僕と私の自白独白
そこは地上より少し冷え、風もよく通る場所—地下鉄に二人はいた。
一人は秀才--全国模試で常に上位の成績を収める男、南雲倫理。
一人はスタイルが抜群でカリスマ読者モデル—常に男の心を魅了できるほどの可憐な少女、桐谷亜美。
そんな二人はプライドが高く、しかし両思いなのである!
「ねえ、倫理?」
「どうした?」
「電車がここに来るまで数分空きがあるわ。ちょっとしたゲームをしない? 負けたほうは罰ゲームでいいかしら?」
「いいさ。それでどんなゲームなんだ?」
亜美は心の中でほくそ笑む。
--このゲームもらった!! 私はこの駅のありとあらゆる地下鉄の時刻を把握している!!
亜美が考えているゲームは次の電車がいつ来るかを当てるものだ。
--現在時刻、十一時二十八分。次に電車が来る時刻は、私が持っている手帳から剥ぎ取ったメモ用紙から…………十一時三十二分!
亜美は笑いをこらえながら、
「次の電車、五分以内に来るかどうか予想しない? 制限時間は一分。もし予想を外したら、罰ゲームで女装をしてもらう、倫理が当てたら私は男装する…………それでいい?」
「いいだろう」
--即答でこの勝負を受けた⁉ 倫理も何か策を持っているのか⁉
亜美は倫理の性格をよく知っている。
いつもの倫理なら数瞬の考えを巡らせるが、即答で受けるというのは亜美にとってみれば、何か策を持っているとしか思えなかった。
--でも、私のプランは完璧なはず……。もしも…………もしものことが無いように倫理の動向を見つめていれば、私が勝てる!!
--とでも思っているんだろうな。僕が亜美の策をわからないとでも思っているのか?
--とでも思っているんでしょうね。残念、今回は何重にもフェイクを張り巡らせているわ。絶対にバレることはない!!
二人の刹那の思考が交錯する。その思考は凡人の熟考に値している。
亜美は腕時計を気にする。否、気にする素振りを見せる。
天才は些細な行動さえも何か考えがあるものだと思索する。
よって、倫理を惑わすこととなる。とはいえ天才の思考をかき乱せるのはわずかだ。だが、
--ちりも積もれば山となる。私はこれで倫理の思考を巧みに惑わす!
亜美の行動が、なんら意味のない行為だと倫理は理解する。それは亜美をよく知っている故の経験則からだ。
よって亜美の腕時計に何かあるなどという考えは捨て、倫理は周りを見渡す。
--さすがに今見える範囲に時刻表はないな。
天才ほど、凡人の思い違えてしまう前提条件を見逃さない。今回の場合、実は時刻表がこの駅にあってそれを見れば一目瞭然だというセン。しかし、時刻表はなかった。いや、駅に時刻表がないことはないだろう。
--この駅は見にくい場所に時刻表が置いてある……ということか?
その考えは須臾だ。一分の中のコンマ一に足るかどうかという時間。
すぐに倫理は行動する。自身がどのように動くことが得策か、天秤にかけることで
時刻表は絶対にあるという常識を信じたからだ。
亜美は不敵に笑う。
--思い通り! 思い通り!思い通り! 私は既に情報のアドバンテージがある…………! 私は既に下見をしているわ! ……この駅に時刻表は確かにあるわ。だけど時刻表のある場所まで一分以内に行ける範囲にはない。しかも倫理は方向音痴ではないけど抜群に方向性が良いというわけではない。下手に全力で探そうとすれば私のもとまで来れるかどうかも怪しい、それほどこの駅は複雑。何度も下見をしてきた私さえも迷いかけるそんな場所よ。だから—
倫理は三十秒ほどで戻ってくる。その行為が亜美の手のひらで踊らされていることに気づいたのだろう。
かなり全力で走っていたようだったが、あまり息は乱れていないようだ。
「なあ、亜美が先に選んでいいと言ったら、次の電車は五分以降に来るか、来ないか、どっちを選ぶ?」
--やはりこうなるのね…………! でも、この質問をはぐらかすわけにはいけない。はぐらかしたら……、倫理をうまく誘導できる可能性が低い……!
