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アラタ ナ デアイ

今日も今日とて、人生に疲れた社畜がため息から始まる朝。29歳、童貞、彼女なし。


そんな俺のささやかな楽しみは、通勤中にソシャゲのログインボーナスを掻き集めることだ。

実家の心配性な母からの連絡に頭を悩ませつつ、いつも通り満員電車に揺られるはずだった。


だが、その日を境に、俺の日常はカオスへと変貌する。


突如背中を押され、線路へと突き落とされた俺を待っていたのは、まさかの異世界転生と、自らを『神』と名乗るご都合主義な存在だった。しかも与えられた能力は、世界そのものを書き換える『因果律の操作』というチート級。『世界を楽しめ』と一方的に言い放つ神。

静かに暮らしたいという俺の願いは叶うのか? それとも、チート能力を押し付けられ、怪異が跋扈する和風異世界で奔走する運命なのか?


これは、元陰キャ童貞が、不本意ながらも異世界で因果を紡ぎ、

怪異を解決しながら、新たな人生と居場所を見つけていく物語――。


ただし、童貞は継続中かもしれない。

 祠での一件を終え、紡は足元にまとわりつく犬を連れて路地裏から大通りへと戻っていた。

相変わらず犬は嬉しそうに尻尾を振っていたが、その瞳の奥には、まだ先ほどの怯えが残っているように見えた。


 まさか異世界に来て早々、犬の世話をする羽目になるとはな……。

しかもこのフワフワした毛並み、どう見ても雑種じゃない。高級犬の血筋か?

期待した冒険や美少女との出会いと違うぞ、これ……。


 てか、なんで俺が犬なんか拾ってるんだ。こいつも当たり前のように付いてきてるし……。


 紡はため息をついた。静かに暮らしたいという願いは、どうやら遠い夢になりそうだ。

とはいえ、このまま野放しにするわけにもいかない。まずは飼い主を見つけなければ。

だが、この犬は首輪などを付けておらず、付近に飼い主の存在も見えなかった。


 紡は犬の頭をそっと撫で、小さく呟いた。

「お前…飼い主がいないなら、ウチ……来るか?」


 犬は紡の言葉に理解したのか、くるりと紡の周りを一回転し足元に擦り寄った。

紡の言葉が通じるのか、それとも単に懐いているだけなのかは不明だが、その仕草に少しだけ心が和む。


 まさかお前はあのバケモノから生まれた、とかそんな訳ないよな……?

いや、まさか。だってあれに向かって勇敢に吠えてたわけだし、そんな事はないか。


 紡は言葉が通じると思い、わざと犬に問いかけてみた。

あのバケモノ由来となると話が変わってくるし、なによりふとした拍子に自分を襲ってくるのではないかと考えてしまったからだ。


「……ワゥ?」

犬は首をかしげるような仕草で紡を見上げた。


「何言ってんだこいつ、って目で見るなよ。こっちは不安なんだから」

紡は笑いながら頭を撫でた。どうやらただの犬のようだ。自分の童貞が犬にはバレないことを確信し、より深い安心感を覚えた。


 しばらく歩くと異事管理局の建物が再び視界に入った。あの警備員の会話から察するに、ここは『怪異』に関する公的な相談窓口でもあるらしい。


 もしこの犬のような怪異に関わる存在について情報があるなら、ここに聞くのが一番だろう。

あるいは、この犬が迷い犬でなければ怪異によって飼い主と離れ離れになった可能性も考えられる。


「仕方ない。ちょっと聞いてみるか。できれば早く済ませて、今日中に風呂に入りたい」

「異世界にも風呂はあるんだろうな……まさか水浴び生活とか勘弁してくれよ」


 重い足取りで異事管理局の入り口へ向かう。先ほどと同じ警備員が相変わらず物々しい雰囲気で立っていた。

紡の足元にいる犬に気づくと、警備員は少し驚いたような顔をした。


「おや、こんなところで迷い犬ですか。珍しい」

警備員はそう言って、優しく犬の頭を撫でた。


 犬は嬉しそうに尻尾をブンブン振り、紡の足元から離れない。

この様子だと、仮に飼い主が見つかっても離れたくないと駄々をこねそうだ。


 紡は状況を説明しようと口を開いた。

「あの、この犬なんですが……」


 その時、管理局の奥からけたたましい怒鳴り声が聞こえてきた。

「だから、そんな小さな怪異にいちいち構ってられないと言ってるだろうが! 我々のリソースは無限じゃないんだぞ!」

「責任者の首が飛んだらどうする!」

「しかし被害は日々拡大しています! このままでは町中の子供たちが……子供たちが猫舌になってしまうんですよ!」


 どうやら、別の場所でも厄介な怪異が発生しているらしい。猫舌? 子供たちが?

