特殊戦闘介護士
季節は春。
おだやかに晴れた昼下がりの公園。
俺は、大きな桜の木のまえでザッと音を立て仁王立ちになった。
砂場にいた小学生くらいの子たちが、あどけない顔をこちらに向ける。
介護つき有料老人ホームさくら園勤務。
特殊戦闘介護士、鈴木 護。
グレーホワイトのジャージに縫いつけた名札を俺はグッと握った。
春の肌寒い風が吹きぬけ、砂場の砂が舞いあがる。
子供たちが目を覆い「わっ」と声を上げた。
不穏な空気のなか。満開に咲きほこる桜のしたから介護ガウン姿の老人が現れる。
「見つけたぞ、佐藤さん!」
俺は声を上げた。
佐藤 北斎。
元五輪選手にして実業家、御年八十八歳。
老人とは思えない身体能力でたびたび無断外出をしては町を暗躍し、町のみなさんを不安と心配におとしいれる恐るべき老人だ。
「よくここが分かったのう。さすがは特殊戦闘介護士!」
しゃがれ声で吠えたけるように叫ぶ姿に、子供たちは表情を凍りつかせた。
砂場に座りこみ、よりそいあって老人を凝視している。
「子供たちにみにくい争いを見せることはない! 介護施設にもどるんだ!」
俺は拳をグッと握りしめそう告げた。
「甘いのう、若造」
佐藤さんが身をひるがえし桜の樹のうしろへと身を隠す。
「逃がすか!」
俺はジャージを脱ぎ捨てた。
ジャージの下に装着していた白い鎧にも似た装置をあらわにする。
介護のうえでの腕力的な負担を軽減しアシストするために開発されたパワードスーツ。
それを戦闘用にパワーアップしたものだ。
生体電位信号を装置が自動的に読みとり、パワーユニットをコントロールすることで戦闘時の動きを補助。
負荷を低減したうえで、ふだんの数倍の腕力、脚力を発揮することが可能なように設計されている。
軽量薄型設計。
そのためふだんはジャージの下に装着し、通常の介護業務を行うこともできる。
安全に使用するためのきびしい基準をクリアし、戦闘用パワードスーツの国際安全規格の認証を取得、欧州機械基準にも合格。
このほど国際インダストリアルデザイン・戦闘用パワードスーツ部門で金賞を受賞。
俺は琉球空手のポーズで身がまえた。
数年まえ、介護現場で起こるさまざまな不測の事態に対応するため、特殊戦闘介護士の国家資格が新設された。
合格して一年になる。
合格発表の日も、こんなふうに桜が咲いていた。
俺はあの日に誓った決意を思い出しながら、佐藤さんを力強く指さした。
「行くぞ!」
宣言するように声を上げる。
乾いた公園の砂利を蹴った。
「なんの! これを食らえ!」
佐藤さんが手にした筒状の缶を開けこちらに向ける。
大量の芳ばしい物質をばらまき、煙幕のごとく俺の視界を撹乱した。
「ぶわっ!」
パワードスーツを装着した両腕で顔をおおう。
茶葉か。
香りからして、きのう事務の田中さんが熱海旅行のおみやげとして持ってきてくださった玉露。
「なんて……何てことを」
俺は歯ぎしりした。
田中さんがせっかく皆さんでよかったらと買ってきてくださったものを。
「人の心がないのか! 佐藤さん!」
「そんなものにとらわれて心を乱すとは! まだまだ若いのう!」
佐藤さんが高笑いする。
「そらっ! どうじゃどうじゃ!」
筒をこちらに向け、残りの茶葉をばらまく。
俺は茶葉のはげしい勢いに腕で顔をおおい後ずさった。
春風がつよく吹くタイミングと方向を瞬時に計算し攻撃を仕掛けている。
さすがだ、佐藤さん。
八十余年という悠久の時間を生きてきただけはある。
たった二十数年しか生きていない俺に勝てるのか。
いや。勝つしかないのだ。
俺はグッと拳を握った。
顔を上げ、大きな桜の枝を見上げる。
パワードスーツを装着した脚をグッとちぢめ、中腰になった。
脚をバネのように一気にのばし、桜の木の枝に飛び移ってゆする作戦に出た。
煙幕には煙幕。
桜の散る花びらで、佐藤さんの目をくらます。
これで形勢逆転をねらえる。
だが、とつぜんうしろから肩を強くつかまれた。
不意の背後からの攻撃に動揺しつつふり返る。
公園まえに住む町内会長だ。
「何をするんです町内会長! 離してください!」
俺は声を上げた。
町内会長。
まさかおなじ高齢者のよしみで佐藤さん側に寝返ったのか。
