第1話 海はプラスチックでいっぱい 第1回
序章
ここは海に浮かんだ100m四方のいかだ状の周囲に船や建物がくっついているとある設備。周りはすべて海で陸地などはどこにも見えない。結構強い日光が降り注いでいて長時間外にいると完全に日焼けしてしまうような環境だが、そのいかだの周囲にある通路を軽いジョギングをするような格好で小さなリュックを背負った男が歩いている。街中のジョギングしている人と違うのは、作業用のマスクをしていること。名前は、星野和仁というのだが、まず時代背景を説明しておこう。
序章その1 この100年の歴史
これから始まる話の舞台は約100年後の2125年4月のある1日。まずはこの100年で何が起こったのかを説明しよう。
現在産業革命後からの温度上昇2℃以下を目指し2050年までに社会全体でのCO2排出を0にするように努力をしていることは知っているだろうが、ここで紹介している未来はその努力がうまくいかなかった社会だ。努力しなかったのではなく、削減に向けて努力したところに局所的ではあるが戦争が発生しそれによるエネルギー価格上昇に対して各国の政府が政策変更をしたためCO2排出を0にすることができなかったのだ。それにより気温上昇がさらに進み異常気象が増えて農作物の収量が大きく減少する事態が生じ、人口増と組み合わさり食糧不足が世界的に生じるようになった。これに対して、温暖化に対してより強固な対策を急速に求める動きと、頑張ってもやる意味がないので規制を撤廃すべきという正反対の動きがぶつかって、世界は不安定になった。
その後、温暖化による異常気象の影響が進み水不足及び洪水が耕作地に打撃を与え数年に一度の割合で全世界的な食糧危機が始まった。それに輪をかけ、海洋でのプラスチック汚染の影響で全世界での海洋生物の数が減少し海産物の収量も減少した。これにより陸と海の両方での食糧生産が減少し、食糧危機が拡大した。
2070年代になると、食糧危機が厳しい地域中心で国内の安定が崩れ世界の複数個所で暴動が発生し中には内戦に近い状態になった。これが世界的に拡大していった。普通の戦争であれば相手側の地域や住民を支配下に置くことを目的とするのだが、元が食糧危機からきているので相手側の反撃を阻止することが主眼の長期戦で、実際20年ほど続いた。内戦状態での戦闘による死傷者は多くは無いのだが、全世界で内戦状態になったため援助活動自体が困難となり、各地で医療崩壊が生じ、通常であればすぐ直る病気やけがで亡くなる例が多いのと出生率が大幅に低下した状態が20年に渡ったため、この期間で人口が30%ほど低下しその後も食糧不足事態は改善されなかったのでこの100年で人口はほぼ半分に低下した。つまりは、食糧生産にあった分だけ人口減少が生じたのだ。
2080年代後半になって暴動や内戦がやや下火になるころに国連の役割の重要性が再認識され、やっと世界規模での再建とともに温暖化やプラスチック汚染への取組が再び始まった。ただ、温暖化に対しては空白期間の影響が大きく、産業革命前との比較での気温上昇は3℃という予想が主流になった。さらに、内戦期間に世界に対する脅迫として氷河に爆薬を仕掛けた国があってそれを間違って爆発させた、という事件も発生し、海面は従来予想を大きく超え1.5mとなり、居住地や耕作地の減少が加速した。
再建が本格化して少したった2090年代初めに大規模な太陽光フレアが発生し日常生活の様々なところで使用されていた半導体の一部が故障し発電が止まるなどのブラックアウトが生じた。これはThe Surgeと呼ばれている。ブラックアウトの影響は、暴動や内戦の影響が比較的少なかった場所のほうが多かった。これは、内戦や暴動が多く発生していたところでは復旧にため複数のシステムの寄せ集めになっていて何か問題が発生した場合は交換しやすかったことが大きい。The Surgeでは数は多くないものの死者も発生している。多くは電子ロックになった建物に閉じ込められた、乗っていた乗り物が暴走した、医療機器が誤動作した、などである。半導体の故障で問題なのは壊れているかどうかは動作させてみないとわからないことで、これの完全な修復には数年必要になった。この経験から、今までの効率を求めて集中管理している方式では危険性が大きいことが認識され、重要なところほどあえて冗長性を持たせる設計が義務化されるようになったが、まだすべての装置がそのようになっているわけではない。The Surgeの時には、軍事施設でも危機誤動作が発生し、数は少ないものの地中浅いところでの小型原子力爆弾の爆発が発生して、数10㎞の範囲で居住不可能な地域が生じている。
