ガラスの家
こんばんは。
いすみ 静江です。
ようこそお越しくださりありがとうございます。
怖いか……。
怖かったのは、私です。
葉が落とす影も少なくなってきた七月、私はある疑念を抱いていた。
「壽羽ちゃん、大事ぶだから」
私は、卓袱台で勉強をしつつ、横桟の向こう側にあるガラスの家からの光を気にしていた。
真っ白なうさぎの緒己も互真も皆いるんだ。
「お母さん、うさぎちゃん達に時々しか餌をあげていないでしょう?」
「大事ぶだって。お水だってあげてますよ」
「うさぎちゃん達生きているの? 桃園ファミリーにきたからには幸せになって欲しいと思っているけど、どうしても大学の都合で月に一度しか実家に帰れないのよ」
うさぎちゃん達は、ガラスの家に暮らしている。
西洋風の窓枠が美しいロマンチックなのではなく、父がモモゾノ鋼建の社長だから、自宅をビル用サッシで増築して、物置兼ペット部屋ができてしまう。
そこには多くのうさぎちゃん達がいた。
確か、子どもが産まれてもいいようにケージを増やしたはずだ。
「じゃあ、見てくる? 壽羽ちゃん?」
心臓がズキンと一突きした。
肋骨に挟まるかと思った程だ。
のほほんとした母、桃園よしみは、かなり天然ボケが入っている。
どこまでが本当だろか。
「お母さん、静かね。ガラスの家はカタリともしないね」
「うさぎは無口でしょう? 梔子だって無口だから、大事ぶよ」
「熱海でさ、お母さんがお花が好きだからと温室に入ったよね。そのとき、初めて実物の梔子に見惚れていたよね。でも、花粉症があると分かって驚いたよ」
夏休みに一泊旅行で沢山の餌を置いていったのに、帰宅したら浩心が倒れていた。
もう動かない浩心の後ろから、ひょっこりと顔を見せたのは、真っ白な小さな子達。
緒己と互真がそれだった。
「本当は、ガラスの家に入りたいよ。大学さえなければ、皆連れて行きたいよ」
「そんなに頭を掻いて。ほら、梳かしなさいね」
櫛なんて望んでないよ。
心配ごとを抱えて帰れない。
また来月まで落ち着かない。
「……ガラスの家へ入るよ」
卓袱台に手をつくと、シャーペンが転がった。
板間の上から拾って、そのままペンケースにしまう。
だらしがないから、ルーズリーフやテキストも整理して鞄にしまった。
「横桟に汚れが溜まっているよ」
「偶々だから、大事ぶよ」
引手に手をあてるだけで、じんわりと汗ばんでくる。
敷居がギギリと小声で泣いた。
しばらく使っていないのだろうか。
「うーさーぎーちゃーん!」
軋んだままでいいから、戸を全開にする。
かくれんぼから起こそうとするが、私の目は瞑っていた。
誰か、誰か、返事をしてくれ。
「おめめ開けちゃうぞ」
仕方なく、双眸を起こした。
所が、真っすぐ先に見えたものがあった。
「どうして、ガラスの家に真っ白な梔子の鉢があるの?」
ガラスの家は自然光グロースキャビネットそのものだ。
「ねえ、お母さん? どうしてうさぎちゃん達じゃなくて、梔子なの?」
「だから、ちゃんと餌も水もあげていたって。大事ぶよ」
嘘だ。
「お母さんが、捨てているの? 亡くなったうさぎちゃん達を」
ここにいた、緒己ちゃんも互真ちゃんも皆いない。
ガラスの家に入って、見つけたかったのは、ケージじゃない。
沢山のケージで幸せにしている桃園ファミリーだとか思い込んでいたのは、私だけなのか。
「餓死したのかな。肋骨出ているよ」
涙も追い付かない。
「もう、息もできない程匂いがする。魂が抜けるのは辛かったろうに」
お母さんをあどけないとも言い切れないが、責めてもしかたがない。
私が遠い大学を選んだのがいけなかった。
「元気でね、壽羽ちゃん」
門扉を閉めてアパートへ帰ることにした。
一戸建てのガラスの家に、私が思い描いていたのは夢の世界だったのだろうか。
電車で揺られる中、気持ちが悪くなっていった。
いつものワンルームに落ち着く前に、水をがぶがぶと水道から直接飲んだ。
うさぎちゃん達は暑かったんだ。
水が欲しかったんだ。
お腹だって空いていたんだ。
その晩、睡眠が浅かったようで、うなされていた。
「みずをください」
繰り返し、繰り返し、起こること。
毎日の夢で私は必ずガラスの家を訪ねる。
いつまでも初夏の実家は、照り返すガラスの家を自慢げにする。
中は生き地獄なのに。
はっとすれば、それは夢現――?
【了】