その3
翌朝、セシルの実家ーーエトワール男爵家はいつも通りの朝を迎えていた。
窓の隙間からは柔らかい光が差し込んでいる。
カタカタと風で揺れる古い窓枠の隙間からは隣家で植えられている花の香りが微かに流れ込む。
セシルは薄い布団を端に寄せて、慎重に古い寝台から降りる。
そして擦り切れた寝間着を脱ぐ。
(昨日の方は一体なんだったのだろうか…?ものすごくカッコ良かったけど、かなり怖かったな…)
着替えながら、セシルは前日のことをぼんやりとした頭で思い出す。
ぶつかりそうになって助けてくれたけど、『とろくさい』『貧乏』と面と向かって暴言を吐いてきたイケメン。
名前を聞かれたから、自分の不手際について苦情を入れられるのだろうと覚悟していたが、全くそんなことはなく。
親戚からは何も言われないまま、きちんとお給金も貰えた。
「よし、今日は昨日みたいなミスしないで、お仕事頑張るぞ…!」
セシルは頬をパンパンと叩いて気合を入れると、色褪せと継ぎ当てが目立つ服を整えた。
胸元には唯一の誇りである古い家紋のブローチが光っている。
朝ごはんを食べにダイニングルームへ向かおうと、自室の扉を開けたその時だった。
「セシル様ぁぁぁあああ!! た、大変ですーっ!!」
メイドのカリナが血相を変えて走り込んでくる。
「ど、どうしたの⁉︎カリナ⁉︎」
「い、今、セシル様の…、婚約者だと名乗る方がっ‼︎」
「えっ⁉︎誰それ⁉︎俺、婚約者なんていないよ⁉︎」
「ですよねっ!でも、いらっしゃるんです‼︎玄関前に‼︎しかもものすっごいイケメンなんですよっ‼︎」
「イ、イケメン?」
セシルはまさかと思い、玄関へと急いで向かう。
すると、そこに立っていたのは昨日のパーティーで出会ったあの変なイケメンだった。
黒髪、金瞳、彫刻のような整った横顔。
身に纏う黒のジャケットは高級な仕立てだが、決して嫌味はない。
ただただ彼を際立たせている。
光の角度によるのか、それとも彼自身が光源なのか。
セシルには後光が差して見える。
「き、昨日の…!どうして俺の家を…!」
「エトワール男爵家の者だと言っていただろう?」
「た、確かにそうですけど…。というか、あなたは一体…?」
「俺はオーディス・ヴェルナーだ」
「え、えっと、ヴェルナー様はな、なぜ我が家へいらっしゃったのですか…?」
「理由を言う必要があるか?」
「あります‼︎めっちゃあります‼︎」
「お前を迎えに来た」
「えっっ⁉︎」
セシルは瞬きした。
それから分かりやすく茹で蛸のように真っ赤になる。
(『お前を迎えに来た』ってなんかロマンス小説みたい…。…って違う、この人、昨日の俺の不手際を責めに来たのかー‼︎婚約者って嘘言ったのも俺を逃さずに呼びつけるためかー‼︎)
セシルの顔色は慌ただしく、赤から青へと変貌していく。
「あ、あの我が家は見ての通りのオンボロでして…、払えるお金など一銭もありませんゆえ…」
「関係ない。俺はお前を正式に娶るつもりで来た」
「…え?」
セシルの思考は完全に止まった。
そして動いた瞬間。
「は、はいーっ⁉︎めっ、めとる…?あっ、あっ、あわ…、あわわっ‼︎」
セシルは完全にパニックである。
その時、セシルの母と妹たちがわらわらと集まってきた。
「どうしたの、セシル⁉︎って、え⁉︎イケメン⁉︎やだ、私ったらこんな寝間着で出てきてしまったわ!」
「こんなオンボロ屋敷に国宝が現れたわっ…!」
「うわー!イケメンって光るんだっ!」
セシルの母と妹たちはセシルを押し退けて、玄関できゃーきゃーとオーディス相手に騒ぎ出す。
異変に気付いたセシルの父がここでようやく急いでやってくる。
「どうした、お前たち!何かあったのか!…へ?ヴェルナー伯爵様?なぜ我が家に?」
「セシルを俺の婚約者として迎えに来た」
オーディスの一言にセシルの家族はぽかんと口を開ける。
「「「「こ、こ、婚約者ーっ⁉︎」」」」
「セシル、早く支度をしろ」
「俺、まだ返事もしていないのに!強引すぎますよ‼︎」
セシルが両手で顔を覆って叫ぶ。
しかしながら、オーディスは表情1つ変えずに淡々と続ける。
「強引か?だが、お前に婚約者がいないこと、そして婚約者を探していることは確認済みだ」
「うぅ…。そうですよ!全然モテませんよ!悪かったですね!」
「それでも俺はお前が欲しい」
「ぴゃっ」
オーディスの金瞳はセシルを射抜く。
セシルの耳が真っ赤に染まり、その場にしゃがみ込んで小動物のようにぷるぷる震える。
「「「「きゃぁぁぁあああ‼︎」」」」
オーディスの告白にセシルの家族は口元を両手で押さえながら歓声を上げる。
母・妹たちはもちろん、父ですら、頬は熱く、目は潤み、まるで自分がプロポーズされたかのような錯覚に包まれている。
あな、イケメン恐ろしや。
「セシル。お前が嫌と言っても、俺は諦めない」
「ひ、ひぇっ…!」
「いくら時間をかけてもいい。ゆっくりでいい。だが…」
オーディスは静かに、しかし圧倒的な熱を持って告げる。
「必ず俺の隣に来い」
その声音は甘くない。
決して優しくもない。
だが、確かに真っ直ぐで誠実だった。
「セシルはこの通り貧乏貴族の次男でございますが…」
「構わない」
セシルの父の問いにオーディスは頷く。
「セシルはおっちょこちょいでドジな子でございますが…」
「構わない」
続いて、セシルの母の問いにもオーディスは頷く。
「セシルお兄様はお勉強もダンスもお料理もお洗濯も得意ではありませんが…」
「構わない」
「セシルお兄様は癖っ毛が酷くて、いっつもふわふわしていますが…」
「構わない。セシルを妻にしたいという気持ちは変わらない」
なんかすっっごく悪口言われてない?と、セシルは思いつつも皆思い当たる節のあることだったので黙っておく。
だが、自分の短所を挙げられてもなお、一切顔色を変えないオーディスをセシルは嬉しく思う。
オーディスはセシルの前に膝をつき、そっと片手を差し出した。
「どうだ?俺と婚約しないか?」
セシルは胸元でぎゅっと両手を握る。
「…そんな風に言われたら、断れないじゃないですか」
「そうか」
オーディスは満足そうに微笑んだ。
破壊力が高すぎる、国宝級の微笑みである。
「あまりにイケメンすぎる…‼︎」
「…イケメン、か。あまり顔立ちのことを気にしたことはなかったが、お前に言われると嬉しいものだな」
不意にオーディスの目が緩む。
「もっと言え」
「えっ!?」
「俺はイケメンだと。お前の口で言った方が…、効く」
「ど、どういう性癖してるんですか⁉︎ヴェルナー伯爵様⁉︎」
「性癖?俺は至って普通だ」
「え、えぇぇぇ…‼︎俺、これからどうなるの…?」
セシルは青ざめた。
だが、その一方で。
(でも…、ちょっと、ちょっとだけなんだかドキドキする…)
セシルの中で小さな想いが胸をくすぐっていたことには本人はまだ気付いていない。




