入学試験
新しく知り合った女の子、フィオナと一緒に校舎の突当り、職員室とかかれた札のかかった部屋までやってきた。
「失礼します」
「し、失礼します…」
扉を開けると、コーヒーの匂いが鼻を刺激する。
室内では教師の方々があわただしく作業していて、とても声をかけられる状態ではなかった。新学期に伴ういろいろな業務があるのだろう。
「お。何か用かね」
入り口前で立っていた僕たちに声をかけてきたのは、今しがたコーヒーを入れていた男性の教師だった。彼だけは忙しそうにしているほかの先生方と違いのんびりとしていて、一人だけ違う時間に生きているみたいだ。
逆立った白髪と豊かなあごひげがこれでもかというくらいに泰然さを演出していて、髪の推定年齢を無視するようながっちりした体格は王者の貫禄だ。そう、まるでこの学校のボスのような――って、校長先生じゃないか!
「こんにちは、校長先生」
「こ、こっここんにちは……!」
フィオナさんはもう完全に校長先生のオーラにびくびくしていて使い物にならない。挨拶するだけでかみまくりだ。かくいう僕も人のことは笑えない。
講堂での話を聞いた時も思ったけれどちょっとこの校長先生、人に与える威圧感がすごい…。
「あの、僕たち新入生なんですけれど、組み分けの掲示板に名前がなくて、何か手違いがあったのかと思いまして」
「ふむ…?」
校長先生は怯えられることに慣れているのか、特にフィオナさんの状態に言及することもなくあごひげに手を当てて数秒考え込んだ後に、大きな声で誰かの名前を呼んだ。
「ああ、ヒューイ先生は確か入学試験担当でしたな? こちらの二人の名前が新入生組み分けの掲示板に記載されていなかったらしいのだが、もう新入生へのカリキュラムガイダンスは始まっておるか?」
「いえ、まだ申すこし時間があると思いますが…ええと、お二人さん、合格証明書を見せてもらってもいいですか」
僕とフィオナさんが紙を見せると、「あれ? おかしいな…」とヒューイ先生がつぶやいた。なんだか雲行きが怪しい。校長先生は無言で腕を組んで静観状態。なんだか悪いことをしている気分になってきた。フィオナさんもそれは同じようで、うつむきがちにそわそわしている。
「名簿のほうにはっと……ああ、あったあった。フィオナ・ミラーさんですね。 補欠合格とのことで、掲示板のほうに名前が書かれていなかったようです、すいません」
「よ、よかった~」
「それで、ええと、君の名前が、名簿のほうにも載っていないんですけれど…」
「え!?」
フィオナさんの名前があったらしく、よかったね~とほほえましく見ていたら僕は入学できていないことになっていたらしい。なんてことだ!
「どこを探してもアルマ・ディナミス君の名前がないんですよね…」
「ん、ディナミス? アルマ・ディナミスといったか」
成り行きを見守っていた校長先生がそこでようやく口を開いた。
どうも僕の名前を知っているらしい。
「カール・ディナミスという名前に聞き覚えは?」
「僕の師匠です」
聞き覚えどころか、五年間ずっと一緒にいた人間の名前を出された。
まあ、師匠は聖騎士だったらしいし、その名前だけなら聞いたことのある人も多いだろうけれど。
「そうかそうか! 君がアルマ君か! カールの奴から話は聞いているよ! よく来たね!」
ずっといかつい顔をしていた校長先生が急に態度を変えた。
僕とフィオナさんだけじゃなく、ヒューイ先生、そして職員室につめていらしたほかの先生方も目と口を丸くして信じられないものを見た顔をしていた。
「ヒューイ君、彼は確かにこの学校の生徒であるよ。私が保証しよう」
「え、いやしかし、」
「なあに心配することはない、アルマ君! カールの奴の弟子なら試験なんて受けなくてもこの学校への入学を許そう!」
「!? 君、試験を受けていないのかい!?」
「は、はい…」
「え、アルマ君、試験受けてないの!?」
「いや、まあうん……」
師匠が受かった!っていうもんだから、僕だっておかしいなって思ったんだよ!
「私が許可したのだ」
「校長!?」
「かの聖騎士、カール・ディナミスが育てた聖導士だ。試験など受けずとも入学する資格は十分だろう。なんあら、トップ入学だってあり得るよ」
「元聖騎士団長が!? ごほん、いや、規定で試験は受けねばならないと……」
……師匠のネームバリューすごい。
「私が規定そのものだ」
「わかった、わかりましたよ、その代わり、今からでも試験を受けていただきますからね!これは譲りません!」
「君なら余裕だろう。よいかね?」
勝手に実力を期待されたままあれよあれよと話しが進んでゆく。これ、断れないんですか?
