僕の隠し事
まさか一万文字に迫るとは思いませんでした……。
「そりゃ、聞き覚えはあるよ、とっても有名だもんね」
――アークランドって名前に聞き覚えはある?
その言葉はまるで時を止める魔法のように、僕の意識を吹っ飛ばした。
だれにもばれてはいないと思ったのに。
「いいえ、質問を変えるわ。 あなたはアークランドの家の人?」
「僕は、ディナミスの、」
「じゃあもう一回質問を変えるわ。 あなたはアークランドの家を出た、アルマ・アークランドで間違いない?」
アルマ・アークランド。
その名前まで出されて、僕に否定する余地は残っていない。
質問をぶつけてきたマルティアさんの顔も確信の色に染まっていて、言い逃れはできそうにない。
「うん。 僕は、確かにアルマ・アークランドです」
「~~~っ」
こみあげてくる何かを抑えるように、マルティアさんの瞳が潤む。 唇をかんで、激情を閉じ込めているようだ。
「…………マルティア」
「?」
「マルティアって呼びなさい。さんはいらないわ」
「女の子はさんつけないと……あれ、マルティア…って、」
金髪、宝石のようにキラキラと光る濃い紫の大きな両目、マルティア…。
僕はこの子と出会ったことがある…?
「もしかして、マルちゃん?」
「アル!」
すごく懐かしい、ずっと呼ばれていなかったあだ名で僕を呼んで、マルちゃんことマルティアは僕に抱き着いてきた。
急に抱きつかれてドキドキして、バランスを崩して倒れ込む。
「アル、本物のアルだ……何してたのよ、死んじゃったのかって、思ったんだから…」
「ごめん…」
僕に覆いかぶさるマルティアは確かに、僕の知っているマルちゃんの面影を残していた。
アークランドのお屋敷で、パーティの時にしか会わなかった友達。 あの味方がいなかったお屋敷で、僕と遊んでくれた数少ない友達。 金髪紫眼の女の子。
「アークランドの屋敷に行ったらアルがいなくなっていてさみ――びっくりしたんだから」
「急にいなくなってごめん」
「謝ってほしいのはそこじゃないわよ。 私のほうはアルだって気づいたのに、アルは全く何もリアクションしないんだから」
ということは、入学式の後の食堂で隣の席に座ったとき、もう彼女は僕が僕だと推測していたということか。
保健室でも出会って、彼女のほうは確信に至ったのに、僕は全く分からなかった。
当たり前だ、あの女の子がこんなに――美人になってると思わなかったんだ。
「変わってないわね」
「マルティアは変わったね。 大人になってて全然気づかなかったよ」
「大人…そういうことなら、アルだって大人になってるわ。 変わらないって言ったのはそういうことじゃなくて…」
お互い言葉に詰まる。
懐かしすぎて、どういう言葉をかけたらいいのかわからない。」
「あの、そろそろ…どいてくれると…」
「ああ、そうだったわ、ごめんね」
仰向けに寝転んだ状態の僕から、ようやくマルティアさんがどいてくれた。
「アークランドの人に聞いても、家出したっていうし…魔獣に襲われて死んだって噂も聞いて」
あれは家出なのだろうか。
自主的に出たわけじゃないけれど…。
「ねえ、何で急にいなくなったの? アルマの聖心獣はちょっと怖いっていう話を聞いていたけれど…まさかそれが原因ってわけじゃないわよね。 もしそうだとしたら――」
まさにその通りなのだ。
でもそれを正直に言うわけにもいかない。
彼女の言葉を聞かずに立ち上がって話を中断する。
これ以上聞かれても、今の僕にはなんて答えればいいのかわからないからだ。
仮に僕の聖心獣の外見が追放だというなら、なんだっていうのだろう。 まさか今更アークランドに戻れるわけもないし、戻りたくもない。
「大丈夫、マルちゃんが心配するようなことは何もなかったよ」
それじゃあ、と告げて茂みの外へ出る。
彼女の言うところのバケモノはどこを探してもいなかったから、出てきても大丈夫だと伝える。
「アルはそれでいいの?」
「うん。 もう僕はアークランドじゃないから」
「あなたをアークランドって考える人もいっぱいいるわよ」
「僕はディナミスだよ」
「…………そう」
「じゃあ、僕はこれで」
納得のいかない顔をしたマルティアさんに別れを告げる。
このまま彼女と話していると、ぼろが出てしまいそうだ。
