第1話 海はプラスチックでいっぱい 第4回目
第2章見慣れない生き物 (続き)
<第3日目>
ボートの検査のためにプロジェクトC-101が結成されて3日目の昼、艦長室の会議室は大きな水槽に大小さまざまなパイプが入り、その横では星野とCarloが分光顕微鏡で作業をしている。いったい何が起こったのかをJavier副官の説明をもとにまとめてみた。
捕獲したエビの数は、1日目1匹、2日目はボート内部で20匹、回収エリアの通路で25匹の計46匹で総重量は250g。ただし遺伝子検査のため1匹を使用したので現在生きているのは45匹。ボート検査と比較するとこの4倍以上いるはずと思われる。
遺伝子検査と分光顕微鏡検査からこのエビについて分かったのは以下のこと。
・種類としては深海に生息するオキナエビの一種で見つかったのは全長5㎝程度だが10cm程度までは大きくなると思われる、
・ボートに乗っていたのはこのエビと思われる、
・体内にIdeonella sakaiensisを含むことによりプラスチックを分解することができる、
・検出されたIdeonella sakaiensisは遺伝子組み換えで作成されたものに非常に近いためこのエビも遺伝子操作などの人工的手段で作られたと思われる、
・目の前にプラスチックだけあっても自分から食べることは無いがIdeonella sakaiensisが少しでも付着している場合は自分から食べ多少固いものでも食べる、
・体内で分解されたプラスチックは最終的には完全に分解されるようだがその手前の中間生成物は殻の部分に蓄えられる。
この話をしたところでFajarが他の人を驚かす話をした。「この設備はプラスチック処理のためで、この施節から自然界にマイクロプラスチックが排出される危険性を提言するため、この艦内の排水用配管にはプラスチック分解酵素のコーティングがされている。飲料水へのプラスチック分解酵素混入は人体への安全性が確認されていないため禁止されており、飲料として使用する可能性のある配管に関してはこのコーティングはされていない。」この情報はすぐに本部に伝えられKatherineから情報が来た。それによると、BNPRCの事故とは、電力設備において何かの配管が破損して漏れた水が原因で漏電が発生し火災となり、それが爆発を引き起こした、というもの。
艦長室の会議室にある配管パイプは、見つかっていないと思われるエビがこの施設の配管に入っている可能性があること、エビが配管に入ったときにどのようなことが生じ得るのかを調べること、およびそれに対応する方法があるかを検討すること、のためなのだ。基本的に水生動物なので水の無いところに居るはずがなく、人工生物とはいえ外観はエビなのでプラスチックを分解する工程に入り込んだら同様に分解されるということで、配管以外の可能性を調べる必要はないとの結論になりこの調査となったのだ。
最初に配管内にエビがいるのか、いる場合に何かエビの影響が出ているのかを調べることになった。この施設では、海水から淡水を作るのと排水を処理するのはOperation and Energy Departmentで行われるのだが、4棟の建物が独立しているのでそこでの上下水とプラスチックの回収エリアと抽出エリアのプラスチック回収用配管の合計10個の配管系統がある。これらには配管での事故を予防するため数か所にセンサセットが取り付けられている。このセットは様々な検出に対応できるのだが、デフォルトでは温度、漏水など単純な検出のみとしている。そこでpH、電気抵抗、水圧などの項目を追加した。実際に何をしたかと言うと、Fajarと星野が各センサセットの場所へ行って手動でのセンサ設定変更とモニタリングルームの設定変更になる。エビがいるかどうかは、定期的に各配管の排水サンプルを取得して遺伝子検査をすることになる。ただし測定器は1台だけ、1サンプル当たり約30分必要、配管10系統なので1日に測定可能なのは2回となる。排水サンプルを取得するのはOperation and Energy Department になるので歩き回る必要はないが10か所からのサンプルを全部取るのは1時間くらいかかる。Fajarと星野が排水サンプルを取得して測定をCarloに頼んでから、センサの設定変更のため艦内をぐるぐると3時間ほど歩き回って昼食後に帰ってきた。そのころには全配管系統に対するCarloの測定が終わって結果がまとまっていた。飲料水用の配管の全4系統では検出されなかったが、残りの6系統では検出されており、特に回収エリアと抽出エリアのプラスチック回収用配管2系統では検出量が多い、という結果だ。各配管系統のセンサのモニタリングを開始して、現時点では漏水などの不具合はまだどこの系統でも発生していない、という結果も得られている。さらにCarloから「エビが配管をかじる音から方向や位置がわからない?」という質問に対し星野からは精度は問題があるかもしれないが何とかできそうとの答えをして音の方向を調べるための準備を始めた。2本のマイクを少し離して置いて差分を取ると音が来る方向と可能性のある位置情報が取れる、というのが原理で、かじっている場所の上流と下流にこのマイクをセットしておくと大体の位置を推定できるのだ。
