第1話 海はプラスチックでいっぱい 第3回目
第2章見慣れない生き物
<第2日目>
今は、ボートの測定が始まって2日目の朝8時半、星野はビーカーを持って艦長室に来ているが、その前に裏情報をひとつ。
どういう理由で今回の測定プロジェクトC-101(設備ができたのが2121年、今年が2123年だからC、その分類1での最初のプロジェクトという意味とのこと)が結成されたのかについての公式発表は特になく今後もないのだが、後になって恐らくこうだったのだろうと噂になったのが以下の話。
公海とはいえアメリカ近海で中国BNPRCの施設で軍関係のSNBCが遺伝子操作に関する実験をしているのではないか、と米軍はかなり前から神経をとがらせていたところに、かなり大掛かりな火災と思われるものが発生し、衛星観測でも近海を航行していた巡洋艦も呼び出されて漂流物の調査をしているのが観測されていた時、我々の関係者がいる施設でボートのような大きな漂流物を回収しているのが観測された。この漂流物が中国の巡洋艦が探しているものと関係ある可能性が高いと認識し、米軍はこの施設に対して、米軍が主体的に今回回収した漂流物を調べるので協力して欲しい、及び調査結果に関しては中国側に情報提供しないことを依頼してきた。当然ながら国連施設としてそれは許容できないため、米国と中国の両方のメンバーが参加するプロジェクトのみが調査を行い、その結果は米国と中国、及び国連が同時に共有する、という現在の方法で米国側を納得させた。
ついでに昨夜から今までは、次のようなことが起こっていた。
星野が部屋に戻ってシャワー浴びてからエビがビニール袋から出ていることに気がつき、古いビニール袋だったから裂けたのかと思ってよく見ると避けたというより何か細かな穴がいくつか開いて、それもかじられて破けたように見える。エビがビニール袋をかじったかどうか不明ながら、とりあえず新しい袋にしたところ朝にはエビはビニール袋に入っているままだった。エビは新種のようだし、見つかったのは今回のボートと同じだし、ビニールをかじって穴をあけた可能性があるため、プロジェクト開始前にプロジェクト参加者で生物学者のNinaにまずは見せて相談してから船長に報告しようかと考え、Ninaへ連絡しようとしたが連絡が付かず。Ninaが所属するBio Survey Departmentは船長室と同じ中央管理エリアにあるので、そこに行けばNina以外でも誰かいるだろうと思った星野はエビの入った容器を他の人には見えないようにバッグに入れて、色はグレーになる中央管理エリア2階のBio Survey Departmentへ向かった。部署によってはドアが開け放しのところがあるのだが、ここは基本的にいつも閉まっていて部外者は入れない。星野がドアに近づくとセンサが働いて内部に知らせたようで中から何かグオーという音と「ちょっと待って」という声がしてからドアが開いたとたん、星野は何かと目が合って急に目の前に大きなくちばしのようなものが口を開けたまま星野を目指して突き出してきたと思った瞬間、上の方から手が降ってきてくちばしを捕まえたので、目の前でカチッというくちばしを閉じる音がした。見ると、そこには大きな鳥を抱えくちばしを押さえている黒っぽい服を着た長身の男が立っていた。確かに大きな鳥のくちばしだったのだ。星野「これは?」と言ったのに対し長身の男は抱えた鳥を見てからお前だって見たらわかるだろうという顔をして「ペリカンですけど。けがをしたから世話をしています。」と言った。Bio Survey Departmentは建物にぶつかってけがをした鳥などの世話もしているということを聞いたことはある、と星野は思い出した。星野「Survey and Communicationの星野と言います。Ms. Nina Schweigerはいらっしゃいますか?連絡しても連絡が付かなかったので、もうこちらかと思ったのですが。」この人はいったい何をしたいのだろうという顔をして長身の男「この時間帯にNinaへ連絡とるのは難しいでしょう。それにしてもこの子はどうしてあなたをつつこうとしたのでしょうねえ。