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カノジョ ト ドウテイ

今日も今日とて、人生に疲れた社畜がため息から始まる朝。29歳、童貞、彼女なし。


そんな俺のささやかな楽しみは、通勤中にソシャゲのログインボーナスを掻き集めることだ。

実家の心配性な母からの連絡に頭を悩ませつつ、いつも通り満員電車に揺られるはずだった。


だが、その日を境に、俺の日常はカオスへと変貌する。


突如背中を押され、線路へと突き落とされた俺を待っていたのは、まさかの異世界転生と、自らを『神』と名乗るご都合主義な存在だった。しかも与えられた能力は、世界そのものを書き換える『因果律の操作』というチート級。『世界を楽しめ』と一方的に言い放つ神。

静かに暮らしたいという俺の願いは叶うのか? それとも、チート能力を押し付けられ、怪異が跋扈する和風異世界で奔走する運命なのか?


これは、元陰キャ童貞が、不本意ながらも異世界で因果を紡ぎ、

怪異を解決しながら、新たな人生と居場所を見つけていく物語――。


ただし、童貞は継続中かもしれない。

 久しぶりの勉強で疲労困憊の紡は、カイを連れて管理局の食堂へ向かった。

夕食時だったため食堂には多くの職員がいた。皆、先ほど教えてもらった能力を基にした独自の制服を着ており、管理局の規模の大きさを感じさせる。


 食事を終え、カイと散歩でもしようかと考えていたその時。食堂の入り口に、まるで絵から抜け出してきたかのような少女が現れた。


 彼女は、ふわりとした薄紫色の長髪をポニーテールに結び、透明感のある白い肌に、桜色の唇が柔らかく微笑んでいた。

大きな瞳は翡翠のような美しい緑色をしており、光を反射してキラキラと輝いている。

 管理局の制服だろうか、純白のワンピースタイプの制服は、彼女の華奢な体にぴったりとフィットし、清潔感と可憐さを際立たせていた。

 胸元には管理局の紋章であろうか、銀色の花のようなブローチが飾られている。年齢は紡とそう変わらないか、少し年下に見える。


(うわ…なんだ、この美少女は……! い、異世界に来て初めての、美少女!)


 紡は思わず見惚れてしまった。食堂の喧騒が遠のき、まるでスローモーションのように彼女がこちらに向かって歩いてくる。


 その少女は紡のすぐ近くのテーブルに座ると、小さくため息をついた。

「はぁ、またこれかぁ……」

目の前には、具材がほとんど入っていないような質素なカレーライスがあった。どうやら彼女も管理局の職員らしい。


「あの……何か困ってますか?」

紡は気づけば声をかけていた。


 翡翠の瞳を紡に向け、少し驚いたように目を見開いた。

「え? あ、うん……。いっつもこうなんだよね〜。管理局の予算がカツカツで、特に末端の職員は食事もこんなんになることばっかりでさ」

彼女は困ったように微笑んだ。その笑顔は、どこか諦めを含んでいるように見えた。


「はは……そうなんだね」

紡は苦笑した。異世界でも予算不足は深刻らしい。


 その時、カイが彼女の足元に駆け寄り、「クゥン」と甘えたような声を上げた。

彼女は驚いたようにカイを見ると、すぐに顔をほころばせた。


「あぁ~、可愛いワンちゃん! 迷子かな?」

彼女は優しくカイの頭を撫でた。カイは尻尾をブンブン振り、彼女の手に顔を擦り寄せた。


「いや、俺が拾ったんだよ。それで今日から飼うことにしたんだ。名前はカイってつけたんだ」

紡は少し得意げに言った。


「カイちゃん! ふふっ、可愛い名前だね」

彼女は嬉しそうに微笑んだ。その笑顔は食堂の質素な光景を、一瞬にして明るく照らすようだった。


「あっ、ごめんね……自己紹介がまだだったね。私、管理局の調査員をしている朔月 凪(さつき なぎ)って言います!あなたは……?」

朔月は紡に、にこやかに手を差し伸べた。その手は、まるで雪のように白く、しなやかだった。


「あっ、俺は杜野紡です。えっと…今日からここで世話になることになりました」

紡は戸惑いながらも朔月の手を握り返した。彼女の手のひらは想像以上に柔らかく、温かかった。


「そうなんだね! よろしくね、杜野さん!」

朔月はパチンとウィンクした。その仕草に、紡は不意打ちを食らったように心臓を跳ねさせた。


「ねぇねぇ、杜野さん、だとちょっと呼びにくいから、あだ名で呼んでもいい?」

朔月は首を少し傾げ、上目遣いで尋ねた。その仕草に紡の心臓はドキンと跳ねた。


(あ、あだ名!? 美少女にあだ名!? なんだこれ!? これはもしかして、異世界ハーレム展開の序章ってやつか!?)