だから、亜美は答えるしかないのだ。
「五分以内に来ると思っているわ」
「……そうか」
天才における刹那の考えは凡人の熟考に値する。
もし、天才が熟考すれば…………これほど危険なことはない。
しかし天才とて、倫理とて、ボロを出さなければこの勝負、倫理が勝つことは不可能なのだ。
糸口を掴めないことは、何も分からないということは、二分の一を当てなければならないことで、しかし倫理はそれを許さない。
彼はすべてを運に任せることをしない。天秤にかけることでしか彼は選択を選べない。運に頼るくらいなら、負けを選択する。それほどプライドある人間だ。
「…………亜美は、嘘をつかないだろう?」
「なんの嘘?」
「五分以内に電車が来ることが嘘ということだ」
--…………揺さぶっているのか、この私を? だけどこれはチャンスなのかもしれない。今は四十五秒。一分まであと十五秒。今ここで! 最終手段を実行するわ!
亜美はある素振りを見せる。
それはポケットに手を入れている素振り。そこから、
「あっ…………!」
左ポケットから何かを落とした。
「んっ?」
倫理は拾い上げる。
それは、メモ用紙だった。それには『十一時三十二分』と書かれている。
「これは電車の時刻表か…………?」
亜美は冷や汗をかく。
当然、倫理は確信を得てしまう。しかしそれは亜美の計略。
--勝った! 私のそのメモ用紙に書かれていることはダミー! 本当は『十一時三十二分』ではなく『十一時三十七分』! つまり倫理は私のメモを信じて五分以内と予想する! 疑うはずがない!
亜美は笑いかけるが噛み殺す。もし笑えば倫理は疑うかもしれない。だから亜美は演技する。
「ちょっと倫理! そのメモ返して!」
少し強情にそういう。
そうすれば、それが真実だと考える。
--念には念を入れて、手を出せばチェックメイトよ!
だから、亜美は倫理にトドメを刺す!
「見るなー!」
思いっきり抱きつく。その策略が意味するところは、
--これだけ抱きつけばそのメモを絶対に見てはいけない必死さが伝わる! ……って、ちょっと待って。……私は今、好きな人に……抱きついてい……る……?
その事実に、
「ひゃぐぅ!?」
思わず顔を真っ赤にしながら離れてしまう。
そして、二人は目と目が合う。
「…………」
「…………」
両者思考停止。天才同士の思考はお互い恋の想いによってなくなる。
残ったのは純粋な恋。
だったが、
「…………電車は五分よりも後に来る」
「…………へっ?」
「今ちょうど一分だ。この宣言は有効だよな?」
「あっ…………」
亜美は腕時計に目を向ける。
--今制限時間である一分を超えた……。……確かに有効だ。しかも…………、
「倫理。なんで五分以内じゃなくて、五分以降にしたの?」
亜美にとってそれはとても妙なことだった。メモ用紙によって五分以内に電車来ると、その嘘の情報を信じてくれると思っていたからだ。しかし結果は違った。
--私の演技は完璧だった! なのに、なんで…………。
「不思議だと思っているようだが、お前がメモ用紙をわざと落とした時点でおかしかったんだ」
「……? 私は自然な動作で落としたはず…………。どこにも嘘だと信じる要素が……」
「お前がメモを、いつも大事そうに、肌身離さず身に着けているメモ帳があることを僕は知っている」
「メモ帳…………? 確かにメモ帳は私の大好きなものよ。だからと言って勝負にそれは関係ない。ましてや今回落としたのはメモ用紙。私はメモ用紙を大切だとは思っていない……はず。だから」
「だからおかしくない。そういいたいのか?」
「…………ええ、そうだけど……」
「確かにメモ用紙は好きではない。それは行動から解った。でもメモ帳は大好きだろ?」
「まあ大好きだけど……そんなに何回も言われるのは少し恥ずかしいわね…………」
「そうか、それはすまん。話は戻すが、メモ用紙がそこまで好きでないこと、それが亜美の敗因だ」
なぜ、そんなことが敗因なのか未だ理解できなかった。それを察してか倫理はある部分に目を向ける。
「右ポケットにはメモ帳が入っているだろ? でもメモ用紙は左ポケットにあった。これで解るか?」
