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5.真実の口

 1


 リタル・ヤードが毎日通っているアイオン教会は、なにしろ広大だ。


 荒波に囲まれた島国、プリムス国の中心から、空へ真っ直ぐに突き出た教会の真白の尖塔は今やプリムスのシンボルと化している。

 設立十八年。白を基調とした、人々を魅了する繊細な造りの美しい建物。中央都市グノーシスの中心を堂々と陣取っている緑豊かな敷地の真ん中には立派な噴水も設けられ、花壇には色取り取りの花が咲き乱れている。

 この見事な庭園も含めた敷地内総ての建造物がアイオン教会のものだというから驚きだ。


 敷地内にはグノーシスの学習施設であるアイオン学園や孤児院、さらには資料館なんてものも設置されている。

 敷地の地下に存在する博物館染みた室内には、プリムス国内から集められた貴重な歴史的資料が数多く展示、保管されており、閲覧を目的とする者が観光客の波に紛れアイオン教会を訪れる事も決して少なくない。

 中でも、資料館の最奥の部屋には特に重要なナニカが保管されているらしく、入口脇には常に二名の警備員が立っている。厳重に施錠され、一般人は愚か、アイオンに勤務している人間にすら非公開とされていた。入室の権限を持っているのは国王と教会長位だ。

 が、唯一。アイオン学園に通う生徒達だけが例外として存在していた。

 生徒として在籍する九年間の内、たったの一度だけ、最奥の部屋を見学できる機会が彼らには設けられている。

 その貴重な時間は、リタルの在籍する六学年の歴史の授業のカリキュラムに盛り込まれていた。

 今日がまさに待ちに待ったその日だ。


 頭の上で二つに分けて編まれた黄緑色の髪がスキップのリズムとともに元気に弾む。

 リタルは知らぬ者から見てもそれが解る程に嬉々とした様子で通学路を進んでいた。

 というのも、資料館の最奥の部屋――通常、開かずの間に保管してある物は大量の禁術封石だ、という噂話が生徒間で飛び交っていたからだ。


 世界フロース法で人間が所持する事を禁止されている禁術封石を、教会が、一体どうして地下なんかに……それも、大量の数を保管かくしているのか。

 取り締まっている警察機関は何も言ってこないのか。

 それらをどうやって収集したのか等、考えてもさっぱり解らない。

 いや、この際どうでもいい。

 重要なのは噂の信憑性。

 在る《ほんとう》か、無い《うそ》か、だ。


 高等部の校舎に出向き、昨年開かずの間に足を踏み入れたであろう七学年生に接触してみたところ、噂話はどうも真実らしかった。

 突然現れた小柄な少女に驚いた後、どの生徒もあんなの初めて見た、と口にする。

 尤も、彼等が見たものがレプリカだという可能性もある。まぁ、普通に考えてその方が自然――しっくりくる事は確かだ。


 とにかく。これ以上は実際に、リタルが所持する二つの禁術封石の内の一つ『魔眼』で保管されているブツを視る事以外確かめる術は無い。

 超強力な結界が張ってあるのか、はたまた妨害魔力が飛び交っているのか。地下では高性能魔石探知機レーダーの類は総て使用不能となってしまうのだ。


(しっかし……現役ストーンハンター兼、美少女天才小学生と名高いあたしの可愛い発明品ちゃんを上回る程の妨害魔力が存在するとは。……一体どんなゴッツイ防犯設備を施してイラッシャるんだか)


 地下の設備が厳重であればある程、噂話にも真実味が増してくる。

 幾ら設備が調っていようと多少の無理をすれば、自称凄腕ストーンハンターたるリタル達フォルツェンド一味に成せない事はないだろう。

 だが、退学というリスクを背負ってまで単なる『噂話の真相暴き』なんてしたくはない。

 そもそも今は行動に移る段階ではない。成功したところで骨折り損のくたびれもうけになりかねないからだ。

 彼らが動く時は、背負っているリスク以上の利益が確実に得られるという、その確証が得られた時だ。

 そして。待ちに待った今日という日がやってきた。


 見学という、これ以上無い位に自然なお題目で開かずの間に難なく侵入――容易に確証を得る事が出来る、貴重な一日だ。


 もし噂が真実で、開かずの間に保管されているものが本物の禁術封石だとすれば。帰宅後すぐにパートナーであるリチウム・フォルツェンドを叩き起こし、急ピッチで作業に取り掛からなくてはならない。

 なにせ、相手は『教会』だ。立場や歴史、それに教会組織という巨大なネットワークと資金源がある。敵に回せば面子にかけて自分達フォルツェンドいちみを仕留めようとするだろう。後々動きにくくなるのはごめんだ。事態が明るみに出るのを避ける為、石をただ盗み出すだけではなく、こちらで作製したレプリカと掏り替える必要がある。

 噂では大量にあるとされている禁術封石。見学会時に総ての石の形状と数、展示位置等を記録し、相応のレプリカを揃えねばならない。時間と労力がかかるだろう。

 だがそれさえこなしてしまえば、掏り替え作業は二人にとって、そう難しい事ではない。

 リタルの持つもう一つの禁術封石『転位』は、一度足を踏み入れた事のある場所ならどこへだって瞬間移動する事が出来るというなんとも便利なものだ。

 したがって『見学』として開かずの間に足を踏み入れたが最後、保管物は総てリタル達の手中同然だった。

 如何に厳重な警備、施錠、防犯設備を施した所で、目的地に転位してしまえば侵入も、退却だって一瞬だ。


(んっふっふ。すぐにリタルちゃんがお迎えに行ってあげるから待ってなさいよ愛しの獲物ターゲット達!)


