守れたモノ
一騎はガンドマイストⅡの右手から湖の前に広がる草原に降り立った。
整備されているのか透き通るような透明に近い水が広がり、それを飾るような青々とした草原が広がっている。
風が吹くたびに草が揺れ、湖には波が生まれ、それらの音が一騎とその隣のマーリの耳に届く。
「良い湖だな」
「……どうしてここに?」
「まぁ、君のその悩みに少しの光を照らしてやられかも、と思ってな。近くにこういうところがあってよかったよ」
首をかしげる一騎の隣にマーリは歩み寄り言葉を紡ぐ。
「君は、本当に守ったと言えるのか?と私に言ったな」
ほんの少し前のことだ。しかも自分で叫んだこと。嫌でも覚えている。
「君は……何を守りたかったんだ?」
そんな問いに一騎は即答した。考えるまでもないことだったからだ。
「エレナとエリサです。あいつらの震えを止めたかったから、乗りました」
「そうか」と言うとマーリは湖へと歩き、しゃがむとその水を両手ですくい上げた。
「では、君が守れなかったものは?」
「ッッ!?それは……」
わからないから言葉が詰まったのではない。答えたくはなかっただけだ。
しかし、マーリの後ろ姿から放たれる雰囲気が一騎に無言を許さず答えを急かしている。
「ガエリスさんとファリスさん。それに村の人たちてす」
無残な亡骸を抱き締め、泣き崩れる者たちを見た。
人の形を留めないほどに崩れているものもあった。そして、それをどうにか人の形に戻そうとパーツを探す人もいた。
何もできず、作り笑顔を涙いっぱいの目で貼り付ける者がいた。
「どうしてこうなった」と、そう問う少女もいた。
その光景を、姿を思い出し拳を握り締める一騎にマーリは言う。
「人の手とは、酷く小さいものだ」
そう言うマーリの両手の隙間からは水が少しずつ流れ落ちている。
「救えるものはほんの少し。救えた、と思ってもそれが本当にその者の救いになっているとは限らない」
「……何が、言いたいんですか」
「君は確かに守れたんだよ。彼女たちの命を、な」
マーリが言った瞬間、一騎は頭に血が昇るのを自覚した。しかし、それを堪えるほどの余裕は彼にはなかった。
「ただ生きてるだけじゃ……意味なんてないんですよ!!」
マーリは変わらず一騎から背を向け、両手の隙間から落ちる水を眺めている。
「生きてるだけじゃそれは生きてるなんて言わない!悲しみしかないなんて!そんな生き方は……!!」
今まで見たことがないほどの悲しげな表情を浮かべるエレナの顔が浮かぶ。ただ泣きながら彼女に抱きつくエリサの姿が浮かぶ。
ただ悲しいだけで生きているなんて、灰色の世界で生き続けているなんて、それで生きているなんて本当に言えるのだろうか?
そんな状態は死人と一体何が違うのか。
何も願えなくなり、何も望まなくなり、笑顔もなくなり、そんな状態に彼女たちを追い込んで本当に守れたと言えるのだろうか?