「これからよろしく!」
マルティアさんが背中に声をかけてくる。
「またいろいろ教えてね!」
これでいいのだ、たぶん。
◇ ◇ ◇
新入生歓迎会が発表されてからとうとう七日が立った。
いよいよ今日はその当日だ。
クラスメイトも朝からずっとそわそわしていて、僕もワクワクが止まらない。
ただ、数日間の修行の甲斐もむなしく、僕とフィオナさんは相変わらず先生から課された宿題を達成できていないままだった。
いよいよお昼ご飯を食べたら聖心獣学の授業に行かねばならないという時間になっても、僕らの人形は動かないままだった。
「うーん、だから、人形のことを自分の一部分だって思えてないのが原因じゃね?」
レオとフリダさんも合わせて四人で食堂でご飯を食べながら何がダメなのか話し合う。
ハロルド君に啖呵を切った後は気まずかったけれど、今は普通に話してくれている。
「でも、自分の聖心獣って独立した一つの仲間だし…」
「一つの武器って思うといいんだよ。 元は自分の心だから」
フリダさんもレオも、聖心獣は自分の分身だというけれど、僕にはどうもそうは思えなくて。
個別の性格を持った仲間って師匠に教えられた僕にはどうにも納得がいかない。
たぶんこれが理解できたら宿題も完成するんだろうけれど。
「聖心獣は武器、ですか……」
フィオナさんも、放課後の特訓は断ったもののこうして一緒に食堂くらいは来てくれるようになった。
一人は寂しいもんね。
授業の開始は静かなものだった。
先生が開口一番に、
「前回宿題を言い渡した生徒が二名いたな。誰だったかな」
二名、僕とフィオナさん。 正直糸口だってつかめてないけど、やるしかない。
そろって前に出る。
「ああ、君たちだったか。 動くようになったか? やってみなさい」
「じゃあ、僕が先に」
緊張しすぎて顔色が青白くなっているフィオナさんをリラックスさせる時間を稼ぐために僕が先に名乗り出る。
まず人形を作るイメージ。 そこに、ゆっくりと僕の心を分割して練り込んでいくイメージ。
七日前、マルティアさんに教えてもらった方法だ。
心の奥にちらつくのは、人形のおぼろげなシルエット。 そしてそれをかき消すように、骨の獣が雄たけびを上げている。 こちらはシルエットではなくはっきりとした実体として僕の心に巣くっていた。
ブランと同じくらいずっと幼いころから一緒にいる聖心獣、異形の獣。
獣の頭部の骨に両目に当たる部分に落ちくぼんだ眼孔、その中でゆらりと燃える青白い炎が幽鬼の印象を与える。
こいつが、人形なんか作らなくてもいい――俺だけいればどんな敵も片づけてやると僕に訴えかけてくるのだ。
骨の獣は木偶人形に分けるものなんて何もないと心の中をかき乱してくる。
「ぷはっ!」
ためていた力を抜いて、木偶人形を具現化する。
骨の獣のイメージを振り払って、無理やりに心を混ぜ込む。
ぎこちないながらも、僕の呼び出した木偶人形は確かに自分で動いてくれた。
「うーむ。 なるほど、なるほど。 ちょっと雑念が入り込んだのか。 誰も君のことを邪魔したりはしないから、純粋な気持ちでやってみるといい。 まあ良しとしよう」
なんとか認めてもらえた。
そして僕が終わると次は待っているフィオナさんの番だ。 あんまり気負わなければいいけど。
僕がやっている間に呼吸を整えたらしく、授業が始まる前の緊張は消えているように見えた。
「では、行きます!」
宣言とともに、フィオナさんが集中を始める。
目を閉じて、息を深く吐く。
履き切ったところで息を止めて、右手を前に突き出し、足元から腰くらいの大きさで人形が地面から立ち上がる。
「やった!」
まだ立ち上がっただけだけど、ぶっつけ本番で召喚できただけでもすごいことだ。
フィオナさんはまだ気を緩めず、立ち上がった人形を歩かせようとして、
「―――ぁ」
右足を上げた木偶人形はその足を地面に再び下すと同時に、その衝撃で瓦解した。
人形が粒子になって空を舞う。
「失敗だな。 まだ心の混ぜ方が足りてない。 君は聖心獣を扱う才に恵まれなかったようだ」
先生の評価は手厳しく、フィオナさんは認められなかった。
唇をかみしめて、それでも沙汰を待つフィオナさんの顔を見ていられなくなって、なんて声をかけたらいいかわからない。
「あの、フィオナさん」
