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ナイトクラブのアイドル 4

 聞けばマナミは、まさに「メニューには載ってないけど、ご迷惑じゃなければターキッシュコーヒーをお願いしたくて」とのことで、岳に頼もうとしていたのだという。


「それを言う前から持ってきてくださるなんて、びっくりです! さすがリベルナさんですね!」

「い、いえ」


 どう答えたものかと戸惑う岳と入れ替わるようにして、結子は持ち前の優雅な仕草で、二種類のカップをサーブしていく。


「申し訳ありません、じつは私たちはまったく気づいてなくて。厨房側の判断なんです」


 正直に告げて苦笑する彼女とともに、岳も慌てて頭を下げた。だがマナミも智花も、気を悪くした様子はまったくない。


「何もお伝えしてないんですから、当然ですよ。それにしても厨房の方、凄いですね」

「ありがとうございます」


 フォローしてくれる智花と笑みを向け合った結子は、サーブを終えると今度は岳の方へと近寄ってきた。そのままパンツのポケットから、二つ折りになったメモ用紙を取り出してみせる。


「岳君。これ、一階からの返事」

「え?」


 差し出されるままに受け取ったメモには、流麗な、けれども読みやすい筆跡でこう記されていた。


《コーヒー系のオーダーに連続して応えることで、むしろご満足いただけるはずです。他にはウィンナーコーヒーやカフェラテもご興味があるかと。ただ、コーヒーが一段落したら、次は紅茶をご所望されるかもしれません。いずれにせよ、どれも対応可能です》


「…………」


 わけがわからなかった。どういう理由かは知らないが、メモの主はマナミの希望するドリンクメニューについて、かなりはっきりと見通しているらしい。鋭い洞察力とてきぱきした感じのコメントは、やはり明日美だろうか。


 いや、でも……。


 違うかもしれない、と岳はメモを見直した。リフトでの注文時にこうして伝言を添えることはしばしばあるが、その際は誰が書いたのかわかるよう、必ず署名する店内ルールになっている。事実、岳もコーヒー系以外でのお勧めやサービスを尋ねた行きのメモには、《五階・蓮山》と忘れずに記したはずだ。

 しかし、この返答には署名がなかった。いかに厨房が忙しかったにしても、明日美や厳しく教育されている彼女の部下が、そんな初歩的なミスをするとは考えられない。ドリンクメニューだし、心得のあるホールスタッフが手伝った可能性もあるが、それにしたって同様だ。


 ……わざと名乗らない?


 別の可能性に気づいたものの、首を傾げるしかない。だとしたら、なんのために? 場合によっては、差し出がましいと思われる怖れもあるから? 

 疑問が募るままにメモの裏側も確認した岳は、「あ!」と小さく声を上げてしまった。


《追伸:西島様ですが、ひょっとしたら「新聞を読みたい」とも仰るかもしれません。その際も、一階から提供可能です》


 裏面には、追加でそんな文面も記されていた。




「すいません、結子さん。ちょっとだけお願いします」


 もはや居ても立ってもいられなくなった岳は、結子に小声で断ってから「失礼します」とマナミたちにも笑顔で会釈し、早歩きでカーテン席を出た。急いでリフトのあるバックヤードスペースに入る。

 リフト脇に設置された壁掛け式の内線電話を取り上げた岳は、ためらうことなく《♯1》とボタンをプッシュした。インカムを使おうかとも一瞬思ったが、詳細は不明なままだし、ひとことやふたことで説明できるようなものでもない。


「はい。一階、東日下です」


 幸いにも、内線を取ってくれたのは芹奈だった。


「お疲れ様です。五階、蓮山です」


 プライベートな電話ならここからすぐに会話が弾むところだが、もちろんそんなことはしていられない。岳はすぐ本題に入った。


「あのさ、芹奈ちゃん」

「はい?」

「ちょっと前に僕が下ろしたリフトのオーダー、芹奈ちゃんが通してくれた?」

「ああ、西島さんのチョコレートドリンクですよね。はい、ちょうど厨房にお皿を下げに入ってたので、私が取って明日美さんに渡しましたよ」


 なるほど、と状況を想像しながら岳は続ける。とはいっても芹奈ではないだろう、と考えながら。


「それだけ?」

「え?」

「明日美さんにオーダーを通してからは、特にかかわってない?」

「ええ。あ、何かミスがありましたか? ひょっとしてアイスチョコレートと間違えちゃったとか」

「ううん、全然大丈夫。むしろ感謝したいくらい」

「感謝?」


 キュートに小首を傾げる芹奈の姿が目に浮かんだ。だが、今はそれどころではない。手短に用件を伝える。


「うん。厨房からサービスでターキッシュコーヒーも届けてもらったんだけど、ちょうど西島さんが飲みたいと思われてたドリンクだったんだ。しかも、このあとのオーダーも予想したメモまでつけてくれて。だから誰がやってくれたのかなって」

