ラジオネーム
テーブルのど真ん中に置いたアンティークのラジオカセットレコーダー。置き場所はここで問題ないのか思案して、少しだけ角度を変える。
これでよし。
積荷をすべて下ろし、あらかた荷物も出した。これで少しゆっくりできる。
ホワイトブルーのソファーに倒れ込んで疲れた体を伸ばした。
初めてのひとり暮らしに一喜一憂している。これからどんなことをしようか。オシャレな料理でも作って、友達も呼んでみんなでワイワイ楽しくお酒でも飲もうか。それとも彼氏なんか呼んじゃって2人だけで……。
誰もいない部屋でキャーと叫びながら枕に顔を埋めた。まだ、実家の香りが残っているその枕が安堵を連れてくる。1人で荷解きをしたこともあって体力に自信の無い私には限界を超えていたようだ。急激な眠気に抗う気もなく目をつむる。
少しだけ。ほんの少しだけ。
そう思って手元にあったスマホのアラームを10分後に設定しようとした。
17時58分。
慌てて飛び起きた。危ない。聴き逃すところだった。
テーブルに置いたラジカセの銀色の棒を最大まで伸ばし、その先を窓へと向けた。電源を入れると砂嵐が聞こえる。どうやら引越しの最中であらぬ方へ回ってしまったらしい。
私は79.5Hzへと回す。
ラジカセから聞こえてきたのは男性芸人の声だった。それを聞いて胸を撫で下ろす。丁度18時だ。
その少し汚い声から発せられたジョークを女性パーソナリティが的ハズレな返答で返す。半ば放送事故ではないかと思わせるような間が空いて、すかさず芸人が口を出す。とても鋭利なナイフのようなツッコミを。
それを聴いてゲラゲラと笑った。これを聞かなきゃ、1日を閉められない。そんなことまで思った。
ふと思い立ってスマホを取り出した。読まれるとは思っていないけど今の気持ちでも送っておこうと思った。
RN:ひとりおまつ
【新社会人になった私ですが、人生初のひとり暮らしを今日から始めています。荷解き終わってソファーで横になってたら寝てしまい、危うくこのラジオ聞きそびれる所でした。】
打ち終わって腹の虫が鳴いた。
よし、買っておいたコンビニ弁当を食べるぞ!
台所にそのままで置いてあった蕎麦とカツ丼のセット弁当をビニール袋から出し、カツ丼だけレンチンする。そして新品のローテーブルに置いて慎重に蕎麦のつゆのカップを開ける。そうこうしてるとカツ丼が出来上がった音がする。急いで立ち上がるとテーブルに膝をぶつけた。痛いなぁなんて思っていたら……。
『ラジオネーム、ひとりおまつさん。初メッセージ、ありがとう!』
「え!?」
ラジオからさっき送ったメッセージが読まれた。それだけで歓喜なのに、
『まずは、新社会人頑張って』
なんて言われたもんだから明日からの不安が一気に吹き飛んだ。
『いや、頑張らんでもいいなぁ。仕事よりもラジオを聞いて欲しいわ』
『確かに聞いて欲しいけど、仕事の方が大切だから』
『それもそうやな。じゃぁ、ひとりおまつさん、明日以降このラジオ聴き逃したら、仕事クビ!』
そんなことでクビにされたらたまったもんじゃないとゲラゲラ笑う。やっぱりこのラジオ好きだなぁ。
蕎麦をすする。少し零れたつゆをティッシュでしつこく拭きながら。
その後、カツ丼の存在に気づいたのは寝る前のことであった。
仕事から帰ってきて玄関に倒れ込む。ぶっきらぼうに扉の音が閉まる音がしてから私はやっと自宅に帰れたのだと確信できた。
数秒吸い忘れていた息を取り戻す。床を這いずり電気よりも先にラジオを付けた。
最近流行りの曲のサビが流れていた。それは失敗しても良いじゃないかと諭してくれるような曲だった。
『仕事はじめて失敗ばかりの私に少しだけ元気をくださいとの事で流しました』
ようやくスマホを取り出しその画面の乏しい光を頼りに家の電気を点ける。そのまま椅子に座り近くにあったイカのぬいぐるみを強めに抱いた。
『もうね、生きてたら失敗なんて1度や2度なんかじゃないから。オレなんて毎日失敗してんだから』
『そうそう! 私だって今日ケーキ食べようとしてたの忘れて大福食べちゃったもん』
『それは失敗じゃ無い。食いしん坊なだけや』
クスと声が出た。それと同時に涙も出てきた。私のことでは無い。きっと身近に住んでいる人のメッセージ。それなのに私に話しかけてくれているようだった。そう思うとこの気持ちは私だけじゃない。みんなも思うことなんだ。
救われた気がした。このラジオを聴くまで仕事に行きたくなかった。駅のホームで刹那に、ここで倒れ込めば仕事に行かなくても済むなんて思っていた。そんな私が、明日も頑張ろうなんて考えてる。
スーツから着替えた。よし、ご飯を作ろう。冷蔵庫を開けると中には卵しか無かった。
暑い。なんたって暑い。お金ないなんて屁理屈言ってないで早くエアコンつければ良かった。製氷器から大雑把に取り出した氷を舐めながら机に伏していた。
外気温は日も出ていないのに30度をゆうに超え、扇風機だけのこの部屋で私は必死に生きようとしていた。
エアコンは明日だ。気合い入れろ。外の風も意外と涼しいと思う。ことにしていた。