 禁断の開かずの間。そこには一体どんな禁術封石オタカラがどれだけ隠されてあるのか。それらを改造すれば、一体どんな素ン晴らしい機械に変身するのか。特に後者の想像は際限なく膨らみ――知らず、軽い足取りとなる。

 ニマニマとした締まりのない顔。爛々したエメラルドの瞳。遅刻と早退が重なり病弱と認識されている優等生の奇行を、奇妙な物でも見たというような顔で振り返る生徒達。周囲の視線を力いっぱい浴びるも特に本人は気にする事もなく(気づかぬ程浮かれていたという説もあるが)、軽快なスキップで教会敷地内に入っていった。


 この後、『世界の破滅も招きかねない恐ろしい事件』が彼女たちフォルツェンド一味を待ち構えていた事なんて当然、気づくはずもなかった。


 2


『で? 今、責任者としてグレープが、アンタ達の担任と肩並べて絞られてる最中ってワケ?』


 時刻は夕方。グノーシス西部にある、十一階建ての古びたマンションの一室。

 グレープの帰宅が遅い事を不審に思った同居人達から尋ねられたリタルは、今日起こった事故について説明するハメになってしまった。


「だって。学園にとっちゃ一大事よ? 幾ら生徒がやらかした事とはいえ、教会で厳重に保管されていた、超貴重とされている展示物を破損してしまったんだから」


 事の次第はこうだ。

 リタル達六学年の生徒は、四時限目の歴史の時間の際、歴史担当の教師――リタル達の担任でもあるナカジマ神父――通称ナカ爺と、副担任シスターのグレープ・コンセプトに引率され、地下二階、資料館へと足を踏み入れた。

 広い展示室に整然と並べられたガラスケースの周りを生徒達が順に巡る。資料館へは開かずの間の調査の為、何度か足を踏み入れている。よってリタルが興味を示す物はもうこの場には無かった。


 『ちょっとした事故』は、彼女の興味と期待を一身に背負った室内最奥の開かずの間『保管庫』で起こる。


 首謀者は、家がお金持ちな事で有名な小太りの男子生徒だった。

 仇名は、まんま、ボンボン。

 ボンボンはストーンコレクターの息子で、この日のために家から、とある禁術封石を持ち出していた。

 それは、『クリア』と呼ばれる白く濁った禁術封石で、発動させると所持者は、あらゆる障害を通り抜ける事が出来るようになるという代物だ。

 ボンボンは他の生徒数名と組んで、ガラスケースに並べられた禁術封石の内の一つを盗み出そうとしていた。

 しかし、『クリア』発動時に発生する魔力の波動に、同じ時、同じ場所で『魔眼』を使用していたリタルが気づかぬ訳もなく、当然彼女は彼らの背後から声を張り上げて行動を咎めるという行為に出る。

 リタルの大声に必要以上に驚いたボンボンは、その拍子にガラスケースから取り出したばかりの、とある禁術封石を落としてしまう。

 比較的近くにおり、いち早くその騒ぎに駆けつけた副担任シスター――リタルのホームに何人か居る同居人の内の一人であるグレープが、男子生徒の手から零れ落ちた禁術封石を受け止めようと屈むが、その手はあと一歩、届かなかった。

 結果。グレープの目の前で、展示物の一つである、とある禁術封石が破損。粉々に砕け散ってしまったと、こういう訳なのである。


「大丈夫かな……グレープちゃん」


 同居人の一人――刑事で、リタル達ストーンハンターにとって天敵とも呼べる存在でもある黒髪の青年、トラン・クイロが心配気な面持ちでボソリと呟く。

 彼にはグレープが今浮かべているであろう暗い顔がはっきりと目に見えているようだった。


『もしかして、今度こそグレープ。クビ?』


 宙に漂いながら耳を澄ませていた金髪の不良遊霊クレープが話に割り込んできた。


「そんな……っ」

『だってあのコ、これまでも散々しでかしてきてるデショ? だから、OBで……しかも勤めてかれこれ二年は経ってるっつうのに、未だに「シスター見習い」してンじゃない』


 グレープ・コンセプトは、魔石の魔力を触るだけで暴走させてしまうという特異体質の持ち主である。

 曰く、魔石そのものと合わない体質ではないか、だの、アレルギー症状のようなものではないか、だの、全ての目に『最悪』が出揃うはずがない。『最高』に相性の良い属性の魔石が存在するのではないか、だの理由について散々周囲で討論されてきたが結局判明されぬまま。石化製品に囲まれているこの世界で、しまいには『歩く破壊魔』という異名を授けられてしまった。


