本格的 ナ 調査
大切な人々を失い、無力感に打ちひしがれた紡。
しかしそこで途絶えることはなかった。
神によって告げられた「ゲームオーバー」の言葉。それは、彼の人生が単なる「転生シミュレーション」であったという事実を突きつけられる。
後悔の中で紡が見つけた、唯一の希望。それは、失われた命を取り戻し、二度と悲劇を繰り返さないという揺るぎない決意。
神から与えられた圧倒的な力――因果を操る能力の真髄を習得し、再びあの世界へと舞い戻る。
これは、二度目の生を歩むことを決めた青年が、失われた絆を再び紡ぎ、宿命に抗い、大切な人々を守り抜く物語。彼が見たのは、希望か、それとも新たな絶望か。繰り返される「日常」の中で、紡は己の全てを賭け、未来を切り開く。
全調査員への記憶改変が完了し、新たな情報共有体制が確立されたその日、紡はすぐにでも自らも調査に赴こうと、管理局の廊下を足早に進んでいた。
あの怪異を意図的に生み出す存在を、一刻も早く見つけ出さなければならない。胸に燃える焦燥感を抑えきれずにいると、背後から落ち着いた声がかけられた。
「杜野さん」
振り返ると、そこには烏賀陽が立っていた。いつもの柔和な表情の奥に、どこか締まったものを感じる。
「これからは、単独で調査や巡回、怪異の対処に行くことも多くなるでしょう」
烏賀陽はそう言うと、手に持っていたものを紡に差し出した。それは、折り畳み式の古風なデザインをした携帯端末、いわゆるガラケーだった。
手のひらに乗るほどの大きさで、つるりとした感触がある。
「応援が必要な場合や、何か連絡がある際は、これを使うようにと石凝室長からです」
烏賀陽の言葉に、紡は差し出された携帯端末を受け取った。その手に伝わる無機質な感触が、なぜか懐かしく感じられた。
転生前、初めて携帯電話を持たされた時のことを思い出す。あの頃は、こんなにも情報が溢れていなかった。
ただ、友達と連絡を取り合うツールとして、新鮮な驚きがあった。今は、世界を脅かす存在を追うための、命綱とも呼べるものだ。
時代も世界も変われど、道具に込められた意味合いの重さが、紡の心にじんわりと染み渡った。
管理局全体で、怪異を意図的に生み出す存在の捜索が始まってから、気が付けば半年もの月日が経過していた。
しかし、捜査に進展はなかった。まるで、水面下で活動していた巨大な影が、突然姿を消したかのようだった。
それに呼応するように、怪異の発生件数も一気に減少した。今では、自然発生する小さな怪異が、ごく稀に姿を現す程度だ。
平穏が訪れたかのように見える街だが、紡の心は晴れなかった。
半年も同じ街で過ごすと、自然と街の人々とも顔なじみになった。
老夫婦が営む喫茶店のマスター、夕暮れの公園で子供たちを遊ばせる母親、商店街で威勢の良い声を出す魚屋のおじさん。
彼らとのたわいもない会話の中から、時に思わぬ情報が得られることもあった。
それでも、核心に迫るような手掛かりは、何一つとして見つからなかった。
(やはり内通者がいるのか……? こちらの動きは、全て読まれてしまっているのだろうか)
紡の胸に、焦燥感が募っていく。全局員に情報共有したことが、果たして正しかったのか。記憶改変は成功したはずなのに、それでも奴らは管理局の動きを察知しているのだろうか。
もしそうなら、記憶改変自体が失敗だったのか、あるいは、局員の中に因果操作の影響を受けない存在がいるのか……。様々な可能性が頭を巡り、不安が渦巻く。
昼食の時間になっても、紡は上の空だった。ランチの定食を目の前にしながら、箸を持つ手が止まっている。
ぼんやりと一点を見つめ、思考の迷宮に囚われていた。その様子を見た朔月やカイも、心配そうに紡を見つめている。
朔月は、紡の顔色を覗き込むようにして、小さなため息をついた。カイは、紡の足元に擦り寄り、不安げに「くぅん」と鳴いた。
紡には、調査が進展しないことに加えて、もう一つ、ここ二ヶ月ほど気になることがあった。
それは、誰かに尾行されている気配だ。
常に視線を感じる。背後に、気配を感じる。しかし、振り向いてその方向を見るも、そこには誰の姿もない。
怪異やあの黒い着物の男、あるいはその手先の可能性も考え、因果視を使って周囲を探ってみた。だが、因果の糸は、何も異常を示さない。そこには、何もいないはずなのに、確かに「誰か」の気配を感じるのだ。
因果視にも映らない違和感に、紡は不気味さを覚えていた。それは、怪異とはまた違う、生きた人間のものだと、本能的に感じていた。
ランチの後、朔月から声を掛けられた。
「ツムくん!久しぶりにカイの散歩がてら、一緒に巡回行こうよ!」
朔月の声は、いつもと変わらず明るい。紡は、一瞬戸惑った。巡回に朔月さんが同行してくれるのは助かるが、カイの散歩にまで付き合うとなると、二人きりになる時間も増える。
(や、やばい……朔月さんと二人きり……! しかも、この状況……デートじゃないか!? 嬉しいけど……!)