いつもは他の人を見ると避けるようにしているのに。」と言いながら鳥を抱えたまま星野の近くに来て匂いを嗅いだ。「2つの匂いがしますねえ。エビかカニでしょうか、あと何かのペットフード、ネズミかな」星野「ハムスターです。あと、このバッグに生きたエビが入っています。」星野が部屋の中を見渡すと近くに船長室などへのホットラインの端末が見えたので「あれで船長に連絡してもいいですか?」長身の男「いいですよ。確かにあれでNinaを呼び出すと絶対に連絡はつきますし」。ということで星野が船長に連絡してNinaにも繋いでエビの話をしたところ、船長室にすぐ来いということで、あとNinaはオンラインでの参加となった。Ninaは普段の感じとは違って、起きてすぐはひどく機嫌がよろしくないらしい。結局この長身の男の名前も聞かないまま星野はBio Survey Departmentをあとにして3階の船長室に行った。
船長に星野が説明した後、オンラインでエビを見ていたNinaは「この辺の海底にいるオキナエビにも見えるけど、からの部分が異様にピカピカしていて新種に見える。」と言って、穴の開いたビニール袋をよく見せろと言ってきた。「確かに変な破け方ねえ。でも今のビニール袋は何ともない。何か違うところはあるの?」星野が思いついたのは「破けたのは使い始めて1週間くらいのもので今使っている袋と材質は同じはず。エビを入れる前に入れていたのはペットのおやつ用として市販の餌」「ねずみだった?」この施設では犬猫などは飼えないのでペットはこの手の動物が多い。星野「ハムスターです」Nina「今その餌は持っている?」星野はズボンのポケットから餌の入った小さなビニール袋を取り出した。
9時になって回収エリアの倉庫でのプロジェクトミーティングが始まって、Audrey Benzema艦長が「そこのビーカーに入っているエビは和仁が昨日回収センターの通路で捕まえたもので、今回のボートと関係するかどうか不明だが、新種の可能性があるので、時間があれば調べるためそちらにもっていってもらった。」と言った。ちなみに艦長はオンライン参加だ。リアルで参加しているJavier副官がまず昨日の測定に関する本部からのフィードバックを説明した。ボートは、内部の損傷は無く少なくともこの数日間人間が乗った痕跡や動かした形跡も無い、ただしある程度の量の甲殻類が乗っていた可能性があり、その量は1 kgから5 kgと思われるとのこと。このエビで言うと数100匹以上というところらしい。Javierが次に話をする前にNinaが言った。「このエビを見て。なんかおかしくない?」確かにエビがビニール袋をかじっているように見える。「エビが餌でもないビニール袋をかじることはないはずなのに。しかもかじったかけらが出ていない。」すなわち食べているように見える。艦長が言った「今日することが決まったようね。このエビはBNPRCと関係する可能性があります。Ninaはそのエビを艦長室に持ってきて。他の人は他にもそのエビがいないか探してください。昨日はボートのエンジン部など密閉されえたところまでは調べていないはずだから、まずはそれ、次に回収エリアの通路。副官は通常ルートで見慣れない生き物の情報があるか確認して。あとですべて報告してください。」
Javierが施設全体での調査を依頼するために抜けたので残り4名はまずボートの詳細調査を始めた。星野とFajarだけ防護服に着替えてボートに乗った。あとでまた痕跡調査をするときに邪魔な痕跡を残さないためで、他の2人は指令役となる。甲殻類の痕跡が一番多いのは船尾近くの棚という情報に従って見ると壊れているが大きな水槽状のものが固定されたままで残っている。「この水槽にエビを入れて運ぼうとしていたのだろうか」と星野は思った。その棚の裏側に排水溝が見えたので、「この排水溝の中は見えるの?」と星野が聞き、Ryanが「ボルト12本外すと棚を取り外せる。今工具を渡す。」と答えた。というか答える前に工具が2本天井から降りてきた。棚の内側がFajar、外側が星野でボートの外側からアクセスするため一度降りて足台に乗った。