セクハラは受け取る方の気持ち次第
終業のチャイムが鳴り、椅子を引く音があちこちからする。
三峰は億劫そうに荷物をスポーツバッグに詰め込み、松葉杖を片手に立ち上がった。
「三峰、今日も呼び出しか?」
同じ陸上部の佐竹は同情的な声で問うた。
「あぁ」
初めは佐竹も面白がっていたのだ、クラス担任の町田が暇そうな三峰を扱き使うために放課後に呼び出すことを。しかし、それが一週間二週間と続くと、流石に可哀想になってきた。
「マジ、マッチも陰険だよな」
「うん、まぁ、いいけど、暇だし」
三峰は佐竹の「陰険」の使い方、なんかおかしいと思いつつ、ひょこひょこと歩き出した。
「部長には、来週から顔出すって言っといて」
佐竹と別れ、旧校舎へと渡り廊下を渡る。
憂鬱なような、楽しみなような、複雑な気持ちだ。
つまり、三峰は町田に複雑な想いを抱いている。
「はい、コレ、今日の分」
いつもの生物室、いつもの机の上にプリントの山。町田はしれっとして、隣に座っている。
「ちょ、こっち見ないでよね、みっちゃんのエッチ!」
「じゃ、生徒の前で採点すんなよ」
もう、みっちゃんと呼ばれることには慣れた。何度止めろと言っても聞かないからだ。ちなみに、三峰は町田をマッチとは呼ばない。
「これ、全種類を集めて閉じればいいの?」
「うん。三枚一組ね」
町田は必ず三峰の横に座る。この二週間、必ずだ。
そして、ささやかなセクハラを仕掛けてくるのだ。
素知らぬ顔で三峰の怪我してないほうの足を蹴ったり。器用に脚で撫で上げたり。
「おい、やめろよ!」
三峰が怒ってもニヤリと笑う。
「なに?俺が何かした?」
「セクハラだぞ!」
「えー、ちょっと足が当たっただけで性的なナンチャラを受けたと?溜まってんな、さては?」
だいたいこんな風に言い合いをして、なだらかに会話は続いていく。
正直、怪我には落ち込んだが、町田に扱き使われているうちに自棄っぱちな気持ちは落ち着いた。無茶はしないで治すことに専念できた。
「先生、俺さ、来週からは部活に復帰できそう」
「ふうん。困るなぁ、俺の雑用係りが居なくなる」
「うちのクラスの肉食系女子が後釜を狙ってんだけど」
「マジか。犯されそうで怖いんですけど」
町田は若い教師だ。今年、他所から赴任してきた。見た目も悪くないし話も面白いから、生徒の、特に女子の皆さんに大人気だ。
「先生、彼女が居て結婚間近って言っといた」
「マジか。あんまりモテないのも寂しいんですけど」
「そんじゃ、婚約破棄したって言っとく」
「えー俺の評判ガタ落ちじゃね?」
「慰謝料払って金も無いし」
「金は無いけど、慰謝料のせいじゃ無いのに」
肩が触れ合うほど近くに町田が居る。
そうなると、三峰は困るような嬉しいような複雑な気持ちになるのだ。
誰か、例えば佐竹とかに相談したらとも思った。そしたら町田の教師生命とやらが終る気がする。ただの恋愛相談のつもりがセクハラを摘発する話になったら困る。
つまり、三峰にとって、これは恋愛の話なのだ。
その後、町田の車で送ってもらうまでがこの二週間の流れだ。送らせていることは誰にも内緒だと言われた。流石に贔屓が過ぎるからだと。
足の怪我で歩けなかったから、正直助かっている。
うちの前で三峰を降ろし、また明日と別れる。まるで恋人同士みたいだと思う。
でも、来週には元の生徒と先生に戻るのだろうか。
三峰は憂鬱だ。先生に恋するなんて、ありがちだが、叶うわけが無い。
怪我が治ったらそれきりなのだろうか?あんなに思わせ振りな態度で、それはムカつく。
いっそ告白しようか。いや、男子生徒からの告白にドン引きされたら生きていけない。
そんなこんなで相変わらずセクハラを受ける日々を過ごした。松葉杖はもう使ってない。
終業のチャイムが鳴り、椅子を引くの音があちこちからする。三峰は億劫そうにスポーツバッグに荷物を詰め込み、右足を庇いながら立ち上がった。
「三峰、明日から復帰だって?」
「うん。筋力がガタ落ちしてるから、別メニューらしいけど」
「じゃ、マッチの奴隷も今日までだな」
佐竹に言われてヒヤリとした。
自分は奴隷だったんだっけ?あれ?お気に入りの生徒だと思い込んでいた。
「…そうだな」
「最後のお勤め、頑張れよ!」
三峰は複雑な気持ちだ。いや、かなり憂鬱だ。
旧校舎へと向かう渡り廊下を惰性で渡り、生物室のに戸を開ける。町田がいたが、机にプリントの山は無い。
「ごめん、みっちゃん。俺さぁ、車が壊れちゃってさ、今日は送れないんだよ。だからさ」
「じゃ、今日は雑用しないからな。佐竹のチャリで送ってもらう」
今日が最後なのに、いつもの通りの町田に腹が立った。いや、勝手に思い上がって、勝手に諦めただけで、八つ当たりされたら町田には迷惑な話かもしれないが、だからなんだ?地獄へ落ちろ!
「みっちゃん?」
「先生、今までどうもありがとう」
開けた戸をぴしゃりと閉める。
こうして、三峰のセクハラと隷属の日々は終わったのであった。
帰宅部はさっさと帰って、部活組はまだまだ活動中。半端な時間に誰も捕まらず、仕方なく三峰は自転車置き場でぼんやりグラウンドを眺めていた。
あんまりぼんやりしてたら、蝶々が鼻先をかすめていった。
どんだけ存在感無いんだ、俺。
そう言えば、今までだってモテたこと無かった。免疫が無いから勘違いしたのかもしれない。あれは、何ていうか、コミュニケーション?セクハラが?いやいや、若い男同士の交流とはあんなもんなのかもしれん。
糞食らえ!
バカにすんな。とっくにこっちは勘違いしちゃってたってんだ!
やっぱり一言くらいは文句を言わないと気が済まない。三峰は生物室にとって帰ろうとして、あちらから走って来る町田を見つけた。
いっちょブチ切れてみっか、と意気込んだが、先に町田が喚き出して出鼻を挫かれる。
「モウッ、みっちゃん、探したんだからな、こちとら少し走っても息切れすると年なのに」
「え、それはガタ来過ぎじゃね?」
膝に手を置き、ゼイゼイ息をする町田に、怒るより哀れになってしまった。
「用務員さんに借りてきた。自転車」
町田の手には自転車の鍵。
「ちゃんと送るから、佐竹となんか帰らないで」
三峰の二の腕を掴んで縋って来る町田の姿がますます惨めだ。にやける顔を引き締めようとして、何度も失敗してしまう。
「俺だって、佐竹に送ってもらおうなんて初めから思ってないもんね」
町田はあっけにとられ、三峰の顔をまじまじと見た。
「マジか?どんだけ俺を振り回すのよ、この小悪魔ちゃんめ!」
まだまだ三峰のセクハラと駆け引きの日々は続く。