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二つの愛  作者:
18/26

第十八話

36

会いたいという私に槇岡は東京郊外の別荘を指定した。迎えをさしむけるという。

「……いい、ただ話すだけよ?」

「分かってる。夕食も一緒にとればいいじゃないか。そうだろ、義姉(ねえ)さん」

「…………」

槇岡はもう一歩踏み出してしまってる。莉奈との終わりに。

私のことを口にするのも時間の問題だろう。

そうなったら終わりだ。なんとしてでも押しとどめないといけない。



横浜の別荘よりはこじんまりしているが、心地よい場所だった。

庭の芝生には手入れが行き届き、整然と並ぶ花壇が見ていて気持ちいい。

一階は居間に大きくスペースが割かれていて後は寝室と小部屋があるだけだった。他の私邸のようにゲストルームも全くない。

プライベートでひっそりと落ち着きたい時に滞在する場所のようだった。


居間の横長のソファに並び合って座る。槇岡がシェリー酒を運んできたが私はさりげなく距離をとる。

薄緑色の酒瓶には現代画のような変わった色彩のラベルが貼ってあり、有名なお酒なのかもしれないがワイン談義をしてる暇など無かった。一口喉に流し込んでから槇岡に向き直る。

「なんで莉奈に言ったの」

「ん? 何もおかしくはない。いつかは打ち明けることだ」

「……そうかもしれないけど」

 槇岡は口元をゆるめる。

「安心してくれ。君の事にはふれてない」

「……でもいつかは話すのね?」

「あたりまえさ。それが別れの理由なんだから」

頭が痛くなりそうだ。悪びれるどころか優雅なまでに余裕ある態度でグラスを傾けている。

「だから……」

あなたの気持ちには応えられない。

何度も繰り返してきた言葉を口にしようとするも、槇岡の瞳に射すくめられて力が失せる。

この瞳。抗おうとしてもどこか大きな立場から私を子羊のように包み取る。根深いところで勝てないような気がしてしまうのだ。

「……莉奈とは元通りになれないの?」

黙ってグラスを置くと槇岡は私の手をとる。

「言っただろ? 君に」

「えっ」

「俺は本当に愛せる女としか付き合わないって。同時に二人の女を相手にしない。気持ちを失ったのに莉奈をつかまえておく方が不誠実だ。本当ならとうに別れてる」

前に告白した時と同じ瞳をしていた。内側に秘めた野性が燃え上がり熱い色彩を織り成す。

「今は君のために黙ってるだけだ」

もう一度私はシェリー酒に手を伸ばす。心の芯に沁みる酔いが私の思いも痺れさせる。

熱いため息とともに言葉を吐き出す。

「……だから無理なの。妹の最愛の相手を奪えない」

「もう君もフリーだろう」

カッと頭に血が上る。

「あなたがそうさせたんでしょう」

白い歯をみせる槇岡。悪びれない。口惜しいがやはり魅惑的だ。

「悪いと思ってる。だけどそれだけやったのも本気だからだ。遊ぶだけならいくらでも見つかる」

「…………」

「……彼氏がいなくなってもね、私には仕事がある。とっても大切なものなの」

「やっていけるのか?」

「馬鹿にしないで」

上からの言い草に反発を感じた。

「自分ならもっと大きな店を用意してやる」

乱暴にグラスを置くと飛沫がテーブルにこぼれた。

「そりゃあなたの会社とは大違いでしょう。でもね、私にとっては譲れないの。自分がずっと頑張ってきた城みたいな場所。やっと報われそうになってる。私のお店になるかもしれないの」

「まだ正式の店長と決まったわけじゃない……だったよな」

「そうね。暫定。仮店長。でもゆくゆくは……。オーナーさんもそう言ってくれてるし」

「若い君に果たして切り盛りできるか。様子見ってところだな」

「そう。今は大事な時期。だから隼也のエクアドルの話にだってのらなかった。恋人と同じぐらい大切なんだから」

槇岡はソファにもたれかかり探るような目をした。

「もし失敗したら将来のポジションはなくなるな」

「そりゃそうよ……仕方ないでしょう。なんだかんだ言ってもビジネスなんだし。店のトップは経営を成り立たせる責任があるわ」

槇岡は含み笑いをしながら琥珀の液体をすすった。見覚えのある表情に嫌な予感にとらわれる。身を乗り出して槇岡は強い香りを吐く。

「厳しいだろうな。あの高級店舗が立ち並ぶ通りで」

「うちだって長年生き残ってきた実績があるわ。ひいきのお客さんも多いし」

「ブティック関係は競争が激しい。あの辺りだともって平均十年って話もある。毎月のように新しい店が出るからな。海外有名ブランド、芸能人直営の店……。高いテナント代の固定費も大きいから大資本が金にものを言わせて来ると苦しい」

