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イセカイ ト ハジメテ

今日も今日とて、人生に疲れた社畜がため息から始まる朝。29歳、童貞、彼女なし。


そんな俺のささやかな楽しみは、通勤中にソシャゲのログインボーナスを掻き集めることだ。

実家の心配性な母からの連絡に頭を悩ませつつ、いつも通り満員電車に揺られるはずだった。


だが、その日を境に、俺の日常はカオスへと変貌する。


突如背中を押され、線路へと突き落とされた俺を待っていたのは、まさかの異世界転生と、自らを『神』と名乗るご都合主義な存在だった。しかも与えられた能力は、世界そのものを書き換える『因果律の操作』というチート級。『世界を楽しめ』と一方的に言い放つ神。

静かに暮らしたいという俺の願いは叶うのか? それとも、チート能力を押し付けられ、怪異が跋扈する和風異世界で奔走する運命なのか?


これは、元陰キャ童貞が、不本意ながらも異世界で因果を紡ぎ、

怪異を解決しながら、新たな人生と居場所を見つけていく物語――。


ただし、童貞は継続中かもしれない。

 紡が次に意識を取り戻した時、彼は見慣れない畳の部屋に横たわっていた。

転生時に神が気を利かせたのか、彼の身体には元の世界で死ぬ間際まで着ていたスーツではなく、明るい紺色の作務衣のような、動きやすそうな装いが馴染んでいた。


 先ほどの無機質な空間とはまるで違い、障子からは柔らかな陽光が差し込み、鳥のさえずりが聞こえる。どこか懐かしい、そして穏やかな空気が漂っていた。


「…あれ?」


首を巡らせると部屋の隅には箪笥や文机があり、どれもこれも趣のある古風な造りだ。


「ここが、異世界ってやつか…」


 紡は独り呟いた。しかし、こんなにも静かで穏やかな場所が本当に『異世界』なのだろうか。

天国のような心地よさに、思わず気を抜いてしまいそうになる。

 静かに暮らしたいという願いとは裏腹に、心臓の奥底では、未知の世界への微かな期待が渦巻いているのを感じた。

今までの人生で押し込められていた好奇心が、ゆっくりと顔を覗かせ始めたのだろうか。


 障子の向こうから、人の声が聞こえる。賑やかな笑い声と、時折混じる車の音。どうやら、ここはかなり人通りの多い場所らしい。


 紡は立ち上がり、部屋の様子を改めて見渡した。広さは六畳ほどだろうか。

シンプルな造りだが、どこか温かみがある。そして、机の上に置かれた一枚の紙に目が留まった。

そこには達筆な文字で、こう書かれていた。


「『杜野紡君へ。しばらくの間この家を自由使って♪衣食住の心配は無用。存分に、新たな人生を楽しんでくれたまえ♡  追伸:君の能力は、きっとこの世界の役に立つよ、特にとある『困った人々』のね♪神より』」


