カビ
その背がみえなくなり、ようやく息をつき、ひとつだけ渡さなかった《天女の》梅干しの壺を棚からだし、蓋をあける。
あの薬売りは今年漬けたばかりのものも、持って行ってしまった。どうやら梅干しの味は関係ないらしい。
残したのは、いちばん古く漬かっている、お殿様がほめてくれた梅干しの壺だった。
いくら《天女の梅の木》の実だといっても、年によって実の味には差がある。
だから、お殿様のところへ持ってゆくときには、漬けた年がちがうものをみっつ、もってゆくようにしていた。
―― この、いちばんうまい本物の梅干しをひとつと、ふつうの梅干しをふたつ
それならば、しばらくごまかせるだろうか?
梅干しをカビさせた、などと言って、いただいた金を返すだけで済むだろうか?
しかも、《薬売り》がいったとおり《天女の梅の木》がそろそろ終わるなら、この先の梅干しはもう納められないことも伝えねばならない。
「 ・・・・そんなこと・・・いえるのか・・・?」
あの、お城の、あの、大きな広間で、こんな身分の者は本当ならばはいれないそこで、御簾越しとはいえ、お殿様は梅干しをほめ、これのおかげでだいぶ楽になったとまで言ってくださり、これからも世話になるぞ、とわらうのを、そばできいていた年寄のかたが涙をこらえるように何度もうなずき、かえりぎわには、頭までさげて・・・・
「 ・・・いえぬ・・・・ 」
がばりと、もういちど手元にのこした本物の梅干しをのぞき、かぞえてみる。
ひい ふう みい よお いつ むう ・・・
まだ、二月ちかくはもつだろう。
そうだ、普通の梅干しでも、たしか当たり年があって、味もよく数も多くて、二つにわけてつくったものが・・・
棚の上のほうに、わかるように縄でつなげた壺がふたつある。縄をぬいてひとつを取り上げて板の間におろした。
この梅干しもうまく漬かり、できは上々で・・・
「 ・・・・う・・・ 」
蓋をあけてのぞいた中が、 ―― 白い。
「 ・・・そ、そんなっ、そんなわけ、 」
実の洗いだって天日当てだって気をつけて、塩だって惜しげもなくつかっている。
つかみだした梅干しのさらにその下にも、ほかのいやな色のカビがしっかりとのこらずついている。
あわてて、縄でつながっていたもうひとつをとりだしあけてみる。
しろい
「 ・・・そ・・・」
ついで、隣にあった壺もとりだしあけ、その下の段の棚にある壺、さらに下の段、その下の ――
「 ・・・ぜんぶ・・・・やられた・・・・ 」
台所の板の間にならべおき、すべて蓋をあけてみた壺、すべてにカビがついていた。
カビがないのは、本物の梅干しの壺、ひとつのみ。