言葉につまる。

「それは……ありえるでしょうね」

「豊富な資金力で露骨に標的にされたら追い込まれる。ひいき客なんて薄情なもんだ」

「…………」

肘をついてグラスを持つ手に顎をのせ説得するような視線を注いでくる。

愛を告白してきた時と同じ、欲望の爪で相手を引き寄せ、思うがままにしようとする獣の目。

槇岡は銀の盆からクッキーをつまみあげると目の前にかざした。

「たとえどんなに切れ者店長居ようが、センスの良い商品揃えようが、サービスに努めようが」

クッキーが指先で打ち砕かれ飛び散る。

「終わる。利益を出せない店は終わる。それがビジネスだ。店の限界は君の限界になる」

「……だから頑張ってるんじゃない」

「将来を賭けてるんだろう? 店が終われば将来の道も閉ざされるじゃないか」

答えられない私に槇岡はかまわず続けた。

「一応競争になるのはな、お互いにビジネスでやってるからだ。利益を出せる範囲内の戦いだ。逆を言えば利益度外視でやられたらどうしようもない」

「まあ……そうだけどそんな経営者ないないでしょう。慈善事業でやってるんじゃないんだし」

「いるじゃないか。現に君の店舗の近くに」

「はっ……?」

そこで私は思い当たった。

「コレピーノのこと? ……ってなんで知ってるの?」

 白く整った顔立ちにライトが反射し一瞬冷酷そうな表情を形作る。

「そりゃ当事者だから」

「…………?」

怖ろしい予感に突き当たって私は立ち上がる。

「まさか! あなたなの? あなたの店?」

謎の外国人社長。高級品を惜しげもなくばらまく。ブランド店にあるまじき姿勢。損失を出そうが構わない不可解な経営。

「……たしか外国の方がオーナーって」

「いくらでも雇えるよそんなの」

写真の二人の女性を思い出す。この男はパリコレモデルだろうがミスユニバースだろうが手が届くのだ。

身体が震えだす。

……よりによって槇岡コンツェルンが敵に回ったら話にならない。

「あなたのところはアパレル関係じゃないはず。服飾にも進出するの?」

「いいや」

槇岡はお盆のぶどうを一房唇にくわえた。余裕の表情でぶどうを噛みつぶすと顎に垂れた汁を指先ですくって舐めた。

「じゃあなんで出店を…… もしかして……あなたがやらせたの?」

「ご名答」

 犬歯を見せてぶどうの皮を吐き出す。

「〝槇〟ってのは松の仲間。Pinoはイタリア語で松。Colleは丘だ。槇岡」

 残酷な表情を浮かべて槇岡は笑った。

「なんで! よりによってうちを攻撃して……」

 笑みを含んだ槇岡の表情に背筋が戦慄する。

「あなた、まさか……」

他人の恋人を奪うために一千万でも動かす男。お遊びで店を出すぐらい電話一本でやれる。

マリアちゃんの言葉。


『欲しいもがあったら本気で手に入れようとしてくるのよ。どんな手段を使っても』


心底ぞっとした。前々から私が仕事に情熱を持っているのは知ってるはずだ。

莉奈も語っただろうし食事会で何度も私は話した。

「あなたって……」

「どうした? 別に店をどこに出そうが問題ないはずだ。君んとこのオーナーだって好きな場所に出店してる」

猛々しいライオンが爪先で小さなリスを弄ぶ。槇岡のやってるのはそれだ。

異常に品物や客層がかぶったのもそのせいだ。


鳥肌が立った。勝てない。確実にやられる。

「お願いだからやめて!」

思わず悲鳴のような声が出る。

「ビジネスの世界じゃ潰し合いは普通だ。何も違法なことはしてない」

口の端を歪めてグラスを掲げる。一瞬その姿が鮫のように思えて思わず歯噛みした。

「だって……」

常軌を逸してる。槇岡はビジネスで動いているのではない。

「あの店は私だけのものじゃない。大勢のスタッフが居て……オーナーや前の店長さんも期待をかけてくれてるの。それを……」

この卑怯者…… 強者の論理だ。

「何を言ってる。ビジネスのライバルは敵だ。誰が手加減する? もっとも」

まっすぐに私を視界にとらえた。

「恋人相手なら別だが」

「うっ……」

手段を選ばないケダモノ。怒っても空しいだけだ。

一心に私をわがものにしようとする相手は、全ての抵抗を突き破ってくる。

「それって脅迫と同じ。 ……そんなことで私が振り向くと思う?」

もう一度槇岡は私の手を取った。両手で力強く包む。

「ひどい手なのはわかってる。そうでもしないと君は動いてくれない。分かってくれ。それだけ俺も本気なんだ」