紡は思わず聞き耳を立てた。なんだその怪異。平和なのか不穏なのか判断に困る。


 警備員は困ったような顔で紡を見た。

「申し訳ありません、今、少々立て込んでおりまして。そちらの犬の件は、あちらの相談窓口でお願いします」

そう言って、警備員は一般相談窓口と書かれた札を指さした。


 紡は言われるがままに相談窓口へと向かった。窓口には、眼鏡をかけた真面目そうな女性職員が座っていた。


「あの、すみません。この犬のことなんですが……」


 紡が口を開こうとすると、女性職員は顔を上げず、事務的に言った。

「はい、怪異に関するご相談ですね。まずは用紙にご記入ください。被害状況、発生日時、場所、そして相談者の氏名、住所、連絡先を」


「いや、怪異っていうか、この犬を拾ったんですが、もしかしたら怪異に巻き込まれたのかもしれないと思って…」

「犬が喋ったり空飛んだり、バケモノと一緒にいたりしたら怪異ですよね?」


 紡の言葉に、女性職員はようやく顔を上げた。彼女の目は冷ややかだった。

「怪異と決めつけるのは早計です。まずは獣医へ。当管理局は、市民の個人的なペットトラブルに対応する部署ではありません」

「それに、犬の怪異は、現在のところ緊急性が低いと判断されています。緊急性の高い案件が山積しておりまして」


 女性職員はそう言って、目の前に積まれた書類の山を指さした。

その言葉の裏には、「忙しいんだから、こんな些細なことで手間を取らせるな」という苛立ちが透けて見えた。


 ああ、これはまさに、お客様は神様じゃない典型的な公務員対応だ。異世界に来ても社畜の宿命からは逃れられないのか……。


「そうですか……分かりました」

紡は肩を落とし犬を抱きしめた。犬は紡の腕の中で不安そうに身を震わせた。まるで、(僕も相手にされてないよ)と言っているかのようだ。


 その時、奥からまた別の声が聞こえてきた。

「そこの男。待て」


 振り向くとそこにいたのは、いかにもエリートといった風貌の男だった。

深い紺色の丈の短い作務衣風のジャケット、下衣は機能的な袴パンツを身につけており、銀縁眼鏡の奥の目は鋭い。


 黒い短髪はビシッと後ろにまとめられており、足も長くスラっとした身長はゆうに180㎝を超えている。

年齢は30代前半といったところだろうか、まるで漫画に出てくるツンデレ悪役のような、隙のない完璧な容姿である。


 それを見た紡は瞬時に、(うわ、面倒くさそうなタイプだ)と内心で思い警戒した。


 彼の隣には、同じ制服を纏った若い男が控えている。

その男は、先の男とは対照的に柔らかな金髪を揺らし、どこか飄々とした雰囲気だが、その瞳には鋭い知性が宿っていた。

 身長は先の男より若干低いがそれでも紡よりずっと高い。イケメンが二人も並ぶと空気が薄くなるな、と紡は思った。


「お前が、先ほど祠に発生した怪異を“払った”者だな?」

眼鏡の男が紡の前に立ちはだかり問いかけた。彼の声には有無を言わさぬ威圧感がある。


 紡はギクリとした。まさか、もうバレているとは……。

祠には誰もいなかったはずなのに……もしかして隠しカメラとかあったのか?


