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ナイトクラブの夫婦 3

「お疲れ様です」


 二階バックヤードの休憩室に岳が入ると、同じく休憩時間らしい芹奈と、イケメンバーテンダーの片割れであるジュリアン、さらに四階ダンスフロアのチーフを務める佐々岡という三十代の男性社員もいた。十人ほどが座れる大きなテーブルに着いた皆が、一斉に笑顔を向けてくる。


「あ、岳さん! お疲れ様です!」

「やあ、岳君。お疲れ様」

「お疲れさん。西島さんが下りられたときのインカム、ありがとね。お陰ですぐご挨拶に行けたよ」

「いえ、ちょうど僕がアテンドしてたので」


 わざわざ礼を言ってくれる佐々岡に首を振ってから、岳はまず備えつけのシンクで手を洗った。直後に芹奈の隣へ腰かけたのは、彼女がタイミングよく椅子を引いてくれたからだ。自然とやってくれただけだろうが、内心ではやはり嬉しい。


「今日はまかないも、ノスタルジック・メニューだよ」


 斜向かいの席で、スプーンを手にしたジュリアンが優雅に微笑む。彼だけでなく芹奈と佐々岡の前にも、古典的な海老ピラフ、唐揚げ、サラダの三種が乗ったランチプレートと、ジュースやコーヒーが入った紙コップが置いてある。

 リベルナではスタッフのために、まかないが提供される。しかも「他のフロアスタッフにも、少しでも味を知っておいて欲しいから」という明日美の意向もあり、イベントやキャンペーンを行う場合は、それらのメニューから選んだものを、アーステーブルのスタッフがわざわざ作っておいてくれるのである。当然ながら味もボリュームも評判で、特に岳のような貧乏フリーターにとってはありがたかった。


「いいですね。海老ピラフ、僕も食べてみたかったんです。オーダーも沢山いただいてるし」


 笑顔を返した岳は、さっそく「いただきます」と少し遅い夕食に取りかかった。芹奈も佐々岡も、やはりにこにこと同じものを口に運んでいる。


「美味しい!」


 一口食べただけで岳は目を丸くした。一見なんの変哲もない海老ピラフだが、炊き込んだスープの味がしっかり染み込んでいて、いくらでも食べられそうなほどだ。玉葱とミックスベジタブル、そして一口サイズの海老それぞれの甘みと食感も、見事にマッチしている。当たり前だが、冷凍食品などでは決して出せない素晴らしい味だった。


「最近は裏メニューでもオーダーがなかったし、リハビリがてらにって明日美さんが自分で作ってました」


 ひょっとして、という岳の感想を見抜いたように、頷いた芹奈が教えてくれた。


「ああ。やっぱり」

「美味しいわけだね」

「唐揚げも美味いなあ。そりゃ、四階でもフードオーダーが途切れないわけだ」


 岳だけでなくジュリアン、そして佐々岡も心から納得した顔で頷き返す。

 四階に関しては、壁際に位置するハイテーブルやカウンター席で食事ができるとはいえ、ダンスフロアということもあって、どうしてもドリンクオーダーがメインになる。VIPルーム同様、専用のバーカウンターがあるのもそのためだ。けれども今夜に限っては佐々岡が言うように、フードオーダーも途切れずに入り続けているらしかった。


「厨房は大丈夫? 明日美さんだから心配はしてないけど、これだけ忙しいとやっぱり大変でしょう」


 相棒の海道と並んでフェミニストとして知られるジュリアンが、芹奈に問いかけた。


「ありがとうございます。忙しいは忙しいけど、今のところは大丈夫みたいです。これだけ頑張ってるんだから、三階のイケメン二人が冷たいドリンクを差し入れてくれるんじゃないかしら、って笑ってもいましたよ」

