…… 愛し合う二人から生まれても子供は恋愛至上主義とは限りません
貴族にとって、体面はとても大切なもの。
かくいう我が家でももう何年も前に使用人に暇をだし、ほとんどの家事を娘である私がしているが母親は見て見ぬふりをしている。
母親はさほど裕福ではない男爵家の娘だった。
父親はやはり裕福ではない伯爵家の三男だった。
どちらの家でももっと裕福な相手との縁組を望んでいたが、ある夜会で二人きりで庭にいたところを噂好きのレディにみつけられ醜聞を避けるため、結婚する事になったのだ。
…… もちろん故意である。
社交界にデビューしたばかりの、初々しい母親に恋した父親は、誰かに取られないよう策を練ったのだった。
積極的にではなかったが、母親も同意していた。
両親が紹介したがる貴族達は身分は高いかも知れないが、父親くらいあるいはもっと年上だったり、横柄だったり陰気だったり、とても結婚したいと思える相手ではなかったから。
…… そんな中出会った父親は若くて優しげで、たちまち二人は恋に落ちた。
父親にとっても、母親は稀有な存在だった。
まわりは見栄を張り相手を貶めようと足を引っ張り合う令嬢ばかりの中、可憐で無垢な母親は唯一無二の存在だった。
二人はとても仲の良い夫婦だった。
伯爵は三男のために小さな領地をくれた。
痩せた土地でたいした収入も見込めず、他の領地から離れてもいたので放置されていた領地だった。
男爵は娘にほんの少しばかりの持参金しか持たせなかった。
それでも二人はとても幸せだった。
ただそれは長くは続かなかった。
伯爵家の三男と男爵家の令嬢。
それなりに使用人にかしずかれ、自分の身の周りのことさえ一人ではままならない二人は困窮していく暮らしになす術もなかった。
当初、雇っていた執事は間も無く去った。
家政婦もメイドも次々と辞めていった。
いつのまにか二人の元には、地元で雇った下男と、男爵家から来た母親の乳母だったメイドだけしか残らなかった。
地元の下男は、他に働き口もない辺境で雇われた事に感謝していた。
元乳母のメイドは、他にメイドもいない状況で辞めるなどとんでもないと考えていた。
裕福ではないとはいえ男爵令嬢の母親は、自分一人では何一つ出来いことは誰よりも知っていたのだから。
二人の間には、娘と息子が一人ずつ産まれた。
二人は小さな頃から質素に暮らしていたので、自分たちで自分たちの暮らしを賄う事を疑問には思わなかった。
父親は痩せた土地からなるべく多くの収穫を得ようと改良を試みたりしたが、素人なのでなかなかうまくはいかなかった。
それでも、何とか食べてはいけた。
さすがに、元乳母のメイドだけでは仕事の全ては賄えなかった。
地元の女将さんが料理人として通ってくれていたが、掃除までは行き届かなかった。
娘は考えた。
( …… 掃除なら、私にもできるかしら。)
メアリはすっかり綺麗になった床に満足していた。
12歳の時から身につけた掃除は特技と言ってもいい。
床を磨き、窓を磨き、階段の手摺りはおろか、古びた家具調度まで …… メアリの手にかかればピカピカになる。
メアリは綺麗になった部屋を見ると満足するが両親には不評だった。
叱られるわけではないが、自分達の不甲斐なさを嘆かれるのは些か辛かった。
なのでメアリは掃除をするときには、なるべく両親の目がないとき、昔出て行ったメイドの残して行ったお仕着せの古着を着てしている。
数少ない自分の服が汚れては困るし、両親の目についてもメイドなら気にならないだろうと。
実際、おっとりした二人は使用人のいる暮らしが当たり前だったせいか、メイド姿のメアリには注意を払わない。
「 …… ありえないよな。 」
二つ年下の弟ジョンは肩をすくめた。
現状把握が得意な弟は、メアリが掃除を始めた頃、下男のミックの後をついて回って仕事を覚えた。
厩で馬を世話し、薪割りをし、裏庭の小さな畑でハーブや花を育てる。
…… ちなみに花は母親に喜んで欲しいから育てているらしい。
豊かではない領地だったが、二人が来る前はもっと厳しい暮らしだったらしく地元の小作人たちには慕われている。
困った領民が相談に来れば、二人は親身に相談に乗った。
事情によっては税の支払いを待ったりもした。
…… そのため自分達が困窮する羽目になることも、しばしばあった。
が、近くに貴族が住むわけでもなく、社交的な付き合いのない暮らしは何とか成り立っていた。
午前中のニ時間ばかりは、メアリとジョンは勉強の時間に当てられていた。
家庭教師を雇うゆとりはなかったので最初は母親が、そしてときには父親が勉強を教えた。
平均的な男爵の娘の母親に教えられることは多くはなかった。
それでも、読むことと書くことそれから簡単な計算位は教えられた。
二人は瞬く間にそれを理解し、それからは父親の本棚の本を読み漁って知識を深めた。
メアリは利発なジョンを学校にやれない事を両親が悲しんでいる事を知っている。
…… 貴族の姉弟なら当然それなりの教育を受けて当たり前なのだから。
ジョン自身は特に何も言わない。
出来ない事を嘆くより、与えられた環境で精一杯頑張ることが先決だと知っていたのだ。
それに、知識は豊富だが、それを実践する事が出来ない父親より、よほどジョンの方が、領地経営に向いていた。
