5 襲撃
開発施設は王宮の中にあるため、急げばすぐに王に報告に行くことができる。王が忙しくても構わない。王の時間が空くまでいつまでも待つつもりで、ハンクとアンリは急いで王の間に向かった。幸い、王は少しであればすぐに時間が取れるようだった。ハンクとアンリは王の間の前で王の到着を待った。こんなに心が躍るのは久しぶりだ。ハンクは今にも体が躍り出しそうな自分が、自分で可笑しくなって笑ってしまった。
「ハンク様、落ち着いてください。気持ちは分かりますが、もうすぐ王の御前ですよ」
「分かっている。アンリも、いつもの落ち着きがないぞ。気を付けたまえ」
「わ、私はハンク様に釣られただけです」
二人は顔を見合わせて笑った。
その様子をミゼルが見ていた。ミゼルはハンクからの報告があると聞いて、急いで王の間に向かった。少し早く着いたので、先回りしてハンクに話を聞こうと王の間の前に立ち寄った。そこでハンクとアンリが目を合わせて微笑みあっている様子を見てしまった。その瞬間、ミゼルの中で何か糸が切れるような音がした。
そういうことだったのか。ハンクへの思いが報われることがない。理屈では分かっていても、いざ現実を突きつけられるまでは実感がなかった。その現実が今突き付けられたような気がした。
アンリの目に、立ち尽くすミゼルの姿がチラッと映った。すぐ走り去るミゼルを見てアンリは直感的に『まずい』と思った。
「ハンク様、ミゼル様が廊下におられました。呼びに行ってきて下さい」
「ん? 王女が? でももうすぐ王がこちらに来られるぞ」
「そんなことよりも、急いで下さい!」
「えっ? わ、分かったよ」
アンリの急な掛け声に押されて、ハンクは廊下に駆け出した。アンリはハンクが駆け出してい行ったのを見送りながら、この世界が、いつか二人が結ばれるような世界になればいいなと淡い希望を抱いた。
「まったく、世話の焼ける……」
と、その瞬間、王宮の上から大きな衝撃と共に『何か』が落ちて来た。大き地響きがして、王宮の天井が崩れてきた。ハンクが後ろを振り返ると、さっきまで自分がいた場所が天井から崩れ落ちていて、そこには手を広げても抱えられないような太い柱が落ちてきていた。
「な……なんだ? これは? 柱……。いや、足……? 何の足だ? こ、こんなに大きいの見たことが……アンリ! アンリはどこに!?」
ハンクには、今起きていることが信じられなかった。目の前に落ちてきたのは柱ではなく、大きな足だった。さっきまでアンリがそこにいたはずの場所が、それに踏みつぶされている。けたたましい声が王宮内に響く。王宮の建物が崩れ始めた。このままではここも崩れ落ちてしまう。アンリを探さなければ。怪我をしているかも知れない。だが、足が震えて思い通りに動いてくれない。ハンクは圧倒的な大きな力の前に、成す術を見出すことができなかった。
「ああっ、やめて。出てこないでっ!」
ミゼルの声が聞こえた。ハンクが声のした方を見ると、廊下の先で、頭を抱えて苦しそうにもがいているミゼルがいた。
「ミゼル様、大丈夫ですか?」
ハンクは力を振り絞ってミゼルに声を掛ける。まだ足は思うように動いてくれない。
「駄目っ。ハンク、こっちを見ないで!」
「ミゼル様っ」
ハンクはミゼルの様子が明らかにおかしいことに気がついた。その瞬間、震えていた足が動き出した。急いでミゼルの方へ駆け寄る。
「ミゼル様、ここは危険です。外に出ましょう……」
と、王宮から外を見ると、首の長い、羽の生えた大きな獣が何体も王宮の外で暴れていた。街にも何体もの獣がいる。
「こ、これは……?!」
ハンクが絶句していると、ミゼルがまた苦しみ始めた。
「駄目っ。私はこのままでいいの。暴走しないでっ。お願いだからこのままでいさせてっ」
「ミゼル様っ」
ハンクは咄嗟にミゼルを抱きしめていた。
「や、やめて、ハンク。私を見ないで……」