これが3日目の主な作業結果で、これをJavier副官がまとめた。「新種と思われるエビはこれまでに46匹捕獲されそのうち生存しているのは45匹。体内に菌Ideonella sakaiensisがいてこれと共生することでプラスチックを分解する能力がある。今回捕獲されたもののほかにまだ艦内に潜んでいるものがいる可能性があり、今後も捕獲作業を続ける。」というのがプロジェクトからの公式報告である。これ以外で現在公式報告に挙げていないのは、この新種のエビは自然発生したものではなく人工的に作り出されたもので、先に発見されたボートに乗ってこの艦に漂着したと思われること、ボートで検出された痕跡から判断すると数倍~10数倍隠れていてその場所は主に菌Ideonella sakaiensisでコーティングされた排水管と思われること、自分からプラスチックを食べることは無いけれどIdeonella sakaiensisが付着したプラスチックであれば積極的に食べること、エビが菌Ideonella sakaiensisでコーティングされた配管に対してどのような行動をとるのか調査を開始したこと、管内の配管系統に取り付けられているセンサを用いてモニタリングを開始した、である。
艦長のAudreyからはあまり聞きたくない状況が伝えられた。それは、米国側と中国側両方ともエビに対しては非常に注目しているようでこちらでの動きを監視しており本部から大掛かりな装置や調査団を送ることができないのでこちら側だけで対応しなければいけないこと、特に調査団を送るとそれに参加させるように要請が来るので可能性はほとんどないこと、生きたエビをある程度の数だけ提供するので当面はこちら側だけで対応するとしているようで見つかっていないエビを殺すことはできないこと、すなわち排水管に毒物を注入して排水管設備を保護することはできない、ということである。
配管系統のモニタリング開始で何か始まっているらしいということはプロジェクトメンバー以外にもわかりかけているのだが、Javier副官からの「本部などからの表立った手助けは来ませんので、皆さん頑張ってください。この施設の安全は聡明な皆さんの努力にかかっています。」という締めの言葉で3日目が終わった。
<第4日目>
4日目には心配されていたモニタリング結果が出てきた。前の日までに菌Ideonella sakaiensisでコーティングされた配管にエビが入り込むと内部から配管をかじる場合が出てきて、さらに数匹いる場合は固まって同じ場所をかじる傾向が分かっていた。そのような現象は今までは出ていなかったが、とうとう配管から排水がにじみだし始めるという結果が数か所で出てきたのだ。問題はその場所がどこで、よりひどくなるかどうかなのだが、わかっているのはだんだんひどくなるということで、あと数日で配管に穴が開いて多量の漏水が生じる可能性が大きくなるとの予想が出てきた。場所については、3日目の検討でエビが配管をかじるときの音からだいたいの位置を検出できることが分かったので、音響センサを追加することでまずは20m程度の誤差でかじっている位置を検出できるようになった。このためにFajarと星野が1日で数10か所にセンサを取り付けてきたのだ。作業日がもう2日あれば誤差3mまでできそうとの予想も出てきた。そうすると小さい穴が開いた時点で外側から補強すればさらに3日程度はなんとかなるだろうという結論が出た。つまり、綱渡りを続けていけば大きな災害は避けられそうということだ。
<第5日目>
5日目にはまたCarloからアイデアが出てきた。エビをおびき出せる可能性のある案だ。どこからそんなアイデアが出たかは言わないから不明なのだが、菌Ideonella sakaiensisを含んだ血清を流すとエビが引き寄せられることがわかった、という。血清にエビが大きく反応するらしい。また血清というのがミソで、ある時間流れると排水に含まれる雑菌に分解されるため排水中での血清の濃度に勾配ができて、下流に行くほど濃度は低くなるからエビが血清を見つけると濃度が濃い上流の方に集まってくる。人間の血清は菌Ideonella sakaiensisを含まないのでCarloは星野のハムスターで実験したかったのだが星野が拒絶したため特殊な処理をした人間の血清と菌Ideonella sakaiensisを強引に混ぜたのだ。