「では前回言っていた、作った聖心獣の姿をつくりかえてみたい。 今は木偶人形だが、これは万の聖心獣に通じる基本だ」
考えのまとまらないままに、とにかく声をかけないといけないという使命感で彼女の名前を呼んだけれど、
「アルマ君、今から次の説明が始まりますよ。 アルマ君もぎりぎりだったんですから私のことを心配している場合じゃないです! 私はもうちょっと頑張りますからっ!」
自分のことを落ちこぼれだと自嘲する少女は、落ち込んだ素振りなんて全くない表情で笑った。
前はもう涙が決壊しそうないたたまれない泣き笑いの顔でいたのが、今日はすっきりと笑えていて、自分で乗り越えられたのかなってちょっと安心。
「じゃあ、先にできるようになっておくね! また一緒に特訓しよう!」
彼女が遅れる分、僕たちが教えてあげればいいのだ。
彼女のことを心配している僕が、彼女に何をするべきか教えられてしまったことが情けない。
「よろしくお願いしますね」
翳りなんて欠片もなくて、きれいに笑う女の子はとても強いね。
僕なら人と喋るのもつらくなってしまいそうだ。
先生が次の課題についてクラスメイトに話している。
以前の授業でハロルド君が一足先にできてしまったことだから、何人かの生徒が彼に教えてもらおうと群がっている。
ところがその取り巻きを押しのけて、ハロルド君は僕の近くにやってきた。
「あいつのことを放っておいていいのか?」
「今はいいんだ。 あとでまた一緒に頑張るから」
「はっ。 落ちこぼれどうしが頑張っても何もかわらないけどな」
「僕のことはいいけど、彼女は努力家なんだ。 落ちこぼれなんかじゃない」
「違うな。 努力しても落ちこぼれは落ちこぼれのままだ。 何をしても平民は平民のままのようにな」
いやらしい、完全に平民を下に見た言葉。
自分の家柄と実力がそうさせるんだろうけど、それにしても嫌なことを言う人だ。
「なんだよあいつ…それだけ言いに来たのか」
ハロルド君と入れ違いにレオがやってくる。
「平民が授業を遅らせている―――とか思ってそうだね…」
一応それは事実だ。
僕とフィオナさんがいなければたぶん前回の授業の間には聖心獣の大きさを変える授業に進めていただろう。
彼のような人を相手にしていたらきりがない、とは師匠の弁だ。
聖騎士として王城に行くとよく高位の貴族に難癖をつけらえて何度殴ろうと思ったか――って愚痴をはいてたのは記憶に新しい。
できるだけ気にしないように、僕も先生に言われた課題を練習する。
これも僕の苦手分野みたいで、なかなか難しい。だいたい、呼び出した聖心獣が形を変えるってことが今までなかったから。
ブランもクロロも、異形の骨の獣も、気が付いたら僕のパートナーとしてずっと傍にいたし、師匠との修行の中でいろいろ新しい聖心獣を作ろうとしたけど、作るというより勝手に生まれてくるって感じだったんだ。
結局、その日授業の終りまで出きるようにならなくて、またお持ち帰りの宿題になってしまった。
ただ、今回は僕と同じようにできない人がたくさんいて、次回の授業もまた同じ範囲を教えるとのお達しが出た。
ハロルド君は周囲にはばかることなく大きな声で、
「これだから才能のない奴と一緒はいやなんだ!」
と悪態をついていて、取り巻きたちが口々に謝っていた。
「フィオナさん、いけてる?」
フリダさんは一人だけ人形を大きくすることに成功していて、レオをさんざん馬鹿にしてたけど、フィオナさんには優しく声をかけていた。
「あはは、まだまだでした……」
「ちょっとフィオナさん、顔真っ赤! 疲れてるじゃん! 休憩しないと!」
「だ、大丈夫ですよ~!」
「ちょっとレオ、アルマ君! うちフィオナさんを保健室に連れて行くから、先教室戻ってて!」
「わかったぜ! だけど二人とも、歓迎会には遅れんなよ」
「だいじょぶ!」
フィオナさんの顔はたしかに、普通の赤さじゃなくて、本人は自覚の無いようだったけど足元もおぼつかなくてふらふらしていた。
フリダさんに引っ張られるように、フィオナさんは保健室に連れていかれた。
教室に戻ってヒューイ先生から今日の新入生歓迎会のことについて注意事項を聞いていると、教室後方のドアからこっそりとフリダさんが帰ってきた。 一人だ。
「ただの寝不足だって」
