小屋での看病
ハインは設定上低い位置での一つ結びです
(彼が起きたらなんて声を掛けよう‥‥。いきなり、何で襲われたのかなんて聞くのも悪い気がするし。最初の挨拶って肝心っていうよね。もし、それで警戒されたら困るなぁ。)
ピュセルは小屋の床に横たわっている彼の周りをぐるぐる歩きながら、時折何か思いついたように目を見開いては、やっぱり……と肩を落としたりを繰り返しながら悶々と考えた。
まず、既に他者から見て、寝ている人の近くでぐるぐる回ることが不審人物に値するのだが、ピュセルは気づかなかった。
前世では比較的社交的であったピュセルだが、流石に長い間二人だけで暮らしていると、コミュニケーション能力が下がっているかもしれないわけで。それがとても怖い。
前世が例え英雄でも、今世では全く名の通らない一人の人間で、他の人と何も変わらないただの人なのだ。
あの後、次期に日も落ちて暗くなりそうだったので、近くにあった恐らく狩用のこじんまりとした小屋に彼を運んだ。
‥‥‥同じ年頃の男の子をお姫様抱っこでここまで運んでしまったのは、この子にとってもあまり良くない思い出になりそうなので、黙っておこうと胸に誓う。
ぐるぐると歩きながら、ふと小屋を見渡す。小屋の中には、薪と狩用の道具が置いてあり、ここ三ヶ月の間に人の出入りがあったようで、思ったより埃っぽくはなかった。流石に今日に限って村人がやってくるというのは‥避けたい。
(うぅ‥。どうしよう、取り敢えず起きてくれるに越したことはないよね。)
起きろー起きろー、と念じていると彼の形の良い眉がぴくりと動いた気がした。ピュセルは少年に駆け寄った。
「‥‥あ。起きーー」
ピュセルが言葉を言い終わる前に、彼は近づいたピュセルの胸ぐらをぐいっと思いっきり掴み、懐に隠し持っていた短剣をピュセルの白い首に当てた。刀身がひやりと首元を冷ます。
(ーーーーひぃっ!?)
「何者だ。」
少年はピュセルを親の仇のように、少しの猶予もない目で睨みつけた。しかし、その目に浮かぶ聡明さを醸し出す紫紺の瞳はこちらに怯えているようにも見えた。
ピュセルはごくりと唾を飲み込む。
(まだ何も話してないのに、第一印象が最悪なんですけど!!)
ピュセルは理不尽な現実に思わず神様に訴えたくなった。
しかし、彼は胸を掴む力は強いが、まだ体は回復してない筈だ。余程、追っ手に警戒しているのだと感じ、訴訟を取りやめた。
「私は通りすがりの旅人、ピュセル・アテーナー。貴方が草原で倒れているのを見かけ、お助けしました。腹部の傷は可能な範囲で治療させて頂きました。」
(落ち着こう、落ち着こう)
緊張を悟らせないように平然さを装って言ったせいで思わず前世の名前を言ってしまった。それに、心なしか彼の刀は震えているような気がする。
彼はピュセルの完璧とも言える善良な一市民としての反応に対して、まだ警戒しているようだった。
「‥だったら、なぜ顔を隠す。」
(ーーーっ)
ピュセルは思わず息を呑んだ。当たり前の質問だが、痛いところを突かれた。
(理由は知らないけど父さんに、なるべく人前に姿を見せない方がいいって言われてるんだよね。訳を知らないと、どこまで隠すべきなのか判断のしようもないから困る。)
そう思いつつ、今の状況ではそんな事を気にしてる場合ではないなと観念するように息を吐くと、刀身を当てられたまま、警戒されないよう少し苦笑いをしながら言った。
「すみません。失礼でしたよね。」
私は素直に頭に被されたフードをファサッと音を立てて下ろすと、雪白色の髪が肩へとさらさらと滑り落ちた。
そして、ゆらゆらと揺れる蝋燭の火に照らされて、容貌が漸く明らかになる。
少年は息を呑んだ。
まず、色の白い肌は、少しの粗もなく艶やか。次に、均整のとれた顔立ちは、触れれば儚く消えてしまいそうな、この世とは離れた穢れなき存在を思わせる。それから、薄い小ぶりの唇は、見るものを自然と惹き寄せる艶やかさをもつ。最後に、髪と同じ色の大きな瞳は強い意志を感じさせる光を灯して少年を真っ直ぐ見つめていた。
「ーーーー雪瞳、雪髪っっ!!」
数秒してピュセルの姿を漸く理解した少年は途端に目をかっと開けてピュセルを見た。
(ーーーえっっ?)
