第五話・【俯瞰視点】転生ヒロインっぽい人とフラグ②
ぶつかる!──と思って目を瞑ってしまったチェルシーだったが、
「えっ」
何故か身体が浮いた気がして、おもわず目を開く。
──ドンッ!
そしてやっぱり誰かにぶつかった。
「!?……??……?」
今の感覚が不思議過ぎて、振り返りあたりをキョロキョロと見回すも、特別変わった様子はない。
「大丈夫?」
「──はっ!?」
後ろに気を取られていたが、声を掛けられて上体を前に戻すと、影。
前に立ちはだかるのは、勿論壁などではない。
今しがた自分が突進した誰か……その身体。
直前に見たのは、仏頂面をしたイケメン。
「ごごごごごめんなさいッ!!」
(ああぁぁぁぁ! 私ったら自らフラグをぉぉぉ!!!)
焦りつつ深く頭を下げる……フラグを叩き折ると決めたのに、むしろ立てている。
そもそも相手は貴族な筈、と今更のように気付いて、不敬罪の恐怖から冷や汗が止まらない。
昼休みが終わることに慌ててしまい、ウッカリいつもの粗忽な行動でパンをくわえたまま廊下を走るという愚行を犯してしまった。
だがここは王立アカデミー……チェルシーはもう市井のパン屋の娘ではないのだ。
いつまでも頭を下げたままのチェルシーの上から降ってきたのは、予想に反した低く柔らかな声と優しい言葉だった。
「大丈夫、気にしてないから顔を上げて……怪我はない?」
見た目の印象から『絶対偏屈系クールキャラか俺様かツンデレに違いないわ!』と決めつけていたチェルシー。
「……あっ、はい……」
安心すると同時に肩透かしを食らったような気分で顔を上げるが──
「…………あら?!」
そこにいたのは、巨大な熊のぬいぐるみ──のような温厚そうな青年だった。
☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆
廊下を歩いていたら曲がり角から勢いよく現れた、パンを口にくわえた女。
……これは色々駄目だろう。
淑女教育以前の問題だと思う。
ウィルフレッドは瞬間、そう思った。
だが、それはそれとして。
当然ながらウィルフレッドに彼女がぶつかることはない。
何故ならイヴがいるからである。
イヴは常にウィルフレッドの傍にいるわけではないが、だとしてもシルヴィオが対応するので、やはりぶつかることはないのだった。
──ドン!
ウィルフレッドにはぶつからないが、彼女は誰かとぶつかった様子。
……大分後ろの方で。
「……イヴ」
「はっ!」
「良くやった……と言いたいところだが、なんでそんなやり方なんだ?!」
イヴは曲がり角から勢いよく現れた、パンを口にくわえた女──略してパン令嬢(※ウィルフレッド側のチェルシーの暫定呼称)を素早く横から抱え込むと、そのままの状態で次の曲がり角のところの手前に置いてきた。
それがあまりにも一瞬のことだったので、結局パン令嬢は勢いを失わないまま、誰かとぶつかったのだろう。
次の曲がり角のところで。
「申し訳ございません、咄嗟に身体が……」
「……イヴ」
苦々しくウィルフレッドはイヴの名を再び呼んだ。
自業自得とはいえ、今心配しなければならないのは誰かとぶつかったパン令嬢と、ぶつかった誰かの方なんだろうが……
「『影』になることまでは許されたからと言って、お前自身の身を危険に晒すようなことは許されていない。 わかるな? 危険物には極力触れないように!!」
「……はっ! 申し訳ございません」
ウィルフレッドは二人よりも、イヴの方が心配だった。
物理的危険もだが、今のが男だったらと思うと気が気ではない。
回りくどい言い方で誤魔化してはいるが、危険物とは男……
つまりヤキモチである。
だから『影』なんかさせたくないし、なんなら自分の方がイヴを守りたい。
立場的教育では『自分の身の安全第一』だが……
彼も一人の男の子なのである。
しかもカッコつけたいお年頃だ。
その反面、自分を守る為に『咄嗟に身体が動いてしまった』と言うイヴの発言に喜びを禁じ得なかったりもする。
王太子殿下の御心は、大変複雑なのである。
照れ隠し的にウィルフレッドは「ちっ」と小さく舌打ちしたあと、生徒会長として衝突した生徒達の安否確認及び『廊下は走るな』等の注意をしに、彼等の元へ向かう。
「……ん?」
彼等は初々しい空気を纏いながら、何故かパンの話で盛り上がっていた。
なんとなく……声を掛けるのはやめておいた。
王太子殿下はちゃんと空気の読める男なのだ。