間話 家族になった日
あれは、僕がこの森に来てから一年がたった日のことだった。
その時僕は十歳もうすぐ迎えるだろうって頃で、ああ、僕の誕生日ってそういえばもうすぐだったなってぼんやり考えていた。
所詮子供の考えることなんて大人には簡単にわかってしまうもので、その日の訓練中に師匠がどうかしたのかと聞いてきた。
「なんでもない!」
なんか、自分から誕生日がいついつだって教えるのは恥ずかしくて黙ってたんだけど、師匠はいぶかしげにじっと僕の顔を見つめてきた。
「なんか今日は身が入ってねえな……心配事とかあるなら言えよ?」
一年間を共にしてきて、この不器用でがさつで乱暴なおっさんは、変なところで気が利くんだということをなんとなく知っていた僕は、これ以上話をしていたらばれちゃうかもって無駄な心配をして、師匠の声が聞こえないふりをして訓練の続きに打ち込んだ。
幸いにも師匠が無理やり話を続けることはなくて、内心ほっとしながらその日は訓練を終えた。
「そういえば、アルマがこのうちに来てもう一年になるなあ」
夕食の時間にじいちゃんが急にそんなことを言い出すもんだから、僕は飲んでいたスープを危うく噴き出すところだった。
「何かほしいものとかあるなら、できるだけ用意してあげようかと思うが……あまり高価なものは用意してあげられんからなあ」
「ちょっと、おじいさん!」
「おお、すまんすまん。 なんでも言ってくれて構わんのだよ」
じいちゃんとばあちゃんが僕の誕生日を知ってるはずもなかったけれど、まさかここにきて一周年記念という形でお祝いされるというのは予想していなくて面食らってしまった。
たぶん、じいちゃんとばあちゃんは僕がアークランドの子供だったから、貴族の欲しがるものは用意できないという意味で僕に尋ねてきたんだろうけれど。
僕が自分の聖心獣を召喚してしまってからというもの、アークランドの実家で僕が家族からプレゼントをもらったことなんてなかったし、特に貴族らしさなんてよく学ばないまま家を抜け出したから…正直なところ、欲しいものなんてぱっと思い浮かばない。
「大丈夫だよ! ここで暮らせていることが僕にとってはプレゼントみたいなもんだからさ!」
嘘っぽいけど正真正銘の本音だ。彼らがいなかったら、僕はどうなっていたかわからない。それに、彼らはアークランドの家族より僕によくしてくれているし、これ以上を望んだら罰が当たるよ。
ただ、一つだけわがままを言うのなら、僕はじいちゃんやばあちゃん、そして師匠と……
「ごちそうさまでした!」
でもそれを言ってしまうのは、どんなお金のかかるものよりも難しいプレゼントになっちゃう。
言うだけ言って困らせてしまう未来が予想できちゃっているから、僕は心の内に隠しておくことにした。
◇ ◇ ◇
次の日、師匠が町に買い出しに行くと言って訓練はお休みだった。
大きな荷物をもって離れた町と森を往復するのはじいちゃんばあちゃんには酷ということで、師匠が買って出ているのだ。いつもなら僕もお手伝いという形でついていくのだけど、今日は「昨日ぼーっと訓練を受けていた罰」ということで、一人居残りで訓練をしている。
ブランを召喚して背中にまたがり、森を駆ける。
すっかりブランはこの森の動物たちに顔を覚えられていて、見つかると逃げられてしまうのだが彼自身はまったく気にしていないようで、障害物の多い森の中をスイスイっと走る。
「ねえブラン、僕は、ここにいて迷惑とかかけてないかな」
返事はあまり期待していなくて、ブランも風を切るのに夢中で、僕の言葉はただの独り言となってこぼれてゆく。
お金を払って住まわせてもらっているわけでもなく、何か見返りがあるわけでもなく、僕は無償でこの家に住まわせてもらっていて、それで本当にいいのかなって、ここに来た時からずっと思っていたんだ。
