邂逅
開けた窓から鳥の声が聞こえる。
その音で、アルゴは目を覚ました。
また朝が来た。
ベッドから起き上がり、一つ背伸びをして、大きなあくびをしていると、廊下から聞こえるドタドタと足音。
「はあ……。はいはい」
ため息をつく。バアンとドアが開き、子ども達が部屋に飛び込んできた。
「兄ちゃん、火が起きねえ!」
「兄ちゃん、ボタンが取れない~」
いつもと変わらぬこの光景。
「はいよ、ちょっと待ってろ」
「ねえボタン! ボタン!」
「ちょっと待って――」
「ボ・タ・ン!」
「ちょっと待てって言ってんだろ!」
一喝。
急いで着替えて、台所に向かう。と、その前に母さんの部屋に入った。
ベッドで母さんは編み物をしていた。
「母さん、おはよう。調子どう?」
部屋の窓を開けながら訊いた。
「ありがとう。大丈夫だよ」
母さんは笑って言った。
「そうか、ならいいんだ。あんまり無理しないで」
そう言うと、アルゴは子供達が待つ朝食を作るため、台所へ向かった。
アルゴは生まれて十五年間、このカリムの町で育った。とても小さい町で、暮らしているのは百人程度。町の人すべてが一つの家族のようなものだ。
学校も無ければ、市場やみんなが集まる広場も無い。あるのはでかい山。森。川。田舎だ。
アルゴと母クロンは、この町で親が育てられなくなった子どもを預かる施設を営んでいる。こんな田舎では仕事がないので、都会に出稼ぎに行く親が多く、そういう子どもは割と多い。
はじめは、クロンがお人好しで一人の子どもを預かっただけだったのが、田舎のうわさは伝わるのが速いもので、どんどん増えていき、いまや十人を超えてしまった。
アルゴは子どもが嫌いだった。しかし3年前、クロンが病に倒れた。カリムの町に医者はいない。月に一度、隣町から医者が来る。難しいことは分からないが、なかなか治りにくい病気らしい。よくなっていく傾向は未だない。
実質、今はアルゴ一人で切り盛りしているのだ。
「早く顔を洗え!」
朝の仕事は大変だ。子ども達が顔を洗っている間に全員分の朝食を作る。料理は、時間が経つにつれてそれなりのものは作れるようになった。
今朝のメニューはスクランブルエッグと、畑でとれた野菜のスープ。簡単に済ませよう。
まずはスクランブルエッグから。戸棚から大きいフライパンを取り出し、食糧庫からとってきた卵を。卵……。
「忘れた……。おーい、誰か卵取ってきてくれ!」
仕方ない。先にスープを作ろう。鍋を取り出したところで、
「ちょっと、いきなり命令? 何様のつもり?」
聞きなれた声。アルゴは振り返りながら言った。
「勝手に入るなっていつも言ってるだろ?」
「残念でした、ちゃんとクロンさんには挨拶してきてますぅ」
舌を突き出して変顔。不細工だ。
「何しに来た」
時間がない。腹を空かせた子供たちはうるさい。アルゴは冷静だった。
「分かるでしょ、手伝いに来てあげたの。今日は何にもする事ないからさぁ。アルゴ一人じゃ何かと大変でしょ? だから……」
「また喧嘩したのか? 意地張ってないで、さっさと帰れ」
「いやだ。人の親切は素直に受け取りなさい」
「結構だ。手は足りてる」
「二本しかないでしょう?」
ルーテはアルゴの返事を聞く前に食糧庫に向かった。あいつは人の話を聞かない。
ルーテは物心ついたころから一緒に遊んでいた、俗にいう幼馴染。小さい頃はそれでよかったが、成長するにつれてお互いに、自分のやりたい事、しなければいけないことが出てくる。アルゴは施設を守っていかなければならなくなり、だんだんと距離は遠くなっていった。
と思っていたのはアルゴだけで。ルーテの方はそんなものお構いなし。ふらっと施設に顔を出しては、いつの間にかまたいなくなっている。
