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ナイトクラブの夫婦 1

 お盆を過ぎた時期。夜になっても暑い日がまだまだ続くが、リベルナの客足は一向に衰えない。この日もスタッフたちは沢山のお客さんを迎えるために、整然と朝礼を行っていた。


「本日からいよいよ、『ノスタルジック・ナイト』です。みんなのお陰で無事準備できたし、あとはお客様に存分に楽しんでいただきましょう」

「はい!」


 石川ゼネラルマネージャーの訓示に、三十人近い当日出勤者の全員が、例によって大きく返事をする。もちろん、その中には岳と芹奈も含まれている。


「明日美君。仕事を増やしてしまって申し訳ないが、フードの方もよろしく頼む」

「問題ありません。VIPの裏メニューで、お出ししたことがあるものも多いですし」


 続けて呼ばれた明日美が、横一列に並ぶ幹部たちの端で、落ち着いた笑みとともに答えた。岳が視線を動かすと一階スタッフの列でも芹奈が、「ですよね」と言わんばかりに自分も小さく頷いている。きりっと引き締まった、けれどもいつも通りのチャーミングな横顔だ。


「ワンちゃんの方からは、何かある?」


 石川はさらに、幹部スタッフでただ一人、白Tシャツにデニムのハーフパンツという場違いな格好の男にも話を振った。ただし、ドレッドヘアに褐色の肌というルックスの外国人なので、そんな出で立ちも妙にマッチしている。年齢は三十歳前後だろうか。


「ナッシングっす。テンプテーションズでも小山ルミでも、皆さんのオコノミをジャンジャンバリバリかけちゃうっすよ」

「OK。期待されてるお客さんも多いし、ばっちり盛り上げてくれ」

「ラジャー!」


 若干フランクすぎるものの、流暢な日本語でサムアップしてみせる彼こそが、四階ダンスフロア内ブースの主であり、リベルナ東京が誇るメインDJ、ワンである。ちなみにワンという名前はDJネームのようで、見た目からもわかる通り、アジア系というよりは完全にラテン系の人物だ。

 そのワンも大きな役割を担って金曜の今日から三日間、リベルナでは『ノスタルジック・ナイト』と銘打ったイベントが開催される。総支配人を務める石川みずからの発案によるこのイベントは、ダンスフロアから流れる館内BGMを、ディスコ初期の一九六〇~七〇年代の懐メロ中心とし、スクリーンに映し出す映像や館内デコレーションもやはり当時を思わせるもので統一、さらにはアーステーブルからのフードメニューにも、当時の料理やスイーツをスペシャルメニューとして追加するというものだ。


「お客さんたちと一緒に、リベルナ全体であの頃にタイムスリップしてみようってコンセプトなんだ。まあ、私の趣味もあるんだけどね」


 いたずらっぽく言いながら石川は笑っていた。だがクラブ好きな人々の間では、告知直後からかなり話題になっているようで、ウェブサイトを見ての問い合わせなどが普段以上に増えている。店本来のターゲットが銀座のOLやビジネスマン、つまりは大人のディスコ感覚で楽しんでくれる、音楽にも詳しい客層というのもあるのかもしれない。

 かくして、ここ数日は各フロアごとに少しずつ準備を進めながら、晴れてイベントの初日を迎えたというわけだった。


「よし、じゃあ今日もよろしく!」

「よろしくお願いします!」


 総支配人のかけ声とともに、スタッフたちは一斉に動き出した。




「ハイ、岳ちゃん!」


 一階と五階に別れてしまう前に一声かけようと、芹奈に近づいた岳は、背後からポンと肩を叩かれた。


「あ、ワンさん」

「ノスタルジック・ナイト、VIPからのリクエストもOKだから、遠慮なくインカムしてね」

「はい、ありがとうございます」

「芹奈ちゃんも、四階のオススメよろしく!」

「はい!」


 いつも陽気なワンは、岳たちアルバイトにも明るく声をかけてくれる。またDJという職業柄、差し入れやプレゼントをもらうことも多いようで、《いただきました。everybodyでどうぞ!」と、高そうなお菓子を休憩室によく置いていってくれたりもするので、頼りになる面白外国人、といったポジションで皆から好かれている。

 もちろん単に陽気で面白いだけの人物ではない。都内屈指のクラブ、リベルナ東京でメインDJを張るだけあって、専門家に言わせると彼の選曲やアレンジはかなりのものらしく、


