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亀は歩くのをやめた

作者: 金川明

 僕には才能がない。ウサギと亀でいうなら、僕はコツコツ努力する亀の方だ。そんな僕は大学でもそこそこ優秀だった。二年生の夏休みに入るまでは。


「……は?」

 真夏だっていうのに、さぁっと血の気が引いた僕の体は途端に凍えだす。

「だから、死んだんだってよ、カホ」

 大学の食堂で肉団子をほおばりながら、友人はなんでもないような口ぶりで告げる。

「なんだよそれ。なんで……」

「さぁ? 自殺とかストーカーに刺されたとか、いろいろ噂はあるけど、本当のことは誰も知らない」

「そうじゃなくて」

「なんだよ?」

 今更のように箸を置き、友人はようやっと聞く耳を持ったようだ。

「なんで、カホが死んだのに、そんな平気でいられるんだよっ!」

 自分でもびっくりするくらい大きな声が出てしまった。騒がしかった食堂が水を打ったように静まり返る。僕はその空気に耐えられなくなり、手早く食器を片付けて一人で食堂を出た。

 カホは可愛かった。うちの学部じゃ間違いなくトップクラスで、あいつだって狙ってた。去年の冬に一緒に告白して、来年学部で一番になったら付き合ってあげるって、カホは冗談めかしに答えた。本気にした僕らは死ぬ気で勉強して、あとは夏休みに発表される成績表を待つのみとなった。

 実際は僕の本気具合に打ちのめされて途中からあいつはカホをあきらめてたみたいだけど、それでも最初は好きだったはずだ。それがなんで、どうしてあんなにヘラヘラしていられるのか。確かにカホはここ二週間ぱったりと姿を見せなくなって、何かあったんだとは思ってた。だからと言って、死んで片手間に知らされていいような人間じゃない。あいつはきっと、斜に構えることで傷つかないようにしてるに違いない。

 最初はそう思ってた。でも、違った。

 僕の友人はずっとヘラヘラしたままで、傷ついたような素振りは見せなかったし、カホと仲が良かったグループも初めのうちはおとなしくしていたのに、最近では前と同じように馬鹿騒ぎしている。そして僕は、うつになった。

 授業に出ても一切やる気になれなくて、あくびを連発してほとんど頭に入ってこなかった。課題もおざなりで、このままでは卒業どころか進級すら危ういとわかっていた。

 コツコツ努力することをやめた亀に、どれほどの価値があるのか。きっとない。

 才能があるのにサボっているだけのウサギと、才能がないからコツコツ努力する亀の昔話は、才能なんかなくたって、才能があるやつより努力すれば成功できると言いたいんだと思う。だけどウサギはその気になれば亀のそれまでの努力なんて無かったみたいに駆け抜けられるはずで、だから才能のない亀は一生その足を止めてはいけない。

 なのに、僕は止まった。止まってしまった。そしてもう二度と、歩き出す気にもなれない。

 結局、前期の成績は一位だった。周囲は喜んだけど、僕は少しも嬉しくなんてなかった。僕はいったい、なんのために頑張ったんだろう。カホが死ぬんだってわかってたら、こんな馬鹿なことはしなかった。

 授業を抜け出して僕は校舎の階段を登っていく。山奥にあるこの大学では、窓から覗く外の景色はすっかり秋の紅葉に染まっていて、カホが死んだ夏の風景なんてみんな忘れていた。

 けれど屋上の扉にたどり着くと、薄い金属の扉の向こうから騒がしいセミの鳴き声が聞こえてきた。一匹屋二匹じゃない。扉を開けると、まさしく蝉時雨という言葉がぴったりなほどの騒々しい鳴き声が轟いていた。

 屋上はまさしく、真夏だった。

 一位をとった僕が、カホとデートを満喫するはずだった、あの夏休みだった。あたりの山は一面緑で、セミや虫たちの鳴き声が洪水のように押し寄せてくる。

「どうしたの、そんな暗い顔して」

 屋上のふちに、茶色いショートカットの髪にスポーティな動きやすい短パンを履いた女の子が立っていた。振り返ると、澄んだ灰色の瞳をしていた。

「カホ……」

 大好きな子の前なのに、両目から流れ落ちるものを、抑えることができない。

「もう、なに泣いてるの?」

「ごめん、なんでもない」

 僕が鼻水を拭いながら歩み寄ると、カホがゆっくりと両手を広げる。僕は走り出して、屋上のきわに立つカホの胸に、飛び込んだ。

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