後片付けと――
「大丈夫ですか!!」
人の声がすると、黒頭蓋の聖心獣(と言いたくはないけど)はゆらりと僕の影の中に戻っていった。
木々をかき分けて出てきたのは赤の長髪が夕闇に映える凛々しい女性だった。
右手には美しい儀礼剣が握られている。
もう何度かお世話になった、ステラ・アルトリアさんだ。
「あ、ステラさん…」
「アルマ君と、女子生徒が一人…話に聞いていた通りですね」
ステラさんはほっと息をついた。
「そちらの女子生徒はけがなどしていませんか?」
「大丈夫、だと思います…。 疲れているだけだと…」
そうですか、と一言つぶやいて、ステラさんは周囲の戦いの痕跡をぐるりと見回した。
「魔獣は、君が退治したのですか?」
「その、…彼女が襲われそうになっていたので…」
怒られる! と思って最低限の言い訳。
けれど、ステラさんは特に咎めることをせず、
「新入生なんですから、あまり無茶はしてはいけません」
軽く注意をするにとどまった。
もっと怒られると思ってたけど。
「無事でよかった……。 到着が遅くなり申し訳ありません。 マルティアから、生徒が一人二人外に出ているかもと聞いた時には焦りましたが…それがアルマ君でよかった」
マルティアさん?
なんで彼女の名前が…ああ。 保健室で会ったからかな。
心配もするよね。
「よかったっていうのは、どういう…」
「ディナミス団長の愛弟子である君なら、そうそうくたばったりはしないという確信があったんです」
すごく買いかぶられている気がする。 でもステラさんの表情は至極まじめで、そこに嘘や冗談の色はなかった。
実際、もう駄目だってところまでいって、謎の聖心獣がいなけりゃ僕たちは二人食べられていたかもしれないんだ。
「そうだ。 すごい光が立ち上ってこの場所がわかったのですが…あれは君の仕業ですか?」
「光……それなら、フィオナさんが」
魔獣を倒すだけではなく、居場所を知らせる目印にもなったのか。
あれだけ大規模なら確かに簡単に目に付くだろうし、やっぱりあれはすごかったんだ。
「素晴らしかった。 今すぐにでも聖導士になれそうな雰囲気がありました」
「本人はあれで、自分のことを落ちこぼれだと思っているんですけど…」
「それはいったいどういう風の吹き回しですか…?」
夕暮れの代わりに月明かりが照らす森の中に、複数の足音が響く。
「ステラ!」
「大丈夫です。 初等部一年生二名、無事です」
「魔獣は?」
「私が来た時にはすでに二人が退けていました」
「そうですか……とにかく無事でよかった」
アドリア王女を先頭に、彼女の取り巻きや、さらには僕の担任のヒューイ先生もいた。
「一人で行動するなと申したはずです!」
「すいません」
「……ですが、君のなりふり構わない行動のおかげで犠牲が出なかったことも事実です。 そのことにはこの学園の自治会副会長として、また、この国の人命を預かるベルナール王族としてお礼を申し上げます」
深々と頭を下げられる。
アークランドにいた時だってここまで王族に頭を下げられたことはなかったというのに。
「アルマ君、入学式の試験の時から、君の強さはある程度分かっているつもりだよ。 それでも、まだ君たちは実戦を全く踏んでない新入生なんだ。 一人でどうにかできると思わないでほしい」
「わかりました、ヒューイ先生」
「うん。 君のおかげで大切な生徒の命が失われなくて済んだんだ。 そのことは褒められるべきだけどね」
「ステラ、この二人を保健室にまで運んでいただけますか。 我々はまだこの一帯に潜んでいるかもしれない魔獣を捜索します」
「承りました。 では、アルマ君、こちらに」
ステラさんに促されて、彼女の右手が指し示すところにいた大きなタカの背に乗る。
フィオナさんは、ステラさんが負ぶって別の聖心獣に一緒に乗る。
「あまり揺れないと思いますが、一応気を付けてくださいね」
魔獣の捜索で裏庭に残るというアドリア王女一行を残して僕たちは空を飛んだ。
たどり着いた保健室には先生が一人だけいて、どろどろの僕たちを見て慌ててベッドを用意してくれた。
