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ナイトクラブのアイドル 5

「クラブのルーツ?」


 きょとんと繰り返す結子の横で、岳は「ひょっとして」と自然に問いかけていた。

 智花は今「クラブ」という単語を、「ク」の音を上げて言った。それはつまり、ナイトクラブだけを指すのではない。自分たちのようなナイトクラブは普通、抑揚をつけず平板に「クラブ」と発音される。つまり――。


「クラブっていう存在そのものの、ルーツとか歴史ってことですか?」

「はい!」


 意図を理解してもらえたからだろう、瞳をきらきらさせてマナミがこちらを見つめてくる。無意識なのだろうが、芸能人オーラ全開の笑顔に岳はまぶしさすら覚えてしまった。

 と、タイミングを見計らったかのように、カーテンの出入り口から別の声が割って入った。


「うちみたいなナイトクラブは、どちらかと言えばディスコの流れを汲んでますけど、いずれにせよ〝人が集まる社交場〟としてのクラブってことですね」


 総支配人の石川だった。六月なのでジャケットこそ未着用だが、お揃いのネクタイピンとカフスボタンをぴしっと身につけた店のトップらしい出で立ちで、いつもの人好きのする笑顔を浮かべている。大柄な身体の後ろには、高木の姿もある。


「失礼します。ご挨拶が遅くなってしまい失礼しました。リベルナ東京、総支配人の石川と申します。ようこそ、当店へ。こちらはVIPルームチーフの高木です」

「こんばんは。私の方も、なかなかテーブルに伺えず失礼致しました」

「いえ、とんでもないです。ご丁寧にありがとうございます」

「お邪魔してます。お店は綺麗だしお料理も美味しくて、凄く楽しませていただいてます!」


 智花とマナミも、わざわざ立ち上がってくれてにこやかに返している。今さらの感想だが、智花はもちろんのことマナミも、問題なく敬語が使えるし振る舞いもとても丁寧だ。アイドルという職業に偏見があるわけではないが、きっと学校や家庭できちんとした教育を受けてきたのだろうと岳は思った。そう言えばたしか読書も趣味で、社会派作品として話題になった推理小説に感動したというようなことも、ブログに書いていたはずだ。


「それはよかった。ああ、申し訳ありません、どうぞ気にせずおかけください」


 大きな手で二人を促した石川は、直後に「岳君」と笑顔をこちらにも向けてきた。この気さくな総支配人もまた、他の同僚たちと同じように岳を下の名前で呼んでくれる。


「はい」

「話を中断させてしまって悪かったね。で、続きだけど、クラブという社交場のルーツについて君は知っているかい?」

「いえ……すみません」


 マナミと智花にも見えるように、岳はぺこりと頭を下げた。恥ずかしながら、そうした知識はまったく持ち合わせていない。というかリベルナで働くまでは、ナイトクラブという場所に足を踏み入れたことすらなかったのだ。

 嬉々として答えを教えてくれたのは、意外にもマナミだった。


「クラブっていう社交の場は、十七、八世紀のイギリスで流行ったコーヒー・ハウスがもとになってるんです。残念ながら女性は会員になれなかったみたいですけど、コーヒーやチョコレートドリンクをおともに、新聞や雑誌を読んだりしながら政治や経済、社会のことについて語り合う喫茶店だったそうですよ」

「へえ」

「マナミさん、よくご存知ですね」


 ぺらぺらと流暢に語るので、岳と結子はびっくりした。賢い女の子というのは、もはや疑いようもなかったが、これほどまでに教養も豊かだとは。


「……とかなんとか偉そうに講義してますけど、ちょうど勉強してるだけです。次の映画で、そういう社交場に関係する役をいただいたので」

「ちょ、ちょっと智花さん、黙っててよ! せっかくいいとこ見せたかったのに!」


 しれっと理由をばらされて、マナミの頬がピンク色になった。もう、とばかりに軽く智花の腕を叩く姿が、相変わらず可愛らしい。


「ああ、明治時代のお話ですよね。鹿(ろく)(めい)(かん)のお手伝いに駆り出される、女学生さん役でしたっけ」

「はい、そうです! 順調に行けば年末頃に公開予定なんで、よろしくお願いします!」


 既に情報は公開されているようで、高木も話に加わってきた。岳や結子はノーチェックだったが、そんなニュースまで把握済みなのは、さすがチーフという他ない。マナミはと言えば、知ってもらえていたのが嬉しかったようで、ふたたび顔を輝かせている。ころころと変わる豊かな表情は、失礼な言葉かもしれないが見ていて本当に飽きない。


