第六話・【俯瞰視点】虐められているおさげ眼鏡っ娘平民特待生と奪われたレポート①
パン令嬢ことチェルシー・キプリング男爵令嬢は、ダン・ミクライエン子爵令息とパンをきっかけに仲良くなり、その従姉妹を紹介して貰って令嬢教育を少しずつ始めていた。
もともと明るく、本来空気も読める彼女だ。
前世を思い出したこともあり、『男子とは必要以上に近寄らない』と決めている。
彼女が虐められることはとりあえずなさそうだ。今のところ。
しかし、隣のクラスには既に虐められっ子がいた。
平民特待生の三つ編みおさげ眼鏡っ娘、ダナ・スミスである。
☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆
「…………!」
ダナが机の中を覗くと、提出予定だった歴史のレポートが……ない。
周囲を見渡すと一部の令嬢たちがクスクスと笑っており、他はダナと視線を合わそうとはしない。なにかされたのは明らかだが証拠はない。
証拠や身分差の問題もあるが、そもそもダナは、揉め事を起こしてでも自己主張を行えるタイプの人間ではない。
──ないない尽くしである。
ちなみに期限もない。今日が締切だ。
(先生に謝って、今日は徹夜するしかないわね……)
幸いなことに流用されたとは考えにくい。
特待生であるダナのレポートを手に入れても、自分のものとして出すには内容的に疑われる可能性が高い。それらしく直すならともかく、そのまま出して疑われないのは成績上位者くらいだ。
そして嘲笑っている令嬢グループに成績上位者がいなさそうなのも幸いだった。
切り替えたダナは、先生に謝って一日期限を延ばして貰うとすぐに決断していた。
なので早く教師の所に行き、寮に戻りレポートをやりたいところ。
だが……先ずは机に突っ伏して、ショックを受けた風に装う。
絡まれると嫌なので、令嬢達がいなくなるまでこれでやり過ごすのだ。
なにしろ令嬢達は自分のそういうところを見れば満足するのだから。
「近くに素敵なカフェができたそうですわ」
「うふふ、今日行ってみましょ♡」
(…………行ったわね)
努力の末、相応の覚悟を決めて田舎から出てきたダナ。貴族の矜恃はないが、彼女には彼女なりの矜恃がある。
温厚で気は強い方ではないダナだが、精神はそれなりに強いのである。
気持ちを新たに教室を出て廊下を進むと、後ろからひとりの令嬢が追い掛けてきた。
「──あの! スミスさん!!」
「フロリアン様……?」
エミリー・フロリアン子爵令嬢。
意地悪令嬢達のグループではない、大人しめの令嬢だ。
「私、あの方達がレポートらしきものを持って裏庭の方に行くのを見ていたの……あの……注意できなくてごめんなさい……ッ」
なにを言われるのかと構えていたダナは、謝られたことにまず驚いた。
「いえ、そんな……どうかお気になさらないでください」
平民だが、ダナは知識として貴族間の複雑さは理解しているつもりだ。傍観者の彼女等を責める気持ちは無い。
それに官職を目指して頑張っているダナとしても、やはり揉め事を起こしたくはなかった。
エミリーは罪悪感からか『これから探してみる』と言う。
ダナは礼を述べたあと『新しく書くから大丈夫』と、やんわりしなくていいことを伝えた。
「私もだけど……本当は、皆様あの方達の行動を良くは思っていないの。 家格だとか貴族の柵からなかなか表立って貴女の味方にはなれないけれど……」
どこまでなにを言ってもいいか、と悩みながら話すエミリーの言葉には裏がないように思える。しかし、ダナはそれを完全に信用する程お人好しでも、彼女の為人を知っている訳でもない。
「……お気遣いありがとうございます」
無難な礼を笑顔と共に返すに留め、エミリーに挨拶しその場を辞した。アカデミーで身に付けたばかりの、美しいとは言えないが丁寧な淑女らしい所作で。
(……でも少しくらいなら裏庭を探してみてもいいわね)
どこかに捨てられて汚れていたのだとしても、原本があればレポート作成は格段に楽にはなる。
エミリーからレポートを探してみるのに誘われた訳でもなければ、意地悪令嬢達は『自分がショックを受けたこと』を疑っていた様子でもなかった。
殊更に『罠だ』などと勘繰るのも馬鹿馬鹿しく思え、ダナは少しだけ裏庭を見てみることにした。
結論から言うと、エミリーの言葉に裏はないし、罠でもなんでもない。
しかし、裏庭でダナは衝撃的な出来事に遭遇することになるのである。