ふかふかのベッドに体を吸収される感覚を味わいながら、精神的にも体力的にもつかれた僕はゆっくりとまどろみの中に落ちていった。
◇ ◇ ◇
「ん……」
「起きました?」
目を覚ましたのは、頬に何か柔らかいものが当たっている感触のせいだった。
「…フィオナさん。 おはよう」
「もう夕方ですよ、あはは」
僕の寝ていたベッドの横に、フィオナさんが椅子を用意して座っていた。
起き上がろうとすると、寝たままでいいですと押し戻される。
「もう起きないのかと思っちゃいました」
「面目ない…」
「冗談ですっ」
すごく恥ずかしい。
格好つけて一人で探しに行って、死ななかったからいいものの、危うく今頃魔獣の腹の中にいるところだったんだから。
窓から見える外では夕焼けが世界を塗りつぶしていて、僕はほとんど丸一日寝ていたみたい。
「魔獣は…」
「全部片づけたみたいですよ。 さっきここにマルティアさんがきて教えてくれました」
「フィオナさんはずっと起きてたの?」
「朝ちゃんと目を覚ましましたよ! 体がしんどくて、聖句詠唱に慣れてないんだろうってことでベッドから出してもらえませんでしたけど…。 今ではほら! この通りです!」
力こぶを作るように右手でポーズをとるフィオナさん。 きゃしゃな腕には力こぶなんてできてないけれど、もうすっかり元気なようだ。
彼女の笑顔につられて、僕も笑った。
他愛もない会話。
あんな大技を成功させて倒れ込んでいたけれど、やっぱり相応のポテンシャルがあったんだ。 僕があれこれ言わなくてもやっぱり落ちこぼれなんかじゃなかった。
「そうだ、今日もう一回新入生歓迎会をやり直すらしいですよ! 昨日は途中で解散しちゃったから――って、アドリア先輩がやる気を出してるってマルティアさんが言ってました」
「そうなんだ」
「私も行けなかったから楽しみです!」
「いつから?」
「もう始まってると思いますよ。 終業の鐘がなってからもうだいぶたちましたし…」
「じゃあ、行こうか」
「大丈夫ですか? 歩けます?」
「たっぷり寝たから、十分すぎるよ」
もう行かなくてもいいかなとは思ったのだけど、フィオナさんがやたらと体をそわそわさせているから、一緒に行くことにした。
「魔獣実験棟の人たちが全部解決させたらしいです。 ステラ聖騎士が大活躍だったそうですよ、マルティアさんの話だと。 昨日出てきた魔獣は魔獣見学会の時に逃げ出した魔獣と、魔獣実験棟から脱走した魔獣が突然変異を起こしたらしくて、その責任を取る形で後処理は魔獣実験棟の方々がやったそうです」
道理で見覚えのある魔獣だったわけだ!
あの丸々とした体と、体に不釣り合いな目玉は、僕らが実験棟で捕まえるのに走り回ったネズミのものだったんだ。
僕が相槌を打つまでもなく、早口でフィオナさんが事後の報告をしてくれた。
僕が寝ている間にいろいろ聞いたらしい。
にしても、なんだか緊張しているよう。
「で、ええと、」
時々口ごもって何かを切り出そうとしているんだけど、僕が目を合わせると、
「そのですね! アドリア王女がものすごく怒ってたんですよ! 保健室に来て私をお叱りしたかと思うと、実験棟の人たちを呼んで私に謝罪させたんです! …もう私びっくりしちゃって…」
アドリア王女が怒ったのか……それはさぞ怖かっただろうな…。
って、そうじゃなくて。
「フィオナさん、どうかしたの?」
なんだか言いたいことが言えなくて困っているみたいな。
「ええ!? 私、そんな変ですか! いや、そのぉ……」
ものすごく変だ。
緊張しがちな女の子だけど、こんなにどもったのは見たことない。
「……あの、アルマ君、ありがとうございました」
「なんだそんなことか。 当たり前だよ、クラスメイトだもん」
身構えて損した…。 何かとんでもないこと――例えば黒頭蓋の異形の聖心獣を見ていたんです、とか言われるのかと思った。
「違うんです。 あ、助けてくれたことはもちろんなんですけど…」
そこでまた一度、言葉を探しているのか口を閉じた。