「そうか、だからコーヒーやチョコレートばかり、ずっと召し上がってらしたんですね。新聞をご所望されたのもコーヒー・ハウスに倣ってだった、と」


 頷いた岳が尋ねると、マナミもにこにこ顔のまま、真っ直ぐに目を合わせて「はい!」と同じ仕草を返してくれた。つまり彼女は、和洋の違いこそあれどクラブという社交場について、その歴史を実際に体験してみたかったらしい。智花が明かしたように。


「最初の何杯かは、コーヒーをちゃんと淹れてくださるお店かどうかを、確かめさせてもらいながらでもあったんです。申し訳ありませんけど、適当なところだと美味しくないカプセル式だったり、もっと酷いときには、作り置きを温めてるような店も過去にあったので」

「なるほど」


 結子も納得顔で首を縦に振っている。当然ながらリベルナのコーヒーは、いい加減なものではない。厳選した豆を使っているし、マシンではなくわざわざサイフォンで抽出しているほどだ。岳も以前に芹奈から聞いたが、「サイフォンも、めちゃくちゃ値段の張るやつみたいです」とのことだった。


「けど、お料理も含めてとっても美味しかったから、さすがリベルナさんだねって智花さんと話してたんです」

「で、こちらならターキッシュコーヒーも可能かな、と思いまして」


 あとを受けた智花が、テーブルの上にあるターキッシュコーヒーのカップを、手のひらで示した。ふたたびマナミが語り出す。


「これも勉強したばっかりなんですけど、コーヒー・ハウスができた頃のコーヒーは、挽いた豆から直接煮出してたそうです。で、今もそうやって淹れるのが、トルココーヒーとかターキッシュコーヒーって呼ばれる飲み方なんです。だからリベルナさんの厨房なら、きっとターキッシュコーヒーを出してくれるかなって。でも言う前に持ってきてくれたから、びっくりしました。しかもそのあとで、岳さんが新聞まで用意してくれて」

「い、いえ、ですからこれは厨房からでして――」


 手にしたままだった三つの新聞を掲げて、岳は曖昧に笑うしかなかった。なんだか顔全体が熱い。というのもマナミが、結子に対してと同じく、下の名前で親しげに呼んできたからである。

 岳の動揺には気づかない様子で、マナミはご機嫌なトークをさらに続けていく。


「同じ頃、他の国でもコーヒーは広まって、フランスでカフェオレが生まれたり、オーストリアだとアインシュペナーっていう、日本で言うウィンナー・コーヒーみたいな飲み方もあったそうです。けど、十八世紀に入ってイギリスでは紅茶が広まったこともあって、コーヒー・ハウスはだんだん廃れちゃって――」

「ストップ、マナミちゃん」


 早口にすらなってきた彼女を止めたのは、やはりと言うべきか、智花だった。


「すみません、皆さん。この子、特に仕事絡みのことになると、こう見えてかなりマニアックに調べちゃうんです。しかもそれを、オタトークみたいに語り出すくせがあって」

「こう見えては余計ですー。智花さんだっておんなじじゃん。いっつも車の中で、今期のアニメはあれが覇権だの、推しの声優さんのライブがどうのって、私に熱く語ってるし。ていうか、オタトークとかって単語使ってる時点で、オタクばればれだよ」

「ちょ……マナミちゃん! 何、勝手に個人情報晒してるの! べべ、別にいいでしょ、三十路の女がアニメ好きだって!」


 唇をとがらせるマナミに反撃され、珍しく智花が耳まで赤くしている。


「駄目なんてひとことも言ってないでしょ。私だってアニメは好きだし。けどいつもお願いしてる通り、だからって声優のお仕事とかは営業しなくていいからね。私みたいなぽっと出のアイドルが割り込むなんて、きちんと専門の訓練してる人に失礼だから。まずは基本のお芝居を、もっともっとレッスンしなきゃ。こないだの読み合わせも、私だけ下手くそで超恥ずかしかったもん」