「まさか--!!」
「そのまさかだ。メモ帳とメモ用紙が別々のポケットに入れてあるということは、それぞれ別のときにそれらを見ることを目的としていると考えていい。ましてや今回、勝負を仕掛けてきたのはそっちだ。何か仕掛けがあると考える。だから亜美がメモ用紙を落とした時確信した。その行為がわざとだと」
「……完敗ね…………」
亜美は戦いに負けた。
--今回は私の負けね…………。
「今回は僕の勝ち--」
瞬間、アナウンスが鳴る。
「ただいま、こちらに向かっている電車は五分の遅れで発射しております。到着するのは五分遅れとなります。誠に申し訳ありません」
「…………」
「…………」
亜美は戦いに負けて、勝負に勝った。
*****
「可愛いわね~、倫理ちゃん」
「おい! ちゃん付けは止めろ!」
勝負に勝ったことによって、罰ゲームを受けたのは必然と倫理になった。
今は亜美の自宅、亜美の部屋で倫理が罰ゲームである女装をされているところだ。
「敗北者になった気分はどう? まあ勿論、すべて私の計画通りだけどお~?」
「断じて敗北者じゃない! 取り消せよ…………!! 今の言葉…………!!」
亜美はベロを出しながら、
「嫌ね~。そして私は倫理ちゃんの写真を激写…………。この意味、分かるよね~?」
完全に倫理は手のひらで転がされている。
写真を撮ったということは、女装の写真を撮ったということは誰かに見られるということで、さらに亜美の暗黒的な笑みからSNS等にばら撒くことが予感され、
「おいやめろ!」
「えー? どうしよっかなー?」
「マジでそれは止めてくれ…………。社会的に死ねる……」
絶望に浸りつくしたかのようなその目は亜美にとって面白く滑稽で、しかし○○○○だから、
「さすがにそこまではしないわよ。少しお手洗いに行ってくるわ。覗かないでね」
「ああ、もちろんだ」
亜美は軽やかな足取りでトイレまで行き、鍵を閉める。
「あー今日はとっても面白かったわー。倫理の女装姿可愛すぎでしょー!」
亜美の表情はとても幸せに満ちた顔をしている。それほど、倫理の女装が見たことがうれしかったのだろう。
しかし、少し表情が曇る。
「倫理は私のこと、全然好きじゃないのかな……。抱きついたときもとくに反応なかったしそれに…………」
亜美は右ポケットからメモ帳を取り出す。
「私がメモ帳好きなのはアンタが初めてプレゼントしてくれたのがメモ帳だからなのに…………忘れちゃったの……倫理……?」
*****
今、亜美の部屋にぽつんといるのは女装している倫理だけ。
その彼は今、あることを悩んでいた。
--亜美はやはり僕のことが好き…………なのだろうか……? いや……ないよな。僕が亜美のことを愛しているから勘違いしてしまうんだ。メモ帳が好きなのも偶然だと……思う。アイツが僕のことを好きなわけがない。アイツはいつも勝負を挑んで、さらには罰ゲームまで用意する。僕のことが好きで恋人同士になりたいなら、普通に「好きです。付き合ってください」そう言わなきゃおかしい。天秤にかければ僕のことを好きかどうかなんて明白だ。好きではないはずだ。
天秤にかける。そのことを頭の中で思う度、
--亜美だったよな、「倫理は物事を天秤にかけることが似合っている」そう言ってくれたのは……。それが凄く、あまりにも嬉しかったから、僕は物事を天秤にかけることが好きになった。
倫理は部屋を歩き回る。
--それにしても亜美が抱きついてきたとき……ヤバかったな。可愛くて死にかけるところだった……。
それを考え、脳内に妄想がいくつもシミュレートされ、悶える。
歩く速度は落ちず、むしろ加速していく。それによって、
「あっ--」
足をつまずく。目の前に待ち受けるのは亜美が大事にしているメモ帳の数々。それをヘッドスライディングでぶち壊した。
「やってしまった……」
顔が青ざめる。さらに追い打ちをかけるようにドアから彼女はやってきて、
「あーー!! 私のメモ帳が…………。倫理…………分かっているわよね?」
「…………はい」
「罰ゲームよ!!」
倫理と亜美は両想い。
しかし、互いの心を知るのは今日ではない。