「けど、彼女のアレは体質で……わざとやってる訳じゃないんだし」


 トランのフォローに赤い目を細めるクレープ。


『ワザと備品をぶっ壊して回ってンのなら、とっくの昔に学園追い出されてるデショ』


 薄い腹全開で宙を一回転すると、トランに近づく。


「けどさ……!」


 頭の上で一つに纏められたゆるやかな金髪のウェーブがトランの頭にかかった。


『そうやってあのコに甘いのは、トランちゃんだけ。なんでもかんでも魔石で動いている世の中はそうはいかないデショ』

「まぁ。十中八九、クビって事にはならないと思う」


 クレープとトランの会話に溜息交じりの声で割って入るリタル。


『なんでヨ?』

「レプリカだもの。アレ」


 リタルは落胆した様子で溜息混じりに告げた。

 先に報告を受けていたのか、ソファに寝そべっている長い銀髪の青年――リチウム・フォルツェンドはその言葉に何の反応も示さない。

 クレープ達の驚愕の声に、もう一度だけ盛大に溜息を漏らすと、リタルは詳細を語り始めた。


 念願の開かずの間に入室後、噂通りにガラスケースに並べられた、大小様々な形をした、色取り取りの禁術封石達。さながら宝石店といったその光景に両手を組み、エメラルドの瞳をこれでもかという程キラキラ輝かせたリタルは、即座に『魔眼』を発動させ、一通り見渡してみた。しかし、


「開かずの間の展示物に魔力らしきものは視えなかった。微塵もね。大方あの大袈裟なまでの防犯設備は、保管物がレプリカである事を外部に知られたくないが為に設置されたものなんでしょう……ったくもぉ、紛らわしい……っ」

「なるほど。それでおまえ、いつまでたっても不機嫌面なんだ」

『レプリカなら壊れたって替えなんて幾らでも造れるわね。尤も、教会アイオンとしては是が非でも展示物レプリカを本物として扱いたい、だから今回の件を大事にはしたくない。って事で、グレープをクビにする理由が消失する、か……って。ンじゃなんだってあのコ、帰りが遅い訳?』

「さぁ。けど、あのコがこれまでに起こした不祥事は星の数ほど存在するらしいから。大方、前の件でも持ち出されて絞られてるんじゃない?」


 さして興味もないといった風にリタルが口にしたその時、


「ただいま帰りましたです~」


 特に落ち込んだ様子も無く、噂の人物が買い物袋を片手に帰宅した。

 肩まで伸ばしたストレートの青い髪を後ろで一つに纏めた華奢な少女が、スキップらんらんで鼻歌交じりに買い物袋を振り回しながらリビングへやってくる。

 落ち込むどころか、なんだかいつも以上に機嫌が良さそうだ。膨大な負のオーラを背中に背負っての登場を予想していた一同は顔を見合わせた。


「……どーしたのグレープ」

「グレープちゃん? なんか……嬉しそうだね」

『アンタ……怒られてたンじゃなかったの?』

「? そんな事はないですよ?」


 クレープと瓜二つの細面に浮かべた輝く笑顔に、露骨に眉を潜めるリタル。


「放課後、ナカGと一緒に学園長室に呼び出されたでしょ? 資料館の件で学園長に絞られたんじゃないの?」

「ええ、わたしも呼び出された時はそうかなって思ったんですけど……単なる世間話でした」

「は?」


 間抜けな顔で素っ頓狂な声を上げて――リタルはぐっと背伸びをするとそのまま、グレープの赤い瞳を覗き込んだ。

 グレープは素直というか……嘘のつけないタイプだ。嘘をつくよう強制されたり、無理やりにでも虚言を吐こうとすれば、謙虚なまでに態度に出る。

 一同を心配させない為にわざと明るく振舞っているのかと思ったのだが――


「? どうかされましたか? リタルさん」


 ……どうやら、嘘は言っていないようだった。


「結局は生徒がやらかした事なんだしよ。お咎めナシって事になったんじゃねぇ?」


 寝そべったままその光景を眺めていたリチウムが、トロンとした目を擦りつつ、面倒臭そうに口を開く。と、即座にリタルの首は横に振られた。


「アイオンは生徒の校則なんかはゆるゆるだけど、一方で教師の責任問題なんてのにはむちゃくちゃ厳しいのよ。ギャンギャン吠えるタイプの保護者が多いとかで自然とそういう風になっちゃったみたいだけど。それに『生徒がやらかしたことだから』とか、そんなゆるい理由で言及が避けられる程、学園の性質が温厚だってんならそもそも、これまでグレープが無意識に魔石を暴発させてきた件だって『わざとじゃないんだから』、責められるような事になりはしなかったはずでしょう? 矛盾してるじゃない」


 何か裏があるのかもしれない、とリタルが軽く握った拳を口元に持ってきて唸り始めた時、グレープがあっけらかんと言い放った。


「わたし、今日はとても運がいいんです。だからだと思います」


 上機嫌の笑顔。根拠の欠片も無い言葉。子供のような無邪気な反応に毎度の事ながらリタルは強大な溜息を深々と吐いてから腰に両手をあてると、ジト目でその顔を見上げる。


「……あのねグレープ。運の良し悪しで説明出来る事柄じゃないからこれは」

「そうなんですか?」

「そうなの! ったく、人が心配してりゃあノー天気にも程がある……!」

「運がいいって……他にもなんかあったのかい? グレープちゃん」


 話題を変えようとトランが努めて明るい口調で二人の間に割って入る。憮然とした表情のまま、それでもリタルは口を噤んだ。彼女としても少し気になるらしい。


「ええ、実はですね。……じゃーん」


 言ってグレープが満面の笑顔で差し出したのは……グレープが好んでグッズを揃えている、とあるキャラクターの絵のついたアイスの袋だった。


「……これは?」

『ナニコレ』


 受け取った袋をクレープと二人で覗き込む。中を見ると裏面に『あたり』と印字されている箇所を見つけた。


「えへへ。実はですね。学園長室に入った時、五郎の話で盛り上がりまして。学園長が、当たりくじ付きのアイスをくれたんです」

「五郎?」

『最近巷で出回ってる妙なキャラクターの名前。クリオネ五郎っつうんだって。っていうかトランちゃんも知らない仲じゃないデショ? ほら、表のこの絵。トランちゃんのネクタイとか靴下とかについてるヤツと……』