最近、親と喧嘩が絶えないらしく、しょっちゅう何か理由をつけて施設に居座る。
迷惑な話だが、子ども達は嬉しそうなので、無碍に拒否するわけにもいかず、対処に困っているのだ。
「ほらっ、卵もってきたよ」
ため息をついていたら、いつの間にか隣にいた。
「お、おお」
驚いてうまく返事ができなかった。ルーテはジトっとした目でアルゴを見る。
「なによそれ。お礼とかないの?」
「あ、ああ、うん。サンキュ」
アルゴが礼を言うと、ルーテはニコッと笑った。小さいころから、この笑顔だけは変わらない。
この笑顔に免じて、今回は許してやるか。
なんだかんだ、アルゴはルーテを拒みきれずにいた。
ルーテの手伝いもあり、朝食の用意はいつもより速く終わった。やはり手は二本では足りないのだ。もう一本ぐらいあってもいいのだが。
「ほらっ、早く食べちゃってー。食べ終わったら薪を拾いに行くってさ」
なぜかルーテが仕切っている。しかし子供たちはそんなもの気にしない。
牧広居は子ども達が外に出れる数少ない機会だ。人数も多いし、アルゴ一人だけだと管理するのも限界がある。いつも子ども達は施設の中でしか遊べていない。
しかし、今日はルーテもいることだし。ちょうど薪も無くなりかけていたから、ひさしぶりに子供たちを外へ連れて行くことにした。
アルゴ、ルーテ、子ども達は施設の近くにある森に歩いた。
森に着くと、子ども達は一斉に走り出した。
「あんまり奥に行くなよー!」
アルゴは叫んだ。
これまでにも何度か薪拾いにきたことがある。元気のいい奴らが勝手に森の奥の方へ入っていって迷子になり大変だった。結構な剣幕で怒ったのだが、こうやって念を押しておかないと不安だ。
アルゴは薪を拾いだした。
「……小さい頃にもここに来てたよね。クロンさんと一緒に三人で」
「ん? ああ、そうだったかな……?」
「来てたよ、覚えてない? 前にここに来たとき、アルゴが足に枝が刺さって大泣きしたじゃない。クロンさんにおぶってもらって帰ったでしょ」
「そんなことあったか?」
「あったよ。あの時は大変だったんだから」
「お前だって。大事なぬいぐるみが無くなった、って帰る間際に言いやがってさ。夜までずっと探したじゃねーか」
「しょうがないじゃない、あれはお母さんが作ってくれた、大事な物だったの」
「たかが人形だろ? あそこまで大泣きしなくても」
「はいはい、私が悪かったですぅ……」
「………………」
二人の間になんともいえない沈黙。
アルゴもルーテも何か喋ろうとするのだが、言葉が見つからない。
「あ、ていうかやっぱり覚えてんじゃん――」
ルーテが喋りだし、アルゴの顔を見た瞬間。
アルゴは葉っぱになっていた。
「へへー、やったやった!」
声がしたほうを見れば、前に迷子になった男の子。いたずらが絶えないその子が、何人かの男の子を引き連れて逃げていった。
アルゴが埋まっているであろう葉っぱの山が、ピクピクと動いている。
「てめえらぁー!」
アルゴが木の葉を撒き散らし、すごい勢いで男の子達を追いかけていった。
小さい頃から全然変わってない。
ルーテはそう思って笑った。
「正座ぁ!」
アルゴに葉っぱをかけた男の子達が、頭にたんこぶをつくって一列に正座していた。
普段なら、薪拾いが終わったら施設の庭で遊ばせるのだが、こいつらにはちょっときつめのお灸をすえなければならない。
『遊んでるのをずっと見てろ』。割りときつめ。
ちゃんと薪拾いをした子たちはルーテと一緒に庭を走り回っていた。
唯一よかったと思えるのは、子供たち全員の仲がいいことだ。時々アルゴにいたずらをすることを除けば、施設内でのいざこざは滅多にない。
