転生、村人A
何を隠そう俺は転生者だ。
よくある話なのかもしれない。
俺だって頭がおかしいって思われたくなくて、他のやつに前世の記憶を喋らないんだから、他のやつらだって黙ってるのかもしれないし。
独身男、彼女なし。
中学で理科の教員をしていた。
朝から晩まで働いて、休みなく連日出勤。その結果が、職場で倒れての過労死だ。不眠不休で、ようやく眠れると思ったら永遠の眠りだったのだから笑えない。
日々の労働の癒やしは動物の可愛い動画だった。とはいえアレルギーだったから触れるわけもなく、動画ばかり見ていた。
ある日、職場で倒れたら、そのまま意識が無くなって。
で、目を開けたら、異世界の美貌の王子になって……
いなかった。
装備、ぬのの ふく。
武器、さびた くわ。
以上。
所持品、薬草✕1。
以上。
所持金50G。
ゼロじゃないのがむしろ生々しい、と思ったのを覚えている。
明らかに木造の、質素な小屋には壺とタンスとベッド、物入れに使っている宝箱しかなかった。
ゲームだと壺を壊して中身をアイテムにするのでは、と思った俺は、壺を投げてみたが、パリーンと砕け散って割れ、壺が破片になっただけだった。
そして、ステータスについてだ。
だいたいこういうのは戦闘力やレベルやスキルが見えると相場が決まっている。
目覚めたベッドの上に、革張りのやけに立派な手帳が置いてあり、開くと「ステータス」と文字が浮かび上がった。
そして、俺は感覚だけでなく、文字情報でも状況を理解することになった。
戦闘レベル1
スキル なし
村人A。
それがこの世界で与えられた俺への称号。
いや、蔑称か?
せめて名前ぐらいつけてほしかったが、仕方がない。
普通、こういうのって、シンデレラみたいな美少女とか、運命を変える悪役令嬢だとか。
あるいは最強の魔法使いとか、実は勇者の美少年とか、美貌で国中の女性の腰を砕くことができる王太子とか、そういうのじゃないのか。
まあ、俺が納得いくかいかないか、そんなこととは関係なく、この世界でも太陽はのぼって沈む。
それならせめて、絶世の美少年!
かと思いきや、
寝室のくもった鏡に映し出された俺は。
ザ、平凡。
モブ中のモブ。
黒と茶の間のような髪と目の色。
少年らしいといえばそうだが、とりわけ美しいと褒めそやされるでも無い普通のルックス。
とにかくそんな俺、村人Aは、道端の猫
……おまえだよ? 今俺の昼飯の上に座ってるけど、わかってる?
……に脳内でこうして話しかけながら、今日もぼんやりとくわをふるっている。
ところで、昔、田舎の若者が都会にあこがれる歌があった。
金もない、仕事もない、女もいない、みたいな歌だったか。
一村人として、その若者に言ってやりたい。
その通りなんだけどさ、オマエは満足してねーのがすげーよって。意識高いんだろうな。
俺は金も女も無くても特に困っていない。
一応、仕事はあるし。
そして、ほぼ転生前と変わっていない俺だが、一つだけ劇的な変化があった。
衣食住。
これだ。
前世は、一人暮らしだったのもありアイロンもろくにかけなかった。毎日毎日同じような肩のこるスーツ。
今はボロいが風通しの良いシャツとズボン。
帰宅してからきちんと洗濯もしている。これがまた楽しい。手で洗うなんて本当にできるんだと感動したものだ。
食はコンビニのメニューや牛丼屋を制覇していた俺は、とにかく野菜に飢えていた。
おかげで畑の仕事にせいがでた。
まだまだ下手ではあるが、自分が手塩にかけて育てた野菜の旨味は格別だ。
住居にいたっては家賃がない。もうそれだけでこの世界に転生して良かったと思える。東京の狭くて高いだけの土地への未練はキレイに消え去った。
と、いうわけで、俺は転生後の村人ライフを謳歌していた。
たまにスライムが湧くときがあるが、鍬で攻撃したら倒せた。でもあんまり気持ち良いものでもないので、コーヒーに似た豆のかすを畑にまいている。基本的にはナメクジと同じ対処で何とかなってるし。
魔物が攻めてくるわけでもないし。
何より不眠不休で満員電車に乗って、ストレスを溜め込むために出勤しなくてもいい。
正直に言おう。
村人でも、幸せなのだった。
スローライフ、最高。
(とりあえず薬草でも植えるとするか……。)
日も昇り、気温もあがる。朝のこの時間には人通りはほぼない。
たまにいるのは主婦や小さな子供を連れた母親らしき人ばかりで、ごくまれにクジャクのように身を飾りたてた貴婦人モドキ(本当の貴婦人はこんな田舎にわざわざ来ない)が数名混じるくらいだ。
俺は汗をかきながら畑仕事をしていた。
最近は昔よりも慣れたからか、畑もよく実がなるようになった。
数年前までは少年だったのに、数年で体もしっかりしてきたと思う。
青年というと聞こえはいいが、おじさんの階段を登り始めていると思うと、ドキドキする。
俺の素性は謎のままだ。
実家があるのかないのか定かではないが、こののどかな村での一人暮らしの生活を変える気は毛頭ない。
一人ぼっちなのだけれど、不思議とかなしいと思う気持ちはないのだ。
だが、この世界でも少しずつ年をとるという事実は胸に迫る。
こうやってジジイになってくんだろうか。
と、なんとなく不安になる。
畑の畝の隣でミミズがひからびて死んでいる。
こうやって誰も傍にいないままでーー。
ばからしい。
いくら考えたって仕方ないことを考えるのはばかのやることだ。
こんなときは家に帰って美味いものでも食べよう。
といってもここでの美味いものは新鮮な野菜くらいなんだけど。
村を歩けば、自分と同じような人間はたくさんいる。
畑仕事くらいしかやることがない。
ただ、俺と違うのは老いていることだ。
この村にはほとんど老人しかいない。
さらに言えば、人口が非常に少ない。
そうしてぼんやりと畑仕事をして、日暮れとともに家に帰る。
野菜で料理を作って、パンをかじって、水を浴び、そのまま自分の部屋に行く。
ほこりっぽいベッドの上に倒れ込んだ瞬間に、睡魔が襲ってきた。
空腹は満たされた。
睡眠欲も満たされた。
性欲……はもともと無いようなものだ。
衣食住にも今のところ困っていない。
そのはずなのに、心臓の奥のところが今日はもやもやした。
何のために生きているのかもよく分からないまま、死んでいくのだろうか?
俺も干からびて死んでいくのだろうか?
一人で?
そう思って、怖くなった。
いやいや、変なことを考えるなって、俺。
運動不足か……?
「よし、走ろう」
と、思い立った俺は、夜にもかかわらず家のドアを開けた。