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二つの愛  作者:
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第八話

24

意外にも連絡は槇岡の方からよこしてきた。

「話したいことがある。仕事終わって会わないか」

どうやって切り出すか迷っていた私に渡りに船だった。

その日、店を任せられて以来初めて早めに仕事を区切りをつけ佐田さんに後を頼んだ。



迎えの車を降りると思わず足が止まる。

緩やかな流れの小川にアーチ風の橋が架かり、道沿いにはアンティークのような街灯が瞬いてる。

レンガを敷き詰められた中に道脇にモノトーンを基調としたカフェが姿を見せていた。


長年東京に住んでいてこんな一角があるとは聞いたこともない。何かの特区なのだろうか、ここだけ別世界だった。

(よく知ってるわね、こんな穴場を)

デートスポットには最適の場所だろう。槇岡の店選びのセンスに素直に感心した。


窓越しに私を見つけてジャケット姿の槇岡が手を振る。

通りを一望できる一番良い席を確保してるのが見て取れた。

泊りの時と同じように慣れた物腰で私を迎え席を勧める。


小粋な店内で洗練された美青年とシナモンティーを囲む。以前と同じように暖かく打ち解けた雰囲気のはずだった。しかし槇岡が笑みとシナモンの香りの中で発した第一声はすべてを打ち砕くものだった。


「莉奈と別れたい」


口に運びかけたカップが凍り付く。身体が震えだした。二の句が継げないとはこのことだった。

(この男は……)

何か言おうとしても口がパクパクと金魚のようになるだけで言葉が出ない。

あまりに怒りが大きいと言葉が出なくなると初めて知った。

「あんたね……」

煮えたぎる感情が噴き出して冷静に考えられない。

「――他に好きな子ができたのね?」

悪びれずに槇岡は首を縦に振る。

「そうだ」

絶望感とめまいで嘔吐めいた感情に襲われる。

昨日今日の話で目の前に平然と座っている槇岡が信じられない。

あの口ぶりはなんだったの? 莉奈と本気で向き合ってるんじゃなかったの? 

頭からお茶をぶっかけそうになるのを辛うじておさえる。

「……さいってー」

やはり反対しておくべきだった。

信じ切ってすべてを槇岡に預けたような莉奈の笑顔。

涙と絶望の中で崩れるのはもうすぐだ。


カップに添えた手が小刻みに震えて音をたてる。どこ吹く風と涼し気な顔つきで槇岡は年代物の白い茶碗を口に運ぶ。私の激情は決壊した。

「ねえ……あんたなんなの? 自分の言葉忘れたの!」

引きちぎらんばかりにテーブルクロスを握りしめたせいで、純白の波がテーブルに乱れる。

(この男を信じるんじゃなかった)

マリアちゃんが言ってたように最低の色事師なのだ。

ほだされて騙された自分が腹立たしい。

「落ち着けよ」

顔をしかめて槇岡は私の手を取り上げクロスの皺を直す。思わず手を振りほどく。

「それで……どうやって莉奈には話す気?」

痛いところを突かれたようにうつむく槇岡。少しは気にしてるのか。

「あなたが気が変わるのは勝手だけどね、言い方にも気をつけなさい! ひどい振り方したらゆるさないから」

慰謝料をたっぷり取ってやれ。莉奈にそうけしかけたい。言葉を吐き出すほど気持ちがたかぶってくる。

「あなた言ったわよね? 本気とか言ってたのは何だったの?」

掌を叩きつけると皿や砂糖壺がひどい音をたてた。マスターが遠くから不安げな顔をのぞかせる。周りにも客がいたが構っていられない。

「莉奈だけじゃなくて…… ずっとそうだったんでしょう? やっぱり噂通りじゃない」

黙って言葉を浴びせられる槇岡。

「この嘘つき……」

何を言われても動揺した様子を見せない。その澄まして整った顔をひっぱたいてやりたかった。

「あなたにとって……女の子はいっときの遊びなのね? 車とかアクセサリーと同じで。飽きたらポイ」

「…………」

「分かる? 莉奈は本気で人生を捧げようって思ってたの。あなたに。それがいきなり奈落の底に突き落とされて……。莉奈の人生も何もかも壊したのと同じ。だいたいね……」

片手をあげて槇岡は私を制した。

「あんまり感情的になりすぎるな。それに俺は嘘はついてない」

「な……」

ぬけぬけと言い出す槇岡に絶句する。

「……嘘もいいところじゃない。莉奈を裏切って別の……」

「前にも言ったはずだ。俺は本当に心から愛せる女としか付き合えない。同時に二人の女は相手にできない」

「…………」

「愛情が冷めてるのに付き合いを続ける方が相手に侮辱だ。惰性や性欲でな。その気がないならはっきり切る。そっちの方が相手へのリスペクトだ。それにもう一つ言ったはず」

槇岡の唇に欲情じみた笑みが兆す。野性味を秘めた輝きが瞳に燃え上がった。

「本当に愛する相手ならどんな犠牲を払ってでも手に入れる。それが愛の証だと」

言葉の奥にある底知れぬ怖ろしさについ気圧される。

「……ほんと身勝手な理屈」

「君の莉奈への思いは承知してる。だから別れを告げる時は君もそばにいてくれ」

「はあ?」

予想外の答えに力が抜けそうになる。

「何言ってるの? なだめるため? それとも私に代わりに言わせる気? ふざけないで」

この年になってまた「別れさせ役」をやらされるとは思わなかった。

「違う。今までの経験から言うと新しい相手を紹介するのが一番早かった。関係を断つには」

「そりゃ別の女を連れてこられたらショックでしょうね。でも相手の女の子はどれだけ傷つくか……ほんと最低」

そこまで言って私は気付く。別の女?

漆黒の深さをたたえた瞳。澄んでいながら奥行きのある瞳には、余人には代えがたい獣のような欲望が浮かんでいた。美しくも危なげな瞳にとらえて離さない魅力があるのは否定できない。

「新しい相手……?」

槇岡はきょとんとした表情になる。

「だから言ってるじゃないか。君に一緒にいてほしいって」

片手でスプーンを取って私を指す。

「莉奈には自分で言うよ。君のお姉さんが好きになった。最愛の人だから別れてほしいって」

「…………」

槇岡の言葉が頭に入らない。すべて真っ白になった。

「あたし……?」

「そう」

言葉の意味が心に落ち込んだ時、経験したことのない感情が爆発した。椅子を蹴倒す。

「あんた、あったまおかしいんじゃない!? 何考えてるわけ?」

まったく動じない槇岡。クールな含み笑いの美青年。


外見と裏腹のクレイジーさに頭がどうにかなりそうだった。

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