「い、一体どういう……!」
ハンクは自分が抱きしめた身体が、年頃の少女のそれではないことに気が付いた。手の表面は固く、ウロコのようなものが一部浮き出ていた。それが自分の腕に刺さり、ハンクの腕は切り裂かれた。切り裂かれた箇所から鮮血が飛び散る。
「な、なんで……こ、こんなことに……?」
よく見ると、ミゼルの頭には角のようなものが生えていて、顔にも鱗のようなものが浮き出ていた。
「ハンク……、見ないで。ごめん。私から離れて……。じゃないと私が……あなたを……」
「ミ、ミゼル様、あ、あなたは……?」
「ハンク、は、早く逃げて。もうこの国はおしまいなの。ドラゴンがこれだけ暴走したら助からない」
「ド、ドラゴン!? あのドラゴンですか? あれは伝説の生き物では……」
また天井が大きく崩れた。幸いにも二人の上には落ちてこなかったが、その空いた天井の穴から、大きな顔が覗いていた。ハンクはそれと目が合い、瞬時に死を覚悟した。どう足掻いても勝てない。人間ごときのちっぽけな力では太刀打ちできない。圧倒的な力を目の前にして、ハンクは全身の力が抜けた。
「ハンク。わ、私のことはいいから、早く逃げてっ!」
その時、ハンクは思い出した。ミゼルに初めて会った日の約束を。『ゾール紙であなたとお守りする』と言った日のことを。
ハンクは、震えながら国王への報告のために持ってきたゾール紙を手に取る。
「は、ハンク。何してるの? 早く逃げて。死んでしまうよっ」
「ミゼル様。あの時の約束を覚えていますか? 約束しましたよね? 私はゾール紙を作ってあなたをお守りすると」
「ハンク……」
もちろんミゼルも覚えていた。初めて会った時の約束。忘れるはずがない。
「でも、今じゃなくてもいいからっ! また生き延びた後でいいからっ。早く逃げて。あなたに死なれるのだけは嫌なの……お願い、生き延びて」
「ミゼル様、見くびらないで下さい。私は、怖くありませんよ。あなたを守れるのですから。それを誇りに思っています」
天井からドラゴンが二人を睨み付ける。ハンクはゾール紙をドラゴンに向けようとする。ドラゴンはその動きに反応した。ミゼルはハンクの命の危険を感じて、咄嗟にハンクの、ゾール紙を持っている腕を掴んで自分に引き寄せた。
「駄目っ」
と、同時に目の前にドラゴンの前足が落ちて来た。ミゼルは一瞬のことで、何が起こったのか分からなかった。自分が掴んだハンクの腕の感触はしっかりとあった。が、急にハンクの腕の重みが自分にのしかかってきた。よく見ると、腕の根元から先には、ハンクはいなかった。そこにあったのはドラゴンの前足だけだった。
ミゼルは声にならない叫び声をあげた。叫び声をあげているのに、自分の声がまったく聞こえない。喉から、すべての感情を吐き出すように叫んだ。視界がゆがむ、景色が白黒に染まり、すべての輪郭が意味を失くしていく。腕の中には、ゾール紙を持つハンクの腕がある。それを大事に握りしめたまま、ミゼルの意識はそこで途絶えた。
次に気が付いたときは、ミゼルは元のドラゴンの姿になっていた。目の前には、見覚えのあるドラゴンが倒れていた。そのドラゴンは、ハンクを踏みつぶしたドラゴンだった。はっと足元をみると、そこにはハンクの腕が落ちていた。ゾール紙は握られたままだった。意識ははっきりしてる。ドラゴンには戻ったが、暴走はしていない。
上空を見上げると、ミゼルを敵だとみなしたドラゴンたちが数体集まってきていた。
「ハンク、ごめんね。私の変な姿を見て、最後、嫌いになっちゃったかな。そうだよね……。普通の女の子じゃなかったもんね……。でも、最後まで私を守ろうとしてくれてありがとう。あなたが、私を守ろうとしてくれたこの腕とゾール紙を、今度は私が守るわ!」
ミゼルは上を見上げた。
「さあ、かかってきなさい。魔力に憑りつかれたお馬鹿さんたち! 私がお前たちの相手をしてあげる!」