「あぁ……そうなんだ…………これのこと……」


 トランは、彼にしては珍しく不快な色を露わにした。

 グレープは現在、買出し係と化している。石化製品を扱えない彼女が一人でまともに出来る事と言ったらそれ位しかない。彼女も解っているのか皆が頼む前に進んで買出しに行く。頼まれると喜んで出かけていく。しかし、まともに出来るはずの買出しですら、周囲は一度、恐ろしい被害を被った事がある。

 なにせグレープは何から何まで自分の好きな「五郎」というキャラクターグッズで揃えてしまうのだ。細かく指定せず完全に彼女に任せてしまえば、消耗品は愚か、食器やカーテンなどの生活雑貨からハンカチ、弁当箱、下着やネクタイの柄まで、総てにおいて五郎というキャラクターが支配する事となる。

 他の面々はその都度、不満と怒りを露にしブーブー文句を言っては買い直しを要求するのだが、トランだけは、曰く「せっかくグレープちゃんが買ってきてくれたんだから……」と、そのまま使用していたりする。

 その行為をグレープが、トランも自分と同じように五郎が好きなのだと勘違いしてしまっているのが実に痛い。

 トランは未だにそれを訂正できずに、グレープが満面の笑顔で差し出す五郎靴下を泣く泣く履いて中央警察署に出勤している。大の大人けいじが履くキャラクターものの靴下。そんな不憫な姿を、この家に住む全員が目にしている。


(グレープちゃんは何も悪くない。悪くない……っ 悪いのは、元凶は総てあの妙なキャラクターなんだ……!)


 トランはこの時初めてキャラクター《てき》の名を知った。苦笑いを浮かべつつその心中には……彼には到底似つかわないドス黒い感情が渦を巻いていたりする。


「なんでも、『おいしいから食べてみて』って生徒達が持ってきたらしいのですが、学園長、冷たいものは歯に沁みるという理由で食べられないのだとか。放課後、学園長室でナカジマ先生と二人で話を聞いて、そういう理由ならと遠慮なく頂いてきたのです。そしたら……」

「『タダで貰ったそれがなんと当たってしまってお店でさらにもう一本貰えるんです~!』……ってんでしょう? てかそれ、当たる確率四十パーセント。比較的当たりやすいわよ。あたしだってこないだ続けて二回も当たったもの。……ってか。アンタも知ってるでしょう? 当たり袋あげたんだから」


 トランたちの横で話を聞いていたリタルが、大して興味も示さず、淡々と言ってのけた。

 裏に『当たり』と書いてあるアイスの袋を、同商品を扱っている店に持っていくと、同じアイスをもう一本タダで貰う事が出来る。さらに当たりと書かれた袋を五袋集めて応募するとクリオネ五郎の抱き枕が抽選でプレゼントされる事から、前々からプレゼント目当てでグレープがちょくちょく購入していたのをリタルは知っていた。

 「べ、別にあんたのために買ったって訳じゃないわよっ ただ単に……今日は暑かったから……っ」などと、大して好きでもないアイスキャンディの当たり袋をグレープに差し出した事がある。それが周りに発覚し、散々突かれた苦い思い出が……つい、三日前の事だ。

 まぁ。集めているアイスを、誰であろう学園長からもらって、しかもそれが当たりだった……と言うのは、確かに運が良いと言えるかもしれない。

 が、事態はリタルが考えているような……そんな生易しい事柄ではなかった。


「えへへ。やっぱり当たりやすかったんですね、このアイス。おかげで……ほら。持ちきれないだろうって、お店の人が袋に入れてくれたのですよ」

「……? 持ちきれない……?」


 ニコニコと、手にしていたビニール袋の口を広げて見せたグレープ。


「じゃーん」


 中を覗いたトラン、クレープ。そして、リタルの目が点になる。

 紙袋の中身は――当たりくじ付きのアイスで溢れ返っていた。

 ちなみに、どれも袋口が開いていたりする。


「……グレープ?」

「はい?」

『これ全部、……アンタが当てたの?』

「はい、どうやら当たりやすかったみたいで」

「…………今日一日で? 本当に? これだけ全部? 少なくても、三十本以上はありそうだけど……」

「はい。実は最後のアイスも『当たり』だったのですが……袋一杯になったのでさすがに遠慮しました。でも、当たり袋がこれだけあれば、クリオネ五郎の抱き枕プレゼントに十回は応募出来るのですよ」