「……受けます」
どのみち今から森のじいちゃんばあちゃんの家に帰るのは情けなさすぎるし、とりあえず師匠にどうやって土下座させるかを妄想した。
◇ ◇ ◇
先生たちの行動は迅速だった。
連れていかれたのは学園内に用意されている円形の広場。入学式の行動の二倍くらいの大きさのグラウンドをぐるりと囲むように、客席が階段状に設置されている。会場は吹き抜けで、見上げれば真っ青な空と太陽。石造りの会場は武骨な雰囲気を漂わせていて、その名も「闘技場」とぴったりだ。
この会場、年一回の武闘大会や聖心獣コンテストで用いられる、一番大きな建物らしい。
今、僕は一人でそこに立っていた。
客席のほうには先生方が三人座って僕を観察している。
なぜかフィオナさんと校長も成り行きでついてきて観戦するらしい。かわいそうに、校長先生の隣に座らされたフィオナさんはこれでもかというくらい縮こまってしまって目も当てられない。当の校長先生は意にも介さずフィオナさんに話しかけている様子。
待つこと少し。
ヒューイ先生が、準備できたと言って僕の向かい側の入り口を指さした。
暗がりから出てきたのは、四足で歩く毛むくじゃらの怪物だった。
「本当は聖心獣だったり聖心器だったりで審査するんですけれど、今回は時間がないのでその五級魔獣を退治してください。その腕際で仮の入学試験を行いたいと思います。何してもいいですよ!」
聞いてない!
目の前の毛むくじゃらの塊――全身が黒い毛でおおわれていて顔すら判別つかないけど、正面の毛から覗く真っ赤な瞳が確かに生き物、魔獣であるということを示している。
「ルル…ブルルル……」
鼻息荒く、周囲を嗅ぐ魔獣。ひょっとして、目はあまりよくないのだろうか。
槍の聖心器を取り出し、構える。
ブランを召喚しようと思ったけれど、目の前の魔獣がブランとそっくりなので断念。黒い体、真っ赤な瞳。ブランは聖心獣だけど、審査する先生方からすると魔獣を召喚したように見えるかもしれない。そんなやつ、僕が試験官なら入学させたくない。
聖心獣を使わずに目の前の五級魔獣を倒そう。
試験の趣旨とはずれるかもだけど、入学できないよりましだと思う。
幸いにも、以前湖で遭遇した二級魔獣と比べれば怖くない。
ランランと光る真っ赤な瞳が僕をとらえる。
一声高く鳴き、魔獣は突進してくる。巨体に見合わず素早い動き。
魔獣は人の心の悪しき部分から生まれる不条理な存在だ。
恨みつらみ、人の嫌な部分を煮詰めた人類に仇名す生き物。
その生まれゆえ、能力はかならずしも外見の通りとはいかないのだ。
すれ違いざまに槍を振るう。思ったより柔らかい体に、僕の槍はするりと通る。
「ルルルルウルルルルルル!!」
苦悶に雄たけびを上げる魔獣。ごめんね、できるだけ早く終わらせるから。
魔獣を倒す方法は二つ。
聖心器でとどめを刺すか、聖心獣の攻撃で消滅させるか、だ。
もちろんそのどちらにもメリットとデメリットがあるんだけど、今回は聖心器でとどめを刺そう。
間合いを測り、次の突進に備える。
次の交差でうまく背に飛び乗り、頭に槍を突き刺せばどんな魔獣でも倒せるだろう。
「ルルルルルルルルルゥゥ」
先ほどよりも一段スピードを上げた怪物の突進。
直線運動に合わせて一歩体をずらし、ジャンプしようとかがんだところを、不可視の衝撃が襲った。
見えなかったわけではない。
かろうじて視認できたからダメージは追わなかったけど、油断した。
交差する瞬間、魔獣はその黒く無造作に伸ばしている体毛をうねらせ、僕への攻撃に変化させたのだ。
「見た目のとおりじゃないって、何回も師匠に言われてたのになあ」
反省する暇も与えてくれず、魔獣は方向転換してまた僕のほうへ走り出す。
これが実践。師匠との訓練の時は失敗したら考える時間をくれたけど、今回は試験だし、相手は生の魔獣。あれこれ考えて試している暇もない。だけど、湖のあの大きな魔獣に対峙した時を思い出すと不思議と落ち着いていられた。
今度は不意打ちするつもりもないらしい。体毛がすごい勢いで増殖し、わさわさと気持ち悪いくらい膨れ上がっている。攻撃範囲が広く、少し体をずらしたくらいじゃ対処できそうにない。
「それなら…」
まるで大きな小屋がぶつかってくるような突進。
よける場所がないなら、よける前に倒してしまえばいい!
「《撃ち抜け》」
聖心獣は出さないが、その力の一端だけ借り受ける。
僕自身も魔獣に向かって走り、その顔がよく見える位置にまで近づいた状態で聖句を紡ぐ。
馬鹿正直に突っ込んでくる魔獣の横っ腹に、クロロの黒弾を叩き込み、ひるんだその隙に右手の槍を振りかざし、魔獣の赤い瞳に突き立てた。
悶絶する間も与えなかった。
魔獣はぶるぶると体を震わせるとそのまま粒子になって空気中に散った。
世界に還り、また誰かの心のもとへ帰りつくだろう。
「ふう……」
師匠との修行が生きた…。
僕が学園に行くと決めてから、彼の修行は一段どころか五段くらい厳しくなってもうてんてこ舞いだったけれど、しっかり自分の身になっていると実感できた。
客席に座る先生方はみな口を開け、慌てて話し合いを始めた。
その横のほうに座る校長先生は満足そうにあごひげを撫でていて、フィオナさんはあれだけ萎縮していた校長先生の隣で立ち上がって拍手をしていた。
この反応なら、とりあえず門前払いは食らわずに済みそうだ。
対処に追われる先生方には申し訳ないけれど、代わりに僕がちゃんと師匠を殴っておくからと、ぼんやり考えた。
間話が二章の前に挿入されてありますのでそちらをご覧ください。申し訳ありません。