いきなり、大声を上げた彼にピュセルも弾かれるように驚いてしまう。
しかし、最初は姿を見せたことが悪く出たかな、と思ったが、どうやら違うようだった。
少年は驚いてピュセルを見たが、目に見えて刀を持つ手は緩み、今にもその刀を払えそうで。警戒とはまた違う大きな感情が、少年の一番強かった警戒すらも通り越して降りかかってきたようだった。
(これは、父さんが姿を見せるなって言ったことと関係があるな。)
驚くことに、少年は少し経つとどこか力が抜けたように警戒を解き刀を下ろして胸元にしまった。
ピュセルは不思議に思ったが、すぐに気にすることをやめ、やっと警戒を解いてくれたことに素直に安心した。
(気になるけど、乾いてない血の状態から察するに、今はそれよりも追っ手が来る心配するべきだ。それ以外の事を考えて彼の気を逸らさなくない)
そして、もう大丈夫だよね?と心の中で問いながら、少年を見てなるべく優しく聞こえるよう言った。
「お腹空きませんか?」
ピュセルは薬草も入っていた小さな鞄から掌ほどのパンを差し出した。このパンは父特製の超保存用で、味は余りなくとても硬いが、それがくせになるというか、なんというか、である。
ぴくり
少年は何かに気づいたように少し眉を動かしたが、気づかなかったかのようにそっぽを向いた。
「空いてなーー」
ぐーきゅるる
(ふふふ)
少年の頬が忽ち赤くなり、無表情のままの顔とあまりにもちぐはぐでおかしかった。
「大丈夫。聞こえなかったから、食べて下さい。」
ピュセルはにこにこと、パンを食べやすいようにブチィッとちぎって渡す。
少年は少し睨みつけるようにピュセルを見た。
(な、なに?)
しかし、そのまま何も言わずパンを掴んで口に運んだ。
「………」
「どう?」
ピュセルは少年に聞いたが、その問いには答えず、パンをゆっくりと飲み込んだ後言った。
「ーーハイン。」
余りにも唐突で何のことか分からなかった。
「ハインと呼んでくれ。」
二回も言わせるなとばかりに睨みつけられる。
ピュセルは忽ち理解すると、
(素直な人だなぁ)
「はい。」
といい、顔に優しい笑みを湛えた。
「ーーーは?忘世の森で父と二人で暮らしてた?」
無表情で冷静そうなハインにしては珍しい、少し感情の入った、怒り・焦り・呆れのような声だった。
あの後、一応、少しは警戒を解いてくれたハインに自分のここに至るまでのいきさつについての説明をした。
「……はい。ええっと、あそこってそんな風に言われてるのですか?」
何も後ろめたい事などないのに、この利発そうなハインに言われると、不安になって少し伺うような言い方になってしまう。
(何か不味かったかな…)
「あそこが何か知らないのか?」
「は、はい…」
少し肩をちちごませて言った。
「あそこは数千年も人が住んでいない、人が住むことが出来ない、と言われている」
ハインは呆れてものを言えないとでも言うように、批難を隠そうともしない目で見た。
「この世界でそれを知らない者など居ない。どれほど悪い殺人者でも、誰もあそこに足を踏み入れようだなんて思わない。」
しまいには肩をすくめて言った。
「つくなら、もっとましな嘘をつけ。」
(ーーなっ!!?)
これには、相手が子供ーーー見た目はあちらが年上だがーーだと思いつつも、少しむかついてしまったが、怒ったピュセルが何かを言うよりも早くハインが言葉を続けた。
「ーー取り敢えず、お前は私の敵ではないことはわかった。礼を言う。」
いきなり塩らしくなったハインに、ピュセルも毒気を抜かれ、一回ため息をついて
(…全く、憎めないなぁ。もう。)
「いいですよ。お礼なんて」
といい、花が綻ぶような笑みを満面に浮かべたのだった。
ハイン (敵にはこんな馬鹿な事を言う者は居ないからな……)