2100年頃にはThe Surgeからの復興も一段落した。
2120年からは、内戦などの復興が一段落したが、まだ続いている温暖化への対策、プラスチック汚染への対策が本格的に始まった。これがここ100年に起こった事柄だ。
序章その2 海上プラスチック回収設備
ここは、ハワイとカリフォルニアの間にある海上にある設備だ。通称「太平洋ゴミベルト」の一角で、海を漂うプラスチック中心のゴミが集まる世界有数の場所になる。時代背景での説明のように、海洋プラスチック除去に対して世界全体が立ち向かうという目標が立てられ、国連は海洋プラスチック除去の基金を設立した。
この中には太平洋ゴミベルトにある大量のプラスチックのゴミの対策も含まれ、これに対してEUが応募して実証プロジェクトを立ち上げた。このプロジェクトを実施するのはフランス中心で活動しているNPO(非営利団体)のFGPC (Francais groupe plastique correspondant)で、この施設が作られ実証実験が始まった。正式には、EUの業務を受注するためにFGPCが設立した会社FGPC Entreprise Commissionneeが施設の設計・開発・運用をしている。細かな話だがこの会社でアメリカ関係を担当するのがDRA (Direction Region Ameriques)という部署で、ここの設備はその下のOuest Americain 1er Bureau(米国沖事業所)という事業所が担当している。
ここの海域では2日まで1週間ほど大きな暴風雨が荒れ狂っていて、ここの設備の職員はほぼ居住区に缶詰め状態だったのがやっと暴風雨が収まったため日常生活に戻っていた。あと2週間くらいは大きな暴風雨は来ないらしい。その設備の通路を星野和仁が歩いているのだが、ここは回収エリアという全8エリアのうちの最大のもので1辺100mの正方形状の筏で海上や海中から回収したプラスチックの前処理として乾燥や裁断、紫外線照射を行う大きな建物「前処理棟」が一つの辺に沿っている。星野は工事用のようなマスクをしているが、これはこの場所が多量のゴミを集めているからゴミの匂いと海の匂いが混ざってすごい匂いになっているからで、慣れてきたとはいえ外を歩くときはまだマスクをしている。このエリアの横にあるのがプラスチックを微生物で分解して2次使用するための原料にする抽出エリア、プラスチック処理全体を管理するプラスチック管理エリア、水深600mの海底でのプラスチック回収を行う海底エリアが入った地上3階海中2階の建物「プラスチック処理棟」が乗っている50×70mの筏。ここには処理したプラスチックによる燃料材料運搬用の自動輸送船と桟橋が付属している。普通街中にある建物は4角形だが、プラスチック処理棟の建物は一見大きなコップを逆さにして上部をカットしたような形になっている。これは海からの強い風を直接受けないようにするため。実際には建物の断面は8角形になっていて、上に行くほど狭くなっている。また建物はオレンジ色で大きな窓がなく壁にはネットがかかっている。これは飛んでいる鳥が建物にぶつかってけがをすることを防ぐためらしい。特に渡り鳥のコースではないがアホウドリやペリカンが飛んできて中には風に吹かれるなどで建物にぶつかってけがをすることもある。この施設にはそのような事故にも対応する部署もある。またここのエリアは先ほど紹介したようにオレンジ色だが各エリアは色分けされている。回収エリアの残り3辺のほぼ中央には海上を漂うプラスチックを回収するための青い収集エリアが付いている。このほかに、事業所全体のエネルギーと上下水・排水処理及びゴミなどの廃棄物処理を行い50×50m筏の上にある海面上1階海面下2階で黄色に黒の縞模様のある建物に入った発電&淨排水エリア、50×70mの筏に乗った3階建物にあるグレーの中央管理エリア、約150名の職員全員の個室とレストランや医療室を備えた大型船になっている薄いグリーンの居住エリアがある。発電&淨排水エリアには50×100mの筏に乗った太陽光パネルと全部で6か所になる洋上風力発電がついている。
