しりとり必勝法
僕と彼女の40分が今日も始まる。
いつからだろうか、同じ電車で一緒に帰るのが当たり前になったのは。彼女の家まで電車に揺られて40分。僕の家はその少し先。中途半端に長い通学時間は、彼女と話すようになってから楽しいひと時に変わった。
「じゃあ鳥」
「またりかあ。りーりー……あっ、じゃあ倫理」
「私もりね。じゃあ料理」
「せっかくこっちも、りで返したのに……」
僕と彼女の40分の暇つぶし。最近の流行りはしりとりだ。彼女はボキャブラリーが豊富で僕はまだ一度も勝っていない。今日の彼女は「り」で攻めてくる。
「じゃあリール、釣りで使うやつね」
「るで攻めるのは基本よね。しかし甘いわ。瑠璃、瑠璃色とかの瑠璃ね」
「やばい。そろそろ、りが尽きてきたぞ」
電車に乗ってまだ20分。彼女の降りる駅までまだ半分あるのに、こんなところで負けられない。必死に「り」で始まる言葉を考える。陸という単語が頭に浮かぶがこれは駄目だ。ひっくり返して栗と返ってくるのが簡単に想像できる。
「じゃあリストラだ」
さすがに「ら」で始まって「り」で終わる言葉は簡単に思いつかないだろうと、僕は自信を持って答える。少なくとも僕は思いつかない。
「らね、らーらー……ラビオリっ」
彼女は少しだけ考えてすぐに笑顔になる。僕の予想は外れてあっさりと「り」で返される。ラビオリなんて物は知らないと言おうか。そんなことを考えたが、残念ながら僕はそれがパスタの一種だと知っている。
「じゃあ陸」
「栗。これは栗って返されるのわかってたでしょ」
僕は悔しそうな表情をわざと作ってうなずく。でも本当は彼女が楽しそうなので僕も嬉しくて笑ってしまいそうだった。
「りーりー……あっ、リハビリ」
その言葉を思いついた瞬間、僕はしてやったりの顔をする。さすがに彼女も「り」で返されて「り」で返す言葉はもう思いつかないだろう。しかし彼女は僕のリハビリという言葉を聞いて、待ってましたと言わんばかりの笑顔だ。
「りしり。北海道の利尻島。昆布とかが有名なとこね」
すぐさま「り」で返される、それもしっかりとした解説付きで。彼女は「り」で返された時のことを考えて、利尻という地名をとっくに思い浮かべていたに違いない。彼女は色んな地名がすぐに出てくる。
「り、り、リズムは使ったしリボンは問題外だし……駄目だ、降参」
すでに使った言葉か「ん」で終わる言葉しか思いつかず、僕は負けを認めた。
「よし、私の4連勝ね」
彼女の笑顔がはじけて、つい僕も笑ってしまう。
「ほんとすぐ色んな言葉が出るな。言われれば知ってるけど、自分では思いつかないって言葉が多い」
「えへへ、文系の私としては理系の男子に負けるわけにはいかないわ」
僕と彼女はクラスが違う。朝錬がある僕とない彼女では登校時間が違うので接点といえば帰りだけ。だから僕にとっては大事な大事な40分。来週の連休には揃って部活が休みの日がある。それまでにこの時間を有効に使って少しでも彼女との仲を進展させたかった。
「最近は色々と本とか読んでるつもりだけどなぁ」
元々漫画くらいしか手に取らなかった僕が、本好きの彼女の影響で小説なんかを読み始めた。
「私は漫画ばっかりかも。少女漫画は正直ちょっと苦手だったけど、意外と少年漫画は面白いわね。びっくりしちゃった」
彼女は逆に最近は漫画を読むらしい。それが僕の影響だったらいいのだけれど、それはうぬぼれだろうか。
「そろそろしりとりも限界かな。というか負けすぎて悔しい」
「そうねえ。私は勝てるから楽しいけど……じゃあさ、次で最後にしてなにか賭けようか? 勝ったほうが1つなんでも言うこと聞くとか」
