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プロローグ

 薄汚れた教室の中で彼女の姿だけが浮かび上がっていた。埃のかぶった石膏、イーゼル、花瓶。窓に広がる海からの風を受けていて、部屋の中はパサついていた。物置と化していた場所で、彼女は一心不乱にキャンパスに向かい合っていた。手は赤・青・黄・緑・紫の絵の具で彩られていた。

 綺麗な人だった。黒く長く伸びた髪、切れ長の目、さくらんぼのような唇、すらっとした手足。学校指定の制服を着ているだけなのに、その人だけ違うデザインのように感じた。なにより目の前の布に向かう、強烈な視線に僕は惹きつけられた。

 僕は彼女の描いている絵を見てみた。灼熱の太陽に、真っ赤な炎に、うごめいている人々と恍惚な喜びを浮かべた人々。一体何が描かれているのか分からなかった。ただ、強く強く激しさを抱えるこの絵に惹かれた。

 思わず手に持っていた画材一式をぎゅっと握りしめた。美術部に入ってからずっと絵を描くために使っていた教室に向かったら、先客がいて驚いていた。普段僕が使っている椅子、ディーゼルを、その人が占めていた。それらはまるで少女のために用意されていたみたいに落ち着いていた。

 部屋の片隅にはいつも自分が描いている絵が置いてあった。空色の海とカモメ、高校前を走る電車。要するに教室の窓から見える景色をほぼ何のひねりなく写していた。その人の燃えるような絵をみていると、どこか絵葉書を思わせるようだった。

 不思議と嫉妬は湧かなかった。それよりも彼女の絵をもっとよくみたいと思った。どうやって色を選んでいるんだろう。どうやって激しさを含んでいるんだろう。どんな思いでこの絵を描いているんだろう。少しでも自分の絵をよくするために吸収していきたい。そんな気持ちが湧き上がった。

 彼女とその絵に見とれていると、足の付け根をドアにぶつけてしまった。ガッという小さな音がなった。普段だと気にならない音だが、静寂が広まっていた教室では思った以上に響いた。その人はハッとした顔で僕の方を見た。誰かが見ていることを全く想定していなかったようで、軽く驚いた顔を張り付けていた。

 こちらも同じく動揺していた。ここは声をかけた方がいいのか。黙って立ち去った方がいいのか。正直接点を持って聞きたいことがたくさんある。でもそれって馴れ馴れしくないかな。

 相手方の方は見る見るうちに警戒心のレベルをあげており、今は不審な人物を見るような目つきになっていた。手にはいつでも逃げ出せるように描きかけの絵の端をちょこんとつまんでいた。

 僕は反射的に回れ右をして美術室から離れた。手に持っている画材はガチャガチャとした音を立てていた。心の中ではもう少しうまい接し方が会ったのではないかと自己嫌悪に陥っていた。

 あの人はいつも美術室で絵を描いているのだろうか。ここ最近僕も美術部員になって海を写していたが、特に鉢合わせることはなかった。

 タイミングが合わなかっただけで、実は何度かニアミスしていたのかもしれない。もしそうだとしたらまた顔をあわせる機会があるかもしれない。心の中でどこかで絵を描く少女との再会を楽しみにしていた。

 子どもの頃は純粋に絵を描くのが楽しかった。自分の想像した風景が自在に広がって行き、赤・青・緑とたくさんの彩りが満ち、それを多くの人を楽しませる。ただただ、ひたすら絵にのめり込んでいた。そこにはなんの混じりけもなかった。

 いつしか年次が上がるにつれて余所見をすることが増えたと思う。いかにして良く見せるかだけを気にするようになった。小綺麗な絵になっていく反面、どこか欠落感があるようにも思われた。

 僕はどこかあの人に期待をしていた。僕をまったく知らないどこか別の世界に導いてくれるのではないか。そんなことを胸に踊らせがら海の匂いがこびりついた廊下を歩いていた。


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