「…………」

「何もいじめてるわけじゃない。逆だ。君を手に入れたいから。君が欲しいから」

 熱を帯びた瞳。魅入られそうで思わず目をそらす。

「……愛してる」

一番聞きたくなかった言葉。耳をふさぎたくても槇岡はしっかりと私の手を握り締めてる。


槇岡はシェリー酒を淹れなおして私の前に押しやる。自分も新しい分を注いですぐに乾した。

「俺を受け入れてくれるなら明日にでも止めるさ」

グラス越しに揺れる槇岡の姿。私の頭をふらつかせているのは酔いだけではない。

「すべては君次第だ」


……この男は本気。

私の恋人や仕事も奪うのもためらわない。

たぶん誘いに応じるまでしがらみとなるものをすべて消し去る気なのだ。財力と権力のすべてを賭けても。

「まともじゃないわ、あなた」

力無く言葉が漏れた。

目抜き通りの一等地にあれだけの店を出すコストは並々ならない。人や品物を準備しそのほとんどは採算が取れてないだろう。持ち出しだ。エクアドルの件でも一千万以上使ったと言っていた。

日本有数の大金持ちでも馬鹿にはならない。他人に工作を頼むときはバツの悪い思いもしたはずだ。


どれだけの時間とお金を無駄にしたのだろう。そこで私は気付いた。

(少なくとも金や名誉のためじゃない)

琥珀色の液体を口に含む。

金と外聞が何より大事ならここまで愚かなことはしないはず。

そう全ては…… すべてに優先させたのは……


グラスに目を落としてる槇岡を見る。

獣のような欲望をむき出しにする男。常軌を逸した裏工作。荒々しさの奥に潜むストレートな気持ち。


初めてすべてが氷解した。私は思わずソファに突っ伏した。

笑い転げる私に槇岡は呆然としている。

「……どうしたんだ?」

「あんたって莉奈とおんなじなのね」

「えっ?」

「そうだわ。やっとわかったわ」

目の前のむき出しの真実。笑いの発作がおさまらない。

私自身が槇岡にまつわることで目が曇らされていた。


そっとシェリー酒に口にする。胸を灼く液体は人の愛情の真実をひしひしと訴えるかのようだった。

「あなたを色眼鏡で見てたんだわ、私」

「何を言ってる?」

「大金持ち。イケメン。プレイボーイ。平気で莉奈を捨てて私に迫る図々しさ。

 可哀相な莉奈、みたいにばっかり思って一歩引いて見れてなかった。あなたって人間を見失ってたの」

いぶかしげな表情で槇岡は私を見る。

「なんであんたと莉奈と惹かれあったか分かったわ。まるでおんなじタイプだからよ」

「…………?」

「先入観を取り払ったらあんたも莉奈もピュアなのね。子供みたいに」

胸の奥から沸き起こるおかしさ。

「莉奈はね、遊びでいろんな男と付き合ったんじゃない。あの子もね、人一倍純粋な子なの。

だから相手を好きになったら一途だし、愛情を失ったらその瞬間から付き合えなくなる。

それを惚れっぽいとか遊んでる女とか誤解する子もいたけど。

結局一般人みたいに打算や世間体じゃないのよ。本当に自分が心から好きになれる相手だけ。全部愛情で動いてる。まじりっけなしの」

槇岡も空を仰ぐようにして苦笑した。

「すごいな。さすが姉さんだな」


「女に飽きたら捨てる」という評判も莉奈と同じなのだ。

けた外れの金持ち、しかも美貌であるために見る人の目が歪んでしまう。

よこしまで金に飽かせて女を求めるただの色事師とは違う。


(莉奈の男版)

そう理解できたらすべてが胸の中にストンと落ちた。

腹立たしい性格も、普通じゃない行動も。


愚かで狂った行動に見えるのもすべて愛情のためなのだ。

ただ自分が心から得たいものを、望むものを、ひたすら追い求める。


同情と愛おしさに似たものが胸に沸き起こった。

移り気な莉奈がわがままを言い、暴れてるのと変わらない。


大人のように見える槇岡と子供っぽさの抜けない莉奈。

ただ外側のスタイルが違うだけ。中身は瓜二つ。

対照的な二人なのではない。そっくり同じタイプの男女二人を相手にしていたのだ。



あきらめに似た気持ちが心に兆した。莉奈の行動が分かるだけに槇岡も予想がつく。

……おそらく抵抗しても無駄だ。槇岡はどこまでも私を求めてくる。



そして莉奈の元には帰らない。

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