 口調こそ変わらないが、マナミの目には本気で悔しそうな光が灯っていた。

 落ち着きを取り戻した岳も、ここに至って一層の確信を抱いた。

 この娘は、西島マナミは、大活躍中のアイドルながら欠片も浮ついてなどいない。芸能の仕事と真摯に向き合い、一所懸命成長しようとしている。穏やかな微笑にすぐ戻って、「大丈夫よ。監督さんだって褒めてくれてたじゃない」と彼女を優しく見守る、姉のように仲良しのマネージャーだってそばにいる。


 二人の美女を微笑ましく眺めながら、岳はあらためて謎のメモの中身を思い出した。

 マナミがカフェオレやウィンナーコーヒーにも、興味があるかもしれないこと。

 コーヒーの次は、紅茶を求めるかもしれないこと。

 いずれもクラブという社交場のもととなった、コーヒー・ハウスの歴史に絡んだ内容だったのだ。そしてメモの主は、ターキッシュコーヒーや新聞も含めて、マナミのこうした考えを正確に読み取っていたらしい。


 凄いな……。


 明日美でも芹奈でもないことはわかったが、一体誰なのだろう。アーステーブルに切れ者の新人が入った、などという話も聞いた覚えはないが――。

 無意識のうちに視線が外れ、一階スタッフの顔を、脳内であれやこれやと検索し始めたとき。


「岳さん!」

「は、はい!?」


 知らないうちに立ち上がったマナミが、すっと近づいている。


「ご迷惑じゃなければ、他のフロアも案内してもらえますか?」

「え?」

「お腹もふくれたし、勉強は一休みにするので」

「あ、いや、ええっと」


 言いたいことはわかるが、果たしてそれはありなのだろうか。そもそもVIPにつき従ってのアテンドは通常、石川や高木の担当なのに。

 しかし。


「いいんじゃないかな」


 当の幹部二人が、声を揃えてあっさりと許可してしまった。


「今は五階も落ち着いてるしね」

「た、高木さん!?」

「一階から順に、ゆっくりご覧になってもらうといい。頼んだよ、岳君」

「石川さんまで!?」


 最後の望みとばかりに結子と智花に視線を走らせるも、女性陣も意味ありげな笑みを向けてくるばかりである。


「マナミさんのご指名ですから」

「この子、蓮山さんがいらっしゃらないときに何度も言ってたんです。全然クラブのスタッフさんぽくないし、真面目な感じで素敵だって。あ、私はもちろんここに残りますから、申し訳ありませんが館内デートくらいは、おつき合いしてやってもらえませんか」

「と、智花さん! だから余計なこと言わないで!」


 なぜか慌てた口調でつっこんだマナミが、上目遣いに再度自分を見つめてくる。


「……あの、迷惑ですか?」

「ととと、とんでもないです! 非常に光栄であります!」


 兵隊かよ、と石川が苦笑したような気もするが、岳にはほとんど聞こえていなかった。智花の言葉通り、これはまさにマナミとの館内デートに他ならないではないか。


「よかった! じゃあさっそく、お願いします!」


 腕を取らんばかりの勢いでマナミがさらに寄ってくる。スタイルもいいので、豊かな胸が実際に触れてしまわないかと、岳は気が気ではなかった。なんにせよ断ることは不可能なようだ。


「か、かしこまりました! では一階、無国籍レストラン、アーステーブルよりご案内させていただきますっ!」


 かくしてマナミと並んでカーテンを出た岳は、同僚や他のVIP客からの刺すような視線を感じつつ、エレベーターへと向かったのだった。




 その日の休憩時間。岳のスマートフォンにキズナの新着メッセージが届いていた。


《今日はいつも以上に楽しそうな顔でお仕事されてますね。私に内線くれたそばから可愛くて胸の大きいアイドルさんとデートしてお金もらえるなんて羨ましいです。そりゃあ一階への配属なんて選びませんよね。頑張ってください。むっつりスケベのVIPスタッフさんへ》


 差出人は芹奈だが、いつもはよく使うスタンプや絵文字どころか、読点すらない無機質な文章である。


「違うってば!」


 思わず声を出したタイミングで、ちょうど休憩が重なっていた明日美と目が合った。


「そりゃあ怒るわよ。仕事とはいえ、もうちょっと上手くやんなさいな」

「は?」

「あーあ。岳君なら許してやろうと思ってるのにな」

「あ、明日美さん?」


 目を瞬かせるしかない自分を、芹奈の上司はおかしそうにしばらく眺めていた。

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