 紡は眉間に深いシワを寄せた。「困った人々」? 異世界転生特有の厄介事に巻き込まれる予感しかしない。

しかし、衣食住の心配が無用というのはありがたい。当面の生活費の心配がないのは、独り身だった紡にとって、何よりの安心材料だった。


「……まあ、とりあえず、外に出てみるか」


 紡はそう呟き、部屋の襖を開けた。廊下もまた、木の温もりが感じられる造りだ。

ギシギシと床が鳴る音も、どこか心地よい。


 玄関らしき場所に出ると、草履が並べられていた。サイズもぴったりだ。

(さすが神様、こういうところは気が利くな)と紡は思った。

 が、すぐに「どうせ俺が怠けないためだろう」と思い直した。


 玄関を開けると、そこはまさに「よくある魔法都市+和風のイメージ」と聞いていた通りの景色だった。

石畳の道がどこまでも続き、両側には大正から昭和初期を思わせるような、瓦屋根の木造建築が立ち並ぶ。

だが、その合間には、空中を浮遊する奇妙な乗り物や、建物の壁に輝く光の紋様など、明らかに現代には存在しないものが溶け込んでいる。


 空には、見慣れない形の鳥が舞い、遠くからは、どこか懐かしいお祭りのような音楽が聞こえてくる。

人々の服装も、和服に洋装が混じり合ったような独特のものだ。


 紡は、その光景に思わず息を呑んだ。期待感を忘れていたはずの心が、少しずつ高揚していくのを感じる。


「おぉ…これが…異世界…」


 思わず声が漏れた。隣を通り過ぎた女性が、不審者を見る目で紡を見ている。紡は慌てて目を逸らした。


 街行く人々は皆、活気に満ちている。誰もがそれぞれの日常を営んでいる。

そこにはかつて経験したような、過剰な競争や焦燥感は見当たらない。

紡は久しぶりに感じた気持ちの高ぶりに動かされるまま、街を探索する事にした。


 しばらく街を歩いていくと、大きな通りに出た。そこには『異事管理局 神楽支局』と書かれた、威厳のある建物がそびえ立っていた。

建物は、古めかしい洋風建築だが、屋根は瓦葺きで、どこか和の趣も感じさせる。


「なんて読むんだ?『いじかんりきょく かぐらしきょく』かな?」


 紡は興味津々で建物を見上げた。入り口には、何やら物々しい雰囲気の警備員らしき人物が立っている。

その奥には、一般人向けの相談窓口らしき表示も見えた。


【怪異対策は公務です。一人で解決しないでまず相談】


 そんなキャッチーな看板が目に飛び込んできた。どうやらこの世界では、『怪異』と呼ばれるものがいるらしい。

これもよくある異世界らしい設定だ。と思わず頷いた。


 そう思った瞬間に紡はあることに気が付いた。


 まてよ、もしかして神から貰った能力で、その『怪異』ってやつと戦うのか?

ちょっと待ってくれ、もしかしたらこの世界でも死ぬ可能性あるやつ?

おい、嘘だろ…めちゃくちゃ怖いじゃんかよ…


 紡がまだ見ぬ脅威にビビっていたその時、建物の前で50代くらいの女性が何やら慌てた様子で警備員に詰め寄っている。


「お願い! うちのタマが、また壁をすり抜けるようになったのよ!」


「ああ、またですか…猫の怪異ですかね。困りましたねぇタマちゃん」


「困ったのはこっちよ! トイレの度に壁をすり抜けられて家中が臭くて大変なのよ!」


 紡は思わず聞き耳を立てた。猫が壁をすり抜ける? それが怪異? しかも、警備員は慣れた様子で対応している。

どうやらこの世界では、日常的に怪異が発生しているようだ。そして、人々はそれに対して、そこまで強い恐怖を抱いていない。


 警備員が困ったような顔で答える。


「申し訳ありませんが、猫が壁をすり抜ける程度の怪異ですと、危険度が低すぎて、すぐに現場に出動できる人員がいませんで…」


「でも! このままだと家の中臭くて大変なの!何とかならないの!?」


 紡は、その光景を見て、ふと思い出した。

神の手紙にあった、「この世界の役に立つよ、特にとある『困った人々』のね」という言葉を。


 もしかして、そういうことなのか? 公的組織が動かないような、日常の些細な問題。

これを解決することがこの異世界での役目なのか?