僕らの前の席に座って、小さな声でフィオナさんの容体を教えてくれた。
「歓迎会が始まるまでには先生が起こしてくれるって言ってたから、それまで仮眠をとらせるってさ」
大したことになってなくてよかった。
「じゃあ、順番に新入生のクラスが一つずつ講堂に行くことになってるから、それまでゆっくりしておくように」
「「「「はーい」」」」
マクマス組は三番目らしい。
授業一コマ分くらい待機してようやく、校内アナウンスでマクマス組の移動が伝えられてぞろぞろと教室を出る。
廊下に出ると、隣のクラスのさわがしさが伝わってくる。
校舎全体から生徒の楽しみだという気持ちで包まれているようだった。
たどり着いた行動は豪華に飾り立てられ、入学式とは似ても似つかない様相を呈していた。
まるで貴族のパーティ会場だ。
窓はすべて解放され、外から吹き込む風が心地いい。
まばらに並べられたテーブルの上には何種類かのご飯がすでに鎮座していて、僕とレオの瞳をキラキラと輝かせた。
「すっげえ!!」
椅子はなく、立食形式のようだ。 講堂の入り口でお皿とフォークをもらったので、これをもって会場内を歩き回るんだろう。
先行していたほかの組の生徒の中にはもう食べ始めている生徒もいて、大きな声でおいしいと騒いでいた。
「アルマ、行こうぜ!」
負けてられるかとばかりにレオが並べられた料理に突撃する。
肉に魚になんでもござれの配膳皿から、自分の食べたい分だけ皿についでいく。
今日はお昼ご飯を食べていないから余計においしそうに見えた。
僕が用意した一皿分の食事を食べ終わるころには宴もたけなわになっていた。
会場の玄関が重々しく音を立てて閉まり、講堂の前方、壇上に一人の生徒が姿を見せた。
「今日は新入生歓迎会にお越しくださいましてありがとうございます。 学園での生活はいかがでしょうか。 今日はあなた方が主役です。 慣れない学園生活の疲れを癒し、また明日からの学業の糧としてください」
自治執行部副会長のアドリア王女の挨拶。
入学式と違って幾分か簡単に終わらせられたそのスピーチが会場内のボルテージを最高潮にまで押し上げて、パーティはこれからだと盛り上がったその興奮に飛びつくように、開いた窓から黒い影が飛び込んできた。
何が入ってきたのかわからなかった。
とっさに判断できないくらい、奇妙なフォルムをしていたから。
真黒な体色に、四本足で歩くその姿は丸々としていた。 犬の瞳を極限まで大きくしたような顔。 細い尻尾が己の体長の二倍ほどもあるその生き物は僕が確認できただけで五体、会場内に立っていた。
「魔獣だ……!」
誰かがポツリとつぶやいたその声は、騒がしかった会場の中でもはっきりと僕の耳朶をうった。
そのささやきが目を覚ましたのか自覚をもたらしたのか、生徒全員がそれぞれ距離をとって中央に逃げ出し、講堂の中はパニックに陥った。
何人かの生徒は聖心獣を呼び出したり、その手に聖心器を用意して戦う意思を見せていた。
場を一括する声が場に轟いたのは、何人かの生徒が魔獣に突撃しようとした時だった。
「みなさん、伏せてくださいまし!!」
アドリア王女の声、彼女の聖句詠唱。
振り上げた右手の五指からそれぞれ清浄な光が放物線を描き、侵入してきた生き物に向かう。
一度は俊敏な動きでその光をよけた魔獣たちだったが、地面をはねた詠唱は一度目よりも小さく空を飛び、敵を追尾した。
三体がその動きに対応できず、貫かれその場に縫い止められる。
光が取りこぼした二体はまっすぐ矢のように飛来した紫色の電光と、突撃してきた黄金色の輝きの虎――誰かの聖心獣だろう――に組み伏せられて無力化された。
出現した魔獣がすべて行動不能になってもなお生徒たちのパニックは収まらなくて、ざわざわと不安をささやく声がした。
開いた窓を見据えて、アドリア王女が侵入者の体を見下ろした。
「アドリアさま」
閉じた扉を押し開いて入ってきたその人物は迷うことなくアドリア王女の姿を見つけて歩みを進めて、壇上の彼女の隣に立った。
「お聞かせしたいことがあります」
その人物、死体の上に咲くという花の赤さをなお凌駕する深紅の髪をたなびかせ闊歩するその女性は、僕の命の恩人でもあるステラ・アルトリア聖騎士その人だった。
「ふむ、なるほど…」
