プロローグ2
その日は、兄の十歳の誕生日パーティだった。
アークランド伯爵家の領地全体で、次期当主である兄の生誕十年という節目を祝うお祭りだった。
特別な日だったけれど、僕はいつもと変わらず、町の子供たちから嫌がらせを受けていた。
いつもと違うのは、それが外ではなくて家の中だってこと。
僕が住んでいた町の中で、僕の聖心獣が獰猛だという噂はもう全員が知っている当然の情報だった。
僕は町のみんなから蔑むような目で見られていた。
友人と呼べる存在はいなかったし、同年代の子供たちは僕を堂々といじめてきた。
暴言、暴力、ものを隠したり、・・・ああ、聖心獣を出して攻撃を仕掛けてくる、なんてのもあった。
彼ら曰く、悪を攻撃する自分たちは正義、らしい。
何度も反抗した。聖心獣だって出した。
人目につかないところで聖心獣を操る練習も積んでいたから、もう前みたいな事故は起こらないと思っていた。でも、出せばみんなは逃げて行って、家に帰ればいいわけも聞かずに怒られる。いや、もう最後のほうは怒られもしなかった。無言で両親の聖心獣が牙を向けてくるんだ。怖くて、何度も泣いた。
でも、誰も慰めてくれなかった。涙には何の意味もないと理解するには十分だった。
僕がやり返すことは許されていなくて、ただ耐えるしかなかった。
「おい、いつもみたいに聖心獣は出さねえのかよ!」
「聖心獣じゃなくて悪魔だって!ははは!」
僕の家は城と呼んでいいくらい大きな豪邸で、普段は町の人を入れたりしないんだけど、お祝いの時だけは一階の広間の一角が解放されて、無銭で立食パーティが楽しめるようになっていた。
今僕をいじめている奴らも、その期に乗じて家の中に入り込んだ奴らだ。
お手洗いに行こうとしたら、いじめっ子たちに絡まれたというわけ。
「おい! 黙ってないで何とか言えよ!」
今ここで聖心獣を出したら、パーティがめちゃめちゃになる。
僕のことを嫌いな家族のパーティでも、僕から台無しにするようなことはやっちゃいけない。
その思いで、必死に耐えていた。
「ちょっと、そこのあなたたち・・・何をしているんですか」
通りすがったのは、僕の姉。
アークランドの子供たちの中で一番年齢の高い長女だ。
慌てて、いじめっ子たちがなんでもなかった風を装う。
いくら僕が嫌われているからと言って、いじめの現場を抑えられるといじめっ子たちの立つ瀬はない。それを知っていて彼らは、外でも人目につかないところで僕をいたぶっていた。
さらに、それがアークランドの長女である。位の高い貴族に、いじめの現場を見られたとあればその場で断罪されてもおかしくはない。いじめっ子たちはそう思ったのだろう。
ところが、いじめられているのは他でもない僕だったので、彼女の態度はわかりやすく、
「―――アルマですか。 やりすぎないようにしなさいね」
「姉上・・・」
「見ないでくださる? 気持ち悪い」
それだけ捨て台詞を残して、どこかへ行ってしまった。
今更僕の味方をしてくれるはずもないというのはよく分かっていたけど、それでもやっぱりこたえるものがある。
「お前の姉ちゃんどっか行っちゃったな」
「見捨てられてやんの!」
いじめっ子たちは暴力を再開する。
殴る、蹴るの嵐。僕は亀のようにうずくまって我慢する。
そのうちに、彼らは聖心獣を呼び出した。
「この前新しい技を考えたんだよ!」
「どんなの!?」
「まずなー・・・」
腕の四本生えている紫色の猿を呼び出すと、続けて聖句を唱える。
「『雷槍』召喚!」
猿の腕の一本一本に紫電のほとばしる槍が握られる。
「おおー!」
「ラッくんかっこいい!」
「これでアルマを電気拷問の刑にかける!」
「やっちゃえー!」
いじめっ子筆頭のラックンはこう見えて聖心獣を操る才能がある。
子供なのに槍を四本同時に呼び出すとか、将来はさぞ優秀な聖導士になれるだろう。
その最初の犠牲者に僕が選ばれるというのをのぞけば拍手してあげたいくらい。
「来て! ブラン!」
僕も聖心獣を出して対抗する。
黒くて大きいオオカミ。ブランっていうのは僕がつけてあげた名前だ。
「出しやがった!」
「ママに言いつけてやる!」
「負けるなラッくん!」
悪名高い僕の聖心獣を見て、彼らは少しだけ後ずさりしたが、戦意をそがれたわけではなかった。
いつもなら、すぐに逃げ出すのに。
「行け! エーフェ!」
四本腕の猿が突進してくる。
雷を乱射する槍を振り回して。
ブランは真正面から受けて立つというふうに、猿に向かってとびかかった。
四本のうち、二本がブランの体に突き立った。
刺さった時点で力を開放するようで、ブランの全身を覆うように紫電がまとわりつく。しびれで行動を阻害させ、その隙に残りの槍で仕留めるというのが基本戦法なんだろう。
だけどブランはしびれなどどこ吹く風で、ハエでも追い払うように威嚇の声を上げた。
「ガァッッ!!」
彼の吠え声には不思議な力があるようで、ラっくんの聖心獣は戦意喪失して手に持っていた槍を取り落とした。そしてそのままパートナーの背中に隠れてしまう。
「お、おいアーフェ・・・」
茫然とするいじめっ子一同。
