パラレルワールド
並行世界。
どの時点かから「分岐」した、また別の世界。
「パラレルワールドの自分」というものを考えたとき、少なくとも「誕生時点の条件」は変わらない。同じ両親によって、「仕込まれた条件」も同じでなければ、「遺伝子的にも完全に一致した自分」とはならないからだ。
だとすると「大金持ちの家に生まれた自分」なんてものは存在せず、それは「自分に似た別の誰か」でしかない。
パラレルワールドの自分とは、いわば、自分の可能性の「上ブレと下ブレ」の存在に過ぎない。「もし、あの時、ああしていれば」の繰り返しから産み落とされた「自分にあった可能性のその先」というわけである。
都市伝説界隈では、どうすれば、パラレルワールドの「成功した自分」と入れ替わることが出来るかが、時折話題となる。しかし、自分が成功した自分と入れ替わることによって、「玉突き」に遭う「成功した側の視点」は、常に抜け落ちてもいる。
「自分勝手」と言ってしまえば、それまで。
だが、その自分勝手で害を受けるのもまた、また別の自分であるのだから、そこへの配慮がないというのは、人としての何かが欠落してもいる。
また、自分がこの世界からいなくなることによって、発生する影響の懸念もある。自分の代わりに、また別の自分が自分を演じてくれるにせよ、いきなり今の生活をこなせというのは、無理難題である。
また自分自身にしても、「この世界における責任」の問題があり、それを誰か(=別の自分)に委ねようとも思わない。
自業自得という言葉があるが、自らの業である以上、やはり今の自分が落とし前をつけるのが、けじめというもの。たとえ、どのような終わりが来たとしても。
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しかしながら、自分の「上ブレ」と「下ブレ」の姿を見ること自体には興味がある。過去にあった可能性の上限値と最悪値の両方を見ることによって、「現在の自分」を見つめることが出来れば、また深く自分自身を知ることもできそうだからである。