『って事は……連続五十回も当てたってワケ!?』

「…………は?」


 それまでうつらうつらと船を漕ぎつつ事の成り行きを傍観していたリチウムが、そこで初めて呻き声にも似た音を吐いて長身を起こした。


「ええ……そうですけど、でも驚く事はないですよ。リタルさんがおっしゃってたように、このアイス、当たりやすくって……」


 ですよね? と無邪気な笑顔に話を振られたリタル。こめかみを片手で抑えつつ、努めて冷静に声を吐く。


「……あのね。グレープ。『当たりやすい』とか『運がいい』とかの次元を越えて……奇跡の所業よ。そのアイス群は」

「……はい?」

『ドユコト……?』


 未だ事態が飲み込めていないのかキョトンとしたグレープの様子を見つつ、クレープが訝しげに呟く。


「確かに、当たり連続五十本ってのは……ちょっと普通じゃねぇよな」


 グレープに近寄ると、彼女が手にしている袋の口を長い人差し指で引き、中を覗き込むリチウム。整った顔を不快に歪ませ、再度呻いた。


「学園長のお咎めナシってのも負けじと妙よ。最初は、なんか怪しい理由でもあるんじゃないかって考えてたけど……」

『……運がいい、ねェ……?』

「う、ん……」


 一同に囲まれマジマジと顔を覗き込まれたグレープは慌てて胸の前で両手を振った。


「そ、そんな、みなさんを悩ませるような事では……! 今日はわたし、特別に運がよかったって、ただそれだけですよ……っ みなさんにだって今にきっと、いいことが起こりますよ……!」


 後ずさりしながらグレープが言い放った次の瞬間――インターホンと、電話のベルが同時に鳴った。


『こんちはー。宅配便ですけどー。印鑑もらえますかー?』

「あ、はーい。ただいま……」

「グレープちゃん、いいよ、俺が行く。グレープちゃんはアイス、冷凍庫に入れてきなよ」

「トランちゃん? 何か落としたわよ……って」

「ったくなんなのよこんな時に…………もしもし?」


 直後。事態は一転していた。

 慌てて印鑑を取りに走ったグレープは廊下で滑って転倒。助けようとその身体を受け止めたトランは、彼女と密着――偶然にも抱き合う形になる。

 そんな、直視していれば発狂してもおかしくない事態を、しかし、クレープが視界に入れる事はなかった。彼女は、リビングを去ったトランが落とした――裏に書かれてある文字から同僚に隠し撮りされたと思われるトランの居眠り写真を拾っては、うっとりと眺めていたのだ。(勿論くすねる気、満々である)