計算する事を覚えてジョンは帳簿を見るようになった。
それから、次々と問題点を見つけ、それをひとつずつ解決した。
父親と一緒に領地をまわりながら、ジョンは疑問をすぐにその場で聞いた。
父親が答えられないと地元の小作人が答える。
より良い改革を、ジョンは皆と話し合った。
…… 子供の提案など鼻であしらわれがちだが、父親は利発なジョンが自慢だったので、試す事を躊躇わなかった。
地元の頑固な小作人も、領主に表立って逆らうことはしなかったし、温厚な領主はあくまでも提案やお願いとして話すのだ。
試行錯誤を繰り返し、少しずつ、領地の経営は安定した。
「 …… なんのために? 」
メアリは眉を顰めて言った。
夕食の後、家族は今でハーブティーを飲んでいた。
「 …… メアリも、もう18才でしょう? デビューには遅いくらいだもの。 」
「 ……兄から手紙が来てね。メアリがその気なら、屋敷に逗留して、後ろ盾になってもいいと言っている。 」
父親の実家の伯爵家とは没交渉だったはず。
首を傾げると、父親は、すまなそうに言った。
「 …… 父親なのに娘を社交界にデビューさせないとは恥知らずだと言われたよ。 」
「 …… でも私、社交界なんて興味ないわ。 」
毎日忙しく働いているし、時間があれば読書をしたい。
話し相手なら弟のジョンで十分だった。
…… さすがに、小作人達は気の良い隣人というだけでメアリの交際相手にはなり得ない。
「 …… もちろん、無理に結婚しなくてはいけないとは言わないわ。 」
「 ……そうだよ。いつまでも、ここにいて欲しいと思っている。 」
両親は気の良い夫婦だった。
自分達の我儘で子供達が、苦労させられている事を心苦しく思っているに違いない。
「 …… お父様、お母様。たとえデビューしたとしても、持参金もない …… たいして美しくもない私が求婚されるかしら? 」
「 …… そんな。 …… メアリは美しいわ。 …… 家の切り盛りだって上手よ。 」
母親が涙目になって叫んだ。
家の切り盛りというより、自分で掃除しているのだから家政婦として有能なのだろう。
……そんな事を言おうものなら、本気で泣かれそうで、怖くて言えないが。
「 …… そうだよ。私達のメアリはお前に似て美しいし賢い。 …… こんな田舎で埋もれていて良いはずがない。 」
「 …… でも、ドレスはどうするの? 」
両親はハッとして顔を見合わせた。
社交界に顔を出すには何着ものドレスがいる。
毎晩同じドレスというわけにはいかないし、朝には朝の、昼には昼の、時と場合に合わせた装いを用意しなければならない。
…… それをひとシーズン分となれば、我が家の一年分の生活費が消えるのではないか?
「 …… 出せなくはないよ。メアリが望むなら。 」
それまで全く会話に加わらなかったジョンが静かに言った。
「 …… 僕はくだらないと思うけどね。伯爵は自分が姪をデビューさせていないと、非難される事を回避したいだけだろうし。でも、ここにいて望ましい縁組を望むのは奇跡を望むようなものだ。」
「 …… それはジョンも同じでしょう? 」
「 …… 僕は男だよ? 30過ぎまで結婚したいとも思わないが、メアリはもう二年もしたらオールドミスじゃないか? 」
「 …… ジョン、酷いわ。 」
泣き出したのは母親だった。父親も非難がましい目を向ける。
メアリは肩をすくめた。
「 …… お母様。ジョンはジョークを言ったの。もし私がオールドミスになりそうだと思ったらそんな事言うわけないわ。とても、優しい子だもの。厳しい我が家の財政からドレス代を捻出するから皮肉くらい言いたかっただけだと思うわ。 」
「 …… そうなの? …… ジョンにまで心配をかけてしまって …… 本当に辛いわ。私はただ、メアリにシーズンを楽しんで欲しいの。お父様と出会ったあの舞踏会 …… 」
両親は手を取り合って互いを見つめ合い、二人の世界に飛んでいった。
二人は似たもの夫婦だと思う。
「 …… 無駄だと思わない? 」
「 …… かもしれないけど、お母様の望みは叶えたい。 」
「 …… お母様の望みね。 …… 私の望みはどうでも良いわけ? 」
「 …… メアリだって、一度はいったほうがいいよ。多分今年が最初で最後だろうから。」
母親の元乳母でメイドのアニーも号泣している。
…… 口出しこそしないが日頃の様子を、情けなく不甲斐なく思っているのは知っていた。
メアリはアニーを大切に思っているのだ。
使用人がみんな辞めてしまって途方に暮れた両親に寄り添い、全ての家事を引き受けて孤軍奮闘する姿をずっと見ていたのだ。
物心つく前から、色々な家事をこなしつつ面倒を見てくれたアニーがいなければ、メアリは無事に育つことはなかったはずだ。
「 …… モーニングドレスや、デイドレスでしたら、私にもお手伝い出来ます。 …… 早速ご用意を始めなくては。 」
「 …… でも、生地だって手に入らないのに。」
「 …… 奥様のお嫁入り前のドレスを手直しいたします。もちろん新しく作らなければなりませんが、全てロンドンであつらえたら、いくらお金があっても足りませんよ。 」
アニーは我が家で一番、経済観念がしっかりしている。
そのアニーがその気になるなら、無謀とも言えないのかも知れない。