俺は町内会長のしわの目立つ手をふりはらおうと踠いた。
町内会長がきつい目つきで俺を睨みつける。俺の肩をググッと強く引きよせた。
五年もまえに定年退職したかたとは思えない。すごい力だ。
「なぜですか町内会長!」
「木に登るのは禁止! 看板が読めないの!」
町内会長が凛として言いはなつ。
俺は町内会長から目をそらした。
「……この事態においても秩序を保とうとする、あなたの冷静さは立派だ。だが非戦闘員は離れていてください!」
俺は声を荒らげた。
佐藤さんがしめたとばかりに無数の粟まんじゅうを投げつける。
俺はハッと目を見開いた。
「危ない!」
俺は銃弾のごとく投げつけられる粟まんじゅうから町内会長を庇い、背中に大量の餡子を被弾した。
「うっ……」
思わずうめき声が漏れる。
戦闘仕様とはいえ、ほうっておけばベタベタして不衛生になってしまう。
介護関係者としては致命的だ。
ゆっくりと身を起こす。
身体の下で仰向けになった町内会長の様子がおかしいことに気づいた。
「……町内会長?」
脳梗塞だ。
俺は経験から瞬時に判断した。
パワードスーツに装着されたストレージボックスからスマホをとりだす。
救急車を呼んだ。
救急隊が運びやすいよう、町内会長を安全なところに運んで置かなければ。
俺は佐藤さんの動きを警戒しながら、町内会長を横抱きにした。
最寄りのベンチに運び、そっと寝かせる。
「町内会長を頼む……」
砂場で身をよせあう子供たちにそう告げ、俺はふたたび佐藤さんに向き合った。
「おのれ……非戦闘員まで巻き添えにするとは!」
俺はふるふると身をふるわせた。
「わしの野望のまえには大した犠牲ではないわ!」
佐藤さんがあざけるように高笑いする。
「いまだオリンピックに最年長選手として出場し、世界を金メダルで支配する野望を捨ててはいないのか!」
「小物には分からぬわ!」
佐藤さんが、八十八歳とは思えないしっかりとした腹筋で支えられた声を張り上げる。
「おのれ!」
俺はストレージボックスから介護用タオルをとりだした。
「佐藤さん! 俺は命に代えてもあなたに勝つ!」
俺は介護用タオルをヌンチャクのように両手に持ち胸のまえでかまえた。
右手に持ちかえ、高速で回転させる。
公園の小石が、はげしい風にあおられ浮き上がった。
小石がパワードスーツにあたり、パチパチと音を立てる。
砂ぼこりが轟々と音を立ててあたりに空気の渦を作る。
砂ぼこりと舞い上がった花粉とで鼻がムズムズしたが、俺は耐えた。
子供たちが両腕で顔をおおい後ずさった。
その子供たちの姿さえ砂の渦のなかに消える。
「むうっ!」
佐藤さんが、桜の樹にしがみつきしゃがれ声を上げた。
「なんの!」
介護ガウンから覗く細枝のような脚を踏んばる。
桜の枝が大きくゆれた。うす桃色の花びらがザザザッと美しく舞う。
俺は介護用タオルの動きをさらに加速させた。
「うおおおおおお!」
大きなサイレンの音が公園の空気を切り裂いた。
救急車の音だ。
俺のすぐ背後で止まる。
横目で見ると、砂と小石と花びらの舞う隙間から到着した救急車が目に入る。
町内会長が担架に乗せられ運ばれて行く。
砂場にいた子供たちが、顔を見合わせわらわらと救急車に乗りこんだ。
町内会長につきそってくれるのか。
町内会長はお独り暮らし。娘さんは他県に住んでいる。
駆けつけるには時間がかかるので、気がかりだったところだ。
子供たちは、娘さんの代わりを買って出てくれるのか。
ありがとう、勇気ある子供たち。
これでもう思い残すことはない。
「うおおおおおおおおおおおおおおおお! 」
俺はパワードスーツの機能を最高出力に上げタオルを回転させた。
もし俺が無事にこの闘いを終えたら……。
子供たちの勇気をたたえる電話を一本、小学校の校長先生にお入れしなければ。
心の片隅で、そんなことを考えながら。
にわか雨が来るのか、遠雷の音が響いた。
「うっ」
とつぜん佐藤さんが、胸のあたりを押さえ中腰になった。
そのままぐらりと肢体をかたむかせる。
「いかん!」
俺は地面を蹴った。
パワードスーツをつけた脚は、脚力も通常の数倍だ。
佐藤さんの正面にすばやく駆けより、両手を差しだして枯れ枝のような身体を受け止める。
「う……っ」
