プロローグ1
主人公の魔獣のビジュアル追加。(十月十五日)
「あなた、気持ち悪いのよ」
それが母親に言われた最後の言葉だと覚えてる。
その顔には僕に対するおぞましさや恐怖なんてなくて、無表情に僕を見るまなざしがやけに瞼の裏に焼き付いている。
生まれた時は、普通だったはずなんだ。 たぶん。
家族の愛を知らないわけじゃない。物心ついたころには、兄弟姉妹、母も父も、僕に笑顔を向けてくれていた。
だけど、いつからだったかな。みんなが僕を見る目が、明らかに家族に向けるそれとは違うようになっていたんだ。
――ああ、そうだ。あれは、僕が初めて聖心獣を召喚した時。
聖心獣っていうのは、人が誰だって持っている心のエネルギーを獣の形で具現化したもので、有史以来、人間の傍にずっとあり続けている存在だ。
ただの獣じゃない。
口から火を噴いたり、雷を纏ったり。
その力は人間の生活の補助から、果ては戦争の武力にもなっているくらい、人間と切っては切り離せないものだ(まあ、人の心をもとにして生まれている時点で当然なのだけど)。
聖心獣は人間なら誰だって出せるといわれていて、多くは物心が芽生えるか芽生えないくらいの幼児期に発現するらしい。僕はちょっぴり遅くて、五歳くらいだったかな。
全身黒色。 首周りに深い紺色の炎がゆらゆらとたちのぼってマフラーのように膨れ上がっているのが印象的で、ひたいからは二本、目立つ角が生えているのが普通と違うオオカミ。 子供二人分よりも大きな、威厳たっぷりの獣。
それともう一体、黒色の骨をむき出しにガシャガシャと笑う奇妙な獣。
肉食動物の頭部にヤギのような巻き角を四本はやした頭。
水色にぼんやりと明滅するのが瞳だと直感でわかった。
こちらは首元から噴出する黒い炎がたてがみのように燃え広がり、そのすそ野が彼の体になっているようだった。
立っているのか、四つん這いになっているのかいまいち判別がつかない。
マントを羽織って仮面をつけて仮装してるようにも見えるくらい上背が高かった。
異形。
その一言に尽きる二体の怪物。
聖心獣としてこの世界に生まれ落ちたはずが、魔獣を想起させるそのいでたち。
家族は気味悪がったけど、自分の初めての聖心獣だったからすごく喜んだ。
でもある日、事件が起こった。兄が僕のおもちゃを取り上げて、僕がそれに怒ったんだ。
喧嘩になった。
兄は自分の聖心獣を出した。子供にしては大きな虎の聖心獣だ。
たぶん、兄は僕をびっくりさせるために召喚したんだろう。
吠える聖心獣を見た僕は思わず泣いてしまって、そしたら僕の聖心獣――骨の獣の方――は勝手に出てきた。
唸り声を上げて兄の聖心獣にとびかかって、その首をへし折ってしまった。
なかなかショッキングだった。少なくとも十にもならない子供に見せていいものじゃない。
ところが、事件はこれで終わらなかったんだ。
僕のオオカミの聖心獣も続けて飛び出してきて、怯える兄に向って攻撃をした。
子供の二倍もある動物の体当たりは、大惨事をひき起こした。兄は吹っ飛んで、入院する羽目になった。
僕はそのとき泣きじゃくっていて覚えていないのだが、騒ぎを聞きつけた両親がやってきたとき、オオカミと骨の獣は兄の体の上にまたがって今にも頭を食わんばかりだったらしい。
両親の聖心獣により、オオカミはとりあえず撃退された。
その日からだ。家族の僕に向ける目が変わったのは。
僕がやったことじゃないというのは、みんな分かってくれていたと思う。
子供のころは特に心が激情にかられやすく、聖心獣の制御は難しいものである。事故が起こるのは当然のことだ。
だけど、僕の聖心獣は容姿が悪かった。黒色赤目のオオカミと、異形そのものの骨に爛々と青白い光をともす獣。
どう考えても不気味だ。聖心なんて言葉にはふさわしくない。
実際、たいていの聖心獣は赤や黄色など、自然界には存在しない色ではあるけど、きれいな姿だ。
一方の僕の聖心獣はといえば。どう考えても闇とか暗黒とか、そういうのを想像してしまう。
黒は魔獣の色。それが定説だった。
僕の家、アークランド家は結構な名門で、それが余計に家族から僕への風当たりを強くする結果につながった。
「聖心獣を出すのはやめなさい」
父から警告も受けた。お前の聖心獣は見た目が人の恐怖をあおってしまうからと。
幼心に僕は、自分の聖心獣が兄を傷つけてしまったことが悪いのだと分かっていた。
だから僕は聖心獣を人前では出さないように心掛けたし、家族も僕の聖心獣のことには触れなかった。おかげで、僕の見た目の悪い聖心獣のことは家族の中だけの秘密、で終わるはずだった。
でも、噂というのはどこから生まれるかわからないもので。
アークランドの子供の聖心獣は悪魔の使い。そんな噂が流れ出したのは、かなり早い時期のことだ。
「なあ、お前の聖心獣って悪魔なんだろ?」
「聖心獣じゃなくて闇心獣に名前変えてやればいいじゃん!」
近所に住む子供たちからはそうやって馬鹿にされた。口だけじゃなく暴力も振るってきた。聖心獣を出して攻撃もされた。たちの悪いことに、僕が聖心獣を出すと一目散に逃げだす、そんな奴らだった。
でもって、僕が聖心獣を出したということだけ親に告げ口され、僕の両親のもとにまで伝わるのだ。
「聖心獣を出してはいけないと、あれほど約束しただろう」
「お前の聖心獣は凶暴なんだ」
―――違う、違うよ、見た目はちょっと怖いけど、いいやつらなんだ。ちょっとやりすぎちゃったけど、悪い奴らじゃないんだよ。
そう反論したかったけど、それが聞き入れてもらえるだけの信頼はなかった。
というより、僕はもう、この時にはすでに見限られていたんだと思う。
家族が僕に向ける目は、家族に向けていいものではなかった。
僕の分の食事は用意されてなかったり、衣服も、他の兄弟は新品をもらっているのに僕は古着だったり、数え上げればきりがないくらいの嫌がらせ。
無視されるのにはもう慣れてしまった。
それでも、一応家には置かせてもらえていた。子供を捨てたという悪評は避けたかったのだろう。
いつの間にか僕についていたあだ名は、「アークランドの面汚し」。
名門アークランドに生まれておいて、異形の聖心獣を召喚する悪魔の子。
本名よりも、あだ名で呼ばれるほうが多かったんじゃないかな。
自慢じゃないけど、アークランドは王家に連なる由緒正しい家系で、伯爵位を授かっている。
いとこだっていっぱいいるし、よく僕の家にも遊びに来ていた。
まあ、僕が遊び相手として指名されることは全くなかったんだけど。
遊び道具にされることはあった。
何をしてもやり返してこない恰好の人形。そんな扱いだ。
だれからも、いないように扱われるそんな生活でも、僕は独りぼっちじゃなかった。
僕には聖心獣がいたから。いくら見た目が怖くても、もとは僕の心から生まれた存在である。一人自室で泣いていると、勝手に出てきては僕の隣に寄り添ってくれた。かけがえのない友達だ。
そんなふうに僕は家の中にすら理解者がいない状況だったけど、なんとか過ごせていた。
だけど、その仮初の生活が崩れたのはまた、兄絡みの事件だった。