第四話
18
別荘のリビングは片側が一面の大きな窓で、まるで海が迫ってくるような迫力ある眺望になっていた。
採光も重視されてるのか海に沈む夕日を一身に浴びることができる。
「すごいわね」
「この景色がここに決めた理由だよ」
槇岡はトニックウォーター片手に言う。間違いなく海沿いの一番いい場所を押さえてある。
屋内に居ながらして海岸の雰囲気に浸れ、朝は煌めく陽ざしの中に過ごせ、夜は潮騒の中にカクテルを楽しむことだってできる。
……都会の喧騒を離れてこんな場所で過ごせたらどんなに楽しいか。
もてなしは風景だけではなかった。
お手伝いさんも数人立ち働いていたが、槇岡は自分で動いて何くれと世話を焼いてくれる。
こちらに気を遣うだけでなく押し付けにならないように程よく振る舞うやり方も心得ていてそれが心地よい。
普通なら周りから過保護な扱いを受けて、自分で何もできないお馬鹿さんの二代目になっても不思議でないところだ。しかし槇岡のもてなしは洗練されていて非の打ち所がない。
正直「お手伝いさん」のいる世界など別世界だったが迫谷さんという料理人のおばさんも、別荘の世話役の木村さんも、気さくで温かみのある人ばかりだった。
最初は気後れ気味だった私も、義理の親戚となる相手の家で疎外感を味わうこともなかった。
「迫谷さん、これダメ。お姉ちゃんね、アスパラガス苦手なのよ」
「あらあら、ごめんさない。食べれない?」
「だいじょうぶですよ、それぐらい」
むしろ莉奈の方が気ぜわしい。
「ほんと? 無理して食べてない?」
「莉奈、もういいから。子供じゃないから」
皆が笑う。なつかしい雰囲気だった。
「身内」の集まりの中でのリラックスした居心地のいい空間。
食事が済むとリビングでカクテル片手にカーペットに足を崩して語らう。
甘え切ったように槇岡の肩にしなだれ、槇岡のグラスのさくらんぼをつまむ莉奈。
屈託なく相手を信じ切った顔。久しく失われていたパパやママが一緒だったころの顔だった。
――この人と一緒ならいいかもしれない
心の内側が温かい波のような感情で満たされていく。
姉であると同時に母親のような気分にもなる。
槇岡に対する誤解も解けた。
この二人なら上手くやっていける。
槇岡のサポートがあるなら社会に出ても心配はいらないだろう。
(ほんとに良い相手を見つけた)
ほっとする気持ちと未来への期待。
あの子が失ったきずなの代わりに、あり余るほどの幸せが埋めてくれる……
莉奈が思い出したように身体を起こし私にしがみついてきた。
「お姉ちゃん、今日久しぶりに一緒に寝ようね」
「ええ?」
「ゲストルームのベット凄く大きいの。二人で寝れるから」
「そうなの?」
莉奈は槇岡を振り返る。
「ねっ、いいでしょ美津?」
「もちろんだ」
私は了解する。槇岡がいない所で話したいこともあるのだろう。
「分かった。じゃあ槇岡さん、今晩は悪いけど莉奈を借りるわね」
19
来客の夫婦用なのか、キングサイズのベットに私たちは久々に枕を並べた。
「どう? 最高でしょう、彼」
「そうね」
最初は諦めるように説得するつもりだったのが、とうにそんな悪感情は消えてしまってる。
二人で天井を見上げながら満ち足りた気持ちを分かち合う。
「プレイボーイだから気を付けなさいって言う人もいたのよ。でも実際に仲良くなっていったら大違い」
それは認めざるを得なかった。
途中のひと悶着で分かったことだけでなく、ともに過ごしていると槇岡の素の性格も伝わってくる。
店で接客しているとセレブでも尊敬できない相手がいる。
驕った態度、無礼な言動、下品なファッションと悪趣味なアクセサリー、金に物を言わせる姿勢……
槇岡にはそうしたいやらしさがまったくない。
印象付けられるのは周りを虜にするような男らしさ、さわやかさだ。
「お姉ちゃんから見てどう? 合格?」
悪戯っぽい目をして莉奈は身体を乗り出してくる。両手に顎をのせ私の顔を伺う。
「ふふ……」
思わず笑顔が誘われる。
『莉奈が結婚する時は私が良い人か見てあげる』
幼い頃からの約束。私は手を伸ばし莉奈の頭をなでる。
「だいじょうぶそう。いい夫婦になれるわ」
はにかんだように莉奈はほほえみ、手を伸ばしてくる。
その夜私たちは昔のように手をつないで眠った。
20
帰りは槇岡が送るというのを断り新幹線で帰った。車中で再び莉奈から連絡が来る。
「暇な時にまた会おうよ」
「そうね。しばらくはこっちもばたばたするけど」
「美津もね、お姉ちゃんのことすっごく気に入ったって。今までにないタイプの人だって」
「……まあそれはね」
行き道のいさかい……少し気恥しい。
「しっかりしててはっきり自分の意見言うしその割に気立ても良いって。美津があんなに人をべた褒めするの聞いたことないわ」
「そう……」
「ほんとにまたご飯食べようね。北海道とかハワイにも別荘あるから。ついでにみんなで旅行しようよ」
「楽しみにしてるわ……」
無邪気に喜ぶ莉奈に少し複雑な気分になる。
地位や財産だけなら申し分ない。大コンツェルンの跡取りで外見もマナーもばっちりな男だ。
妹の幸せを願うなら祝福すべきと思う。
しかし……
心のどこかで不安な気持ちがざわめく。
高台で一瞬見せた獣を思わせるような瞳。ただの紳士や優男はあんな瞳を持たない。
自分の欲望を隠そうともしなかった。
槇岡は莉奈を愛すと誓ってる。
しかしその気になれば女をつかみどりにでもできる男だ。
財産目当てに近寄ってくる女も後を絶たないだろう。
何もかもが別世界のオス。
――本当に莉奈だけで満足するの?
幸せいっぱいの莉奈。
あの笑顔を失ってほしくない……
父さんたちを失った時に一生分の涙は流したのだ。
そっと目の前の海に身をやる。
朝もやに溶ける海に激しい驟雨が降り注いでいた。