「へえ。じゃあ、明日美さんかもしれませんね。……あ、ちょうど少し手が空いたみたい。代わりますね。明日美さん!」


 数秒後、受話器を受け渡す気配がして、すぐに明日美の声が聞こえてきた。


「代わりました、島です」

「お疲れ様です。五階、蓮山です」

「お疲れ様」


 いつもながらの凜とした挨拶に、やっぱりこの人かな、と思う。

 あらためて感謝の念を抱いた岳だったが、先回りして明日美が口にしたのは、なんと真逆の台詞だった。


「用件は芹奈ちゃんから聞いたわ。でもごめん。それ、私じゃない」

「えっ!?」

「うちから五階に、ターキッシュコーヒーをサービスしたんだよね。このあとのオーダー予想もつけて」

「はい」

「たしかに私は芹奈ちゃんからオーダー用紙を受け取ったし、その場ですぐにチョコレートドリンクも作ったけど、あとはノータッチなの。いつも通り出来上がったドリンクを、チェックしたオーダー用紙と一緒にリフト前のキッチン台に置いただけ。そこから先は背中を向けて、次の調理オーダーにすぐ取りかかってたから、誰がやったのかもまったくわからない」

「じゃ、じゃあ追伸で書かれてた、西島さんが新聞を読みたがるかもしれない、っていうのも?」

「そんなことまでメモされてたんだ? 誰だか知らないけど大したものね。けど、どれも私じゃないの」

「そうですか……」


 つい落胆してしまったこちらを気遣うように、口調を柔らかくした明日美は、「申し訳なかったわね」とまで言ってくれた。


「うちから上げたリフトで、びっくりさせちゃったみたいで」

「あ、いえ。なんにせよ助かってますから」

「手が空いたら他のスタッフにも確認しとく。ああ、それと、新聞が必要なら今のうちに何紙か上げておくわね。今の時間は読む人もいないから、しばらく五階に置いといてもらっていいから」

「はい。ありがとうございます」


 気を取り直した岳は心からの礼を述べた。メモの主が明日美ではないにしても、この判断の素早さと明確な指示は、やはり頼りになる。


「また何かあったら、それこそメモも添えて遠慮なくオーダーして」

「ありがとうございます。失礼します」


 芹奈と同じく、リベルナが誇るスーパーシェフを、いつまでも内線電話につき合わせるわけにはいかない。もう一度、今度は頭も下げて感謝した岳は、言葉通りすぐに上がってきた新聞三紙を手にして、マナミたちの席へと戻った。




「うわ! なんでまたわかったんですか!?」


 カーテン席に入った岳を出迎えたのは、マナミの素っ頓狂な声だった。ただでさえぱっちりした目がさらに見開かれ、ターキッシュコーヒーを見たとき以上に驚いた表情を浮かべている。

 自分が持ってきた新聞のことだと理解した岳は、「いえ、これも厨房からなんです」と先ほどの結子と同じように正直に伝えた。


「てことは、完全に西島の気持ちをご理解くださってるんですね」


 やはり驚きながらも、すぐに冷静な微笑を向けてきたのは隣の智花である。


「マナミさんの――」

「お気持ち、ですか?」


 カーテン席に残ってくれていた結子と自分の言葉が、綺麗に繋がる。

 同時に岳は、ささやかな変化に気がついた。いつの間にか結子は、マナミのことを名前で呼んでいる。マナミ本人からのリクエストがあったのかもしれない。さばさばした性格の結子は誰とでも素早く打ち解けられるし、特に同性から好かれやすい人なのだ。

 ともあれ今は智花の言う、マナミの「気持ち」の方が気になる。一体どういう意味なのだろうか。

 表情から察してくれたのか、「そうなんです」といったふうに笑みを深くした智花は、二人に向けて明るい声で教えてくれた。


「私と西島は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、今夜お邪魔したんです」

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