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チシキ ト ツギ

今日も今日とて、人生に疲れた社畜がため息から始まる朝。29歳、童貞、彼女なし。


そんな俺のささやかな楽しみは、通勤中にソシャゲのログインボーナスを掻き集めることだ。

実家の心配性な母からの連絡に頭を悩ませつつ、いつも通り満員電車に揺られるはずだった。


だが、その日を境に、俺の日常はカオスへと変貌する。


突如背中を押され、線路へと突き落とされた俺を待っていたのは、まさかの異世界転生と、自らを『神』と名乗るご都合主義な存在だった。しかも与えられた能力は、世界そのものを書き換える『因果律の操作』というチート級。『世界を楽しめ』と一方的に言い放つ神。

静かに暮らしたいという俺の願いは叶うのか? それとも、チート能力を押し付けられ、怪異が跋扈する和風異世界で奔走する運命なのか?


これは、元陰キャ童貞が、不本意ながらも異世界で因果を紡ぎ、

怪異を解決しながら、新たな人生と居場所を見つけていく物語――。


ただし、童貞は継続中かもしれない。

 明け方、紡は浅い眠りの中にいた。夢と現実の狭間で意識が朦朧とする中、微かな音が耳に届いた。

「カタン……」

それは、昨夜ベッドサイドの引き出しにしまった、あの古びたお守りが揺れるような音だった。


 目を覚まし、引き出しを開けてみるが、お守りは動いた形跡もなく、静かにそこに収まっている。

特に異変は見当たらない。


「気のせい、か……?」


 疲れのせいだろうか。紡は首を傾げたが、先の戦闘で得た経験から、僅かな違和感も無視できないと感じた。

不気味な感覚が拭えず、結局、お守りを制服のポケットに入れ、いつも通り持ち歩くことにした。

万が一、怪異に関連するものなら、自分の手元に置いておいた方が安全だと直感したのだ。



 朝の光が寮の窓から差し込む頃、紡はすでに身支度を整え、寮の正門前に立っていた。集合時間より30分も早い。

これはもはや彼にとって、日常のルーティンとなりつつあった。


「よ、よし! 早めに行動するのは良いことだ! 安全第一!」

誰もいない空間に向かって、昨日と全く同じ言葉を、言い訳のように呟く。


「ツムくん!おはよう! 相変わらず早いね~!」

時間通りに現れた朔月は、相変わらず屈託のない笑顔で紡に挨拶をする。


「あ、朔月さん……お、お、おはよう……ございます……」

紡も相変わらず童貞心全開で、下を向きながら挨拶を返す。


「あっはは!私もタメ口なんだから、ツムくんもタメ口でいいのに!……って、あれ? 今日はカイちゃんお留守番なの?」

朔月の問いかけに、紡は顔を上げた。


「あ、はい……。昨日みたいな怪異との戦いに連れていくわけにはいかないので……危ないですから」

紡は正直に答えた。先日の戦闘を思い出すと、カイを危険な目に遭わせることはできなかったからだ。朔月は納得したように頷いた。


「そっか。うん、それがツムくんとカイちゃんのためだもんね。わかった!」

朔月の理解ある言葉に、紡は少しだけ安堵した。


 早朝から二人きり。紡は、その事実を噛みしめるように、小さく息を吐いた。


(ぐっ……! こんな美少女と二人きりで通勤とか……! これはもう、夢か幻か……!)

彼の脳裏には、桜並木の下を手を繋いで歩くカップルの姿が浮かんだが、すぐに現実に引き戻されるのだった。


(いや、通勤! 通勤だからな! デートじゃない! でも……)

朔月が隣にいるだけで、彼の心は浮き立つ。


 しかし、寮から管理局までは、拍子抜けするほど近かった。歩いて数分もかからない。


「あれ……もう着いちゃった……」

紡は思わず呟いた。朔月も少し残念そうに、しかしすぐに笑顔で言った。


「うん! 結構近くて利便性はいいよね! さ、中に入ろう!」

楽しい時間はあっという間に過ぎ去る。紡は、まだ朔月と歩いていたかったとガッカリしたが、すぐに気持ちを切り替えた。


 管理局のエントランスホールに入ると、烏賀陽が彼らの姿を見つけるなり、小走りで近づいてきた。


「おお、杜野さん! 朔月さん! ちょうどよかった!」

烏賀陽は笑顔で紡の肩をポンと叩いた。


「さあさあ、杜野さん。今日から調査員として働くにあたって、まずは勉強すべきことが多いですから! 早速、講義を開始しましょう!」

烏賀陽の言葉に、紡の顔から血の気が引いた。


(講義!? 勉強!? またか……うわぁ、俺、勉強苦手なんだよなぁ……)

大学での講義を思い出し、紡は肩を落とした。しかし、そのすぐ隣で、朔月がにこやかに紡の顔を覗き込む。


「ツムくん、頑張ろうね! 私も一緒に勉強する気持ちで働くからね!」

朔月の応援に、紡の顔がパッと明るくなった。


(朔月さんと一緒に!? それなら頑張れる! いや、むしろ頑張りすぎるくらいだ!)