 紡は、無意識のうちに、自分の右手に意識を集中させていた。

すると、彼の眼には猫の飼い主の周囲に、薄く、しかし複雑な文様が浮かび上がっているのが見えた。

その文様は猫の飼い主と猫、そして家との間の因果律を表しているように見える。

そして、その文様の一部が、確かに歪んでいる。


「これって……」


 紡は、自分がこの因果の歪みを「修正」できるのではないか、という漠然とした感覚を覚えた。

しかし、それを実行に移すには、まだ躊躇があった。何しろ、ついさっきまで一般人だったのだ。

いきなり異世界で怪異を解決するヒーローになるなんて、あまりにも現実離れしている。


 紡は徐々にヒートアップしていく女性を尻目に、どこか居心地悪そうに

活気ある商店街を抜けると、少しずつ人通りが減り、古い家屋が密集する裏通りへと入っていく。

まるで下町のような雰囲気が紡を包む。


 一本の路地奥から、何やら唸り声のようなものが聞こえてきた。嫌な予感がする。

だが、好奇心が勝ってしまい、紡は足を踏み入れた。


 路地の奥には、ボロボロの小さな祠があった。

その祠の前で一匹の犬が、低い唸り声を上げながら、何か得体の知れないものに向かって吠え続けている。

紡には、その『何か』の姿は見えない。しかし犬の周りには、濁った色の文様が渦巻いているのが見えた。


「あれが、怪異ってやつか…?」


 紡は身構えた。犬は紡の存在に気づくと一瞬こちらを警戒したが、すぐに再び『何か』に向かって吠え始めた。

明らかに怯えているが、同時に飼い主を守ろうとしているかのような、勇敢な姿だ。


 犬の周りの文様が濁りを増していく。このままでは犬が危ない。

紡の心の中で、何かが揺れ動いた。静かに暮らしたい。誰にも干渉されたくない。

その思いと、目の前の困っている存在を放っておけない、元来の責任感と優しさがあった。


「……はぁ、マジかよ」


 紡はため息をついた。結局、彼は根が真面目なのだ。

困っている人(今回は犬だが)を見ると、渋々ながらも放っておけない性分なのだ。


 紡は、懐にしまっていた筆を無意識のうちに手に取った。先ほど神に与えられたものだ。

彼は恐る恐る、犬の周囲に渦巻く濁った文様に向けて筆を構えた。


「おい、そこの犬!」


 紡が声をかけると、犬がびくりと肩を震わせこちらを振り向いた。

その瞳には、怯えと同時に、わずかな希望の色が宿っているように見えた。


「…大丈夫か?」


 紡は一歩一歩、祠に近づいた。犬は唸り声を止め紡の足元に擦り寄ってきた。

まるで助けを求めるかのようにその体に震えが伝わってくる。


 祠の奥からはカタン、カタン、と不気味な音が聞こえてくる。まるで『何か』が中にいるかのように。

紡の視界には祠全体を覆うように、さらに濃く濁った文様が(うごめ)いているのが見えた。

先ほどの猫の件とは比べ物にならないくらいほど文様は不気味だ。


「やっぱ、これ、俺がどうにかするしかないのか……」


 紡は覚悟を決めた。ここで逃げ出しても、後で後悔するのは目に見えている。

それに神が言っていた罰ゲームと、「楽しませる」指令も頭をよぎった。

どうせなら、自分で納得いく形でこの世界での最初の能力を使ってやろう。


 筆を握る手に、じんわりと力がこもる。視界に映る文様が、これまで以上に鮮明に見え始めた。

一つ一つの線が、まるで生きているかのように複雑に絡み合っている。


 紡は犬の頭をそっと撫でた。犬は安心したように紡の指に顔を擦りつけた。


「よし、大丈夫だ。何とかしてやる」


 そう呟くと、再び祠に視線を戻した。彼の視線は祠の入り口に集中する。

そこには、特に歪みがひどい、ひときわ大きく濁った文様が浮かび上がっていた。

おそらく、この怪異と呼ばれるであろう『何か』の核となる部分だろう。


(神様が言ってた力のどっちを使うんだ……? 修正か、断絶か……)


 紡これが何者なのか、どんな性質を持っているのかは不明だ。

祠全体に及ぶこの強烈な歪みは、単なる修正では難しいかもしれない。

下手に修正して、さらに状況を悪化させる可能性もある。


「……断絶、の方かな……」


 紡は手に持っていた筆をしまい、代わりに脇に差していた扇子を抜き取った。

開くと美しい吉祥文様(きっしょうもんよう)が描かれていた。しかしその裏側には鋭い刃物のような、どこか不穏な輝きが宿っている。


 扇子を構え、大きく一呼吸する。視界に映る文様の流れを読み取る。

『何か』の核となる部分が、最も活性化する瞬間を見計らう。


カタン!


 祠の中から、さらに大きな音が響いた。それに合わせて犬が怯えるように紡の足元に隠れた。


「ここだ!」


 紡は素早く扇子を振り抜いた。まるで空間そのものを切り裂くかのように、扇子の先端から光の軌跡が伸びる。

視界ではその軌跡が祠の入口に浮かぶ濁った文様を、文字通り「切り裂いた」。


パァァン!


