第9話 ハイエナの牙、鉄槌の応酬
地平線を埋め尽くすヘッドライトの群れ。夜の闇を震わせる、何十ものエンジン音の不協和音。ハイエナの本隊が、その名の通り、死肉に群がる獣の大群となってフロンティアに迫っていた。
「来たぞ……!」
物見櫓の上で、ダントさんが呻くように言った。その数、およそ五十。先日撃退したサンドクローラーの倍以上の規模だ。
だが、村人たちの顔に、かつてのような絶望はなかった。恐怖はある。しかし、それを上回る闘志が、彼らの瞳に燃えていた。隣には、共に戦う仲間がいる。手には、信じるべき武器がある。
「総員、配置につけ! 第一防衛ライン、絶対に突破させるな!」
俺の叫びが、夜の集落に響き渡る。
村人たちと元サンドクローラーたちが、混成チームとなってバリケードの陰に身を伏せた。その間には、もはや以前のような不信感はない。ただ、共通の敵を前にした、戦士としての連帯感だけがあった。
「ザギ、キバ! お前たちの部隊は遊撃手だ! 敵の動きに合わせて、一番手薄な場所を叩け!」
「任せとけ!」
「腕が鳴るぜ!」
ザギとキバが、獰猛な笑みを浮かべて応じる。
ダントさんが、そんな彼らの横に並び、ずっしりと重いアイアンポテトを一つ、手の中で確かめるように握った。
「……死ぬんじゃねえぞ、お前ら」
「そりゃ、こっちのセリフだぜ、オッサン」
憎まれ口を叩き合いながらも、その背中は互いを完全に信頼しきっていた。
俺は物見櫓から戦況全体を見渡す。隣には、伝令役を担うアンナが、固唾を飲んで俺を見つめていた。その首には、サラから奪った緑色の解毒石のペンダントがかけられている。万が一、毒矢に倒れる者が出た時のための、最後の希望だ。
「ユウキ……」
「大丈夫だ。俺たちのポテトは、今日、伝説になる」
俺は短く言うと、眼下の闇に意識を集中させた。
ハイエナの先頭集団が、ついに罠のエリアに突入する。サンドクローラー戦と同じく、地面に撒かれたストーンポテトと、張り巡らされた蔓のネットが、バイク乗りたちに襲いかかった。
ガシャアン! という金属音と共に、数台のバイクが転倒する。
だが、ハイエナは手強かった。後続の部隊は巧みに罠を避け、あるいは速度を落として慎重に突破してくる。彼らはサンドクローラーの失敗から、すでに対策を学んでいたのだ。
「罠が破られるぞ! 投擲開始!」
俺の号令と共に、バリケードの陰から無数のストーンポテトが放物線を描いて飛んだ。
しかし、ハイエナ側も盾を構え、飛来するポテトを防ぐ。その防御をこじ開けようと、こちらも投擲を続けるが、決定打にはならない。
「ちぃっ、しぶとい奴らだ!」
ダントさんが舌打ちした、その時。
敵の中から、数人の男がバイクを降り、大きな鉄板のような盾を構えながら前進してきた。彼らを壁にして、後続の部隊が安全に進もうという算段だ。あの盾を突破しない限り、こちらの攻撃は届かない。
「ユウキ!」
ダントさんが、助けを求めるように俺を見上げた。
「……今だ。やれ!」
俺は合図を送った。
ダントさんと、投擲の腕を見込まれたキバ、そして他の数人の男たちが、おもむろに麻袋から『それ』を取り出した。鈍い鉄の光沢を放つ、アイアンポテトだ。
「いっけえええええ!」
ダントさんの雄叫びと共に、数個の鉄の塊が、唸りを上げてハイエナの鉄盾めがけて飛翔した。
ゴガンッ! ゴガンッ!
