落ちこぼれ
あと一つ。
今日はもう四つ授業を受けて、これから最後の一こまを受けに行くところだ。
あのあと保健室から出て教室に戻って、レオとフリダさんと一緒にご飯を食べて、二つ授業を消化して本日最後の授業。
聖心獣学。
みんながこの学園に入学して、一番期待していた授業だ。
僕は一番この授業のことが心配で仕方ない。
座学と実習、二つあるこの聖心獣学という授業は、聖導士になるために必要な三要素――聖句詠唱、聖心器、聖心獣――の中でも特に重要な位置を占める。
座学では聖心獣の理論とその強化なんかを、実習では座学で学んだことを確かめる。
第一練習場に集合した僕らは、先生の到着を待ちながら、雑談でお互いの聖心獣の名前を聞きあっていた。
「…………」
「…………」
そんな楽しげな空気の中で、黙りこくっている人間が二人。
僕とフィオナさんだ。
僕は自分の聖心獣のしでかしたことと外見のせいでアークランドの実家を追い出されたことを重々承知しているから、みだりに自慢することができない。 もちろん、絶対に悪さなんてしないやつらなんだけど、それでも怖いものは怖い。
でもフィオナさんが黙りこくっているのはいったいどういうことだろう。
「フィオナさんの聖心獣って、どんなの?」
「え、あ、いやー、あ、私のは、その…あんまり人に言えないというか…あはは…」
他のクラスメイトがしているのと同じように聞いてみる。
ところが言葉を濁して返事は返ってこない。
「アルマ君の聖心獣は…?」
「え!? あ、あーいやー、僕の聖心獣はちょっとショッキングで人に見せられないというか……はは…」
逆に聞かれても、僕も結局笑ってごまかすしかない。 二人とも言葉に詰まって、気まずい沈黙。
そのうちに、この授業の先生が走って現れた。
「すみません、遅れました。 こんにちは。 私が聖心獣学の実践を受け持つトールです。 中等部の担任をしています。 それではさっそく聖心獣を召喚しましょうか」
挨拶もそこそこに、先生は右手の指を鳴らした。
「こちら、私の聖心獣です。 大きいでしょう」
僕たちの頭の上、取り払われた屋根から覗く大空から舞い降りてきたのは、大きく翼をはためかせる象だった。
ずしんとおなかに響く振動を起こして着陸する先生の聖心獣。
舞い上がる砂ぼこりで視界がふさがれて、次に目を開けると象は消滅していた。
「え?」
代わりに、聖心獣が立っていた先に、僕たちの膝丈くらいにまで小さくなった象がいた。
まさか、いま聖心獣を一瞬で小さくしたってこと?
「今日皆さんにしてもらいたいのはこれ……と言いたいところですがさすがに難しいので、聖心獣を出さない初歩的な訓練をしていただきます」
聖心獣を出さずに聖心獣学が学べるのか、不安になったクラスメイトのささやき声が大きくなるけど先生は気にせず言葉をつづけた。
「聖心獣を出せないものもこの中には何人かいると思います。 わが校の入学試験は何も聖心獣を召喚することだけではありませんから、他の試験でよい成績を収めれば合格できます。 そして、聖心獣を出せる生徒も、まだその潜在能力を深く発揮できないというのが私の見立てです。 ですので、聖心獣を扱ううえでのごくごく基本な点を今日は確認していきたいと思います」
そういって先生は自分の足元から一体、くねくねと踊る木偶人形を召喚した。
「普段自分が呼んでいる聖心獣ではなく、強くなくてもいい、動く人形を呼び出してください。 これは各人の聖心獣の強さではなく、聖心獣を扱う技量に左右されますので、入門編にふさわしいと判断しました。 それではさっそく始めてください」
淡々と、必要以上の説明だけして先生は口をつぐんでしまった。 今の出指示が出し終わったのだと気付いて生徒たちが動き出すまでに少し時間があった。
「木偶人形か…」
物心ついた時からブランたち聖心獣とは一緒にやってきたのだ。 それ以外の聖心獣を作って呼び出すというのは、戦闘能力を度外視しているのだし本来すごく簡単なはずなのに、
「うーん…?」
全然できない。
聖句詠唱の要領で人形を作ることまではできるのだけど、どうしたことか、それが動き出すまでに至らない。
他の同級生はどうやら簡単に動かせているようで、口々に「これ本当に意味あるのー?」など好き放題言っている。 先生も特に咎めることをせず、言いたい放題言わせていた。
フリダさんはぎこちない動きながらもひょこひょこと歩く人形の操作に成功していて、レオの人形に至っては宙返りや逆立ちまで軽々とこなしていた。
普通の聖心獣とも違い、また聖句詠唱で壁を作り出すのとも違う、純粋に聖心獣を扱う能力が試されてる。 ブランなんかは命令しなくても意思疎通できていたから考えてこなかったけど、聖心獣の使役ってのは実はすごく難しい…?