俺は小さくうめいた。
先ほど粟まんじゅうを被弾した背中から、餡子のクドくて甘ったるい匂いがただよう。
ダメージは、思ったより大きかったようだ。
「……大丈夫か」
ダメージに耐え、俺は佐藤さんをゆっくりと地面に横たえた。
佐藤さんが胸を押さえながら、信じられないという表情でこちらを見上げる。
「なぜじゃ……」
佐藤さんが、かすれた声でつぶやく。
「なぜ敵であるわしを助けた……」
「人間なら……あたりまえじゃないか」
俺は佐藤さんに向けてほほえんだ。
「まだじゃ! まだ負けるわけにはいかん!」
佐藤さんが地面にグッと手をついた。
老人とは思えない力強さで、一気に立ち上がる。
「待て! せめて心音と血圧の検査を受けろ!」
俺は佐藤さんの腕をつかんだ。
「佐藤さんのために言っているんだ……」
「武士の情けというやつか」
佐藤さんはクククッと笑うと、俺の手をいきおいよく振りはらった。
「敵の情けなど受けん!」
佐藤さんが雄々しくそう言いはなち、俺に背中を向ける。
心臓に爆弾をかかえながら、まだやろうというのか。
俺は目を見張った。
「もうやめろ、佐藤さん」
俺は佐藤さんの骨格のしっかりとした肩をつかんだ。
「離せ若造!」
「いや、離さん!」
「わしには世界を支配するという崇高な使命があるんじゃ!」
「まだそんなことを言っているのか! そんなことは誰も望んではいない!」
俺は力のかぎり叫んだ。
「貴様が世界を知らんだけじゃ! 若造が!」
「遠い過去の虚像に惑わされているのは佐藤さんのほうだ!」
佐藤さんが、懐から金鍔をとりだす。
「世界の真理も知らん若輩者が!」
ハッと思ったときには、もう遅かった。
金鍔は俺の眉間にあたり、俺はうしろにのけぞって地面に叩きつけられた。
ザサザッと腰で地面をこする。
粟まんじゅうよりも遥かに強度のある金鍔。
佐藤さんは本気だ。
本気の攻撃を仕掛けてきた。
俺は眉間ににじんだ血を手のひらでおさえた。おさえた指のあいだから、 佐藤さんをギリッと睨みつける。
「そうか……佐藤さんがそのつもりならしかたがない」
俺は手のひらをいきおいよく振りはらった。
立ち上がり、もういちど介護用タオルをかまえる。
「とりゃああああああああ!」
左上から右下、右上から左下へと超高速でタオルを振る。
タオルはパワードスーツの威力で日本刀なみの強度を持った。
「もはや手加減はしない! 佐藤さん!」
俺は佐藤さんに斬りかかった。
「小癪なあああ!」
佐藤さんが雄叫びを上げて、高齢者用ステッキをかまえる。
背の高いかた用の伸縮型、おそらくはアクリル樹脂素材。
この老人らしい武器の選択だ。
敵に不足はない。
俺は佐藤さんにねらいを定めた。
しかしつぎの瞬間、佐藤さんの背後の桜の樹が目に入り動作を止める。
俺はフッと自嘲ぎみに笑った。
攻撃をやめてノーガードの体勢になり、佐藤さんに横顔を向ける。
自分の甘さに笑いがこみあげた。
ストレージボックスからビニール袋をとりだし、戦闘ですっかり汚れてしまった介護用タオルを放りこむ。
「なに?」
佐藤さんが、しわにかくれた目を訝しげに眇める。
「なぜじゃ若造。なぜ攻撃をやめた」
桜の花びらが、はらはらと舞う。
「おぬしのほうが有利だったはずじゃ」
俺はうつむいて、ククッと肩をゆらした。
「このまま攻撃したら……うしろの桜の樹も傷つけてしまう」
戦闘時にこんなことを気にしているなど、大甘だろう。
始末書、いや資格とりけしもあるかもしれない。
だが俺にはできなかった。
日本人として、桜を傷つけるなど。
「若造」
佐藤さんはまっすぐに俺を見つめた。
審判を下そうとしている誇り高い王者のように、俺に真摯な目を向ける。
佐藤さんは、小さく「うむ」とうなずいた。
しゃんとした足どりで俺に近づくと、介護ガウンの袖をまくり俺に腕を差しだした。
「おぬしに、わしの血圧を計らせてやろう」
俺は目を見開き、佐藤さんの顔を見た。
「いいのか、佐藤さん……」
佐藤さんが無言でうなずく。
「おぬしとは分かり合えそうじゃ」
「佐藤さん……」
「いまどき、こんな若者に出逢うとはのう……」
俺は熱い涙を流した。
桜の花びらが、あたりを包むように舞い散った。
終