いたずら小僧たちの隣で立っていたら、ルーテがこっちを見てにっこり笑った。
「アルゴ、アルゴも一緒に遊ぼうよー」
「へっ?」
ルーテの笑顔は、アルゴのボキャブラリを確実に減らしていた。
「い、いや、俺はこいつらを見てなきゃ……」
「ほらっ、君たちもー。もういいからこっちに来て遊ぼうよー」
「やったー!」
「あ、待てお前ら」
アルゴが口ごもってる間に、正座をさせていた連中も庭に駆け出していった。
「よーし、みんなで鬼ごっこしよう! 鬼はアルゴだよー!」
「俺かよ!?」
わーっとルーテと子ども達が走り出した。
「しょうがねえなあ……。ってそんなに甘くねえからなああ!」
アルゴも庭に駆け出した。
遊び終わった子ども達は昼飯を食べ、そのあとはすぐに昼寝タイムに入る。
こんな田舎では勉強をしたって意味がないというのも事実だ。大体アルゴ自体、勉強を教えられるわけではない。ルーテも同じだ。
ルーテと二人で、子どもの布団を部屋いっぱいに敷き詰めると、子ども達はそこに転がり、あっという間に眠りについた。
ここでアルゴはしばしの休憩に入る。
「助かったよルーテ。一応礼は……って」
ルーテは子ども達と一緒に寝ていた。
「ったく……。子どもじゃねえんだからよ……」
アルゴはルーテに薄い布団をかけてやった。
ルーテの寝顔を、気づいたらずっと眺めていた。はっと我に返った。
「あ、そーだ、水を汲みに行かなきゃ……」
アルゴは誰もいないのにわざとらしい口調で言った。
すやすやと眠っている子ども達とルーテをおいて、タンクを持って急ぎ足で森の奥の川へ向かった。
アルゴが向かったのは、今日薪拾いに行った森の奥に流れる小さな川。
なにぶん小さな村なので、水も自分で汲みに行くしかなく、この村の生活ではそれが当たり前だ。
川までは結構距離がある。行き来するだけでも息が上がってしまうので、少し川で休んでいく。
この時がアルゴの一番心が休まる時だった。
川までは一本道で迷う事はないが、大きい石がごろごろしていて、とても子ども達に一人で行かせることは出来ない。これはアルゴの仕事だ。
「疲れた……。」
川までの距離の半分まで来たところでアルゴは立ち止まった。
今日は薪拾いもしたし、子ども達とも一緒に遊んだから、体が重い。
一息つこうと木陰まで移動し、木の根に腰を下ろした。
そのとき、何か聞こえた、気がした。
耳を澄ませる。
気のせいじゃない。森のもっと奥の方から、「ドーン」という低い音が聞こえてくる。
誰かいるのか?
「こんなところで何を……」
気になったアルゴは方向を変え、音のする方へ歩みを進めた。
森の奥へ、奥へと行くにつれて、音がどんどん大きくなっていく。
もう「音」というよりは「地響き」に近くなってきた。
そしてアルゴは、その音の発生源と思われるところまで来た。
音はするが藪になっていてよく見えない。
どこか見えるところはないかと、アルゴは隙間を探した。
すると。急に、音が聞こえなくなり、辺りが静寂に包まれた。
「何だ……?」
おそるおそる藪の上から顔をのぞかせようとした瞬間、何か生き物がアルゴの正面に飛び出してきた。
「のわっ!」
アルゴは思わずタンクを投げ出し、後ろに飛びのいた。
犬? 狐? 猫?
見たこともないその生き物には背中に羽がついていた。そして、体が赤かった。
「何だ、こいつ?」
その生き物に触れようとしたその時、藪の向こうが光って弾のようなものが飛んできた。アルゴはとっさにその生き物を抱えて、間一髪のところでかわした。弾がぶつかった地面は大きくえぐれていた。
「なっ……」
アルゴはその場に座りこんだ。