床のナットまで工具の先が届くようにRyanから受け取ったアタッチメントを星野が取り付けているとき、「プラスチックを食べるエビなんて食いたくないけど、そもそもプラスチックを食べるというのはプラスチック処理用に中国の会社が人工的に作ったのだろうか」とFajarが言った。さらに「俺の曽祖父がプラスチック処理をしていたころは、プラスチック再処理に関しては日本が世界をリードしていた、と聞いたけど今そんな話を聞いたことがない。いったいなんでそうなったのだ?」。「基本的にプラスチック処理関係への国の予算はあまりついていなかったようだ。生分解プラスチックとか非化石原料でのプラスチックはビジネスとして成立するから、民間主体でもやるところは出てくる。しかしゴミとして出たプラスチックの処理、特に日本の領海ではない公海にあるプラスチックゴミに税金をかけるか、ということと思うが国からの大きな予算がなければ、プラスチックゴミ処理に関する技術開発は進まない。」と星野が言った。「それが日本だなあ。国からの費用がないと何も進まないなんて。」とRyanが言うので「それをアメリカからは聞きたくないなあ。あれだけプラスチックごみを出していたのだから。」と星野が言い返した。ただ「問題があることが分かっていながら浪費して将来の世代に後片付けを委ねたのは別にアメリカだけじゃないだろう。」というRyanの言葉には誰も反論できなかいはずだが、Fajarは「100年前に戻ることができたら、お前ら将来のこと考えないでごみを捨てまくっただろうと言って、つばでも吐いておくよ」と言った。将来的にプラスチック処理は非常に重要な技術になることは100年以上前からわかっていたはずなのに、なぜ日本ではそれを主導してやろうなんて思わなかったのか、わかっていてもやらなかった理由があるのか、と星野は思った。せめて大学などでの研究予算に余裕があればやるところはあったと思うのだが、その頃は大学の研究予算が切り詰められていたと聞いている。今から見ると、将来の成長の芽を自ら放棄してしまったとしか考えられない。そんなことを考えているうちにそろそろ棚が取れるところまできた。Ryanがリフトを操作し棚を取り外すと排水溝からの排水が貯蔵されるタンクのカバーが出てきた。Fanがポンプとバケツ、Ryanが小型カメラを持ってきた。カバーを外す前に、内部をチェックするためだ。カメラを入れて付属のライトをつけると星野が昨日捕まえたのと同じエビらしき動き回るものが少なくても数匹見える。Fajarが大丈夫と判断してタンクのカバーを開け、Fanが先端にカバーを付けることでエビは吸い込まないようにしたポンプで排水だけバケツに取り出した。そこで星野とFajarが手でエビを捕まえた。ここで20匹、どれも似た大きさのようだった。捕まえたエビを数えている最中にNinaが状況を聞いてきたのでRyanが生きたエビを20匹くらい捕まえた、と言ったら「そいつらは必ず生かしておいてね」と言ってきた。あとで知らされたところでは、そのすぐ後に星野が昨日捕まえたエビはすりつぶされて遺伝子解析に回されたらしい。捕まえたものは艦長室付属の会議室に持って来いというので4人揃ってバケツに入れたエビを持っていったら大きな水槽がいくつか準備されていて小さな水族館の様相だった。そして生物の解析をするために1名プロジェクトメンバーが増えていた。やせて背が高く黒い服を着た生物研究の助手で星野がNinaを尋ねに行ったときにペリカンを持っていた人だ。名前はCarlo Tiepoloというのが初めて分かった。Carloの自己紹介は昼食時になった。日本のアニメの大ファンだそうだ。Nina曰く、Carloは見た目とは違って運動能力があって、建物の壁にぶつかった鳥が壁面のネットに引っかかったときなどは、もちろん転落防止のロープをつけての話だろうがCarloがネットにつかまって建物をよじ登って鳥を捕まえるのだと。アニメの主人公になったつもりになればできるのだ、とNinaが説明していた。ただこれは後で分かったことだが、どんな運動でもできるというわけではなくすごく限定された条件でのことだ。レストランの昼食では複数のメニューの中に今日は何故かエビバーガーがあってFajarだけがそれを食べながら「今日捕まえたエビはたぶん食えないだろうな」と言った。Carloが言った「このあたりは、プラスチックのゴミのにおいがすごくて魚なんて寄り付かない。まあ、餌がないから魚がいないのは当たり前なんだけど。でも今回見つけたエビは逆によってきたように見える。臭いに鈍感なのか、それとも何かに引き寄せられているのか。」
