赤き実、熟して落つ
秋の終わり、フィサロンの空は曇りがちで、庭園の果実は濃い紅に染まり、熟れて落ちるのを待っていた。
王家の儀式と婚約の発表に伴い、各地の有力貴族たちが首都セラフィエに集うなか、
アロンの前に――数年ぶりに、あの少女が姿を現した。
アルレシャ。
かつて庭園で花を贈った従妹。
栗色の髪と快活な声。
少年だったアロンが「好き」という気持ちを、初めて知った相手。
「……久しぶりね、アロン」
アルレシャは変わらぬ声でそう言った。だが、背は伸び、頬の輪郭は引き締まり、目元には少女らしさよりも聡さと遠慮が浮かんでいた。
「……うん。来てくれて、ありがとう」
会話は滑らかではなかった。
過ぎた時間が、二人の間に埋まらぬ静寂を敷いていた。
場所は、宮廷庭園の奥、かつてアロンが押し花を渡した、あの小さな東屋の下。
「わたし、婚約の話を聞いた時……お祝いの言葉をすぐに伝えた方がいいと思った。でも、ずっと迷ってたの。言葉にできなかった」
「……なぜ?」
「たぶん、私が少し子供だったから。
あの頃の私にとって、あなたの気持ちは“秘密の贈り物”みたいだった。
うれしくて、でもどう返せばいいかわからなくて。
そのうち遠くに行って、距離ができて……気づけば季節が過ぎていた」
アロンは黙って聞いていた。
自分の中の幼い恋心が、こうして正面から差し出されることを、どこかで望んでいたのかもしれない。
だが、アルレシャの言葉にはやさしさがあった――終わらせるためのやさしさが。
「アロン。あなたは王になるの。
そしてイレーネ姉さまは、きっとこの国にとって最良の王妃になるわ。
私には、もうわかるの。二人は“そうなるために生まれてきた”んだって」
「……アルレシャ」
「あなたの恋は、あたしがもらったわ。
でも、あたしはそれを、いまここで返すの」
アルレシャは懐から小さな包みを取り出した。
それは、かつてアロンが彼女に贈った押し花だった。
長く、時間の重みを背負った花弁は、少し色褪せていたけれど、きちんと保存されていた。
「これは、わたしの宝物だった。
でも、これからのあなたの歩む道には――いらないでしょう?」
アロンは、その小さな包みを受け取った。
手のひらにのるそれは軽かったが、その意味はあまりに重かった。
風が吹き、赤い実がひとつ、枝から落ちた。
静かな音を立てて、地面に触れたその瞬間、アロンはようやく微笑んだ。
「ありがとう。……アルレシャ」
彼の胸にあった恋は、確かにそこにあった。
それは嘘ではないし、消えることもない。
けれど、それは今、静かに終わりを迎えた。
少年の恋が、王となる少年を見送り、跡を残して過去になった。
そしてアロンは、包みを胸にしまい、歩き出した。
待っているのは、婚礼の儀。
その隣には、イレーネがいる。
血の契り。
神の意志。
そして――まだ知らぬ、未来の愛。
恋は終わった。
だが、愛の物語はこれから始まる。