(いやいや、落ち着け俺。童貞特有の早とちりだ、きっとそうだ!)


 紡の顔は、みるみるうちに赤くなった。頭の中では天使と悪魔が激しく議論を始めた。

(「いや、ここは『紡』って呼び捨てで!とか言ってみろよ!」)悪魔が囁く。

(「バカ! そんなことしたら引かれるだろ! 無難に『杜野くん』で十分だ!」)天使が叫ぶ。


「え、あ、その……べ、別に、どうでも、いえ、なんでも……」

紡はしどろもどろになり視線を泳がせた。完全に挙動不審だ。


 朔月はそんな紡の様子を見て、くすりと笑った。

「ふふ、じゃあ……ツムくん、って呼んでもいい? なんとなく可愛らしい響きで、杜野さんにぴったりな気がして!」


「ツム、くん……!?」

紡の思考は完全に停止した。美少女に「ツムくん」と呼ばれた衝撃は、彼にとって耐えがたいものだった。顔から火が出そうなほど熱くなった。


(や、やべぇ……可愛すぎるだろこの呼び方! ツムくんって……)

(まるで小学生の時、隣の席の女子に呼ばれてたあの甘酸っぱいあだ名みたいじゃねーか! いや、美少女に呼ばれるとこんなに破壊力があるとは……!)


「だ、ダメだった、かな……?」

朔月が少し不安げな表情をすると、紡は慌ててブンブンと首を振った。


「い、いえ! だ、大丈夫です! ツムくん、で……!」

もはや抵抗する気力は残っていなかった。彼の頭の中は「ツムくん」の響きでいっぱだった。


「ふふっ、ありがとう、ツムくん!」

朔月は満面の笑みを向けた。その笑顔は食堂の質素な光景を、一瞬にして明るく照らすようだった。


「あの、もし良ければ、なんだけど……俺、さっき食事を済ませたばかりで、まだ少し余裕があるから、もしよかったら、これで……」

紡は自分の財布から、少額のこの世界の通貨を取り出した。神が転生時に用意してくれた幾ばくもないお金だったが紡は差し出した。


 朔月は目を丸くした。

「え? いいの、こんなに……?」

彼女の瞳が、少しだけ潤んでいるように見えた。


「うん、もちろん。お礼と言っちゃなんだけど、この犬のこと、さっき警備員に聞いても全然取り合ってくれなくてさ…」

「そしたら、ここに来たら君と会えたから…」

紡は、自分が管理局に拘束されている身であることを伏せつつ、適当な理由をつけた。


「ありがとう、ツムくん! とっても助かるよ!」

朔月は深々と頭を下げた。その姿は、まるで可憐な花が風に揺れているかのようだった。


 紡は少し気恥ずかしくなった。

「いや、そんな。気にしないで…ください。困った時はお互い様って言うし…」

(やべ、俺、今、めちゃくちゃカッコいいこと言ったんじゃないか? いや、そんなことないか……普通の善意だ、善意)


 朔月は紡からもらったお金を手に、再びカウンターに向かった。

少しすると、具材が増えたカレーライスを持って戻ってきた。その顔は先ほどとは見違えるほど明るい。


「ツムくんのおかげだ! 本当にありがとう!」

朔月は本当に嬉しそうに微笑んだ。


 そんな穏やかな時間が流れる中、紡はふと、食堂の奥で食事をしている石凝と烏賀陽の姿に気づいた。

彼らのテーブルには豪勢な肉料理が並んでいる。管理局の予算がカツカツで、末端職員は質素な食事、という朔月の言葉が脳裏をよぎった。


(おいおい、室長と補佐はめちゃくちゃ良いもの食ってんじゃねーか! これが格差社会ってやつかよ! せっかくヒロインと良い雰囲気になってたのに台無しじゃねーか!)


 紡は心の中で叫んだ。理不尽さに拳を握りそうになったその時、朔月が小さく口を開いた。


「あのね、ツムくん」

彼女の声は、先ほどの明るさとは打って変わって、重い口調で紡に語りかけた。

朔月は迷うように視線を泳がせた後、一つ息を吸い込み、意を決したように口を開いた。


「私、実は……術師なんだ」

紡は驚いて朔月を見た。


「でもね、私、小さい頃にね、目の前で家族を怪異に奪われたの……」

朔月は視線を伏せ、小さく震える声で語り始めた。


「私は隠れてたから助かったんだけど、その時の記憶が、ずっと消えないの。あの、変形していく家族の姿とか、あの異臭とか……今でも忘れられないの」

「その時は、私は本当に何もできなくて……ただ、目の前で全部が壊れていくのを、見ていることしかできなかった」

朔月は、遠くを見つめるように視線をさまよわせた。


「それから、しばらく経ってから、私にも不思議な力が芽生えてることに気づいたんだ」

「私の力……『気脈操作(きみゃくそうさ)』って言って、生命体の気脈を感知して操作する能力。でも、あの時にこの力があったらって、何度も思った。あの時、家族を助けられたかもしれないって……」