 リタルがとった電話は、彼女の功績を認め特別賞を贈りたいという某秘密組織からの申し出であり。

 届いた荷物は、リチウムが以前「運試し」と称して応募していた、当選枠はたったの一名という、懸賞の……それはそれは高価な品物だった。

 間も無くして。それぞれが緩みきった表情でリビングに再集結する。


「……なぁ」

「…………あぁ」

「ひょっとして、あのコの言うとおり、全員に起こったって訳……?」

『……「イイコト」ってヤツ?』


 そう。

 グレープが言葉を口にした直後。全員が全員。良いメを見たのだ。


『……………………』


 瞬間。ぐりんとグレープに再注目する一同。


「うわ……はい!?」


 細い肩をこれでもかと言う程に飛び上がらせたグレープ。


「リタル! 『魔眼』だ!」

「らじゃ!」


 リチウムのバリトンを受け、一歩前に出たリタル。返事とともに、彼女の手の甲――指貫きグローブに付いている黄緑色の石が発光する。

 リタルが所持している二つの禁術封石の内の一つ『魔眼』は、如何なる魔力も視覚で捕らえる事が出来る石だ。


「り、リタルさん……!?」

「…………だまって」


 煌々と輝く黄緑の光を右手に従えた状態で、グレープの姿を改めて見直したリタルは、


「…………………………」


 絶句して。

 そのまま、立ち尽くしてしまった。


「…………」

『……?』


 やがて『魔眼』の光が消え――その後もしばらくの間は、辛抱強く彼女の言葉を待っていた一同。


「………………どした?」


 痺れを切らしたリチウムが代表して、その小さな肩をぐいとゆする。

 と、リタルの身体はまるで木の枝のように、直立したまま真後ろにバターンとぶっ倒れてしまった。


「って、おい!?」

「リタルさん!?」

「い……っ だ、大丈夫かリタル!」

『ちょっとチビガキ? どうしたってのよ』


 それぞれが声を上げ、クレープが半透明の細い指で突っつく……と同時に――つまりは、倒れた一瞬後にリタルは覚醒する。

 即座に立ち上がって周りをびびらせると、リタルはグレープに向かって発狂した。


「グレープぅうううう!!」

「は、はいぃ!」


 その迫力に怯えて、一瞬で壁際まで下がるグレープ。


「あぁぁあ、あんた!! い、今から喋んじゃないわよ……!?」

「は、はい!」

「だから! 喋るなっつうのぉおおおおー!!」

「…………っ」


 自身の口を慌てて両手で塞ぐと、グレープは全力でコクコクと頷いた。その赤い瞳は涙目で完全に怯えきっている。


『……ナニゴト? 一体』

「おいリタル。何怒鳴ってんだよ?」


 グレープを庇うように二人の間に立ったトラン。非難の声をあげるも……、


「い………っ」


 完全に目の据わった十一歳の少女のその迫力に、グレープ同様、思わず後ずさりしてしまう。


「……ナニカ……ナニカ口ヲ塞グモノ……ソウダ……トリアエズがむてーぷ………」

「って、おいリタル。何ブツブツ言ってンだ?」

「止メナイデりちうむ……世界ノ存続ノ為ヨ……」

「…………は?」


 怪訝な表情を浮かべるリチウム。

 声に彼を振り返り、しばらくその顔を見上げていたリタルは――その一瞬で正気に戻ったのか、エメラルドの大きな瞳に普段の強い光を戻した。


「……リタル?」

「………………今日」


 彼女にしてみれば驚く程低く、小さな声だった。


「……あン?」

「…………グレープの目の前で破損した禁術封石の名前は、ね? ……『真実の口』……って、いうの」


 リチウムと、それからクレープの表情が、途端、険しいモノになる。


「し、シンジツの……!」

『……くちぃ?』


 トランだけが、訳も解らずポカンと口を開けて彼らの反応を見ていた。

 リチウム達の鸚鵡返しに神妙な面持ちで頷くリタル。


「………………、 ……は、あははは。お、俺様は騙されねぇぞ? だっておまえ、全部……レプリカだった……っつってたじゃねぇか…………」

「…………」


 引き攣った笑みを浮かべるリチウムに対し、瞳に宿らせた険を解かないリタル。その表情に、リチウムの顔色がいよいよ蒼白になってゆく。


「………………まじ?」

『…………』

「………………」

「って、なんなんだよ? おまえら急にどうしたっていうんだ? 壊れた禁術封石がレプリカじゃなくて『シンジツノクチ』って言う石で…………それが一体、なんだって言うんだよ?」


 一人――いや、両手で口を塞いだままのグレープと同じく、困惑の表情を浮かべるトラン。

 リタルはそちらを見遣ると、


「……百聞は一見にしかずってね」


 ツカツカと大股でトラン達に歩み寄った。


「お、おい…………?」

「手っ取り早く。見せてあげるわよ」


 頬に一筋の汗を流して呟けば、トランの横を素通りするリタル。グレープの前に立った。


「…………?」

「グレープ。あたしの言う事を復唱してみて」


 困惑顔のまま、それでも頷いてみせるグレープ。リタルはそれを見届けた後、しばらく視線を宙に漂わせると、とある言葉をグレープに囁く。益々眉を潜めるグレープ。さっぱり訳が解らないといった感じだ。


「ほら。早く」


 冷徹な声に、それが冗談ではないと悟ると、グレープが……やはり戸惑いながらではあるが、リタルの言葉を復唱する。


「……え、えと…………ふ、『ふとんが吹っ飛んだ』!」


 「へ?」と、トランがクビを傾げようとした、その直後。どこからともなく聞こえてきた――いや、響いたその大音量はとにかく凄まじかった。

 重く、それでいて柔らかな大柄の何かが、世界中で一斉に、思いっきりジャンプして着地したような、そんな地響き。

 それはすぐ近辺――一同が居るリビングに面したリチウムの私室からも聞こえてきた。


「…………」


 無言のままリチウムが私室の扉を開けると――


「…………」

「………………」

『………………』

「…………」


 ――その惨状を目の前にして、今度こそ例外なく絶句してしまった一同。


「『真実の口』っていう名の禁術封石は、ストーンハンターの間はかなり有名よ。それこそ、その名を知らぬハンターなんて存在しないっていう、伝説……というよりは都市伝説じみた話ね。

 どの話も似たり寄ったりなんだけど……共通しているのが、

 『この世界フロースのどこかに、口にした事ならどんな願い事でも無制限に叶えてくれる石がある』って言う。

 不幸だった主人公がそれを手にした直後、望む総てを手に入れてこの世の天国を見たり、はたまた身勝手な主人公の言動一つで簡単に世界が滅びたりと、まぁ……普通に考えたらとても在り得ないような、如何にも子供が好きそうな夢のあるムカシバナシ…………って今の今まで思ってたんだけど…………そんなハタ迷惑な石がまさか、本当に実在していたなんて……夢にも思わなかったわ……」

「…………ってか、なんで『真実の口』がアイオンなんかに飾ってあるんだ……」


 青ざめた表情のリタルの後ろで、呆然と独り言のように呟くリチウム。


『……ガキどもがオイタして粉々になった禁術封石ってのが「真実の口」っつったわね……? その現場の目前にグレープが居て。で、今。こうなってるって事は……』

「ええ。事態は恐らく、あんたの想像するとおりよ。クレープ。

 ……グレープ。あんた大方、責任とらされるハメになるナカGを「きっと、ただの世間話ですよ」なんつって励ましたり。どこかで、キャラクターの抱き枕が欲しい、当たり袋が五十枚もあれば絶対に当たるに違いない……とかなんとか、口にしたんでしょう。……違う?」


 思い当たる節でもあったのか。グレープが赤い瞳を僅かに見開く。そのまま口を開こうとして……慌てて両手で塞いだ。

 リタルはそれを見届けると、極めて冷静に、努めてゆっくりと、一同に告げる。


「……今、グレープの身体には『真実の口』の粉塵がついてる。

 グレープの、あらゆる魔石を暴走させてしまうっていう……特殊な体質については全員、知ってのとおりでしょう?