ただし、これは安定な溶液ではなく実際に使用するには問題があるらしい。Carloは、ハムスターを潰して使いたかった、と怖いことを言って星野はタロをどこに隠そうかと考え始めていた。それを見ていたNinaが「人工血液製造装置が使えそう」と言った。これは緊急手術の時に拒絶反応を避けるため患者本人の血液を急速培養して輸血用の血清を作るもので、5時間あれば入力した血清の5倍ができるため、1ccの血清があれば30時間で15リットル用意できる。当然人間用なのだが、動物の血液でも対応可能で菌Ideonella sakaiensisも同時に培養できたという論文が発表されているらしい。Ninaがその論文を見つけている。誰が何のためにそんなこと行ったのか全く理解できないが、この状況では非常に役立つ情報だ。もしこれが使えるのであれば菌Ideonella sakaiensisを含んだタロの血清1ccから多量の血清を培養できる。Carloの当初の計算では、捕獲したい位置からエビが溜まっているまでの距離が500mとしたとき、排水管1本あたり1時間に500ccの血清を流すとエビが反応して1時間に約20m移動するので1日程度で捕獲可能な場所に誘導できそうとのことだ。この場合は対応が必要な配管系統が6なのでトータルで70リットル以上の血清が必要となる。これに対し、Ninaから血清は連続的ではなくわざと間欠的に流すほうが必要な血清が少なくでき、さらにより効果的との提案があった。確かに連続的に流すとエビからは血清の濃度分布が分かりにくい可能性がある。この方法であれば必要な血清は10数リットルに抑えられる可能性がある。問題は、人工血液製造装置なるものはこの施設に存在しないことだ。
<第6日目>
Audrey艦長からは、本部で必要な機材の検討を始めている、との連絡があったが、星野には具体的に何が進んでいるのかよくわかっていなかった。5日目同様にFajarと星野がエビ検出用の音響センサを排水管に取り付けているとき呼び出しがあった。最初の漏水が検出されたのだった。回収エリアの排水系統の中の音響センサの追加が途中のエリアで、漏水箇所は回収エリア建物内のある位置でその誤差は10mらしい。回収エリアということで、Fajarと星野のほかにRyanも加わって対応することになった。用意したものは、床板を開けるための床板吸盤器、配管で漏水の部分に応急処置用に貼る防水テープ、配管を外側から巻いて補強する厚手のシート、このシートは熱を加えると収縮して配管に付着するのでそのためのドライヤー、あとは漏水を拭くためのバケツにモップだ。Fajarが聴診器みたいなものを首からぶら下げているのを見てRyanが言った。「なんだそれ?20世紀が部隊のドラマでクリニックの医者みたいな格好だな。」「昔の器具のように見えるだろうが、結構役に立つんだ、これは」。確かに役に立ったのだが、人力で何かをする場合の道具は100年経っても見た目は大きな変化はない。違うのは各自のヘッドセットには床下にあって普通は見えない排水系統がはっきりと表示されていることくらいだ。
誤差10mではあるが予想地点に来たのでRyanが床板を外す準備をしているとき、Fajarがそこから20mくらい離れた位置を先に開けてくれと言った。そこは配管に音響センサを取り付けていた場所で、そこが開くとすぐに配管の上から持ってきた聴診器をあててヘッドセンサ経由で何かコマンドを打ち始めた。ヘッドセンサに付いている小型プロジェクタからキーパッドを床に投射したのだ。予想地点でRyanが床を開けたのだが、その場所では漏水は生じていないようだ。そこにFajarが来て配管に聴診器をあててまたコマンドを送り始めた。するとヘッドセットには床板2枚分離れた地点で漏水あり、との表示が出てきた。聴診器に見えたものは、音響センサの働きもするもので、最初にセットしている音響センサとの比較でキャリブレーションをしてから追加の音響センサとして使用して測定精度を上げたのだ。Ryanが指定された床板を外すと確かに排水がわずかに漏れているようで配管の色が黒ずんでいた。星野がモップで回りを拭いてから、Fajarが防水テープで巻き続いてRyanが厚手のシートを適当にカットして配管部分を巻いた。その後Fajarがドライヤーでシートを暖めて排水管に付着させた。これでこの部分の作業は終了、かかった時間は4時間ほど。この作業で配管内のこの場所に集まっていたエビは移動してしまったので、また数日後には別な場所に集まって配管をかじることになる。この3人以外のメンバーも、あと何回この作業を続けることになるのだろうか、と言葉には出さないが心配していた。