実の家族なら生んだ責任とか愛だとかいろいろあるのに、僕とじいちゃんばあちゃんにはそれがない。だから僕はいい子でいないと、いつ見限られてもおかしくないのだ。
もちろん、彼らがそんな白状者だとは思ってないんだ。ただ、人を一人養うことの大変さっていうのは、親切心だけで賄えるものじゃない。
完全にブランに任せて、彼の気のすむまま森を走り回っていると、そこそこ大きめの湖に出た。
背中から降りると、ブランは一目散に湖に飛び込んだ。なるほど最初から水浴びがしたくてここを目指していたのか。
岸にしゃがんで水面に映る自分の顔を見つめる。
なんだか気分が落ち込んでいて、ポジティブにものを考えられなくて困った。
もし追い出されることがあったならどこに行こうか。
どこか、お給金がもらえるような召使いの仕事を探すべきだろうか。
聖心獣を使って力仕事とか畑を耕したりする職業はいっぱいあるけど、僕の聖心獣ではそれも厳しい。誰も好んで魔獣みたいな見た目のやつを使いたくはないだろうし…。
追い出されそうになったなら、泣いてすがってこの森に残してもらえないか頼んでみよう。
「こんなところにいたのか」
マイナス思考なりに考えがまとまりだしたその時、水面に新しい影が映りこんだ。
「師匠」
「いつもの広場にいないからびっくりしたぜ。坊主はまだ一人で魔獣と戦えないんだ、あんまここには来るんじゃねえ」
「ごめんなさい」
あやまると、師匠はばつの悪い顔をした。
「わかればいいんだよ、うん」
師匠が口を開かなきゃ、僕も特に話すことはないし、湖畔に沈黙が流れる。
「やっぱり、なんか悩み事あんのか」
昨日と同じ質問。そんなわかりやすいくらいに変なのだろうか。
一年やそこらの付き合いなのに。逆に僕は、出会って一年の師匠のことをあんまりよく知らない。聖心獣の扱いがものすごく上手なことと、意外とどんくさいことくらいしか知らない。
「なんでもないよ?」
昨日と同じ質問に、昨日と同じ答えを返す。
でも、師匠がさらに返してきた追及は、昨日とは違った。
「馬鹿野郎。一年もずっと一緒にいりゃあな、坊主がなんか変だなってことくらいわかっちまうんだよ」
顔を見ると、師匠はどういえばいいのか悩みながら、それでも真摯に僕に向き合っていた。
「ほらよ」
不愛想に突き出された手には、一枚の紙。
「カール・ディナミス……これって師匠の名前だよね」
「見るのはそこじゃねえ。その下だ」
「下? ……あ」
そこには僕の名前が書かれていた。
「じじいがな、もう一年だし、家族の証がどうとか言い出してな…俺はそんなものいらねえつったんだがばばあまで反論してきてよ」
「アルマ・ディナミス……」
僕の新しい名前。アークランドではなく、ディナミス。師匠と同じ苗字。
「俺は最後まで反対したんだぞ? 絶対にアークランドの名前を捨てるのはもったいねえって言ったんだが……」
なんだか、悩んでいたのが馬鹿らしくなるような、そんな気持ち。
じいちゃんもばあちゃんも僕のことをちゃんと家族だって認めてくれていたんだ。
「いいか坊主、アークランドには嫌な思い出もあるだろうが、いつか絶対に役に立つ日がくる。ディナミスの名前はあくまで仮として持っとけ」
「わかった」
嫌な思い出しかない、というと、確かに愛されていた時期のことを無視しているみたいだけれど、記憶にあるのはほとんど悪夢だ。師匠が言うなら理由があるんだろうし、とどめておくのもやぶさかじゃない。
「ありがとう師匠!」
「お、おう? …まったく、ディナミスの何がいいんだ…?」
「教えない!」
「はぁ!?」
師匠はどうしようもなく鈍感。
一年越しに、僕はまた師匠のことを知った。
その日の夕食はとても豪華で、それ以来、僕が学園に行くまで、一年おきに記念パーティが森の小さな小屋で行われることになったのだ。
この話に伴い、二章を少し修正してあります。