 紡は言葉を失った。朔月の明るく振る舞う裏に、そんなにも深い悲しみと、能力を持っていながらも家族を守れなかったという無力感、そして後悔が隠されていたことに、胸が締め付けられるようだった。


「だからね、ここに入局が決まった時は、自分と同じような悲しい思いをする人が、少しでも減るかなって思ったんだ」

「私の力が、怪異を『鎮める』ことに長けているって知って、適性があるって言われて……正直、嬉しかった」

「でもね、やっぱり、いざ怪異と対峙すると、あの時の光景がフラッシュバックして、体が震えちゃうの。怖くて怖くて……本当は逃げ出したいって、いつも思ってる」


 朔月の瞳からは、今にも涙がこぼれ落ちそうになっていた。

その目には、ほんの少しの悲しみと、抗えない運命を受け入れた諦めのような色が浮かんでいた。

根は真面目なのだろう、任務はきちんとこなすものの、本質的に戦闘は避けたがっているのが伝わってきた。


 朔月は思いふけるように胸に飾られた銀色の花のブローチを優しく撫でた。

恐らく亡くなった家族の形見だろう、と紡は推測した。


 そんな朔月の言葉に、紡は言い知れぬ感情を覚えた。

自分も望んでいないのに戦わされるかもしれないという境遇に、彼女に対してシンパシーを感じた。


「あ、あぅ……」

突然、自分のことについてこんなに喋ってしまったことに気づいた朔月は、頬を真っ赤にして口元を押さえ顔を伏せてしまった。

よく見ると耳まで赤く染まっている。


「ご、ごめんね、ツムくん。話しすぎちゃった……」

声は小さく、消え入りそうだった。普段の明るい彼女からは想像できないほど、動揺しているのが見て取れた。


「え、いや、別に謝ることないって! 怖くても人の為に行動できるって、カッコいいと思うよ! めちゃくちゃ凄いじゃん!」

紡は慌てて朔月を励まそうと必死に言葉を紡いだ。こんなに可愛い子が動揺しているのを見ると、こちらも居た堪れない気持ちになる。


「う、うん…でも、自分の事について話したりなんか滅多にないから……なんだか恥ずかしくなっちゃって……」

朔月はまだ顔を上げたがらず、俯いたまま小声で続けた。


「なんとなく、ツムくんなら、私の気持ちを分かってくれるかなって……なんだか、そう思ったら私の事を知っておいて欲しくって……つい……」

彼女の声は震えていたが、その言葉は紡の胸にストンと落ちた。


 怪異という恐怖が蔓延る世界で家族を失い、心細い中でつい本音が出てしまったのかもしれない。


(なんだよ……可愛すぎんだろ……! こんな可愛い子が、俺にだけ本音を打ち明けてくれてる……!? もしかして、これって、恋に落ちるパターンってやつ!?)

紡は内心で激しく動揺した。美少女の儚げな表情と、自分だけを頼るような言葉に、彼の童貞心は揺さぶられまくっていた。


 その時、石凝が突然立ち上がり食堂全体に響き渡る声で怒鳴った。


「おい、杜野紡! いつまでそこで女とイチャついてるつもりだ! こちらに来い! 早急に報告すべき事項がある!」


 食堂中の視線が、一斉に紡と朔月に集まる。朔月は顔を赤らめ、カレー皿に視線を落とした。紡は恥ずかしさで死にそうになった。


「い、イチャついてねーし! てか、何なんですか急に!」

紡は抗議したが、石凝はまったく意に介さない。


「緊急事態だ。先ほど新たな怪異が生まれた。併せて、貴様の力について最終確認が必要だ」

石凝の顔からは、いつもの冷徹さに加え、焦りの色が浮かんでいた。


 紡の背筋に、再び冷たいものが走った。怪異が生まれた。それが何を意味するのか、まだ詳しいことは分からない。

しかし、これまでの日常とは完全にかけ離れた、危険な事態が彼を待っていることは直感的に理解できた。


(くそっ!厄介なことになってきたな…。俺、生きて帰れるのか、これ……)


 不安が募る中、彼の足元ではカイが小さな体で不安そうに「クゥン……」と鳴いていた。

紡はそっとカイを抱きしめた。


「大丈夫だよ、カイ。なんとかする」


そう呟いた紡の目は、先ほどまでの不満や戸惑いとは裏腹に強い光を宿していた。

てとまるです。

ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。

今回はヒロイン登場回です。


キャラデザは自分の趣味全開にしてみました。

拙い言葉ですが、少しでも可愛らしさが伝わるようにしました。


そして最後の方はやや不穏な空気が流れましたね。

次回は少しシリアス目になるかと思います。


それでは、よろしくお願いいたします。

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