昼食後星野は、ビニール袋に入れていたタロの餌を持ってきてNinaに渡した。テスト用に持って来いと言われていたのだ。午後は最初にプロジェクトメンバー全体で遺伝子解析の結果を聞くことになり、Carloがグラフを見せながら説明をした。この遺伝子解析のために昨日星野が捕まえたエビはすりつぶされたのだった。基本的には海底に生息している体長10cm程度のオキナエビの遺伝子が検出されているのだが、そのほかにPETを分解できる真正細菌の一種Ideonella sakaiensisの遺伝子と思われる成分も検出されている。自然界にいるエビがこの細菌と共生することは無いので、人為的な手段によりこの細菌の遺伝子を組み込んだか、体内にこの細菌を取り込んで共生するように何らかの処理をされたかのどちらかと思われる、とのことだった。そこまでCarloが説明したとき、Ninaが割り込んだ。「和仁が持っていたネズミの餌の解析結果が出た。」ハムスターだっていうのに、と星野は言いかけてやめた。「餌の中にIdeonella sakaiensisが含まれている。これは、ペットが身の回りにあるマイクロプラスチックを取り込んだ時にある程度体内で分解して体外へ排出することで、ペットが病気になることを防ぐためだ。ネズミに限らず多くのペットの餌には似たような成分を含んでいる。ただし、このような処理は人間の食料用としてはまだ認可されていないので、人間の食料には含まれていない。」
その通り、この時代の自然界には多量のマイクロプラスチックが存在している。当たり前の話だがマイクロプラスチックが自然に生じることは無く、もとはプラスチックゴミで押しつぶされたり紫外線で多少分解されたりしたもので、数100年に渡り自然界を漂うので細かいものは生物に吸収され体内に蓄積する。それを人が食べるので人体の中にもある程度のマイクロプラスチックが蓄積される。マイクロプラスチック自体は病原体ではないのだが、細菌などが付着しやすいため体内のマイクロプラスチックが多いほど病気になりやすいとされている。ここ100年で細菌性疾患は2倍になるとともに、約80%の人は何らかのアレルギー疾患を持っているとされている。この国連プロジェクトが海洋プラスチック処理の実用化を目指しているのは、このような背景があるからだ。
これらの説明の最中に、今回捕まえたエビもビニール袋をかじるかどうか数匹でテストしていたのだが、タロの餌を一度入れたビニール袋は朝と同様にかじられて穴が開いた。Ninaが「いくらプラスチックを体内で処理できる機能があるからといって、このエビが自分からビニール袋にかみついて穴をあける理由がわからない。」と言うと、Carloが「エビの立場になって考えると、体内にあるIdeonella sakaiensisを増やそうとして、Ideonella sakaiensisが付いているビニールをかじるのではないかと思います。」と言った。アニメの大ファンだから発想が少しずれているのかもしれないと星野は思ったが、十分納得できそうな説明になっているように思えた。「このためIdeonella sakaiensisが付着いるところがあれば、それに引き寄せられる可能性があります。それからもう一つ。ボートの測定で分かっているのは、このエビと思われる痕跡から全部で1 kgから5 kgがいたと思われるので、今回見つかった量はほんの一部です。」これを聞いていたFajarが「あまりうれしい話ではないなあ。」とつぶやくのを星野は聞いた。
Carloが「面白い音だなあ。エビがプラスチックをかじる音が聞こえる。」という。見るとヘッドセットのマイクをビーカーにつけている。「専門家ですよね。この音をきれいに録音できない?」と聞いてきたので星野は「専門は映像なのだが」と言ったのだが他に適任はおらず結局星野が適当なマイクを探して録音記録を作ることになった。