「これができないというのは聖心獣を扱う才能が足りていない、聖心獣を新しく生み出す才に欠けているということだ。 状況に即した聖心獣が必要とされる聖導士において、それは致命的だ」
そんなことを言われても。
フィオナさんも僕と似たような感じで、呼び出した人形が直立不動でうんともすんとも言わない状況に困り果てていた。
どれだけ動けと念じたところで、ピクリとも動かない。挙句の果てに光の粒子になって消えてしまい、何度再召喚を繰り返しただろう。
きゃー! と歓声が上がったほうでは、ハロルド君が召喚した木偶人形を自分と同じ大きさにまでしてパフォーマンスさせていた。 先生と同じことができてる。 すごい。
先生はそこまでしろって言ってないのに、もうできちゃうなんて。
自分と比べてちょっとだけ落ち込む。 僕は今までブランたちに助けてもらっていたってわかって自分が情けない。
「これは聖心獣を扱う基礎の基礎だ。 これができるまで先には進めないと思いなさい。 できていないのは…ああ、君たち二人か」」
先生はほかの人の見回りを終えて、僕らのところにやってきた。 今このクラスでできてないのは僕とフィオナさんくらいだった。
「聖心獣が召喚できなくてもこの学園には入学できるが、せめてこれくらいはできないと…いったいどうやってここに入学したんだ」
「「……」」
二人そろってだんまりを決め込む。
他の人はもう大きくしたり小さくしたり、練習を先に進めていて、にぎやかで楽しそうだ。
「人形の各関節を上から君の心で操るイメージだ。 人形が勝手に動き出すと考えていては、いつまでたっても動きやしないぞ」
操るイメージ…。 どうしても自分の聖心獣の影がちらつく。 ブランにあれをしてと頼むことは会ったけれど、あれをしろ、こう動けって命令したことがなかったから。
それに僕の師匠はひたすら聖心獣との信頼こそが強くなる近道だって言ってた。
命令っていうのはちょっと違うんじゃないだろうか。
僕もフィオナさんも、ひたすら自分の木偶人形に手を伸ばしたり、振り回して気を注入したりすること長時間。
いつの間にか授業の終了を示す鐘の音が学園中に響き渡った。
「それでは本日の授業はここまでとする。 できなかったものは次回までできるようになっておけよ。 次回はその人形の大きさを変える授業だ」
僕とフィオナさんにだけ宿題が出た。
次の授業は確か七日後だったけれど、出来るようになる未来が想像できない。 師匠はこんなこと一回も教えてくれなかったから。
フィオナさんの顔も悲壮感たっぷりだ。
僕も多分にたような顔をしているに違いない。
レオとフリダさんとフィオナさんと一緒に教室に帰る。
「意外だよなー、アルマって聖心器はすごくうまく使うのに、聖心獣はへたくそなんだな!」
自分でもちょっとへこんでるんだ、言わないでほしい。
「レオですらあんなにできたのに!」
「はあ!? 俺だって得意なことくらいあるよ!」
「どーだか?」
この二人はそこそこ早くに成功していたよね。 どうやったのかって聞くと、
「なんとなく」
「感覚?」
と全然ヒントにならない答え。
「ねえ、フィオナさん」
「は、はい! なんですか!」
ずっと黙っていたフィオナさんに声をかけると、素っ頓狂な声を上げて飛びあがった。
「全然わかんないよね…どうしよう」
「アルマ君ならできますって! 試験の時もすごかったじゃないですか!」
「しーーっ! 試験のことは内緒!」
「あ、そーでした…」
危うく僕の違法ぎりぎりの入学試験の実態が暴かれそうになってフィオナさんを遮る。
「私なんかは、いっぱいいっぱい頑張らないと、本当に退学させられちゃいますね…」
退学はないと思うけれど…。 でもあの先生の口ぶりから察するに、これができなきゃ授業は受けさせないとか言ったりしそうで怖いな。
「大丈夫、うちらも手伝ってあげるからさ!」
フリダさんのありがたい申し出。 彼女らのアドバイスがあれば、次回の授業までには何とかなりそうだ。
「ありがとうフリダさん!」
「いいってことよ! いくらでも付き合うぜ!」
「なんであんたが返事すんのよ!」
レオも手伝ってくれるらしい。 入学早々本当にいい人たちに知り合えたってめぐりあわせに感謝だ。
「あ、私、ちょっと用事があるんで皆さん先に帰っていてください」
「用?」
もうすぐホームルームだしいったい何の用……ああ。
「え、でももうすぐホームルームだぜ?」
デリカシーに欠けると思って僕があえて言わなかったことを、ズバリ気にせず問いかけるのはレオだ。 そして彼の耳を引っ張って怒るのはフリダさんの役目。 この二人、すごくわかりやすい。
「ちょっとレオ、それくらいわかりなさいよ! 行ってらっしゃいフィオナさん」
「じゃあ、またあとで」
もう教室のある校舎を目の前に、フィオナさんはどこかへ走ってゆく。
「全くレオ、あんたはもうちょっとそういうことに敏感になりなさい。 いつまでたっても彼女できないわよ」
「え、まじで!」
「おおマジよ」
「ちょっといいか?」