思わぬ彼女の提案だった。そして願ってもない提案だった。勇気のない僕が一歩踏み出すきっかけになるかもしれない。僕は負け続けているにも関わらず彼女の提案に賛成する。問題はしりとりに勝てるかどうか。次に彼女と過ごす40分まで僕の頭はしりとりのことで一杯になるだろう。
「あのさ、今日は新しくルール加えない。せっかく賭けてるし勝負がつきやすいように」
「どんなルール?」
「逆さの言葉で返すのを禁止ってのはどう。陸を栗で返すとか貝をイカで返すとかは駄目ってルール」
「へえ、いいかも。そういうルールがあったほうが早く勝負がつきそうだしね。じゃあいつも通り濁点外しは駄目ってルールと、ひっくり返した言葉は禁止ルールね」
なんとか作戦の第一段階はクリアする。僕は授業も聞かずにどうしたら彼女に勝てるかばかり考えていた。そしてついに、ある言葉を彼女が口にしてくれれば勝てる。そんな作戦を思いついた。かなり可能性は低いけれど。
僕と彼女の40分が始まる。最初は作戦通り上手くいっていたが次第に僕が追いつめられていく。
「る、る、ルイジアナ」
なんとか僕は「な」で終わる言葉を思いついて、ほっと溜め息をつく。僕の今日の作戦はとにかく「な」で攻めること。地名がよく出てくる彼女相手に僕は「な」の1文字に望みを託す。
「また、なできたか。でもまだまだ大丈夫。じゃあ鉛」
彼女は「る」や「り」で攻めてくる。正直そろそろ厳しい。それでも今日だけは勝たなければと僕は必死に頭をひねる。
「り、り……陸棚」
「まだ、なで粘るわね。そろそろ、りかるで終わる言葉が思いつかないかも……じゃあ那覇で」
その瞬間、僕はガッツポーズをしそうになる。しかしぐっと堪えて冷静なふりをした。まだ油断はできない。勝ったわけじゃないと自分に言い聞かせる。
「じゃあ鼻、だと駄目だ……ひっくり返しちゃってるな」
「ふふっ、自分で決めたルールに苦しめられたわね」
僕の困った顔を見て彼女は嬉しそうに笑う。しかし僕の表情はわざとだ。満を持して用意しておいた言葉を口にする。
「じゃあ鼻血」
彼女は悩む。気づかれたかと一瞬不安になるが、気づいたとしても解決策はないはず。しりとりで鼻血と言われたら僕は素直に負けを認めるだろう。
「じゃあ私はじゅず。お数珠ね。けっこう、ずで始まる言葉って少ないのよね」
なるほど。確かに、ずで始まる言葉というのはあまり思いつかない。彼女の言葉への造詣の深さには感心するが、どの文字で返されてもすでに関係ない。
「よしっ、初めて勝った!」
僕は拳を強く握って勝利を宣言した。彼女は僕を見てぽかんとする。まだ負けたことがわかっていないようだった。
「え、なんで……あっ鼻血! しまった……し、じゃない。ち、だ……」
田舎の空いた電車の中、僕はおおげさに喜ぶ。いや、おおげさではなく心の底から嬉しかった。
「じゃあ勝ったから約束通り、言うこと1つ聞いてくれるんだよね」
そういって喜ぶ僕の横で彼女はひどく悔しそうな表情をする。子どもがするように膨らませた頬は少し紅くなっている。
僕は予想外の反応に戸惑う。軽い遊びのしりとりでそんな表情をされるとは思ってもみなかった。しかし時間がない。次の駅で彼女は先に降りてしまう。僕はありったけの勇気を振り絞った。
「えっとさ、じゃあ今度の連休でその……どこか遊びに行かない? えっと映画とか、ちょっと遠いけど水族館とか」
しりとりに勝つことで頭が一杯だった僕は情けないことにまるでプランが決まっていなかった。デートの誘い方としては最悪だ。恐る恐る横に座った彼女の表情を見ると、さっきの悔しそうな表情とは一転していた。
「うん行く……行きたい。あっ、もう降りないと」
「あ、えっと……メールするからっ」
「しりとり意味なかったね。これじゃ勝っても負けてもおんなじだ」
電車を降りた彼女はこっちに向かって手を振っている。僕は彼女の言葉を理解するのに少し時間がかかってしまった。