 鈍い、しかし確かな音が響き渡った。まるで強靭な布が裂けるような感触が、扇子を通して手に伝わってくる。

濁った文様が、切り裂かれた部分から急速に薄れていく。そして、祠の中から聞こえていた不気味な音もピタリと止まった。


 祠の中は、元の静寂を取り戻した。犬も怯える様子はない。

紡は扇子を閉じ、その場に立ち尽くしていた。


(これで、終わったのか……?)


 能力を使った感覚は、まるで自分の腕が痺れているかのようだった。しかし、痛みや疲労感は一切ない。

ただ、漠然とした「消耗感」が残る。


 ふと、右腕に視線を落とした。すると袖から、薄っすらと墨色の模様が透けているのが見えた。

まるで、水に溶けた墨を落としたかのように、皮膚の下に和彫りのような痣が広がっている。


「これが、代償…」


 紡は、改めて能力の「リアルさ」を突きつけられた。

神の言っていた「和彫りのような痣」だ。禍々しく不気味な文様が腕を覆っている。


 紡の意に反するかのように、足元では先ほどまで吠えていた犬が嬉しそうに尻尾を振っている。

祠の入り口から、何か小さなものが転がり出てきた。それは、手のひらサイズの、古いお守りだった。


 お守りの表面は摩耗して判別しにくいが、どこか見覚えのある文様が刻まれている。

紡の能力で因果の文様として見えているものと、どこか似ている。


(まさか、これが怪異の正体…?)


 紡は、お守りを拾い上げた。特に危険な気配はしない。

むしろ、手に取ると、じんわりと温かい感触が伝わってきた。


「これは…お守り?」


 紡は苦笑した。まさか異世界転生して最初の戦いが、祠に巣食うものの鎮圧だとは。

しかも、相手は目に見えない存在。その報酬がこの古びたお守り…。


「こういうのは持ち帰っても大丈夫なんか?」


 現代ではこういうものは持ち帰ってはいけないと教わっていたが、異世界だし関係ないか。そう考えて紡はお守りを懐にしまった。


(さて、どうしたものか… とりあえずこの犬をどうにかしないと)


 周囲を見渡し特段の違和感が無い事を確認した紡は、足元に擦り寄る犬を連れて路地裏から大通りへと戻ることにした。


 あの警備員の対応から察するに、おそらく異事管理局は今回のような『小さな依頼』に関する情報くらいは持っているはずだ。

そう考えた紡は、恐らくいるであろう飼い主の元へ犬を戻すことを優先し、後日こっそり情報収集しに行くことを決めた。


 紡は犬の頭をもう一度撫でてやる。しかし犬は紡の足元から離れようとしない。


「よし、これで一件落着…と、言いたいところだけどな」


 紡の視界には、依然としてこの路地裏全体を覆うように、薄いながらも複雑な文様が残っているのが見えた。

目の前の『何か』は対処できたが、その痕跡、あるいは微弱な因果の残滓(ざんえ)が、まだこの場所に留まっている。


(これは…完全に終わったわけじゃないってことか?)


 紡は頭を掻いた。どうやらこの世界は、彼が思っていたよりもずっと奥が深そうだ。

そして、なんだかんだで厄介ごとに関わってしまう自分の性分に、改めて気づかされた。


「はぁ、ホント、神様ってやつは……」


 紡は空を見上げた。木の間から差し込む木漏れ日に目を細める。

さっきまでの絶望感や倦怠感とは違う、かすかな充実感が紡の中に生まれていた。


(これで、童貞じゃなくなったわけじゃないけどな…)


 彼の内なるつぶやきは誰にも聞こえることなく、青空へと吸い込まれていった。

てとまるです。

ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。


と、いうことでようやく紡の異世界生活が始まりました。

さて、彼のセカンドライフは波乱か円満か。童貞は卒業できるのか。

今後の展開にご期待ください。


ちなみに、ここまでは書き始めるにあたりある程度の構想はしていたのですが、

ここから先は正直、考え切れていないところがありました…


なので、紡と一緒に物語を進めていこうと思います。

次回投稿が遅くなってしまうかも知れませんが、

気長にお待ちいただけると幸いです。


感想やブックマーク、レビューもお待ちしています。

それでは、よろしくお願いします。

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