二人の小気味よい会話に割り込んできた声の主は喋ったことのある人だったけれど、すぐにそうとわからなかったのは前に会った時と服装が違っていたからだ。
「あ、ブルーノ先輩、でしたっけ?」
「おう、よく覚えてたな」
入学初日、レオとフリダさんと三人で侵入した魔獣実験棟にいた先輩だ。
あの時は侵入した僕たちを、魔獣捕獲を手伝ってくれたからと言って、怒られないようにかばってくれた人だ。 あの時は白衣を羽織っていたけど、今日は学園所定の白と黒と金の混じった制服をラフに着崩していた。 ネクタイも風に吹かれて飛んでいきそうな感じだ。
先輩なのに、新入生の校舎にまで来て、どうしたんだろう。
「ここいらでこの前の、あー、お前らに手伝ってもらったネズミ見なかったか?」
「ネズミ…ってあの、魔――」
「おっとそれ以上は言うな。 広がるのはまずいからなぁ」
フリダさんが言いかけた魔獣、という言葉は先輩に止められたけど、三人全員が理解した。
「ひょっとして、また脱走ですか?」
レオが一番聞きにくいことを聞いた。
仮に脱走だったらすごい騒ぎだ。 僕らの侵入どころじゃない。
「また、ってのは人聞きが悪いが…まだそうと決まったわけじゃねぇ。 ってのも、数を数えなおしたらどうにも合わないんだよなあ。 脱走か、共食いか…仮に共食いだったなら、すごい発見なんだが、あり得ねえしなあ」
ブルーノ先輩は魔獣脱走という一大事にいまいち危機感を抱いていない様子。
なんとなく、どこかから魔獣に睨まれているんじゃないかって気持ち悪い。 校舎の横に置いてある花壇や、その横の茂み、木々の上、自分の周囲の遮蔽物が全部気になってきてそわそわする。 いつどこから魔獣が襲ってくるとはわからないというのは心臓に悪い。
でも先輩はあんまり気にした風もなく、
「まあ仮に逃げ出してたとしても弱いし大丈夫っしょ! それに俺の数え間違いもあるかもだし! 行ける行ける!」
先輩は邪魔したなーと言って笑いながら歩き出す。 全然笑い事じゃない。
まさか学園中探すつもりなんだろうか。
「もし見つけたら魔獣実験棟にまで来てくれ、今日探していなかったら諦めるからよー」
手をひらひらと振りながら、先輩は去っていった。
今日で諦めるって、実質探す気ないってことじゃないですか!
まあそりゃね、聖導士を目指すエリートばっかりのこの学園で、弱い魔獣ができることなんてたかが知れてるだろうけれど、それでも無責任だなあと思わざるを得ない。
そこまで不用心でいられるところに、彼の実力のすごさっていうのもあるかもしれない。
「あんな小さなネズミ、見つかるわけないだろ…」
「数え間違いだって! たぶん!」
フリダさんの言葉に、そうだったらいいなって心から思う。
安心して授業が受けられないじゃないか。 授業中にこっそり足元をガブリってやられる、とか考えると…うわあダメだ気持ち悪い!
◇ ◇ ◇
ホームルームが始まってしばらくしてからフィオナさんが入室してきた。
遅れてすいませんとヒューイ先生に誤ってから、教室後方の席、僕たちの近くに座る。
おなかでも痛かったのだろうか。 でも僕は嫌われたくないからあえて聞かないことにした。
「だから、来週は新入生歓迎会ってことで、新入生をもてなす歓迎パーティを、自治執行部主催で開くことになっているので、みんなそのつもりでいるように」
ヒューイ先生の口からは今、来週開催される新入生歓迎会についての説明がされていた。 アドリア王女を筆頭にした自治執行部の人たちが、入学式よりもフランクに交流できる場を、ということで毎年準備してくれるらしいのだ。
食事や余興なんかも行われるらしくて、アークランドの実家にいた時を思い出して今から楽しみだ。 特に生徒主導っていうのがいい。
「食べ放題!? よっしゃあああ!!」
レオなんかは食事がただで食べ放題っていう部分に食いついて大喜びだ。
貴族の生徒なんかは慣れてるよというふうにそこまでだけど、普通の家の子は食べ放題というワードに目をキラキラさせていた。
フリダさんも、はしゃぐレオに呆れながら、自分の興奮を隠しきれない様子でフィオナさんに話しかけていた。
「フィオナさん、楽しみだね!」
「うぇ、あ、そうですね! すっごく楽しみです! その日は朝ごはんとお昼ご飯を抜かないとですね!」
新入生歓迎会の開催は、あくまで生徒の準備しているものとのことで、学業に支障がないようにその日の授業がすべて終わった後の放課後から寮の門限まで行われるらしい。
夕食は寮で食べなくてもいいというわけだ!
「何が出てくんのかなあ! 肉!?」
今にもよだれをこぼしそうな表情でレオのテンションがどんどん上がっていく。 気持ちはわかる。
他のクラスメイトもざわざわしていて僕の気分も高揚してきた。
だけど一人だけ、あんまり喜んでいない子がいて、僕はどうにも気になってしまって目が離せないままだった。
フリダさんと楽し気に喋りながらも、フィオナさんはどこか悩んでいることがある様子でときどきうつむいていた。




