」

 ん? あれ? 頭の中がこんがらがってきたぞ。矛盾していないか。

「えっと。つまり? 岡野さんは嘘をついてたということですかね?」

「正解。別れるためのただの方便だったのよ」

「え? なんでまた」

「癌にかかってたのよ、あの人。別れ話をする頃には余命二年だったそうよ」

「そうだったんですか」

 そういえば、説明のところに癌で亡くなったと書かれていたっけ。

「苦しんでいるところを私達に見られたくなかったのだと思うわ。猫みたいに唯一人で死にたかったのかもしれないわね。彼が残した遺書にもそれっぽいことが記されていたわ」

 今までの話しぶりだと、本当のことはそっちぽかった。

「翼先輩はこのことは?」

「ええ。知ってるわ。週刊誌とかで記事になっていたし。私から直接ぼそっと話したこともあるわ」

「それでもお父様のことを憎んでいるんですね」

「ええ。裏切られたこともそうだけれど、残りの人生を一緒に過ごしてくれなかったことが大きいみたいね」

 一瞬チラッと翼先輩の方を見かけた。

「あの人は自分の不幸せに向き合うのが精一杯で、私達の幸せについては考慮できていなかったみたい。残された人たちがどんな苦い思いをするか。理屈で割り切れないものを抱き続けるのか。それを岡野が想像してくれていたのか少し疑問が残るわね」

 翼ママは大きく背伸びをした。時計の針はこのホテルに来てからだいぶ進んでいた。

「私からの話はコレでおしまい。長く付き合わせて悪かったわね」

「いえ。とても興味深かったです」

 物事に対してサバサバしていた先輩が、『岡野治之』に対しては激しい感情を抱いてた理由がコレではっきりした。

「先輩はお父様への憎しみから解放されるときが来るのでしょうか」

「さあ。あの子次第じゃないかしら。年を重ねることであの人の苦しみが分かって許せるかもしれないし、仮想敵として生涯嫌い続けるかもしれないし。知ってる? 敵がいたほうが人生楽なこともあるのよ」

 先輩はフカフカのベッドで気持ちよさそうに寝ている。個人的には誰かを憎み続けて生きるのは、寂しい人生のような印象を受けるから避けてほしいとは思う。

「いずれにせよ、もしあなたが翼に同情してくれるのなら、なにか声をかけるよりも絵を描き続けて。それが何よりも癒やしになるのよ」

「僕がですか? なんでですか?」

 相手はいたずらっぽい笑顔を見せ、

「それは秘密よ」

 と言った。その表情は翼先輩にそっくりだった。

「一つ言えるのは翼はそれだけあなたに期待しているということよ」

 期待?

「正直、買いかぶり過ぎだと思います。全然うまくならないですし、人を惹きつける凄さもないですし。今もどんな絵がいい絵なのかわからないですし」

「おー。悩める若者だね」

 また一杯先方は飲んだ。この人は翼先輩と違って強いな。

「躓いてもいい、ゆっくりでもいい、笑われてもいい。とにかく描き続けること。こういうのでも描いてみるか、というテーマを見つけてキャンパスに写す。そういうのを続けるのが何よりの才能よ」

「こういのうでもいいから……」

「偉大な画家を目指して、肩肘張った物を描くのも大事だけれど、それと同じくらいぼんやり浮き上がった気持ちに沿って描くのも大事なのよ」

 何となく描きたいものか。そう言われてみれば、ふと頭に浮かんだテーマがあった。多分ありきたりだけれど、混じりけなく澄んだ気持ちで描けそうなテーマだった。

「さあ、もう夜遊びが過ぎたわね。あなたももう寝なさい。そこのベッド使っていいわよ」

 そう言って、翼先輩の隣のベッドを指し示した。

「え、でも」

「大丈夫。このソファーも自宅のベッドより寝心地良いから。私のことは気にしないで」

「いや、そうじゃなくて」

「ああ。翼のことも心配してないわ。あなたステップをちゃんと踏むタイプだと思うし。そういうことを気にしてる時点で、岡野とは違うから」

 グッナイ。そう言って僕の背中を押して、ベッドエリアの方につれてった。本人は薄明かりにして、ウイスキーをちびちびと飲んでいた。

 寝転がってみたところ、全身を包まれるような感触があった。こんな感覚のベッドは初めてなので感動していた。

 目を閉じながらぼんやりと思っていたのは、次にどんな絵を描くかということだった。今まで選んで来たテーマはどう上手く見えるかばかりで、肩肘張った物ばかりだった。

 何となくで選んだテーマ、多分それが僕自身が描きたいものかもしれない。一つ頭に浮かんだものがあったので、構想を練り始めた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