紡は、先ほどの落胆が嘘のように、やる気に満ちた表情になった。烏賀陽はそんな二人の様子をニヤニヤと見つめている。


「おやおや、杜野さん、急にやる気が出ましたねぇ。よーし、じゃあ張り切っていきましょうか!」



 烏賀陽に連れられ、彼らはエントランスホールの一角にある会議室のような部屋へと案内された。

部屋は簡素で、中央に長机と椅子、壁には大きなホワイトボードが設置されている。


「さて、杜野さん。まずは怪異の基本中の基本から説明していきましょうか」

烏賀陽はホワイトボードにペンを走らせながら、講義を始めた。彼の口調はいつも通りの砕けたものだが、内容は真剣そのものだった。


「怪異と一口に言っても、色々なタイプがいます。大きく分けると、一つ目はこれですね」

烏賀陽は大きく「禍獣」と書き込んだ。


禍獣まがものは、怪異の歪みや淀みが実体化した、異形で強大な存在のことです」

「例えば、動物や植物が霊的な変異を遂げたものだったり、人の失われた念や想いが意思を持ったものなんかが該当します」

「君が昨日戦ったあの怪物は、まさに禍獣の代表例といった感じでしょうか」


 紡は、あの時の戦闘を思い出し、背筋に冷たいものが走った。

巨大な影、襲いかかる爪。あれが「禍獣」というものなのか。それを聞いてあの時の恐怖が蘇る。


「次に、『思念しねん』です。これは、遺物なんかに宿る残留思念や、深く刻まれた過去の記憶が、幻影や声となって現れるタイプです」

「時に人々に知恵を与えたり、逆に狂気をもたらしたりすることもあるから、これはこれで厄介でして……」

「物理的な攻撃は効かないことが多いので、対処法も禍獣とは変わってきます」


 烏賀陽はフム、と頷きながら、紡の反応を伺っている。

「どう?杜野さん、ついてきてるかい?」


「あ、はい。なんとか……。昨日戦ったのが禍獣……怖かったなぁ」

紡は正直な感想を漏らした。烏賀陽は、そんな紡の反応を見て、苦笑した。


「さて、杜野さん。じゃあ、次の質問だ。怪異は、一体どうして生まれると思う?」

烏賀陽はホワイトボードに「怪異の発生源/原因」と書き込んだ。紡は腕を組み、考え込む。


「えっと……ウィルスとか、誰かが作ったもの、とか……ですか?」


 紡の言葉に、烏賀陽は目を細めた。

「おや、杜野さん! なかなか鋭いですね! その発想は悪くない! 惜しいところまできています!」


 褒められ、紡は少し照れた。烏賀陽は、さらに詳しく説明を続ける。


「まず、一番多いのがこれ。『強い感情の残穢ざんえ』です」

「人間の極端な感情、例えば怨念、執着、後悔、悲しみ、畏れ、歪んだ愛、強すぎる願い……そういうものが土地や物品に染み付いて、形を成してしまうんです」

「一般の方からくる依頼の原因は、だいたいこれが多いです」

烏賀陽はそう言いながら、ホワイトボードに具体例を書き込んでいく。


「次に、『忘れられた存在』。これは、人に必要とされなくなった物や場所、風習、あるいは小さな神様なんかが、存在を訴えようとして現象化したり、拗れて悪意を持ったりしたものです」

「『付喪神つくもがみ』なんかも、これに含まれることが多いですね」


 紡は、自分が転生した場所が空き地になったことを思い出した。

もしかしたら、あれも「忘れられた存在」の一種だったのかもしれない。


「そして、杜野さんが言った『誰かが作った』っていうのも、可能性としてはある。それが『意図的な生成』」

「悪意ある人間が、呪術や特殊な技術を用いて意図的に怪異を生み出す場合で、公的組織である僕らが優先的に対処するような、かなり危険なケースになりやすい。大規模な被害に繋がりかねませんからね」


 烏賀陽は、最後の項目を特に強調した。

「そこで、ですが。杜野さんが昨日戦ったあの禍獣なんですが……僕らの見立てでは、意図的に生成された可能性が非常に高いと推測しています」


 烏賀陽の言葉に、紡はハッとした。

「え? じゃあ、一体誰が……?」

誰かが、あの恐ろしい怪異を生み出したというのか。その悪意に、紡はゾッとした。


「それが、残念ながら、まだ分からないんです」

烏賀陽は悔しそうに顔を歪めた。


「管理局としても、手がかりを掴もうと調査を続けていますが、依然として誰が生み出しているのか、足取りが掴めていないのが現状でして……」

「何らかの目的があるのか、それともただの娯楽なのか……」

烏賀陽は、歯噛みするように言葉を続けた。彼の表情からは、長年の苦悩と、犯人への強い憤りが感じられる。


(娯楽でやってるなら、それは悪趣味を通り越して、ある種の吐き気さえ覚える……)