マーリは両手から水が全て落ちるのを見届けると一騎の正面に歩み寄り強く言い切った。
「だが!生きていなければ何もできない!」
「ッッ!?」
「生きていなければ悲しむこともできない!貴様が彼女たちから、村の者たちから、笑顔を奪ったと自覚するのならば!貴様が笑顔を奪った者たちにそれを返してやれ!それをしようともせずに言い訳ばかり探して立ち止まるな!!」
衝撃的だった。
言葉で衝撃を受けたのはおそらく今この瞬間が初めてだ。故に言葉が出ない。
マーリの剣幕に押される一騎に彼女は言葉を続ける。
「ああ、確かにそうだ。何もなく、何も願わずに生きている者など本当に生きているとは言えんだろう……」
マーリは一騎の両肩に優しく両手を乗せると一騎の両目を見る。
続く言葉の声音は少し和らげだった。
「だがな。生きていればそこから立ち上がれることもできる。確かに時間はかかる。途方もない時間が。でも、希望はあるんだ」
その言葉は胸にしみた。それのせいか視界が涙で歪む。
そんな一騎をマーリは優しく抱きしめ頭を撫でる。
「カズキ。君は確かに村の者たちを殺した。守れなかった。それは簡単には許されないことさ。でも、確かに守った。守れたものもあるんだ。そのことだけは誇っていい」
マーリのその言葉で初めて自分がやったことが認められた。ほんの少しだけ肩に入っていた力が抜けた。
それを自覚するやいなや言葉は洪水のように口から溢れ出した。
「俺は……俺は守りたかったんだ。英雄になんてならなくてもいい!勇者になんかならなくてもいい!ただ、あいつらが震えている姿を見たく、なかったんだ!!」
「そうか……そうか」
マーリは泣き叫ぶ一騎の頭を優しく撫で続けた。
その日、一騎はその世界で初めて誰かの前で子どものように、泣いた。
◇◇◇
いつの間にか閉じていた目を開けると白い空間にいた。
「ここ、は」
辺りを見回すがそこには白い空間が広がるだけで何も見えない。
見えないはずだが何かがある。そんな予感がする。
「あなたは……鍵に触れてしまった」
その声が聞こえたのは真後ろ。すぐに視線をそこに戻すと1人の少女がいた。
黒に金の詩集が編み込まれた綺麗なドレス。しかし、その少女の顔は灰色のベールで隠されているため、はっきりと確認することができない。
そんな少女へと一騎は問う。
「どういうことだ?鍵って……」
その問いを無視して不思議と抑揚がないどこか機械的な声で続ける。
「戦う覚悟ができれば名前を呼んで。そうすればあなたは力を完全に手に入れることができる」
意味のわからない言葉の羅列に一騎が何も言えない中でも少女は容赦なく続ける。
彼女はどうやら会話する気が毛頭ないらしい。
「でも、それはあなたを死に追いやる力。使えば、使うほどにあなたの体を蝕み、破壊し、消す。それでも……望むのならば」
その後に続いた彼女の名前。
それが耳に届き、頭に響く。
不思議とその名前は脳に溶けるように入った。
◇◇◇
「おい––––カズ––––」
心地よい微睡みの中で誰かに名前を呼ばれているような気がする。
頭にある感触は柔らかく心地よい。それのせいか目を開けるのが億劫だ。この感触をもう少し感じながらあと少し眠っていたい。
「カズキ!起きろ!」
少し強く肩を揺さぶられ一騎はゆっくりと目を開き現状の確認を始める。
まず目の前に写ってのは湖だった。
この場所は知っている。村からそこそこの距離があるが1日を潰せばここで遊んで往復ぐらいはできる。頻繁に来ているわけではないが何度か釣りをしたことがある。
次に頭にあるのは柔らかい感触だ。
少し位置は高いが人肌の温もりがあり触り心地も良い。とても安心感がある。それは完璧な枕と言えるだろう。
そして最後に視線を湖からずらし空の方に向けたところで自分の顔を覗き込む女性の顔が写った。
この女性は知っている。村から出た早馬が呼んで来た騎乗士であるマーリ・フィッターだ。
と、そこまでを確認し、それの結果をまとめる。
意識はまだおぼろげではあるがそれぐらいのことができるまでには覚醒していた。
(えーっと、つまり俺は今湖の前の草原で、マーリさんに、膝枕をされている……ということでいいのか?)
現在の状況をようやく思い出せた一騎は少しの間その答えを噛みしめるように頭の中で数度巡らせた。
「ッッッ!!!??」
次の瞬間、ガバッ!と勢いよく上半身を起こし、ゆっくりとマーリの方を向く。
その顔は耳まで赤く染まり羞恥から震えていた。
「あ、えーっと、うん。寝顔、可愛かった……ぞ?」
女性に抱きつき泣き喚いただけでなく膝枕されて頭を撫でられ、しかも寝顔を見られていた。
これだけのコンボを食らってまともでいられるわけがない。少なくとも一騎はとてもではないがマーリの顔を直視できなくなり、両手で顔を隠した。
「もうやだ俺お婿に行けない……」
「そ、そこまで悲観することでもないだろう!?」
「男として……なんか、こう、負けたような気がするんです。ちっぽけなプライドだけど……それだけは譲っちゃ、いけない、んですよ」
一騎はすでに半分灰になっていた。