Audrey艦長が各自のヘッドセットに出てきた。「報告を聞く限り、このエビはBNPRCの施設で作られた可能性が高いと考えられますが、現時点でBNPRCからも米国からもエビについて、さらにはそれがプラスチックを食べるかもしれないという話は受けていません。このため、このプロジェクトでの本日の公式報告は、ボートの生態痕跡測定結果では数100gの甲殻類の痕跡が検出された、同じエリアで新種の可能性がある体長10cmほどのエビが数匹確認され、このボートとの関係を調査中、とします。」たぶんこの報告でエビが単数か複数かは重大なのだ、複数であればうち1匹をつぶして遺伝子解析する可能性が高いと判断するだろうから、と星野は勝手に思った。さらに艦長は「Carloと和仁以外は回収エリアの通路中心でエビがいないかどうかをチェックしていたら捕獲して。この2人は本部からの依頼による測定をここでしてもらいます」と言った。星野が「私は生物の測定はしたことありませんが」と言うと、「顕微鏡と映像なら専門でしょ」と言われた。顕微鏡で細かいものを見て何か処理をするという作業はNinaより自分のほうができそうということなのだろう、と星野は思った。
星野とCarloはエビを持ってまず艦長室に出向いた。2人とも艦長室に行くのは初めてではないものの、何回も行ったことは無い部屋だ。簡単な打ち合わせ卓と館長の机といくつかのキャビネットくらいしかない。机の後ろの壁には2mくらいの大きな写真がかかっている。この設備が完成したときの関係者の集合写真で、居住棟のある船の甲板で撮影されたようだ。それで検査は、その横に設置されている30人程度が座れる机が設置されている会議室で行われることになって、そこに分光顕微鏡が運び込まれた。この会議室には、この設備のもとになったフランスのNPO「FGPC」が有名となるきっかけとなったリヨン市でのプラスチック処理事業の成功でフランス政府から表彰された記事などをスクラップブック風にしたパネルと花模様のある皿や手のような模様のある入れ物が飾られている。このスクラップブックだが、表彰された2070年頃には紙の雑誌や新聞は少なかったのでWebページなどを切り抜き風にしたものだそうだ。また皿や入れ物は、艦長の祖先の出身地であるアルジェリアのもので、手の形は「ファティマの手」でお守りのようなものだ。
誰からどんな指示をされるのだろうと思っていたらヘッドセットに出てきたのは昨日のKatherineだった。すごく事務的に「分光顕微鏡で呂検出方法を行います。使用する試薬はGielen試薬 No.10,11,13,15です。測定対象の生体に試薬を付け顕微鏡に固定するのはそちらで行ってもらいますが、メインの機器操作はこちらがリモートで行います。ただそちらが所有する分光顕微鏡は完全なリモート制御には対応していないのでいくつかの操作はそちらで行ってもらいます。」すなわち星野が本部からの操作のロボットとなることが、ここに残された理由のようだ。目の前には「呂Eye C240-M」と書かれたラベルが張られた分光顕微鏡がある。下には「LEXT SOLS9000」とある小さなラベルがあるので日本メーカーのOEMのようだ。呂検出方法というのは、赤外から紫外にかけて7種類の光源を決められた角度において高周波で変調した光をあらかじめ薬品などを注入した被測定試料に対して照射して、決められた場所に置いたセンサでそれを検出することで、測定したい物質が試料の中にどの程度あるのか、時間で変動するのかなどを調べるものだ。細菌やウイルス検査で使用されることが多い。先に話が出たように、基準の測定方法についている名前を見ることでどの国がその分野に強いのかが想像できるが、この場合は中国だ。100年ほど前の世界的なウイルス感染が引き金となり中国が病原体検出に国力を挙げて取り組んだ時があって、2050年代に北京理工大学の教授でベンチャー Peiking Biomeasurement Corp. を立ち上げた呂浩宇(Lu Haoyu)が中心となってまとめた検出方法と言われている。またGielen試薬とは、体内にプラスチックがどの程度取り込まれているのかを調べるためのもので、対象とするプラスチックに応じて試薬番号が異なる。試薬を注射してある程度の時間後に試薬番号に応じた紫外線を照射したときに対象とするプラスチックがある場合はその量に応じて可視光が発生する。ドイツのフラウンホーファー研究機構 Albrecht Gielen教授が開発した方法なので、このように呼ばれる。