僕でもブランの吠え声はちょっと怖いのだ、それが自分たちに向かって明確な敵意を向けてきたら、
「うわあああああ」
「ママ―!!」
「ま、待って!」
逃げ出すのもやむなしだ。
「これ、また怒られちゃうよ・・・」
去りゆく三人の後姿を見ながらこの後のことを考える。
三人が向かったのはパーティ会場の大広間。僕が聖心獣を出したこともすぐ伝わるだろう。
「結局何も食べてないや・・・」
こぼれそうなため息を我慢して自室に戻ろうとすると、こちらを見ている兄の姿が見えた。
ずっとこっちを見ていたのだろうか。
兄は僕と視線が合うと、そそくさとどこかへ行ってしまった。
◇ ◇ ◇
「お前、また聖心獣出したんだって? 馬鹿だなぁ!」
兄が僕の部屋を訪れたのは、パーティも峠を越えたあたりだった。
自室でパーティの喧騒を聞きながら、一人寂しくパンをかじっていた僕へ兄がかけてきた言葉は、にじみ出る侮蔑を隠そうともしてなかった。
「だって、あいつらが先に僕をいじめてくるから」
「いじめてくるからって殺していいとでも思ってるのかよ」
「僕の聖心獣は人を殺したりしないよ」
「どの口がそう言うんだよ、アークランドの面汚し」
そう言った兄の顔は、肉親なのに、後ずさりしてしまうくらいの迫力だった。
猛烈な憎しみの色濃く、厳しい目つきが僕を射抜く。
戸惑う僕に、兄は言葉をつづけた。
「お前、面汚しって言われてんだよ。気持ち悪い聖心獣しか出さないからな」
僕は、自分の聖心獣を貶められたことで頭に血が上っていた。
兄は淡々と事実を告げている。そう信じて疑わなかった。
「ま、その呼び方を考えたのは俺なんだけどな!」
意味が分からなかった。
理解するのに時間がかかった。
聞き間違いかと思って、兄の顔を見た。
「頼むからさ、この家から出て行ってくれよ。お前が同じ家にいるってのが、耐えられないんだ、俺は」
懇願する台詞とは裏腹に、兄の顔は満面の笑みを浮かべていた。
「ずうっと、お前の聖心獣は危ないって町の奴らに教えて回ってたんだよ。 俺以外にお前の聖心獣の犠牲者を増やしちゃいけないと思ったからな」
「え・・・」
「そしたらあいつら、勝手にお前のこといじめだすしさあ? でも仕方ないよな! 悪いのはお前だもんな!」
兄の顔は、どんどん鬼神めいてきて。
「全部、兄さんがやったの」
「だから俺はなんもしてないって。ただお前が危ないってみんなに教えてやっただけだよ」
僕がみんなにいじめられるのも、父や母、家族全員から普通に扱われないのも、全部、目の前の人間のせい・・・。
体中の血が沸騰する感覚に襲われ、気が付いたら、僕の聖心獣が唸り声を上げていた。
「出しやがったな」
兄も自分の聖心獣を出した。いつか、僕の聖心獣に喉笛をかみ切られた熊だ。
兄の熊は大きな右腕を振り上げて突進してきたので、僕のオオカミは体当たりで止めようとした。
あの時みたいに、殺すつもりはなくて、ただ引き留めるために動かしたのだが、予想外のことが起こった。
兄の聖心獣は、僕のオオカミと衝突する直前にその姿をかき消したのだ。
突然のことに指示を出すのが遅れた。
オオカミは勢い余って、熊の後ろにいた兄にぶつかった。
兄は、昔と同じように、いや、昔より派手に吹っ飛んだ。
「だ、大丈夫!?」
「近寄んな!!!」
駆け寄ろうとした足は、兄の怒声で止まってしまう。
「は、はは、こんなにうまくいくなんてな、やっぱりお前は、面汚しだよ、アルマ」
兄は苦痛に顔をゆがめながら、勝ち誇ったように言った。
「ちょっと、今の音は何!?」
姉上が慌てて部屋にやってきた。
そして、倒れている兄を見て大きな悲鳴を上げた。
「だれか、だれかーーーー!」
ばたばたと、父、母、姉、弟がやってきた。
「何事だ」
何が起こったかなんて、一目見ればわかる。
アークランドの面汚しが、異形の聖心獣で兄を傷つけたのだ。
「あの、これは」
「アルマ」
申し開きの一つすら許されていなかった。
「ごめんなさい」
「そんな言葉など聞きたくない」
「もう置いておけないわ、この子はうちの子じゃなかったのよ!悪魔の子よ!」
母上の悲痛な叫び。
「出ていけ」
それは、最後通告だったんだろう。
まだ、父親として最低限の情は残っていたんじゃないだろうか。
悪魔の子を穏便に、危害を加えずに追い出す。
でもそんなの、僕にはわからなくて、
「待って!」」
思わず家族のほうに近づいてしまった。しがみつけば、まだやさしく抱き上げてもらえるんじゃないかって淡い希望があったんだ。
「来ないで!!!」
母上の金切り声と同時に、全身が燃えているサラマンダーが家族を守るように火を噴いた。
「これ以上、私の家族に手を出さないで!!」
サラマンダーを召還したのは姉上。
「私の家族」に自分が含まれていないことに気づいて、僕はその場にへたり込んでしまった。
「あなた、気持ち悪いのよ」
母が、兄をその腕に抱えたまま、僕を化け物でも見るかのような目で見た。
僕は、サラマンダーの吹き出す火に追い立てられるように窓から逃げ出した。
聖心獣が着地に一役買って出てくれて、けがはなかった。
振り向くと、今しがた飛び出した窓から父が僕のことを見下ろしていた。