 グレープは今、たった一言でこの世界フロースを、天国にも……地獄にだって塗り替える事が出来るのよ。……いいえ。魔石の魔力を石の破壊に至らしめるまでに暴走させるグレープだもの。そんなことじゃすまないかもしれない。聞いたところによると『真実の口』っていうのは、所持者の言葉を真実にする禁術封石らしいけど……それが粉々になっている上に、所持者はグレープ。話に聞く以上のどんなハタ迷惑な作用が出てもおかしくはない。……もしかしたら、近くに居るあたしたちだって、それは例外じゃない、……かもしれないわよ」


 リタルの言葉に、その場に居た全員が青ざめた表情のまま、ゴクリと喉を鳴らすのだった。


 3


「…………出てきたみたいね」


 いささか疲れた顔で呟くと、ソファから立ち上がって部屋の入口に向き直ったリタル。

 ――あれから。一同は現状把握の為、実験めいた事を繰り返した。どうにかして『真実の口』を無効化できないか。全員で思いつくままに意見を出し合ってみた。

 まず。グレープの側で各々、軽く言葉を吐いてみた。

 ……が、特に何も起こらない。


「どうやら最悪の事態は間逃れたようだな。都市伝説どおり、グレープの言葉にしか反応しないらしい」

「一先ず、よかった…………」

『はぁ……これでフツーに喋れるわ……』

「しかし。グレープに関しては、願い事だけじゃなくて、断定言語や希望的な言葉にすら謙虚に反応して、叶えちまうみてぇだ」

「…………」

『……見境いないわね』

「ンじゃ。次よ」


 バリアやらシールドやら、魔力を防いだり跳ね返す系統の魔石を次々と発動させ、その魔力でグレープを覆う。


「いいわよグレープ!」

「は、はい! え、えっと……! ……ね、猫を被る!!」


 にゃあ!

 ――ぼて。


「い……っ」


 にゃあ にゃあ!

 ――ぼて。


「む」


 トランと、リチウムの頭の上に猫が落ちてきた。


『……これもダメっと』


 にゃあ。

 半透明の身体をすり抜けて床に着地した猫をクレープがジト目で眺める。


「……ンじゃ!! 最後の手段よ……!」


 子猫を頭の上に乗せたまま、リタルが拳を掲げた。




 ――そして。今に至る。

 最後の手段――シャワーを浴びたグレープが、戸を開けておずおずと一同の前に現れた。

 いつも以上にしっとりとした白肌、濡れた髪。彼女の身から仄かに漂う甘い香り……その際、若干一名。喉を鳴らした者が居たが、全員から「この非常時に!」と袋叩きにあった事を明記しておく。


「……それじゃグレープ。試しに何か言ってみてよ」


 腕を組んだリタルがグレープを見上げた。

 ――試しにって、何を言えば。

 紙に書いて、掲げるグレープ。


「なんでもいいわよ。…………世界滅亡とか、リタルちゃんが禿になるとか、そんなんじゃなければね……!」


 グレープは困った顔でしばらく思案していたが、その内何かを思いついたようで、両目を固く瞑って開口した。


「た、棚からボタモチぃ!!」

「……? なんか、暗くない…………?」


 ――ずどーん……。


 次の瞬間。哀れトランは棚から落ちてきた巨大ボタモチの下に沈んだ。


『……トランちゃん……!? トランちゃん、返事して……! いやぁ! アタシを残して逝かないで! とらんちゃぁあああーん!!』


 ボタモチの下から力なく伸びた一本の腕に縋り、クレープが号泣する。


「…………悲惨ね」

「……俺様嫌だ……こんな最期…………」


 巨大ボタモチの下敷きとなった、かつての仲間。死に顔すら拝めなかった、世にも間抜けな男の最期に両手を合わせつつ、聳え立つボタモチを見上げ青ざめる一同――


「って、こんなんで死んでたまるかぁああああ!!」


 叫び声とともに、トランの禁術封石『炎帝』が発動。瞬間、巨大ボタモチがバーニングする。


「あ。生きてた」

「残念」

『トランちゃん!』


 ボタモチ焼失後、香ばしい匂いがたちこめる中で、肩で息をしているトランにクレープが抱きついた。


 ――すみません、トランさん!