紡は、その悪意に嫌悪感を抱いた。自分を襲ったあの怪異が、誰かの悪趣味な「作品」だったと考えると、背筋が寒くなる。


「まあ、今はそこを考えていても解決しませんし、話を戻しますね」


「最後に、怪異の性質、つまり彼らが何をしたいのか、行動原理についてです」

烏賀陽はホワイトボードに「怪異の性質/行動原理」と書き込んだ。


「え? 怪異にそんな行動理由なんてあるんですか?」

紡は素朴な疑問を口にした。ただ襲ってくるだけの存在だと思っていたからだ。


「もちろんです! 何が原因で行動しているのかが分かれば、対処しやすくなりますし、被害も最小限に抑えられることが出来ます」

烏賀陽は自信ありげに頷いた。紡は納得し、さらに前のめりになった。確かに、相手の意図が分かれば、戦い方も変わってくるだろう。


「よくある行動原理としては、まず『訴え』。自分の存在や、発生原因となった不条理、無念なんかを人間に訴えようとするタイプです」

「悲しい怪異も中にはいるんです……」

烏賀陽の声には、どこか哀愁が帯びている。


「次に、『補完/収集』。これは、失われた体の一部や感情、あるいは自分を満たす何かを求めて彷徨う怪異のことです」

「特定の物品だったり、人間の生気、特定の感情なんかをターゲットにすることもあります」


 紡は、先ほどのお守りを思い出した。あの謎の温かさ。もしかしたら、あれも怪異の「補完」に関連するのかもしれない。


「それから、『拒絶/排除』。これは、自分を拒絶した場所や人間を遠ざけよう、あるいは排除しようとするタイプです」

「例えば、住んでいた家を壊された怨念とか、仲間はずれにされた人間の感情とかがこれに当たります」


「そして、『摂食』。これは一番分かりやすく、エネルギーや人間の感情、特に恐怖や快感なんかを喰らって、自分を維持したり成長したりする怪異のことです」


「最後に、『縄張り』。これは、発生した場所や、気に入った場所から動かず、侵入者を排除しようとする怪異のことです」

「ここから先は俺の縄張りだ!みたいな、わかりやすいタイプです」


 烏賀陽は、一通り説明を終えると、紡の様子を伺った。紡は黙々とメモを取り続けている。その真剣な姿に、烏賀陽は少し驚いたような表情を見せた。


「杜野さん、真面目ですねぇ。でも、わざわざ全部書き写さなくても大丈夫ですよ」

烏賀陽はニヤリと笑うと、ホワイトボードに素早くペンを走らせ始めた。あっという間に、先ほどまでの説明が簡潔に箇条書きでまとめられていく。


「ほら、これなら写した方が楽でしょ? 頭に入れるのは後でいいので、とりあえずこれを丸写ししてみてください!」

正直、板書スピードに苦戦していた紡は、その提案に心底感謝した。


「あ、ありがとうございます……! 助かります!」


「いえいえ!それでは、僕はちょっとトイレに行ってきますので、その間に写しておいてください」

烏賀陽はそう言って、軽やかな足取りで部屋を出ていった。


 紡は、ホワイトボードにまとめられた内容を黙々とノートに書き写していた。

怪異の種類、発生源、そして行動原理。一つ一つの情報が、彼の頭の中で整理されていく。


 その時だった。


「ドタドタドタッ!!」


 部屋の扉が勢いよく開く音が響き渡った。紡が顔を上げると、そこに立っていたのは、息を切らし、顔を青ざめさせた烏賀陽だった。

彼の顔は、これまで紡が見たことのないほど、焦りと緊迫感に満ちていた。


「杜野さん! 緊急事態です!!」

烏賀陽の声は、切迫している。


「街の外れに、強大な怪異……禍獣が現れました! 石凝室長が対応に当たっているものの、かなり苦戦を強いられているとのことです!」

その言葉に、紡の心臓は締め付けられた。あの石凝室長が苦戦するほどの怪異。それは、彼が先日戦ったものよりも、さらに強力な存在だということだ。


「かなり強い怪異みたいです! 僕らもすぐに、現場に急行しましょう!」

烏賀陽の顔からは、いつものおどけた表情は消え失せ、真剣な覚悟が滲み出ていた。紡は、全身に緊張が走るのを感じた。


「は、はい!」

返事をするが早いか、烏賀陽は懐から転送術式の結晶を取り出し、地面に放った。淡い光が部屋を満たし、紡と烏賀陽の体を包み込む。


 次の瞬間、彼らは、戦場の真ん中へと転送された。

てとまるです。

ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。

今回は怪異についての説明回になりました。


色々と少し細かめの設定をしていて、

長編になってきたらそれぞれのパターンで怪異を登場をさせたいと思っています。


さて、最後の方は少し不穏な動きになりました。

強い怪異が表れる、これもよくあるテンプレ展開ですね。神はベタがお好きなんでしょう。

次回の展開をお待ちください。


それでは、よろしくお願いいたします。

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