「はは、敵わないな。じゃあ戻ったら、ノンアルコールで何か作ってピッチャーで下ろさせてもらうよ。もちろん芹奈ちゃんたちもどうぞ」

「本当ですか? ありがとうございます!」


 ジュリアンいわく三階バーラウンジ『ユア・ヘヴン』も、ノスタルジック・ナイトに即したカクテルなどを勧めてはいるが、


「懐かしのカクテルって言っても、ジントニとかダイキリ、カンパリソーダとかの普段からよく出るものばかりなんだ。それに皆さん、すぐ四階に上がって行かれるから、人の流れはいつも通りって感じかな」


 とのことで、比較的落ち着いた状態なのだとか。


「けど、踊り疲れたときの休憩所っぽくご利用いただけるなら、それが一番だよ。落ち着ける場所だって、絶対に必要だからね」


 余裕のある表情でスマートに食事を嗜む姿は、いつもながらやたらと絵になっている。しかも三階には彼の相棒であり、甲乙つけがたいほどのイケメンがもう一人いるのだ。きっと今日も年配のマダムも含めて女性たちが、カウンター席を取り合っていることだろう。


 みんな、さすがだなあ。


 各フロアがしっかりと回っている様子を聞いた岳は、そこでふと閃いた。良質なサービスをつつがなく提供し続けるこの人たちなら、何かヒントをくれるかもしれない。


「あの、皆さん」

「はい?」


 真っ先に反応してくれた芹奈の大きな目を見返してから、岳は三人の同僚に向かって相談を持ちかけてみた。


「五階に、小門さんていうご夫婦がいらしてるんですけど――」




 結論から言えば小門さん夫妻について、そして二人がカーテン席で「まったりと」楽しんでいる理由に関して、芹奈もジュリアンも佐々岡も、何も思い当たらないようだった。


「とりあえず、フードや音楽は楽しんでくださってるんですよね」

「なら、大丈夫じゃないかな」

「うん。ユア・ヘヴンほどじゃないけど、四階に来たとしても壁際の席でのんびりなさってるお客さんはいるし」


 それぞれが自分を安心させるようにコメントしてくれたので、岳も「ですよね」と、とりあえずは納得して休憩時間を終えた。VIPルームへ戻った直後、ふたたび越知に確認したところ、小門さん夫婦は引き続きカーテン席の中でゆったり過ごしているという。


 まあ、大丈夫かな。


 今度こそ、岳はそっとしておこうと思った。越知も言っていたが、楽しみ方は人それぞれなのだ。

 気持ちを切り替えて、次のフードオーダーが届いていないかリフトを確認すると、箱の到着を示す赤いランプが点いていた。急いでテーブルに届けるべく、すぐにスライド式の二重扉を開く。テーブルナンバーと記入したスタッフ名のわかるオーダー用紙が、大型クリップに挟まれて一緒に戻ってくるので、自分のがオーダーを通したものでなくても問題はない。

 だが。


「ええっ!?」


 驚いたことに、リフト内には岳が初めて見るフードメニューが二人ぶん入っていた。いや、フード自体はよく知っているし、自分だって食べたことがある。けれども、これは……。


「なんでカップラーメン?」


 リフトで上がってきたのは、この手の商品の元祖でもあり世界中で愛されている、筒型容器に入ったカップラーメンだった。

 とりあえず岳は二つのカップラーメンと、そして一緒に上がってきたクリップを急いでリフトから取り出した。一体何番のテーブルで、誰が取ったオーダーだろうか。というか、明日美が言うところの「裏メニュー」は、こんなものまでOKなのか。

 急がないと麺が伸びてしまう、とサービスマンらしいことも気にしながら、隣にあるクリップを開く。挟まっているのは通常のオーダー用紙ではなく、二つ折りのメモ用紙だった。ならば、やはり誰かの要望があっての裏メニューなのだろう。


「あっ!」


 けれどもメモを見た瞬間、岳はふたたび声を漏らす羽目になった。

 脳裏に二ヶ月ちょっと前の光景が甦る。マナミが初めて来店したときの記憶が。


《VIPの小門様ご夫妻にサービスです。それと四階のDJに、「イケイケのGSも」とリクエストするといいかもしれません》


 あのときと同じ流麗な筆席のアドバイスが、メモには記されていた。

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