Carloが1匹のエビの身体にGielen試薬No.10を注入したというので、それを星野が受け取り分光顕微鏡の資料台にセットした。4種類の試薬を用意しているので全部で4匹のエビを検査するようだ。エビに試薬を注入する、エビを分光顕微鏡にセットする、顕微鏡のモードを変更する、顕微鏡のフォーカス調整をする、さらに検査中にエビの口元にIdeonella sakaiensisを付けたプラスチックを近づけて食べさせる、のがこちら側での仕事になる。その顕微鏡のモード変更だが、メニューからLu Measurementを選択したとたん表示パネルの表記が中国語とその横に小さく書かれた英語になった。ある国が開発したものが世界標準の測定方法などになると、その名前が標準方法として伝えられるだけでなくその使用に関する表記も標準となる。今回の呂検出方法の場合は、一応英語も小さく表記されているとはいえ測定が始まったとたんに中国語が飛び交うことになる。Carloが言った「yuǎn」。それに対応して星野が言った「remoteね。」あとはたまにKatherineからの指示に従ってフォーカス調整やピンセットでプラスチックのかけらを持ってエビに近づけるなどの作業になった。その作業の合間にCarloが言った「知ってます?この検出方法は日本語と中国語の組み合わせになる可能性もあったんですよ。」。「いや、それは知らなかった。」と星野が言ったのでCarloが説明した。この測定方法の開発に実際に大きく貢献したのは東京都立大の北山直人教授という人だったのだが、研究資金を出したのがPeiking Biomeasurement Corpで、この会社が呂検出方法と名付けて世の中に出すことに対して反対する権利がなかったとのこと。この方式を開発する前では、この教授や所属する研究室の知名度が高くなかったようで日本では研究資金を得ることができないため中国の会社の研究資金に頼ったので、その成果は資金を提供したところが持っていった。論文を出して学会から受賞もしているのだが、呂教授との連名のため世の中ではメインの功績は呂教授と見られた、さらにはこの検出方法が主流になりそうなことが判明したあとPeiking Biomeasurement Corpとの契約が変更になり本人の意思ではなかったようだが北山教授はこの会社の取締役の1人に選出され、秘密保持のため10年間は他の会社や団体への参加が制限されたため日本国内でのプロジェクトには参加できなかった。というかなり濃い話だった。星野は「なんか聞いたことがあるような気がするけど、そこまでは知らなかった。Carloはそれにしてもアニメに詳しいだけと思ったら、そんな話も知っているのか。」と驚いた。「このような話は他にもいくつかある。これらに少し脚色したら、オリジナルの面白いアニメの台本が作れると思っている。日本にはこのような話が多そうだから調べているんだ。」日本人研究者哀話ねえ、確かに今はだいぶ改善されたと聞いているが数10年前まではひどくて日本の研究者は日本では生活できないという話を聞いたことがある、と星野は思った。
試薬No.10が終了したところで検査結果を見てさらに追加の測定がしたくなったようで、さらに試薬No.10を投与してからの時間経過との関係での測定を行った。これが一段落したときに他のメンバーが戻ってきた。通路でさらに25匹見つけたので水槽のエビは2倍くらいに増えた。
艦長から「本日の調査に関する公式報告は、昼にお話しした通りとします。本日はこれで解散とします。」と確認連絡があって2日目の仕事が終わった。