「なぜそれを……」


 紡が尋ねると、男は冷たい笑みを浮かべた。

「この神楽郷(かんがくきょう)において、怪異が急激かつ自然に消失する事案は極めて稀」

「その消失の中心に、未登録の廻環術(かいかんじゅつ)の痕跡が残されていた。極めて特異な事案として管理局内で問題となったのだ」


 男の言葉に、紡は首を傾げた。

「え? かぐらきょう、じゃなくて、かんがくきょう?それに……かいかんじゅつ、なんて?」


 紡が思わず口にすると、眼鏡の男は明らかに呆れたような顔をした。


「貴様、まさかこの神楽郷の正式な読み方すら知らんのか? ふざけるのも大概にしろ。この地の名を間違えるなど、無礼にも程がある」

眼鏡の男は、眉間に深い皺を刻んだ。まるで「まさかこんな常識知らずがここにいるとは」と言いたげな顔だ。


 隣にいた金髪の男が、肩をすくめて苦笑した。

石凝(いしこり)さん、そこまで言わなくても。他所から来た人もいるでしょうし。それに、意外とそういう人の方が面白いものですよ?」


 金髪の男は、石凝の小言を軽くいなすように言った。

石凝は彼を一瞥したが、何も言わなかった。やはりこいつも面倒なタイプだ、と紡は確信した。


 石凝は再び紡に向き直った。

「貴様のような得体の知れない存在が勝手に怪異を払うことは、この世界の秩序を乱す行為に他ならん」

「拘束して尋問させてもらう」


 石凝はそう言って、紡に一歩詰め寄った。その圧力に紡は思わず後ずさった。

「いやいや、俺は別に秩序を乱したくてやったわけじゃなくて、ただの事故というか、成り行きというか…」

「だってあの祠には誰もいなかったし……そもそも俺は犬の相談で来ただけで…」


 紡の言葉を遮るように、目の前に石凝は手帳を突き出した。

「私は異事管理局(いじかんりきょく)、特別監査室室長の石凝 堅治(いしこり けんじ)。貴様には我々に協力してもらう」

「その未登録の廻環術について、詳しく話を聞かせてもらうぞ」


 隣に立つ金髪の男が、石凝に続くように手帳を出した。

「石凝室長の補佐を務める、烏賀陽 楽(うがや らく)と申します。あなたの能力、非常に興味があります」

「ぜひ、詳しく話を聞かせてください。特にその廻環術について、私なりの仮説があるのですが……お話、いかがでしょう?」


 烏賀陽はにこやかに紡に手を差し伸べたが、その笑顔の裏に、底知れない探究心と不穏な輝きが隠されているのが見て取れた。

その視線はまるで、希少な標本を見つけた研究者のようで、紡は思わず一歩後ずさった。この男、目を合わせると捕食者感が半端ない。


 困惑した。拘束? 尋問? なんだか話がとんでもない方向へ進んでいる気がする。紡は内心で神への不満を募らせた。

ちくしょう! 厄介事に巻き込まれる予感はしてたけど、まさかこんなデカい組織に目をつけられるとは!

神様、あんたの言う『楽しめ』って……これ罰ゲームだろ絶対!


 石凝の言葉に、紡は観念するしかなかった。

犬は首輪が付いていないこと、迷子犬の届け出が出されていないことから、紡が引き取ることで承諾させられた。

ついでに管理局の獣医による健康診断と、『怪異犬』としての登録も済まされた。


 石凝と烏賀陽との出会いは、紡にとって不本意な形で幕を閉じた。

紡は簡単な調書を取らされた後、管理局の敷地内にある簡易宿泊施設、という名の監視付きの部屋に案内された。

畳の部屋に古めかしい箪笥。まるで先ほどの部屋と同じに感じたが、窓には厳重な格子がはめられている。


「明日から貴様の廻環術の詳しい調査と、我々に協力するにあたって怪異に関する基礎知識の習得を行ってもらう。無駄な抵抗はするな」

石凝はそう言い残し、部屋を出て行った。烏賀陽は部屋を出る直前、紡に意味深な笑みを向けた。


「あなたのこと、これからじっくり調べさせていただきますよ。杜野紡さん。何なら私の研究室にお誘いしてもいいのですが……フフフ」


 紡はベッドに寝転がり、天井を見上げた。

最悪だ……。俺はここでは囚人扱いかよ。しかも、変態研究員みたいなやつにも目をつけられた……

俺の異世界転生、これ完全にバッドエンドルートだろ!


 神の言う「楽しめ」とは、きっとこういうことなのだろう。強制的に厄介事に首を突っ込ませ、挙げ句の果てに組織の監視下に置かれる。

そして、変な奴らにも目をつけられた。


 その夜、紡はなかなか寝付けなかった。窓の外からは遠くでお祭りのような音楽が聞こえてくる。

賑やかな音色の裏にどこか不穏な響きを感じた。彼の足元では犬がすやすやと眠っていた。時折、寝言なのかヒクヒクと鼻を鳴らしている。


「お前は呑気でいいな……」

紡は小さな相棒の頭を撫でた。異世界で唯一の、そして初めての「家族」ができたことに、わずかな安堵を覚えるのだった。

同時に初めての家族を厄介事に巻き込んでしまったことへの、一抹の罪悪感も。

まあ、どうせ元の世界には戻れないだろうし、ここでのんびり暮らせればそれでいいか。


「あっ……」

紡はふと思い出した。


「そういえばこいつの名前、決め手なかった……」

てとまるです。

ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。

更新が遅くなり申し訳ございません。

最初の3話を書いたところで、物語の再構成や調整に時間がかかってしまいました。


さて、ようやく始まった紡の異世界生活は早速、前途多難なようです。

果たして彼は無事に異世界生活を送ることができるのでしょうか…


それと新キャラ出しました。

石凝と烏賀陽はとある名前をモチーフに苗字を付けたので、物語にどう関わってくるかお楽しみください。


感想やレビューもお待ちしております。

それでは、よろしくお願いします。

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