「私は落ちこぼれじゃないって、アルマ君言ってくれたのがうれしかったんです。 今まで、そんなこと言ってくれた人、いなくて。 私の頑張りをわかってくれてる人がいるんだって思ったら、私ここにいてもいいんだって、そう思えて」
確かに言った。 改めて聞かされると、なんということを言っていたのかと恥ずかしくなる。
でも、まあ。 確かに僕の本心だし。
「そ、それだけです! そのお礼が言いたかっただけで!」
「そんなの気にしなくていいのに」
「気にします!」
不器用な女の子は、不器用なりに頑張っていた。
彼女なりに一生懸命頑張って、僕は彼女に一つ、自信を上げただけだ。
彼女が昨日聖句詠唱を成功させたことは、他でもない彼女の成果なんだ。 だから、本当に気にしなくていいのに。 律儀な子だ。
「そ、それでですね、アルマ君に改めてお願いがあるんですけど」
「なに? できるだけのことはするよ!」
「その、」
夕焼けを背に、立ち止まった少女ははにかみながら、
「――私と、友達になってください……!」
なんて言った。
「…え?」
思わず聞き返してしまった。
「あ、そうですよね、私なんかと友達とか…迷惑ですよね、この話はなかったことに――!」
「あ、いや、そうじゃなくて、僕はフィオナさんのこと、もう…」
――友達だと思ってた、なんて、恥ずかしくて言えなくて。
「…あ……」
見れば、フィオナさんの顔は夕焼けの光と判別がつかないくらいに真っ赤に染まっていて、
「はは、早くいきましょうか、料理がありますしね!」
「うん、料理、料理だ、行こうか!」
二人ともぎこちなく、でも確実に距離を縮めながら、僕たちは講堂の新入生歓迎会に向かった。
◇ ◇ ◇
「やあやあ、話は聞いたよ。 クラスメイトを助けるために一人で裏庭に向かった男子学生、ディナミス君の話。 どんな奴かと思えば……。 いや、名前をしっかり聞いていなかった俺も悪いんだろうね、うん。 怠ってしまった俺が悪い」
パーティ会場にて、レオやフリダさんと一緒に話していると、近くで大声を上げて話している男子生徒の声が耳に届いた。
どことなく聞き覚えのある声。
なじるように、周囲を気にせず大声で話すその人物は、僕のほうに歩みを進めているようだった。
「いやあ、元聖騎士団長の息子とやらがどんな人間か確認しなかった俺の失態だ、まったくね、家の名に泥を塗るようなもんだ。 慢心っていうのは怖いね、俺の家の前じゃあ元聖騎士団長なんて気にすることだってできなかったんだから」
あんまりにもうるさくて、一体どんな奴だって確認しようとして、僕は固まってしまった。
「でもさ、まさかとは思うよね。 まさか自分の実家の面汚しとまで呼ばれた人間が、同じ学園、同じ学年で勉学に励んでいるっていうのはさ」
僕とよく似た顔。
聞き覚えのある声。
後ろに大勢取り巻きを連れて我が物顔で会場を悠々と進むその人物は、
「やあ、君がディナミスかい。 なんだか懐かしい人間とよく似ている気がするけれど、はじめましてかな?」
その人物は、いずれ僕が向き合わなければならなかった人物。
入学式の時にこうなることはわかっていたはずじゃないか。 びびるな。
言い聞かせるけれど、僕の体は蛇に睨まれたように言うことを聞いてくれなかった。
「俺の名前はヴィル・アークランド。 以後よろしく、アルマ・ディナミス」
僕をアークランドの家から追い出した張本人、僕の兄が、目の前で大胆不敵に挨拶をした。
これにて一章完結です。
ここまで長々とお付き合いいただいた皆様には大変感謝しております。
いちどここで、プロローグ章と一章の改訂を行いたいと思います。
主に一人称、三人称の整理と、キャラクターたちの言動の確認です。
よろしければ感想欄にここはこうしたほうがいいなどの意見をくだされば幸いです。
ちょっとだけ、三人称の書き方で二章を進めようかとも思っているのですが、一人称だからこそこの話を読んでいるんだ!というような方がいらっしゃいましたら、ぜひお聞かせください。
改訂の終わり次第、二章を進めていきたいと思っております。
どうかこれからも応援の程、よろしくお願いいたします!