紡の脳裏に、朔月の弾むような胸元や、屈託のない笑顔が浮かび、彼の童貞心はさざ波のようにざわめいた。
顔に熱が集まるのを感じながら、彼は何とか平静を装う。
「あ、ああ、いいよ。助かるよ、朔月さん」
しどろもどろになりながらも、紡は承諾した。
その瞬間、またしても、誰かに見られている気配を感じた。ゾクリと背筋に冷たいものが走る。紡は素早く視線を走らせるが、やはりそこには誰もいない。
不気味さは、より一層強く紡の心を覆った。
カイと朔月と共に巡回兼散歩に出た紡だったが、その道中でも、あの尾行をされているような違和感は消えなかった。
常に背後に視線を感じる。まるで影のように、ひっそりと追われているような不快感が続く。
気になって気配のする方向を振り返ったり、街路樹の陰を覗き込んだりするが、やはりそこには何もない。透明人間でもいるのか、と本気で疑い始めた。
急に振り返ったり、周囲の様子を過剰に気にする紡を、朔月は不思議に思ったようだ。
「ツムくん、なんかあったの? さっきからキョロキョロしてるけど」
朔月が心配そうに尋ねてきた。紡は、迷った末に、正直に打ち明けることにした。
「実はここ二ヶ月くらい、誰かに尾行されているような気がしてるんです。視線を感じるのに、振り向いても誰もいなくて……因果視を使っても、何も見えないんです」
紡の言葉に、朔月はハッとした表情を浮かべた。その表情は、何か心当たりがあるかのような、確信めいたものだった。
次の瞬間、朔月は紡の耳元に、グッと顔を近づけてきた。朔月の髪から、ふわりと甘い香りが漂う。吐息が耳にかかり、紡の頬に朔月の柔らかな髪が触れる。
(え、え、ええええええええええええっ!? な、なんだ!? どうした!? 急にそんなに近づいてきて!?)
紡の頭の中はパニックで真っ白になった。心臓はドクドクと警鐘を鳴らし、全身の血が沸騰したかのように熱くなる。
顔が真っ赤になっている自覚があった。彼の視線は宙を彷徨い、どこにも定まらない。
(これは一体、何の状況だ!? 耳打ち!? 秘密の話!? それとも、まさか、まさか……告白とか!? いやいやいや、そんなはずは……でも、この距離は!?)
脳内で童貞が全力で警鐘を鳴らす。混乱と期待と、そして羞恥心が入り混じり、紡は完全に思考停止状態に陥っていた。
朔月は、紡のそんな混乱には全く気づかない様子で、ごく自然な口調で告げた。
「ねえツムくん、もしかしたらそれができる人物に心当たりがあるかもしれない……」
朔月の言葉に、紡は思考停止状態から、一気に引き戻された。
「え!? 本当に!?誰!? 教えてください!」
驚いた紡は、前のめりになって尋ねた。だが、朔月はニヤリと意味ありげな笑みを浮かべた。
「うーん、まだ確証はないから、今は秘密。でも、そいつをおびきだして、何でこんなことしてるのか聞き出そうよ」
朔月は、どこか楽しそうに言った。紡は、その提案に了承したものの、疑問が残った。
(でも、見えない相手をどうやっておびきだすんだ……?)
朔月は自信満々に「名案があるんだ!」と言い、紡の腕を引いて、街付近の草原の方へと連れていった。見渡す限り、遮るもののない開けた場所だ。
(なるほど……見通しの良いところなら、隠れようがないから、流石の奴でも姿を現すしかない、ってことか)
紡は、朔月の意図を理解し、納得した。
しかし、向かった先は草原ではなく、人気のない薄暗い路地だった。生ごみの臭いが微かに漂い、壁には落書きがされている。こんなところで、一体何を?
