報告
夜。
女は負傷した腕を押さえながら歩いていた。
女は少しまずい状況に置かれていた。
リミットの時間を過ぎている上に、任務もこなせていない。
「急がねば……」
本来ならば、こんな任務など簡単なはずだった。
『契約者のいない神魔の捕獲』なんて、わざわざ女が出向かなくたっていいレベルだ。
しかし、女は失敗してしまった。
あの予想外の事態……。予測できるわけがなかった。
「なんだったのだ、あのガキは……」
やっと追い詰めたというところで、邪魔をしてきた。おそらく、年もまだ十八もいってはいまい。あの生き物がなんなのか、どんな価値があるのか。知る由もないだろう。
それにしても、あの神魔はなぜあのガキを選んだのか? 神魔は自尊心の塊だ。そう簡単に契約を結んだりはしない。偶然居合わせたガキに契約を、しかも神魔から。
そしてこともあろうか魔弾まで……。
あれだけ巨大な魔弾をぶつけられれば、女もただではすまない。自分の魔弾をぶつけ、衝撃は減らしたが、衝撃は抑えきれなかった。
回復には時間がかかった。夜になって、ようやく転送術が使える程度までになった。
女が向かう先には、本部とつながっている転送用の洞穴がある。
そこに行けば本部に帰り着ける。女は黙々と歩いた。
納得のいかないことばかりだったが、今考えたところで仕方ない、と自分に言い聞かせた。
私は与えられた任務を、こなせなかった。
その事実は変わらない。変えられないのだ。
女は洞穴に着き、一番奥まで進んだ。
手を体の少し前に伸ばし、手に力を込める。
手が光りだすと、洞穴の壁に紋様が浮かびだした。
次の瞬間、もうそこに女の姿はなかった。
《セリム様がご帰還なされました》
「標的は」
《……取り逃がしたようです》
「……そうか。すぐに私の宮に来いと伝えよ」
《はっ》
フッ、と伝令係が消えた。
男は玉座に座っていた。
やはり、そううまくはいかぬか、と一つつぶやいた。
落胆どころか、笑みがこぼれた。
そうでなくては。
コツ、と足音がした。
「セリムが帰って来たんスか?」
男は意外な声の主に思わず問うた。
「どうしたエルビム。珍しいな、私に姿を見せるとは」
エルビムはわざとらしくゆっくりと歩いてくる。
「いやねェ? 今回の任務。セリムが一人で、しかもあなた様直々って聞いたんでね。こりゃァ何事かと思って、来たってわけっスよ」
「またのぞきか。お前には任務を与えていたと記憶しているが?」
「ああ、部下にポイッとね。あんなかったるいの、やってられねっスよ。俺にゃあもっとでかい任務が似合ってらあ」
「全くお前は――」
言いかけたとき、もう一つ、人影ができた。
「セリムは任務に失敗したようですね……」
「プルーム。お前もか」
「失敗したァ? ハッ、あいつもとうとうドジったな」
エルビムが嬉しそうに言う。プルームはエルビムのことなど見えていないかのように男に近付いた。
「ボス。この件、セリムにどのような責任を取らせるおつもりでしょうか?」
「プルーム……」
「今回のセリムの任務は『契約者のいない神魔の捕獲』。至極容易なはず。それに失敗したとなれば……」
その時、コツコツと誰かが近付いてくる音が聞こえてきた。
「来たようですね……」
セリムが腕を押さえながら歩いてくる。そして玉座の前でひざまずいた。
「セリム、只今帰還しました」
「何だァ? ずいぶんボロボロじゃねェか?」
エルビムが横から割って入る。
「久しいなエルビム。見ないと思っていたが、生きていたのか」
「死にかけのおめェに言われたかねェよ。ダッセェなァ、そんなナリでイキがっても、ただただ滑稽だぜェ?」
「あなたの事、少しは買っていたのですが、残念ですね。このような任務で失敗してしまうとは。面汚しも甚だしい」
「私は、お前たちに報告しに来たのではない」
セリムは男に向き直った。
「ボス。まずは、申し訳ありません。直々に賜った任務を――」
「前置きはよい。何があった」
セリムは少しうつむき、意を決して顔を上げた。
「標的の補足、追跡までは順調でした。しかし、捕縛一歩手前で、邪魔が入りました」
「ほう……?」
「ただの虫だと思ったのですが……。標的を連れて逃げ出し……」
セリムは言いよどんだ。
「どうした」
「標的と、契約を結ばれました」
「ハア!?」
「なんと……」
男は唖然とした。言葉が出なかった。ただ逃がした、ということであったら納得のしようもある。一筋縄ではいかないことは百も承知だった。
しかし、まさか、あれが、契約を交わそうなどとは夢にも思わなかった。なぜ。あれの前契約者は――
はっと我に返ると、セリムはうつむき、男の言葉を待っているようだった。
「……相手は」
「……はっ……?」
「契約者は、何者だ」
「……それが、まだ子供でした」
「オイオイオイオイ、嘘をつくんならもっとマシな嘘つけよォ! 神魔が、偶然そこで居合わせた、そこら辺のガキと契約したってのかァ!?」
「俄かには信じられませんねえ」
「まさか……」
男はつぶやいた。
三人が男に目を向ける。
いや、まさかな。
そんなはずはない。
男は疑念を自身で払った。
「セリム」
「はっ」
「引き続き、標的を追え。我々にとって脅威になりうるかもしれん。細心の注意を払え」
「はっ」
セリムは立ち上がり宮を後にした。エルビムとプルームも後に続いて消えていった。
男は思い出していた。あの激戦を。あの男の事を。
一撃を与えられた右腕が疼いた。
ことごとく
「ことごとく、お前は私の前に立ちはだかるのか」