どこが作ったかというと、回収エリアはプラスチック集めるネットなど特殊パーツは日本製だが全体製造は中国製、収集エリアはオランダの会社が基本設計をして中国メーカーが製造、抽出エリアで使用されているバクテリアの製造は日本製だが抽出エリアと前処理棟はフランスメーカーの設計・製造になっている。このようにメインの部分の設計・製造はヨーロッパと中国が中心になっている。
事業所の組織は、事業所長の役割になる船長を含む総務・企画・医療関係・警備などの35名からなるPlanning and General Affair Department、広報・外部通信を担当する6名のPublic Relations Department、運行管理・発電・海水の淡水化での浄水・排水処理・食事・輸送を担う60名と機材保守点検・修理・調査対応の6名からなるOperation and Energy Department、画像モニタリング・測定とアーカイブ・船内外データ通信・ネットワークを担当する10名からなるSurvey and Communication Department、生物への影響調査4名からなるBio Survey Department、プラスチック回収・調査を担う15名のPlastic Departmentの136名からなっているが、ほとんどの業務は2か月洋上、1か月休暇またはオンライン業務のため常時洋上にいるのは80名程度である。
星野和仁はもともとFGPC Entreprise Commissionneeの社員ではなく、日本のカメラメーカーで深海カメラなど特殊カメラの設計とメンテナンスをしていたところ、その納品先の一つがFGPC Entreprise Commissionneeの海底プラスチック回収システムを製造した会社だった。この関係で、カメラ操作含む映像全体の担当者としてFGPC Entreprise Commissionneeに出向してきたのだ。
第1章物語のはじまり
<第1日目 午前>
それで最初の場面に戻るが、向かっているのは回収エリアの前処理棟にある検査室。
星野はもともと水中カメラの製造・調整・保守を担当していた関係でこのプロジェクトに参加し、当初は海底でのプラスチック回収を行うための海底カメラ調整や保守をしていたのだが、映像の専門家ということで映像を使用した測定やそのアーカイブ、及び映像データの伝送など映像が関係する事柄であれば呼び出されることがある。今回は、収集エリアで回収された漂流物が事件・事故などに関係しているかどうかを確認する作業のために呼ばれたのだ。作業の内容は、漂流物の映像を撮影するなどして本部に問い合わせするということなのだが。先に説明したように星野は作業用のマスクをしている。別に何かの病気予防などではなく、ゴミのにおいが海のにおいに混じって、慣れた人でも基本的にレストラン含めた居住設備以外ではマスクを手放せない。星野が向かっている回収エリアは居住地域ではないし、特にこのエリアはゴミが集まっているから臭いは厳しくてマスクはしたままになる。それで、何故向かっている理由だが単に映像撮影をするだけなら回収エリアの担当者だけでもやってしまうことが多いので、大体は何か理由がある。今日の担当のNoah Chevalierの場合は、ほぼ毎回星野の所属するSurvey and Communication Departmentを呼び出してくる。ちなみに回収エリアの職員は外での業務が多いせいかほとんど全員がマッチョ体型で細かな規則を気にしないことが多いのだが、Noah Chevalierは例外的に細面で規則には細かい。さらに今日のNoahの服装だが、他の回収エリアの人とは違って事務室にいるようなジャケットを着ている。一方の星野は、Survey and Communication Departmentで仕事をするときは作業着と決めているズボンとジャケットなのだが、今日は白っぽいTシャツに黒っぽい上下のジャンパーと運動靴で軽いジョギングをするような服装をしている。これはその通り仕事前にペットのハムスター持って軽いジョギングをする格好で、回収エリアに向かって外を歩くときに海風や水しぶきがかかることを想定した服装なのだ。星野からすると、回収エリアでの撮影や測定はSurvey and Communication Departmentで担当するなどという決まりはないので、わざわざ呼ばなくても、とは思っている。
