第2話
「情っけねぇなぁ! 何だよ、あれ!」
開け放たれたままの教室の扉を見て、A子の取り巻きが毒付く。顔は侮蔑の感情で歪んでいた。
「まぁでも、ある意味期待通りじゃない? えっちゃんならあんなものでしょ」
「そうだけど、もうちょっと気合いねぇのかよ」
他の取り巻きの見下した発言に、やれやれ、とでも言いたげに肩を竦めた。
「それより、今日の実行役はどうする?」
「出席番号で一周したから、また最初からでいいんじゃね?」
投げやりに提案される無責任な言葉。理不尽な要求に巻き込まれたクラスメイトに拒否権はない。
「番号順なら不公平ないからいいね。じゃあ1番2番3番の人残ってねー!」
「出席番号3番ってオレじゃねぇか!」
「あ、そっか。3番ってあんたか。じゃあ4番の人ね!」
「友だちの番号くらい覚えとけよ」
不公平はないといいながらも、自分たちをその番号順に入れることはしない。取り巻きの掛け声に誰ひとりとして喜ぶ生徒は居なかった。
「あっはは! お前ら本当人の迷惑考えねぇよな」
「何よー、あたしたちなりにクラスの交友を深めようとしてるんじゃないのよ。ねぇ?」
「……う、うん」
同意を求められた生徒は躊躇い、目を泳がせながら辛うじて返事をした。
「元気のない返事ねぇ……あたしたちの提案ってそんな迷惑かしら?」
「そうよね、A子! せっかく誘ってあげてるのにね!」
A子が上目遣いで生徒の顔を覗き込むように見た。自分の良い顔の角度を良く知っている仕草だ。自分の武器を最大限活用出来る角度。
「そ、そんなことないよ。迷惑だなんて……」
「本当? 良かった、じゃあ一緒にやろうね」
盛り上がっているのはA子たちのグループだけ。クラスの中が重い雰囲気に包まれていても全く意に介さない。寧ろこうしてこのクラスを支配しているという、妙な優越感がある。クラスメイトよりも上に立っているという歪んだ虚像心。
上滑りしていくA子たちの笑い声を聞きながら、取り巻く空気はどんどん重くなっていく。健全な学校生活を楽しめるはずもない。ここで勇気を奮って嫌と言えたなら。立ち向かえたなら。こんな事態になってはいないだろう。
立ち向かっていったクラスメイトはもう居ない。
「……狐狗狸さん、狐狗狸さん。おいでください」
「狐狗狸さん、教えてください。彼女は今幸せですか?」
他のクラスメイトが帰ったあとの教室。今日の餌食となった1番2番4番の出席番号の生徒が、机の上の紙に10円玉に指を添えていた。
数字や平仮名、はい、いいえが書かれた紙の上。力を籠めていなくても、硬貨は勝手に紙の上を滑る。この遊びは既に実害を及ぼしていた。どういうからくりなのか、この狐狗狸さんは非常に精度が高い。隠しておきたい個人の嗜好や秘密は既に暴かれていた。
おまけに精度の高さの反動なのか、はたまたやり方が稚拙な所為なのか───気が触れたようになったクラスメイトも居る。楽しみは享受するが、災いは欠片も被りたくない。A子たちの指示を受けて狐狗狸さんを実行するのは、弱味を握られたクラスメイトだった。A子たち首謀者は、一貫して後ろから無責任な態度を貫いている。
「今日もちゃんと来てくれたんだねー、狐狗狸さん」
「そりゃ、ちゃんとやり方守ってるんだから、ちゃんと来てくれるでしょ」
「ねぇ、A子。次何訊く?」
「んー……じゃあ、えっちゃんに恋人が居るかどうか」
A子が言った途端に、取り巻きたちは爆笑する。
「居るわけねぇじゃん! あんな根暗女!」
「居たら奇跡だよね!」
「いいじゃん、訊こうぜ訊こうぜ!」
「みんな、ひどーい」
指を添えている3人を取り残したまま、A子たちは自分たちの提案に盛り上がった。震える指先を決して離してはいけない。離したら、狐狗狸さんが暴れだす。呪いが降りかかってしまう。
「……狐狗狸さん。彼女に、恋人は……居ますか?」
机を囲んでいる重苦しい沈黙を破って、質問を口にする。途端に10円硬貨はブルブルと震え、3人の指を勢いよく『いいえ』に動かした。その結果にまたしてもA子たちは爆笑する。
「やっぱりね!」
「当たり前だろ! 訊くだけ無駄だって!」
「じゃあさ、じゃあさ! 当然処女だよね!」
「やだー、それ訊く!?」
「訊くだけ無駄だけど、訊け訊け!」
3人の中で恋人の有無を訊いた生徒とは別の生徒が、仕方なしに口を開く。
「こ、狐狗狸さん……彼女は、処女ですか?」
思春期真っ只中の生徒たちには、その単語を口にするのにも抵抗があった。年齢的な潔癖さが表面に出る。けれど抗うことは出来なかった。当初抗った生徒たちは、A子たちのグループの虐めによって登校拒否に追い込まれている。
全員が見守る中、硬貨はまたブルブル動き、そのままそこに留まった───つまり『いいえ』に。
「え──ッ!?」
「うっそ、えっちゃん処女じゃないのッ!?」
「何だよ、あんな顔してやることやってんのかよ!」
暗い教室が喧騒に包まれる。
「……なぁんだ。だったらそういう遊びをしてもいいんだぁ」
新しい遊びを思い付いた子どものような表情を浮かべながら、A子がうっとりと呟いた。