「え? 朔月さん、なんでこんな場所に……」
紡が不思議に思った、その瞬間だった。
朔月の顔が、グッと紡に近づいてきた。朔月の大きな瞳が、すぐ目の前にある。長く、整ったまつげが、はっきりと見えるほどに。
(え、なに? え、ちょ、ま……)
朔月の顔は、まるでキスでもするかのような表情で、その距離は限りなくゼロに近い。
紡の脳内は再びパニックで、今度は警報音がマックスで鳴り響いた。彼の顔は、今度こそ完全に茹でダコのように真っ赤になっているだろう。
(う、うそだろ!? 俺、もしかして、ここで朔月さんに……!?)
あまりの事態に、紡の思考はあらぬ方向へと暴走を始める。心臓は喉元まで飛び出しそうなほど激しく脈打ち、鼓膜を打ち鳴らす。
紡は、半ば覚悟を決め、ギュッと目を閉じた。朔月の顔がさらに近づいてくる気配を感じる。吐息が触れる寸前だ。
その瞬間、どこからともなく、少年特有の甲高い声でありながらも、制止する大きな叫び声が響き渡った。
「な、ななななななにやってんのぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおお!!??」
突然現れた声に驚き、紡と朔月は声のした方へと顔を向けた。
そこにいたのは、管理局の調査員服を身につけた少年だった。年の頃は、おそらく十代前半から半ばといったところだろうか。
彼の体はわなわなと震え、顔は怒りに満ち満ちて、まさに鬼の形相だ。釣り上がった眉の下、真っ赤になった瞳が、こちらをギロリと睨みつけている。薄い唇は、怒りで硬く結ばれている。
朔月の長く柔らかな黒髪とは対照的に、やや癖があり短く切り揃えられている。身長は、紡の胸元にも届かないくらいで、まだ幼さが残る体つきだ。しかし、その小さな体から発せられる怒りのオーラは、まるで炎のように激しい。
その少年は、まっすぐにこちらへぐんぐんと近づいてきた。一歩一歩が、怒りに震えるようだ。
そして、何の躊躇もなく、朔月と紡の間に割って入ってきた。まるで、二人の間に壁を作るかのように。
少年は、紡の方を向き、改めてキッと睨みを利かせた。見上げてくる視線に、わずかな幼さを感じる。
だが、その幼さの中に、鋭い敵意が込められているのが見て取れた。
「な、凪ちゃんに、凪ちゃんに馴れ馴れしいんだよ! この痴漢! 変態! ロリコン! 犯罪者予備軍! 凪ちゃんから離れろ!」
少年は、紡に向かって、憤慨したように叫んだ。その言葉のバリエーションの多さに、紡は呆れて物も言えない。
まるで機関銃のように繰り出される罵詈雑言に、紡はただただ困惑するばかりだった。
急に現れた少年に困惑していると、朔月が少年の頭に容赦なくチョップを食らわせた。
「響! 止めなさい! 大声出すんじゃないの!」
朔月の声には、どこか子供を躾けるような、呆れたような響きがあった。まるで、暴れる子犬を宥めるかのようだ。
チョップを食らった少年は、「いっつぅ!」と頭を抱え、一瞬だけ大人しくなった。
「ふふっ、ツムくん、この子が私の弟の響」
朔月は、紡に弟と称した少年を紹介した。朔月 響と言うらしい。
その説明をしている横では、響が未だに紡を睨みつけながらも、朔月の腕にしっかりと組み付いている。
朔月の腕に顔を擦り付け、デレデレと甘えている。
朔月は、響のそんな様子を全く気にする風もなく、穏やかな表情で紡に続けた。
「この子の能力はね、『隠密気配』って言って、自身の気配を完全に消すことができるの」
「だから、ツムくんが感じてた見えない気配の正体は、この子なんじゃないかなって考えたんだ」
一気に流れてきた情報に、紡は頭の中で混乱しながらも状況を整理した。
なるほど、因果視にも映らない「気配」の正体が、自身の気配を完全に消す能力を持つ人間だったというわけか。納得がいった。
紡の困惑した表情を見て、響は鼻で笑った。
「ふんっ、すぐに理解できないのは低能だな。脳みその容量が足りてないんじゃないのか、この鳥頭」
生意気な口をきく響に、紡はカチンと来た。このクソガキ、初対面でなんて態度だ。しかし、すかさず朔月が響の頭をもう一度チョップした。