回収エリアにある倉庫に着くと、ビニールシートで隠された回収物と思われるものの横に立っているNoahが見えた。ここは日本国内ではないので、”HI, Kazuhito, I just thought we should show this only to related people.”とNoahは英語で言って普通に英語の会話になるのだが、面倒なので以下は日本語訳だけとする。「他の人にはあまり見せないほうがいいと思って」とNoahは何となく思わせぶりなことを言う。中に入ると、他に誰もいないことを見てNoahは「ドアを閉めて、これを確認して本部へ処置の確認をしてほしい」と言ってシートを外すとオレンジ色の長さ5mくらいと思われる救命用のボートが出てきた。一部焦げたような部分があるが、それ以外は大きな損傷らしきものは無く長期間漂流していたものではないらしい。調査の時に指紋が付かないように星野が薄い手袋をはめているときに、「外観ではボートの型名以外にどこの所有物かのマークは無かった」という。近くで見ると、外側の汚れを少し拭いて調べた跡と、表面の確かに型名らしき”DR6700-10”という文字しか無いようだ。それならば、と星野は持っていたリュックからヘッドセットを取り出して装着しボートをよじ登って中に入った。ヘッドセットの眼鏡の真ん中に付いている小さなカメラと鼻の近くに付いているマイクでシステムのAI(Artificial Intelligence)につながるのだ。中も誰かが調べたような拭いた跡がある。星野は、目の前に非常用食料などが入っているはずの1mくらいの大きさのボックスがあったので、それを動かしてみた。これも触った跡はあるが中を空けた痕跡は無いようだ。そのボックスにはマークがあって、星野は思わず「なるほどねえ」とつぶやいてしまったが、Noahは聞いていないように見えた。星野は「救急ボックスにマークがある。赤字に星のマークがあって横に”SNCB”と見える」と言った。普通なら少し待つとAIから何らかのレスポンスがあるのだが、その前にNoahが「Shanghai National Center for Bioinformationという会社で中国軍と関係があるらしい」と言う。星野は1週間ほど前に、中国の旗を掲げた巡洋艦が何か調査をしている様子でこの付近を通った、と他の人が話していたのを思い出した。ここは公海上だから巡洋艦が通ること自体はあり得るのだが、中国軍は珍しい。やはりNoahは一度調べて知ってしまっていたのだ、と星野は思った。
回収物に所有者を示すマークなどがある場合は単なるゴミとしての処分はできず、一応本部に問い合わせして判断を仰ぐ決まりになっている。こちらから上げた情報に対して本部でどのような処理がされるかについては、星野は今まで特に気にすることは無かったのだが、アメリカ国内での事件・事故に関係していないかどうかを本部の担当部署からアメリカの担当部署に問い合わせる、本部からさらに国連の窓口に挙げてそこからアメリカに連絡とってもらう、さらには本部から国連窓口に挙げて国連内で対応を決定してもらう、という選択になる。星野は、この回収物がアメリカ製ではなくて中国製なので窓口での対応が少し面倒かもと思ったが、Noahは非常に面倒な国際問題だろうと想像していて、この予想は正しかった。
星野はヘッドセットで撮影した画像をまとめて本部へ送るようにAIをセットし、ボートの3D測量をするための簡易3Dスキャナーの設置を始めた。回収物について本部に問い合わせることはよく発生するので、簡単なコマンドでできるように準備されているのだ。スキャナー設置がもう少しで終了するところで本部からの返事が来た。内容は、詳細検査が必要で要員確保のため3時間後に再集合とのこと。すぐに返事が来たので本部の担当部署がその場で判断したのかと星野は思ったが、実際はそのまま国連窓口に行き、本部の窓口は時間がかかることを想定して3時間後に再集合との回答をしたのであった。そんなことは想像していない星野は、簡易3Dスキャナーで形状だけ測定して昼休みにした。