先ほど俺が見せた光景が、戦場で再現される。
アイアンポテトは、賊たちが頼りにしていた鉄盾を、まるでベニヤ板のように貫通し、盾ごと後ろにいた兵士たちを吹き飛ばした。
「な……!?」
「盾が……破られただと!?」
ハイエナたちの間に、初めて動揺が走った。自分たちの防御が全く通用しないという事実は、彼らの士気を根底から揺るがす。
その隙を、ザギたちが見逃すはずもなかった。
「今だ、突っ込め!」
遊撃部隊がバリケードを飛び出し、混乱するハイエナの前衛に襲いかかった。戦いは、一気に混戦模様へと突入する。剣戟の音、怒号、悲鳴が入り混じり、戦場は凄惨な様相を呈し始めた。
「まずい! 右翼から回り込んでくる奴らがいる!」
櫓の上から戦況を見ていた俺が叫ぶ。ハイエナは統率が取れている。前衛が食い止められている間に、別動隊が村の側面を突こうとしていた。
「アンナ! ギデオン長老に伝えてくれ! 予備のストーンポテトを右翼へ! 急げ!」
「わ、わかった!」
アンナは頷くと、素早く櫓を駆け下りていく。
戦いは、一進一退だった。アイアンポテトという切り札で優位に立ったかと思えば、敵の数の力がそれを押し返してくる。時折、毒が塗られた矢が飛来し、村人の中から負傷者が出始めた。
「クソッ、こいつら、火まで使いやがった!」
キバが叫ぶ。敵が投げた火炎瓶がバリケードの一つに命中し、燃え上がったのだ。火の手は、家屋にも燃え移ろうとしている。
戦況は、膠着していた。
俺は焦りを感じながら、敵の本隊がいる後方に目を凝らした。そこに、サラの姿はない。彼女は捕虜として、村の中央にある倉庫に縛り付けられているはずだ。
(……おかしい。サラの奴、ただやられるのを待っているような女じゃない。何か、狙いがあるはずだ……)
その時、俺の脳裏に、ザギが言っていた言葉が蘇った。
『奴らの常套手段は、水場への投毒だ』
井戸の警備は完璧なはずだ。ストーンポテトでの検分も欠かしていない。一体、他に何が……?
――水場。
その言葉が、俺の思考に雷を落とした。
水場は、井戸だけじゃない。村にはもう一つ、人間が直接飲むわけではないが、極めて重要な『水場』があった。
「しまった……!」
俺は血の気が引くのを感じた。
俺の『実験農場』だ! 特に、ムーンリーフと交配させた、薬効ポテトを育てている隔離区画! あそこには、生育のために貴重な水を溜めた貯水槽がある!
ハイエナの狙いは、村を滅ぼすことだけじゃない。サラのポテトへの憎悪を考えれば、俺たちの希望の象徴である、あの特別なポテトを根絶やしにすることこそが、真の目的なのかもしれない!
正面の戦闘は陽動だ。別動隊が、すでに農場へ向かっているに違いない。
「みんな、すまん! こっちは任せた!」
俺は櫓から飛び降りると、アンナやダントさんたちの静止の声も聞かずに、実験農場へと走り出した。
俺の背後で続く激しい戦闘音を聞きながら、ただひたすらに錆びた土を蹴る。
頼む、間に合ってくれ。
あれは、ただのポテトじゃない。このクソみたいな世界で、俺たちが未来を掴むための、たった一つの……。
実験農場にたどり着いた俺が目にしたのは、最悪の光景だった。
数人のハイエナの賊が、貯水槽の周りを取り囲んでいる。そして、その中心に立っていたのは、いつの間にか拘束を解いて脱走した、毒婦サラだった。彼女の手には、黒く濁った液体の入った小瓶が握られている。
「……遅かったじゃない、ポテトの小僧」
サラは、悪魔のように美しい笑みを浮かべた。
「あんたの大事な希望の芽、今、ここで根絶やしにしてあげる」
彼女は、毒の小瓶を貯水槽に投げ込もうと、その腕を振り上げた。
万事休すか――。
絶望が俺の心を覆い尽くした、その瞬間だった。
ガッ!
「ぐっ……!?」
サラの腕に、横から飛んできた何かが直撃し、毒の小瓶が手からこぼれ落ちた。
驚いてそちらを見ると、そこに立っていたのは、息を切らしたアンナだった。彼女の手には、投石用のスリングが握られている。
「アンナ……!?」
「あんたを……一人には、させない……!」
彼女は震えながらも、強い意志を宿した瞳でサラを睨みつけていた。
希望は、まだ潰えていなかった。