「響! そういうこと言わないの!」
朔月の声が、路地に響く。
叱られた響は、反省する素振りもなく、再びデレデレと朔月に甘えた。
「でも凪ちゃん、凪ちゃんに近づく男は全部ゴミだよぉ……」
頬を擦り付け、子猫のように喉を鳴らしている響の姿を見て、紡はすぐに察した。
(……シスコンだ、こいつ)
響の朔月への甘えた態度と、紡に向けられた敵意。そのあまりにも分かりやすい態度に、紡はすぐに、彼が筋金入りのシスコンであると確信した。
そして、自身がここ二ヶ月間、誰かに尾行されているような気配を感じていた理由も、朔月と仲良くしていたことによるものだろうと、瞬時に結びついた。
転生前の知識が、紡の脳裏を駆け巡る。漫画やアニメ、ゲームで散々見てきたシスコンキャラの典型的な行動パターンが、目の前の響と完璧に合致していたのだ。
姉に異常なまでの執着を見せ、姉に近づく異性を監視し、時には排除しようと試みる。響の言動は、まさにそのテンプレート通りだった。
姉の朔月に馴れ馴れしく接する自分を「痴漢」「変態」「ロリコン」「犯罪者予備軍」と罵った響の言葉が、脳内でリフレインする。
あの苛烈な罵倒は、姉への歪んだ愛情と、その姉を奪われるかもしれないという根源的な恐怖から来るものだったのだろう。
思えば、朔月と親密な会話を交わしたり、身体的な距離が近くなったりするたびに、あの不気味な視線を感じていた。
それが、朔月が「隠密気配」を持つ響の姉だからこそ、決して因果視にも映らない「気配」の正体に気づいたのだと、今になって全てが腑に落ちた。
まるで、姉に群がる虫を追い払うかのように、響は常に紡の動向を監視し、時には牽制するつもりでつきまとっていたに違いない。
(まさか、こんなところでシスコンに出会うとはな……。しかも、術師で、ここまで露骨なタイプとは……)
紡は、どこか諦めにも似た感慨を覚えた。転生しても、ある意味、自分の人生は安定しているのかもしれない。呆れと、わずかな苦笑が彼の顔に浮かんだ。
響の行動の全てが、朔月への異常な独占欲に基づいていたのだと理解すると、これまで感じていた不気味な感覚の正体が、一気に滑稽なものに思えてきた。
同時に、その執着の深さに、ある種の戦慄も覚えずにはいられなかった。
しかし、紡はこれまで朔月に弟がいるなど、一度も聞いたことがなかった。
「朔月さん、俺、朔月さんに弟さんがいたなんて、これまで一度も聞いたことなかったんですけど……」
紡が驚いたように尋ねると、朔月は少しバツが悪そうな表情を浮かべた後、肩をすくめた。
「えー? 言ってた気がするけどな〜」
そんな朔月の横で、響はやや神妙な表情をしていた。その瞳には、何か言いたげな感情が揺れている。
朔月の表情にわずかな違和感を覚えた紡だったが、響が再び口を開いたことで、その思考は遮られた。
「言われたことも覚えてないなんて、やっぱり鳥頭だ。鳥はすぐに忘れるからな。お前もそのうち空も飛べなくなるんじゃないか? バーカ」
響は、紡を馬鹿にするように言い放った。紡は内心、このクソガキが、と怒りを覚えるが、姉である朔月の前では大人の対応を貫いた。
「……ハハ、ソウカモシレナイネー」
紡は、努めて笑顔を作り、響を軽くあしらった。だが、その笑顔の裏では、確かな敵意が燃え上がっていた。
紡と響の間で、見えない火花が散った。
(相容れないな、こいつとは)(こいつだけは、絶対に許さない)
お互いが相容れない存在であると、この瞬間、共通の認識を持ったのだった。
てとまるです。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。
今回は新キャラ登場回でした。響くんです
彼はクソガキを出したくて出てきてもらったキャラクターです。
天才=若い、といった構図は、私の中では鉄板だと思い出てきてもらいました。
次回は、響くんの活躍回になると思います。
お待ちいただけると幸いです。
それでは、よろしくお願いいたします。