「あーいいっていいって。……生きてたし」

「……冗談抜きで。打ち所が悪けりゃ逝ってたわよ。あんた」

「ぞぞ……」

『ってコトは何? シャワーじゃ「真実の口」の粉塵は落しきれなかったってコト?』


 絶句してしまったトランの身体に未だくっついているクレープが、珍しく深刻な表情でリタルを振り返る。


「みたい」

『どうすんのよ……?』


 黙りこくってしまった一同。

 シャワーでも落ちない『真実の口』の粉塵を、一体どうやって落せばよいのか。


『「全自動人間洗い機」でも造ってあげれば?』

「クレープ、おまえなぁ……」

「『真実の口』を完全に落す前に、息がもたなくて死ぬわよグレープ」

「…………」


 ――いつからか。

 すすり泣く声が室内に響く。


「グレープちゃん……」


 トランが心配そうにグレープを見つめた。

 懸命に涙を堪えているグレープ。が、それでも溢れ出た雫が一筋、なだらかな頬を伝うと、堪えきれずにうつむいてしまった。


「…………うぅ……、またみなさんに迷惑かけてしまって……とても申し訳ない……情けないです……っ」

「……グレープ」


 悔しげな涙声に一同、胸を打たれた。

 リタルでさえも、あふれ出てくるその鈴音を止めようとはしない。


「今朝は……とてもよく晴れていて……とても、いい日になるって、そんな予感がしていたのに……まさかこんな事になってしまうなんて……っ」


 ぽたぽたと、絨毯に吸い込まれてゆく、数滴の雫。


「……いっそこれが……夢だったなら……どんなによいか……っ」


 ――チュン……チュンチュン……


「…………」


 穏やかな朝の日差しが、窓の外から差し込む。


「………………」


 爽やかな風が、室内に流れ込んだ。


『…………』


 ――チュン チュン……


「…………」

「………………」


 速やかに身支度を整えた一同が、仏頂面で1号室のリビングに集結する。

 テレビから流れる朝のニュース番組。

 慌しい時間を、嬉々とした鼻歌がキッチンからこちらへ近づいてくる。

 やがて、朝の空気に似つかわしい爽やかな笑顔が静まり返った場へ顔を出した。


「……あ、みなさん。おはようございます! 今日は早いですね……うあ。リチウムさんまで起きていらっしゃるなんて……感激です……っ」


 無言の一同の前に、幾つかの朝刊を両手に抱えたエプロン姿のグレープが現れる。

 一同の無機質な視線の中、新聞をテーブルの上に並べていく……と。そういえば、と彼女は楽しげに告げた。


「実はわたし、すごく恐い夢を見まして、今日は少し目覚めが悪かったんです。……でも、嫌な夢って人に言えば逆夢になるとも言いますよね。こんなに晴れてるし、今日はなんだか、とてもいい一日になりそうな気がしま…………!」

『んな訳、あるかぁああああああぁあぁああああ!!』

「きゃああ!」


 全員の物凄い剣幕にグレープが飛ばされる。


「グレープ! あんたねぇ……!」

「す、すみませぇええん! 出来る事なら夢オチにしたかったんですぅ……!」

「すみません、で済むか!!」

「ったくもぉおおお! あんたってコはぁああ!」

「……まぁ、気持ちは解らなくもないけどね……」

『――ってちょっと待って!』


 クレープの大声に、一同の動きがピタっと止まる。


「なんだよ? クレープ」

『グレープ! 夢オチよ! 夢オチ!』


 クレープはグレープに飛びつくと、ルビーの瞳を輝かせて目前にある同じ顔を覗き込んだ。


「…………はい?」

『アンタが言ってた通り、さっきまでの事って全部夢ってコトになったのヨね!?』

「は、はい……そのようです。どうやら時間が今朝まで遡ってるみたいですね……」

『ってコトはさ! 今日の昼間の事だって……! アンタが「真実の口」の粉を引っ被ったコトも、夢! ナシって事になったンじゃない!?』

「…………っ」

「……あ!」

「そうか!」

「グレープちゃん……! やったよ……!!」


 クレープの言葉に全員、輝くような笑顔を浮かべてグレープを見た。


「…………みなさん……!」


 一同の笑顔に囲まれ、グレープは瞳を潤ませる。感激の面持ちで両手を胸の前で組んだ。


「じゃあ……、じゃあわたし……もう普通にお話してもいいんですね? 何を話しても、もう大丈夫なんですね……!?」

「……っ」

「…………え……っと……どうなの?」

「いや、グレープ。……ちょい待て」

『……念の為、実験しといたほーが……』


 途端に青ざめる一同。だが、もはやグレープの勢いは止まらなかった。


「聞いてください! 実はわたし、さっき朝ごはん作りながら考えていた事があったんです! もし事態を知らずにわたしがコンナ事を口にしていたらきっと、謝っても許してもらえなかっただろうなって。でも、実現したらきっとみなさん可愛らしい事になってたと思うんですよ? あのですね、みなさんが…………!」


 ――チュン チュンチュン……


「こんなのあんまりよ! あんまりだわぁあああ!!」

「泣くなリタル! 泣きたいのはおまえだけじゃねぇ!!」


 エメラルドの瞳をした白っぽいナニカを、青の瞳の白っぽいナニカが諫めた。


「……これって、もしかして…………」

『そうよ、トランチャン……アレよ、アレ…………』


 半透明の白っぽいナニカが、その赤の瞳で床の上の――長い間放置され、解けかかったアイスの袋を指す。

 白っぽいナニカが黒い目を瞬かせて見ると、指された袋にはクリオネを模ったすっ呆けた目のキャラクター「クリオネ五郎」が描かれてある。

 そう。今や彼らは全員、宙を漂う小さな小さなクリオネだった。


「こんな姿でこの先一生を過ごさなきゃならないなんて、絶対にいやぁあああああー!!」


 流氷の天使と化してしまった四匹は、グレープの周りで必死に漂流を続ける。

 懸命に、口々に叫ぶも、当の本人にその小さすぎる声が届く事はなく。

 目前から仲間達が消えてしまった事を不思議に思ったか、グレープはキョトンとした顔で首を傾げるのみであった。


「…………あれ?」


 愛しい仲間達の姿を求めて街中を散々放浪するグレープが、ようやく事態に気づき「総て元通り」と「禁術封石『真実の口』の存在の消失」の発言を思いつくまで、実に後半日という時間を要するのだった。

 合掌。


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