聖騎士から何事かを聞いたアドリア王女はしばし逡巡すると、
「誠に申し訳ありませんが、歓迎会は中止いたします。 みなさん、クラスごとに集まって自分の教室に戻ってください。 各クラスには頼りになる先輩方を同行させますので、決して自分勝手な行動はとらぬよう、迅速に教室に帰り待機してください」
歓迎会の中止に何人かの生徒から不満の声が上がった。
魔獣は退けたし、会の続行に支障がないという思いなんだろう。
けれど、今ステラさんがアドリア王女に告げたことと、会場内に入ってきた魔獣の姿と、魔獣実験棟の先輩が言っていた魔獣の脱走の可能性、を合わせると、おそらく、
「おいアルマ、中止ってマジなのかな?」
「おおマジだよ。 ……ブルーノ先輩の魔獣が増殖した――んだと思う」
それが学園中に散らばっている、だからこその中止だろう。
「じゃ、マクマス組は僕についてきな!」
僕らのクラスを先導してくれるのは男子の先輩学生。 どこかで見たことあるなって思ったのは、入学初日の食堂でアドリア王女と一緒に食事をしていた人だ。 なるほど、この人もうでが立つのか。 さっきのアドリア王女の聖句詠唱はほれぼれする威力だった。 僕も勉強すればあれくらいすごいのを出せるようになるのかな。
って考えると、僕の心の中の骨の獣が、雄たけびを上げるイメージがふと頭をよぎった。
「いたっ」
ずきりと頭の片隅をちぎられるような痛みが走った。
行列を作って、ゆっくり、かつ早歩きで教室に向かう。
何か、大事なことを忘れているような。
ええと。
緊迫した状況で、クラスメイトはみんな黙り込んでいて、僕も黙々と教室への道を歩きながら、自分が何を忘れているのか必死に思い出そうとして、
「……そういえば、フィオナさんって歓迎会が中止になったこと知らないよな?」
レオのその言葉でようやく思い出した。
保健室の先生の所にまで歓迎会の中止のことが伝わっているとは思わない。
時間通りに起こされて、何も知らないフィオナさんは講堂に向かうんじゃないだろうか。
「ど、どうしよう…?」
「たぶん今抜けるのは許してもらえないだろうな」
僕らに同行している先輩は出発前、一人もかけさせてはいけませんとアドリア王女から厳命されていた。 申告したところで抜けさせてもらえるとは思わない。
「三人一緒に行ったらばれちゃうよね…」
「誰か一人がこっそり抜けて、あとの二人が全力でごまかすしかないぜ」
「じゃあ、僕が行くよ。 あの魔獣、そんなに怖くないし」
「大丈夫なのか?」
「いざとなれば逃げるから大丈夫。 二人とも先に教室に行ってて」
先輩の隙を突く。 クラスの行列を抜けて、僕だけ教室に向かわずに保健室への階段を下りる。
みんなが教室に戻っているからとても静かな校舎内を慎重に歩いて、保健室をノックする。
「はいはい。 誰か怪我したのかい?」
扉を開けてくれたのは保健室に常駐している先生で、その口ぶりから察するにまだ魔獣のことは耳に届いていないみたいだ。
「あの、ここで寝ていたフィオナ・ミラーという生徒なんですけど、ひょっとして起きて講堂に行きましたか?」
「ああ。 私が起こしてあげて出て行ったわ」
先生の代わりに僕の質問に答えてくれたのはベッドから今しがた起き上がったところのマルティアさんだった。
新入生歓迎会にも出ないで何をしているのかと聞きたくなったけど、今はそんな場合じゃない。
「すいません、失礼しました!」
「あ、ちょっと、……何が起こってるんだいまったく」
先生の声を置き去りに、廊下を曲がったところでブランを呼び出す。
真黒な、それでいて魔獣とは絶対に違うと言い切れる僕の相棒。 立派な角の生えたオオカミ。
背中にまたがって、彼の首元のマフラーのように盛り上がった毛を掴むと、行先を指図しないでも走り出す。 頼りになる相棒だ。
歓迎会の時間通りに起こされたはずのフィオナさんは、なぜか時間通りに歓迎会に姿を現さなかった。
最悪の可能性が頭をよぎる。
魔獣は当然パーティの最中に生まれたわけじゃなく、学園内をうろついていて目についた講堂に襲い掛かってきたのだ。
となると、講堂を目指して一人で歩いていたフィオナさんは―――。
どうか無事でいてほしい。
知り合いの女の子の行方を捜しながら、僕はブランの背でひたすら祈っていた。




