第十一話
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「亜矢ちゃん」
昼下がりの雑踏の中でもその声はよく響いた。この声を忘れるわけがない。
「あら、お久しぶりです」
営業用のスマイルを瞬時に貼りつかせて、高階の奥様に頭を下げる。
奥様のかたわらには、ブランドショップの買い物袋をいくつもぶら下げた若い男。
えらく日に焼けてがっしりした体形をしている。
運転手やお手伝いには見えない。ひょっとして……
いらぬ勘繰りをしそうになる気落ちを抑えて奥様のそばに寄る。
親密げな男の下げた袋に、ひときわスタイリッシュな品があるのに気付く。
『Collepino』
あの店の名前だ。
――大のお得意様が、ライバル店に足を運んでいる。
さすがに愉快な気持ちにはなれない。
こっちの気持ちを知ってか知らずか、メガネの奥の目を細めて奥様はにこやかな表情を作る。
「あなた店長になったんですってね。おめでとう」
「ええ……まだ代理ですけど」
「一度お祝いでも送ろうかしら、って思ってたのよ。ご無沙汰して悪かったわねえ」
肉付きの良い顎を動かして笑みを見せる。
この感じだと私や店を嫌いになったわけではないようだ。
今後の店のこともある。責任感に押され思い切って聞いてみる。
「あの……最近はお見えになってないようですけど、ひょっとしてお店のものがお気に召さなくなりました?」
「ううん、そんなことないわ」
ちょっとバツが悪そうな表情を浮かべ通りの向こうを指さす。
「聞いていない? あの新しいお店」
「うかがってます」
「あの店ほんと凄いのよ。新店だからちょっとのぞくぐらいの気持ちだったんだけど。もうびっくりするような品揃え」
「センスがお合いになると?」
「センスもだけど。ありきたりな上等品やデザイナーブランドならどこでもあるけど、見たこともないようなものばっかり。本場の独特の仕入れルートがあるんでしょうね」
「……そうなんですか」
「それからあの値段」
嬉し気に男の抱えたバックに目をやる。
「お安いんですか?」
「安いってどころじゃないわよ。値札見てびっくり。こんなお安いわけないってパチモノじゃないかって思ったんだけど、あれは間違いないわ」
この中年マダムは、センスはともかく本物には接してきている。
「……もしかして傷物とか、訳ありとか」
「違うわ」
きっぱりと私の言葉をさえぎる。
「そう思うでしょ? でも全然。隅から隅まで調べたんだけど型落ちとか新古品でもない。今日もピカピカの新品のバックがもう信じられない値段で。日本中探したってあんなお店ないわ」
ちらりと私に目をやる。
「亜矢ちゃんのお店も好きなんだけどねえ……悪いけどあっちがいろいろ良くってね、ホホ」
奥様が若い男に寄りそうに去ってからも、私はその場を動けなかった。
遠目に見える新参のライバル店の黒いカラーの庇。
最近目に見えて客足が鈍っている。
季節やイベントで出足に波があるのは仕方ない。
しかし数か月前には気にならなかった兆しが、もう数字で見えるまでになっている。
明らかに一時の落ち込みじゃなかった。
電話越しにオーナーの声が厳しくなることも多い。
日報を送る際に胃が痛むような気分になることもあった。
佐田さんたちは若い子もやっきになって品揃えや店のカラーにも気を使ってくれたが、
ゆっくり、そしてずっしりと見えない圧迫感が増えている。
腕時計はまだ時間の余裕を示してる。私は足を通りの反対側に向けた。
買い物中毒の高階の奥様があそこまでトリコにできる。
店の力は間違いない。
しかし「価格が安い」という言葉がひっかかった。
それなりのブランドならむしろ安売りは逆効果なはずだ。
ディスカウントショップやスーパーで日用品を買うのとはわけが違う。
イメージ失墜を怖れて協定で安売りできないようにしてるブランドもあるぐらいだ。
それにどれだけツテがあろうが生産地を移そうが、一定の原価はある。
海外からの特注品は輸送費もかさむのだ。
ビジネスでやる以上は利益を出さないといけない。
この町はテナント代だけで新参者を拒む場所だ。
開店後の一時の客寄せにしては不自然すぎる。
高級テナントばかり立ち並ぶビルの一階。
外観はエルメスやアルマーニなどの店とさほど変わらない。
平日の昼なのに人だかりしている。
ちょうど撮影用のカメラを抱えたクルーとテレビ局関係者と思しき人たちが出てきた。
格好の取材ネタなのだろう。
ショーウインドーのバッグの値段に驚愕する。
確かに怪しい品ではない。偽物ならこんな堂々と販売はできない。
この質でこの値段はおかしい。
中から出てきた有閑マダムの一群とすれ違う。
手と手に荷物を抱えて、興奮で上気した顔で品物を褒めて笑いあってる。
高階様と同じく、着飾ってセレブ然としていても、財布のことには誰もが敏感なのだ。
観察してると学生や同業者らしき一群もあった。
焦燥感に胸が焼かれる。人気には納得したが傍観してもいられない。
新規出店はどこにでもあるのだから言い訳できない。
切り抜けないといけないのだ。
このまま採算が悪化していけばいずれ厳しい裁決が来る。
今こそ自分の器量が試されてる。
ひしひしと、そう感じた。