《ナイトタイムを品良く彩ることができる、銀座という街に相応しいDJ》

《卓越したセンスを発揮しつつも、ダンスフロアはもちろんのこと館内全体とのマッチングも忘れない、心地良い空間作りをしてくれるプロフェッショナル》


 などと、業界誌や音楽サイトで絶賛されているのだとか。リベルナで働く前はなんと香港のナイトクラブにいたそうで、彼の地を旅行した石川がその実力に「一耳惚れ」してスカウト、本人も政情不安定な香港から移住したいという希望を持っていたため、「ワタリニフネで」すぐさま来日したのだという。


「ところで」


 岳の肩に手を置いたまま、ワンは興味深そうに二人を見つめた。


「最近はチワゲンカしてないよね? 大丈夫?」

「はあ!?」

「な、何言い出すんですか!」


 動揺する岳と芹奈に構わず、ワンは無邪気に続ける。


「だって西島マナミさんが初めて来たとき、芹奈ちゃん、超フキゲンになってたでしょ。岳ちゃんの店内デート見て」

「そんなことありません!」

「ていうか、デートじゃないです! ただのご案内です!」


 岳は慌てて周囲を見回した。幸い、他のスタッフたちは各担当フロアへと動き始めているので、話の中身までは誰も聞いていないようだ。


「あ、そう? まあ喧嘩してないならよかった。ナカヨキコトハウツクシキカナ、だね。ははは」


 どこで覚えたんだ、とつっこみたくなる日本語とともに、ワンは岳の肩をもう一度叩いてから、根城であるDJブースへと離れていった。


「あの、芹奈ちゃん?」


 岳はおそるおそる、芹奈へと視線を戻した。二ヶ月ほど前、アイドルの西島マナミと岳が、二人きりで店内を歩き回ったのはたしかに事実だ。といっても初来店だったマナミからの希望で、文字通り各フロアを案内しただけの話である。

 見かけたスタッフ仲間に冷やかされたのは当然だが、芹奈だけは別で、なぜか怒ったようなコメントを、それも直接ではなくメッセージで寄越してきたのだった。


 焼き餅を妬いてくれたのだろうか、と希望的観測を抱こうともしたが、とにもかくにも彼女の機嫌を損ねてしまった岳は慌てた。

 メッセージを確認した直後にあたふたと、マナミからの希望であること、石川や高木、さらにはマナミのマネージャーである秋野智花までもが、二人で行くように言ってきたことを伝え、


《誰がなんと言おうと、純然たる仕事だから! そもそも緊張しまくりで、芹奈ちゃんといるときみたいに会話も弾まなかったし、楽しめなかったから!》


 ともつけ加えて必死に弁明すると、勤務終了後に芹奈はすぐ電話をかけてきた。


「じゃあ、私といるときは楽しいんですね?」

「はい。楽しいです」

「リラックスできて会話も弾んでる、と?」

「はい」

「嘘じゃありません?」

「か、神に誓って」


 などと取り調べまがいの確認をした彼女は、だが直後に耐えられなくなったように、「あはは!」と吹き出した。


「芹奈ちゃん?」

「ごめんなさい。岳さんてば、めちゃめちゃ神妙に答えてくれるからおかしくて」

「いや、だって――」

「ほんと、ごめんなさい。あれは単なる私の焼き餅です」

「はあ……」


 喜んでいい台詞のはずだが、本当にもう怒っていないのだろうかと心配な岳の口からは、なんとも曖昧な返事しか出てこなかった。


「けど、私ともそのうちデートしてくださいね」

「え?」


 早口を聞き取れなかった岳を置き去りにして、電話はもう切れていた。

 ともあれ、以後は完全にいつも通りの関係に戻れたし、岳にとっては嬉しいおまけもあった。自分が案内した西島マナミが、リベルナをいたく気に入って常連客になってくれたのである。今では一階アーステーブルのスタッフたちともすっかり顔馴染みで、サングラスにキャップというわかりやすい変装をしながら、むしろ芹奈ともよく会話するのだとか。


《今日もマナミさんとお話できました。私でも買える、お勧めのメイク道具とかも教えてもらっちゃいました!》


 マナミが来店した日は、そんなメッセージが芹奈から届くこともしばしばだ。同い年ということに加え、二人とも頭の回転が早いので気が合うのかもしれない。

 いずれにしてもよかった、と岳も今では安心して(?)、芹奈との間でもマナミの話題を出せているのだった。

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