『ここでフツオタ』
普段は送らないノンジャンルテーマ、フツオタに今日は送っていた。どうしても伝えたいことがあった。
『ひとりおまつさん。ありがとう! ええっと、エアコンが部屋についていません。明日まで生きる方法を教えてください。明日エアコン買いに行きます。って今すぐ行け電気屋に! こんなラジオ聴いとる場合ちゃうぞ! 命を守る行動をしてください!』
「……だよねぇ」
暑さで頭は回らなくなっていたが、それでも今日は言うことを聞くことにした。スマホで近くの電気屋を調べると歩いて30分くらいの場所にあった。
「……。」
スマホでまた文字を打ち始める。今の気持ちを。
『ここでひとりおまつさん。えぇっと、おいおいちょっと待てや』
ニヤケながら聞いていた私のメールが読まれている。急に恥ずかしくなって抱いていた枕に顔を埋めた。
『好きな人ができました、やて!』
『え! おめでとう!』
パチパチと拍手をする音が聞こえる。
『会社の2個うえの先輩で、現在片思い中です。なかなか次のステップに踏み出す勇気もなくて、力を貸してください。……これはどうしよか』
『もう飲みに誘っちゃう?』
『ちょっと待て! まさか……』
『女の魅力……使っちゃって……』
『既成事実作って脅そうとすな』
『じゃぁどうしたらいいんですか!?』
『なんでオレが怒られてんねん。でも、ひとりおまつさん確か社会人やったよな。次のステップって考えてるならその通りにしたらええんよ。それこそ飲みに誘うとか。2人だけだと恥ずかしいなら同僚とか誘ってさ。いっその事デートに誘うとか』
「……デートねぇ」
空を仰ぐ。いや、空なんて大層なものでも無い白い天井なんだけれども。そんな勇気あったら……。
『でもそんな勇気がないって書いてありますよねぇ』
女性パーソナリティがそう切り出すと男声も反論するように啖呵を切る。
『じゃぁ、あなたならどうしますか』
『えっ! 私! そうだねぇ……。勇気を買う!』
『勇気を買う!? どゆことや!』
『例えば遊園地のチケット2枚買っちゃう。誰かを誘わないといけない状況に自分を追い込むの』
『ははーん。それはええ考えやな。それをしなきゃいけない状態にするんやな。締まりがいいので1曲……』
勇気を買う……。スマホを取り出す。そういえば、見たい映画があるとか言ってたな……。
『ひとりおまつさん。えーっとなになに……』
それはもはや衝動的に書いたメッセージ。怒りに任せたあの時の私が殴り書いた戯れ言が今ラジオに配信されている。
『彼氏とケンカしました。……ちょっと待てぇ、仲良くしろぉ』
あぁ、なんてくだらないことをしてしまったのだ。しかも読まれてるし。恥ずかしい……。
『なになに、彼氏が他の女の子と2人きりで飲みに行ったことを黙っていたのです。それを問い詰めたら逆切れされて、殴って逃げてきました。……それは殴ってええわ』
『いやいや、さすがに暴力はダメだよ』
『でもさぁ、同じことされたらどうする』
『殴るね』
『前言撤回がはやいて』
心臓が喉から出てきそうで、枕で耳を塞ごうとするが2人の会話を聴き逃したくないと思う気持ちが勝り、ついその言葉で笑ってしまった。
『オレとしてはそんな男やめた方がええ。男のオレだから言えるけど、女性と2人きりなんてチャンスしか狙ってないんだから』
『ちょっと! 時間的にまだ早い!』
『あ、まだ7時台だったか』
いつの間にか怒りなんてどこかへ行ってしまった。
『お、ひとりおまつさん! 近況報告やて!』
それは、初めて録音で聴いてきた。今までリアルタイムで聴いていたものだから、ものすごく違和感がある。
『結婚しました! やて! おめでとう!』
『え! おめでとう!』
『多分これが読まれてる頃は結婚式の二次会を行っていると思います。リアルタイムでおふたりの声を聴けないのは残念ですが、祝ってください!』
隣でクスッと笑う音がした。音の原因を睨みつけそれでもラジオに耳を向ける。
『本当におめでとうございます! なんかね、ひとりおまつさんの恋路って言うのかな、ずっと聴いてきたから、凄く嬉しくなっちゃうね』
『そやな。ケンカしてたのが懐かしい』
「そんな事まで書いてたのか?」
「うるさい黙って聞いてて」
『でな、続きがあってな』
私は息を飲んだ。
『おふたりに助言頂いたり、背中を押していただいたり。これまでにないほど感謝しています。幸せな家庭を築き上げていきますので、今後も定期的に報告させていただきます。差し当たっての報告になりますが、......っておい! できちゃいましたやって!!』
『えっ!!』
「えっ!!?」
『それって、赤ちゃんの事でいいんだよね?』
「そう、赤ちゃん、できたの」
彼の驚いた顔を見て笑ってしまった。こんなサプライズも意外と楽しいものだな。
このサプライズが成功したことをまた改めてラジオに投稿しなければな。なんて考えてたらある名案が浮かんだ。
「ねぇ、名前の候補を皆に公募してもいい?」
「皆って、家族とか?」
「違う。......ラジオに」